2026年7月23日日経記事
米テキサス州ヒューストン。宇宙ファンの聖地、米航空宇宙局(NASA)の敷地に足を踏み入れると少々意外な光景に出合う。
最初に来訪者の目に入るのは、アポロでもスペースシャトルでもない。スペースXのロケット「ファルコン9」のブースターだ。
スペースXは米国の官民連携の代表例として知られる。「NASAの巨額の政府調達がスタートアップの奇跡の成功を生んだ」というナラティブが有名だ。しかしNASAの記録をひもとけば、別の物語が浮かび上がる。
2006年、NASAは静かな危機の中にあった。スペースシャトルの空中分解事故から3年がたちシャトルの退役が決まったが、後継計画は一向に進まなかった。
当時、ボーイングやロッキード・マーチンなど巨大企業との連携は機能不全に陥っていた。納期は遅れる。費用は膨らむ。国際宇宙ステーション(ISS)への補給をロシアに依存する屈辱が目前に迫っていた。「もっと早く」「もっと安く」。関係者のこんな発言が記録に繰り返し登場する。
そして当時の常識では「危険な案」が持ち上がる。企業へ一括で資金を渡さない。成果のマイルストーンを置き、達成すれば一定額を渡す。追加予算は認めず、達成できなければ切り捨てる。複数企業を競わせる――。NASAの案には内部や議会から懐疑の声があがったが、引く余裕はなかった。
6年後、その競争から生まれた1社がISS補給を成功させた。NASA同様、失敗続きで破綻の危機にあったスペースXだ。背水の陣で「再利用可能」という画期的なロケットの開発に成功し、宇宙開発の勢力図を書き換えた。
NASA本部に横たわるファルコン9は単なる技術の記念碑ではない。崖っぷちで政策の大転換に成功したNASAの「断崖の発想」のモニュメントといえる。
国家か、市場か。日本でも高市早苗政権が掲げる官民連携の成長戦略のあり方が問われている。投資額は官民の累計で370兆円超に上るという。「国家資本主義の時代には巨額の公的支援が不可欠だ」「政府に目利きはできず、市場に委ねるべき」。いずれも一理あるが、世界は別の論理で動く。
科学技術と産業の巨大な結合が必要なこの時代、国家規模の支援なしには世界レースへの出場権すら得られない。だからといって補助金や政府調達を積み上げれば産業が育つわけでもない。必要なのはどこよりも厳しい競争を生み、勝者を選び抜く仕組みだ。
代表例が中国だ。電気自動車(EV)や太陽光パネルなど急成長の裏側にはいずれも莫大な補助金や優遇策がある。しかし真に産業を鍛え上げたのは「国家主導のバトルロイヤル」ともいうべき競争環境だ。17日には、生成AI(人工知能)のスタートアップ、ムーンショットAIが米国の最先端AIに匹敵するオープンソースモデル「Kimi K3」を発表した。
同社は米国のAI覇権を崩す国家戦略の先兵だが、国が選んだわけではない。中国市場は百度(バイドゥ)や騰訊控股(テンセント)などのメガテックと、ディープシークなど無数のスタートアップが入り乱れる。Kimiは大海に浮上した一匹の魚に過ぎない。
政府は金を出すが、勝者までは決めない。巨大な競技場をつくり無数の企業を走らせ、倒れる者が出ることをいとわない。その冷徹な競争設計こそが中国のハイテク産業を猛スピードで強くした。
米国も市場原理の国でありながら国家資本主義の先駆者でもある。インターネットや全地球測位システム(GPS)、半導体などの源流をたどれば国防総省や国防高等研究計画局(DARPA)の巨額投資に行き着く。一方、DARPAは複数の組織を競わせ、資金配分を変える手法でも知られる。競争を止めない仕組みだ。
日本は「失われた30年」を通じ何度も成長戦略を掲げてきた。条件に合う企業を選び資金を投じ、後は成果を祈る。競争はない。むしろ阻害されている。繰り返し議論を呼んだラピダスやクールジャパン機構(海外需要開拓支援機構)などいわゆる「日の丸方式」も、問題の本質は政府関与の是非や金額ではなく競争の排除にある。
日本では「1点集中型」とみられがちな台湾や韓国の政府投資にも競争設計が埋め込まれている。
台湾は政府が株主となり台湾積体電路製造(TSMC)を設立したが、その前から政府は半導体技術の導入と産業クラスター形成、人材の集中を推進していた。そこからTSMCが頭角を現した。
韓流ブームも政府がBTSや「イカゲーム」を選んだわけではない。プロデューサーや脚本家、演出家など人材を大量に育成し、芸能プロダクションが競う産業基盤を生み出した点に勝因がある。
競争は敗者も生む。NASAはスペースXと共にロケットプレーン・キスラー社を選定したが、目標未達のため契約を打ち切った。同社は強く反発し、米政府監査院や議会に訴え出た。NASAはその戦いに勝ち抜いたが、ロケット社はその後、破綻した。競争設計とは、敗者を受け入れる覚悟と責任から逃れられない政策だ。
世界では国家と国家が競争設計を競い合う。それは政策の競争でもある。かつてのNASAと同様、今の日本には機能不全を続ける余裕はない。断崖の発想で戦略を転換し、失われた30年から脱却できるのか。「成長しない成長戦略」から日本の成長は生まれない。
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必敗の条件が整っているラピダスは、勝者になれそうもない。経営陣に老人がずらりと並んでもいるな。