この当事者会は40代以上のASDの方、
特にコミュニケーションが苦手な方のための場です。
もちろん主催者もコミュニケーションが苦手なASD当事者です。
私たちは発達障害という名前すらなかった時代に社会に出て、いきなり崖から突き落とされるような人生を歩んだ方も少なくありません。
周囲の理解も支援も全くなく、自分の努力ややる気が足りないと思うしかなく、長い間苦しんできた方も多いのではないでしょうか。
そのような厳しい時代を私たちは傷つきながらも生き抜いてきました。そんな私たちだから話せること、お互いに語り合いませんか?
ゆるトークの歴史
2022年3月 第1回開催(大阪市西区民センター)
1年目は8月と12月以外毎月開催
2年目以降は毎月開催
2025年3月 3周年を迎える
私がASDのための自助会を始めようと思ったきっかけ
この論点で語る方はほとんどいませんが、現在の発達障害自助会の問題点の一つとして、ASDとADHDは時として正反対の特性であるにもかかわらず、それぞれの特性の違いが顧みられることなく「発達障害」というくくりで一緒くたで開催されていることが少なくないことがあると思っています。
そして、既存の自助会の主催者の多くは、ADHD当事者だということです。
ADHDが悪いと言いたいわけでは決してありません。自助会の主催にはエネルギーが必要です。ADHDの方は概して行動力が高くエネルギッシュな方が多いため、結果として自助会主催者として積極的に活動する方はADHDが中心になるのです。
しかし、その結果として、ADHD目線で運営される会が多く、ADHDの方にとっては居心地が良くても、図らずもASDの方にとってはそうとは言えない会が少なくないのも事実と思います。
具体的にどのようなことが起こるかというと、特にフリートーク形式の会ではコミュニケーションの弱肉強食が起こるということです。
たとえば、多弁で衝動性の強いいわゆる「コミュ強者」中心に、特定の2~3人だけで延々会話が続けられ、残りのメンバー、特にコミュニケーションに難があるASDは置いてけぼりという場面をこれまで何度も見てきました。ですが、この状況が問題であるという認識自体が自助会主催者の間でもほとんどされていないのが現状と思います。
正反対のことも起こります。当会では当初から「言いっぱなし・聞きっぱなし」のスタイルを取ってきましたが、複数のADHD当事者の方から「話したいタイミングで話せない」「他人の話を聞き続けるのが辛い」といったクレームを頂戴しました。そこで初めて、このスタイルはADHD当事者にとってストレスになるのだということを知ったのでした。
とはいえ、既存の会に改善を求めることは生産的ではなく、主催者にとっては余計なお世話でしょう。それなら、ASDである自分自身が自分たちのための居場所を作ろうというところから始めました。
もちろん、ADHD当事者同士で活発な議論を展開する会は今後も必要だと思います。ただ、真逆といえる特性同士を無条件で一つの会場で一緒にするのは少々無理があるというのが私の考えです。今後は棲み分けを図るか、もし一緒にやるなら主催者側が自分とは異なる側の特性について知ろうとして、なるべく公平に配慮した運営を行う工夫が必要ではないかと思っています。