第62回 夏の学校のホームページは
写真:札幌市教育文化会館
講師:大久保 潤 先生 (埼玉大学 教授: 研究室HP)
担当:根岸 直輝 (東大 横川研 D1)
担当連絡先:sec1_at_ymsa.jp
試験管内での「平均値」の振る舞いとは異なり、細胞レベルなどの小さい系では化学反応の確率的な振る舞いが顕著になります。そのため、確率過程に基づく議論が必要です。さらには、分子の個数を数えられる「ミクロスケール」、個数は数えられないものの密度に揺らぎを含む「メゾスケール」、そして決定論的に議論できる「マクロスケール」といった、記述の階層の問題もあります。実はこれらの階層は独立したものではなく、例えばミクロからメゾの記述を導出することも可能です。これらの階層を跨いだ記述は分子科学だけではなく、非平衡系の物理学と呼ばれる分野などで幅広く利用されています。
本講義の構成は以下のものを予定しています:
(1)必要な数学の道具立ての復習(確率やTaylor展開など)
(2)ミクロの世界の記述とアルゴリズム(マスター方程式、Gillespieアルゴリズム)
(3)メゾの世界の記述とアルゴリズム(Langevin方程式と確率微分方程式、Euler-Maruyama近似)
(4)ミクロとメゾをつなぐ手法(Kramers-Moyal展開など)
(5)ミクロの世界におけるデータからのパラメータ推定(推定の基本とベイズ推定)
(6)発展的な数理構造(Doi-Peliti法の基本と応用)
まずは確率の理論とシミュレーションのためのアルゴリズムを、「ミクロ」と「メゾ」のスケールを中心に紹介します。数学的に厳密に議論を進めるのではなく、「使える技術」を意識して、基礎的な数学の道具立てを使った説明を試みます。また、理解を深めるためにPythonのコードを用いた実演もします。
さらに、これらの確率的な記述により、機械学習やデータ解析の話との接続が自然と見えてきます。機械学習やデータ解析に馴染みのない人も多いと思いますので、まずは考え方の基本を説明します。そして、反応系のパラメータをデータから推定する枠組みを紹介します。
なお、最後にDoi-Peliti法と呼ばれる手法についても簡単に紹介する予定です。これは第二量子化に類似した代数的な記述方法であり、今後皆さんが確率的な反応系について理論的に深く研究を進めていく際に役立つはずです。
機械学習も含めて、本講義では分子科学の分野では触れる機会の少ないトピックを扱います。その分、基本的な事項を重点的に説明しますし、皆さんからの質問に応じて補足もします。確率的な記述は色々な分野で役立ちます。理論とシミュレーション、そしてデータ解析まで、化学反応系という一つのトピックで概観できるよい機会ですので、興味のある方はお気軽にご参加ください。
第一分科会担当者コメント
担当:根岸 直輝 (東大 横川研 D1)
本年度第一分科会からは埼玉大学の大久保潤先生を講師にお招きし, 化学反応系を記述する様々な方程式系の数理を, 確率過程の観点から理解することを目的とした講義をしていただきます.
皆さんは, 化学反応という言葉を聞いたときどのようなイメージを持っていますか?反応式(A+B→C+D)を習うことで物質の混合と創成という概念を出発点として, 大学では熱力学的原理から, 定量的に評価する反応速度とレート方程式を習うと思います. 物理学方面でもっと進んだことをやられている方は確率的に進行する化学反応を, 分子科学を専門とされている方なら溶媒や光子場などを含んだ系などを考察されているのではないかと思います. 興味・専門性のベクトルは様々にあると思いますが, 我々が考察したい現象に対して, 「階層の決定と方程式の運用」に重点を置いた議論は「反応物の化学的性質を知ること」と同様に重要です. 知りたい現象の階層が見えてくれば, 分子(若しくは集合体)のどの物理量に注目すればよいかわかりますし, それが分子科学においても他分野においても, 非常に意義のある発見に繋がります. 現在流行りの機械学習も強力な武器となりうるでしょう. 数理の幅だけ化学反応の記述があり, 記述の広さだけ沢山の世界が見える, 「多様性」がある魅力的な分野だと個人的に思います.
大久保先生は, 「確率、双対関係」をキーワードとした応用数学・情報工学の専門家で化学反応系に限らず, 生命系, 計測に直接関係する観測問題などを対象とした幅広い考察をされています. 化学系の視点では語られない, 化学反応に関するお話し・最近の事情を聴くことが出来ると思います.「別の視野が出来て大変有意義だった」「この考え, 私の研究に利用できそう」そんな講義にしたいと思っています. 皆さんも, 新しい化学反応の世界を実感してみませんか?