2.イラクへの道

【その イラクへの道】

(これまでの経緯については、イラク侵略以抗議!」を参照ください)


ヤスミン植月千春はイラクへ向かって旅立ちました

明日私はイラクにむかいます。イラクの人々に会いにいきたいのです。イスラームであることで私でも何か役に立てることがあるかもしれないからです。そして、今の本当のイラクの人々の状況を自分自身で確かめたいのです。信仰を通じて親交を深くさせていただいてきたジャミーラ高橋さんと中東行きをご一緒できることになりました。

アメリカがこの滅茶苦茶なイラク攻撃をはじめてからずっと私のメッセージを読んでくださることで、わたしを支えてきてくださったみなさんに、帰ってから、私の目で見たイラクをお伝えできることを願っています。
手段があれば中東からもメッセージを送りたいと思います。

本人からの連絡により、以下に様子をお知らせいたします。なお、断片的な連絡を総合してお伝えしますので、本人が帰国してから間違いがあれば修正いたします。また、リアルタイムにお知らせできないことや、表現が適切でなかったような記述は、日をさかのぼって追加・修正いたします。ご了解くださるようお願いいたします。(文責:HP管理人)


  (報道:4/21米国防総省室長ガーナーがバグダード入り) 

2003.04.24(木) ドバイから

2003.04.24(木)付けのハガキ

今ドバイです。クウェートからイラクに入るのは無理みたいで、ドバイから船でバスラに入ろうとしているところですが、イラク人しかダメといわれているので、難しいようです。多分アンマンに行くことになって、そこから入ることになるかなと考えていますが、まだわからない状態です。少し風邪を引いて、こんな暑いところで洟をたらしています。


2003.04.25(金) アンマンへ

2003.04.26(土)23:20 電話

元気にしています(少し風邪気味の声?)。今ヨルダンのアンマンにいます。あさってにはレバノンのベイルートにいく予定です。

(報道:米軍が武器処理に使っていた武器集積場で爆発が起き、この衝撃で集積場内のミサイルが暴発し近くの住宅地を直撃した。共同通信)

2003.04.28(月) ベイルートへ

2003.04.29(火)19:00 メール

29日。ベイルートに来ています。結構ひどい風邪をひいたけれど、抗生物質を飲んで、だんだん良くなってきています。医薬品をイラクに搬入しようと計画をしているレバノンのグループと一緒に行動する予定にしていたのですが、まだ、イラクへ入れません。医薬品を持って入るのは簡単ではないのです。なぜなら、わたしたちはアメリカの味方ではありませんから。
イラクへ入るためのビザがとれないので、恐らく、アンマンにビザをとるためにもう一度戻らなくてはならないようです。
(HP管理人註:在日イラク大使館では、政府がなくなったことで、ビザの発給を渡航前に受けることができませんでした。イラクは治安が悪く盗賊も多いのでかなり危険な状況だということです。また、マラリア、赤痢、腸チフスも蔓延しており、南部では黒水熱が発生しているという報道です。バグダード西部のファルージャで28日夜、米軍がイラク人の群集に発砲し、15人が死亡、53人が負傷しました。(毎日))



2003.04.30(水) 再びアンマンへ

2003.04.30(水)23:30 電話

レバノンからの搬送は無理とあきらめ、今日、シリアを抜けて再びヨルダンのアンマンに帰って来ました。明日イラク大使館に行ってビザを取得するつもりです。このあたりでは、結局ヨルダンでしかビザをとれないようで、それもかなり厳しいと聞きました。明日かあさってにはイラクに入りたいと考えています。

(報道:ファルージャで30日、米軍が再びデモ隊に発砲し、3人が死亡した(アルジャジーラ)。)

2003.05.01(木) アンマンにて

2003.05.01(木)早朝 メール

私たちは今アンマンにいます。たぶん2泊すると思います。
そしてうまくいけば5月2日にイラクに入ります。 レバノンでは医薬品をイラクに運ぼうとするひとたちと話をしました。彼らは今イラクに入るのはとても難しいと言っています。少なくともレバノン人は入れないと。イラクはとても危険な状態になっていて、6ヶ月は待たねばならないだろうとのことです。盗賊がたくさんいるらしいのです。これではいつ医薬品と一緒に入れるかわかりません。
しかたがないので、私たちは彼らと一緒にイラクに行くことをあきらめることにしました。
レバノンでは、いくつかの雑誌や新聞のインタビューを受けました。

今回は、とりあえずイラクの人々の状況を調査することにだけにしようかとジャミーラさんとはなしをしています。それにしてもとても危ないことにはかわらないのですが。
ORHAの日本人職員たちはアメリカの装甲車に守ってもらって外出しているのですって!
明日かあさってにイラクに入るので、たぶんもうインターネットメールはできなくなると思います。
ここではスラーヤの電話が使えるけれど、イラクではできるかどうか。充電ができるかということもさることながら、外で電話をかけること自体危険かもしれない。
日本ではイラクのニュースがめっきり減っているそうですが、ここでは、アルジャジーラのニュースはやっています。デモ隊への銃撃も報道されていました。

盗賊とか病気とか銃撃戦だとか、あまり楽しくないニュースばかりだけど、できるだけのことをして来たいと思っています。

2003.05.02(金) イラクに向かいます

2003.05.02(金)早朝 メール

今日の夜12時にイラクにむかいます。
ジャミーラさんは、今は危険だからヤスミンには他に色々演奏会など日本でできることがあるから、ベイルートの人達と医薬品を運ぶことができなくなった今となっては、イラクに行かず帰ったほうが良いと言います。でも、わたしはやっぱりイラクの人たちに会いたいと思うし、自分の目でイラクを見てきたいのです。
いろんな情報が入り混じっているけれど、やっぱり行って見ないと何もわからないと思っています。

人間の盾としてイラクに入っていて3日前にアンマンに出てきていた神崎さんに今日アンマンでばったりあいました。彼はプレスのカードを持っているし、イラクの状況を良くわかっているみたいなので、今日の夜中にアンマンを発ち、神崎さんと3人でタクシーでイラクの国境に向かいます。
レバノンのグループが6ヶ月も待つというので急いでアンマンに戻ってきたけれど、今日から3日間イラク大使館が休みでビザがとれないのです。いろいろ考えたけれど、もう待てないので今晩イラクに行きます。アンマンから車で向かい国境で交渉してみます。
追い返されなかったら、2週間くらいイラクでいろんなこと調べてきます。いろんな人のはなしも聞きたいと思っています。

医薬品は今は政府かNGOしか運べないみたいです。
民間レベルで物資を運ぶのは危険過ぎるし国境を超えられないみたいです。
6ヶ月あとに、またレバノンのグループと連絡をとりあうことになっています。
だから、今回は、戦後の本当のイラクの調査が目的になります。

わたしは、とにかくイラクの人びとと一緒に生活して少しでも同じ生活の中で一緒のきもちになれればいいとおもっています。

(報道:この日、アンマン空港での毎日新聞記者の荷物爆発事故、バグダードでのガソリンタンク車爆発事故が起こる。)

2003.05.02(金) バグダードに着きました

2003.05.02(金)22時 電話

無事バグダードに着きました。
ぼろぼろのタクシーで運転手がくわえタバコでラジエターをチェックしたりするので引火して爆発するかと思った。

国境を越えたときは、「やった!」という感じでした。

(註:交信状態極めて悪し。先方が待ちうけて日本からかける試みをしてみました。KDDIでは回線が混雑のため断念。日本テレコムの場合も相当リトライが必要でした。)

(報道:ブッシュ米大統領が演説:「戦闘での勝利」を宣言。開戦の大義名分とした大量破壊兵器が発見されないことなどから「終戦宣言」は出来なかった。)

2003.05.04(日) バスラ方面に行きます

2003.05.03(土)連絡なし


(報道:イラクを3分割し米、英、ポーランド軍が統制--米が構想 。)

2003.05.04(日)12:30(現地早朝6:30)バスラ方面に行きます

今日これから(7時過ぎ)ホテルを引き払って、ナジャフ、ナシーリアそれからバスラの方面の様子を見に行きます。
バスラで2泊ほどして、できたらクウェート国境まで行ってみようと思います。

インフラの状態ですが、電話は破壊されていて全く使えません。電気はアメリカ軍がコントロールしてアメリカの気分次第で電気が供給されたりされなかったりするようです。水の状態も良いところと悪いところがあり、一応ナチュラルウォーターを持ち歩いています。
夜間は外出禁止例が出ていて、夜中は銃撃戦の音が聞こえます。
五味記者がクラスタ爆弾を拾ったと報道されているとおり、不発弾などがそこここに散見されます。

(註:日本からの衛星電話の呼び出しを何度も試みましたが、成功しませんでした。)

2003.05.05(月) バスラに着きました

2003.05.05(月)00:00(現地4日18:00)バスラにつきました

11時間かかって今、バスラに到着しました。道中危険といわれましたが、幸いなことに何とか無事にバスラにつきました。どこにも寄らずに来ました。
2~3日滞在して、バスラの状況とクウェート国境あたりまで様子を見たいと思います。
アル・マルバッド・ホテルというところに滞在します。
そのあと、ナジャフ、ナシーリアに寄って、バグダードに戻ります。その次はファルージャ、カルバラー、ティクリットの方面も見て来たいと思っています。

2003.05.05(月) バスラにて

2003.05.05(月)14:00(現地5日朝8:00)バスラにて

バスラはゴーストタウンのようになっています。あちこちの建物は、外壁はあるのだけれど、中は真っ黒に破壊されていて見る影もありません。
電気はバグダードよりは回復してきているようです。少し携帯電話の充電ができるかもしれません。
政府がないということは、組織的な公共作業がないということで、一番困っているのがゴミなどです。 トイレもゴミもひどい状況です。ところどころ異臭がするのは恐らく死体が放置されているせいだと思います。衛生状態は悪く、食事もハエを追いながらで大変です。
赤十字も入ってきてはいますが、なかなか手の届いたことはできないようです。

昨夜、夜ダウンタウンを歩いていたら、いきなり停電になりました。ここはイギリス軍が駐留しているのですが、彼らは泥棒市(略奪物資を売っている市)を守っています。
地元の人に「女たちが夜出歩くなんてとんでもない、とても危険だからすぐ帰りなさい。」といわれました。

バグダードでは、夜7時から朝6時までの間は外出禁止例が設定されていて、出歩く者は米軍が銃撃しても良いとアメリカが決めているそうです。4:30にファジュルですが、モスクに行く人たちが実際にアメリカ軍に銃撃されています。

明日あたりにクウェート国境近いウムカスルあたりまで行ってみようと思っています。

2003.05.06(火) ナジャフにて

2003.05.06(火)23:50(現地6日夕方6時)ナジャフにて

今夜はシーア派の聖地のナジャフの巡礼用のホテルに泊まります。イマーム・アリ・モスクのそばで、これからマグリブです。明朝はファジュルにも行きます。

昨日の朝バスラを出て、クウェートとの国境の町ウムカスルに向かい、クウェートまで行こうとしました。英国兵とけんかしながら2箇所ほどで越境を試みましたが、本気で撃ちそうな勢いだったのでやめました。

道が壊され、ガタガタの道を一日中サウナのようなバスに揺られて行くので、背中が痛くてしかたがありません。ウムカスルからバスラへ戻る途中に会ったやさしいご夫婦が家に昼食を招待してくださいました。
わたしたちは、水は高価でもミネラルウォーターを買って飲んでいるのですが、おうちで出してくださったお水は大分濁って泥くさいものでした。わたしも飲みましたが、みんなはいつもこれを飲んでいるのです。

朝出るときに昼食用に買ったサンドイッチがお呼ばれで残ったのでこれを夕食代わりに食べました。炎天下で一日経ったもので、腐りかけていましたが、もったいないのでジャミーラさんと一緒に食べたのですが、さすがにおなかがおかしくなりました。背中が痛いのもそのせいだったかもしれません。

今日は、バスラを離れ、バグダードに帰る道のナシーリアとナジャフを見て回りました。よくもここまで壊したなと思うくらい、病院、学校、警察、全て廃墟になっています。2人で廃墟めぐりだねと言いあっています。

今、人々に何が欲しいかと聞くと、誰に聞いても「安全」が欲しいと答えます。
夜になると略奪が始まります。みんな、アリババが出ると怖がっています。略奪する人たちは、最初はアメリカが入れたクウェートやヨルダンからの人々だったようですが、今はみんなが仕事がなくて食べられなくなっています。おとなしいひとは家の中でじっとしていますが、皆、銃を持っていますし、食べられなければ略奪するしかないということにもなるのでしょう。車にのっていても車を強奪されるそうです。

今、イラクでは治安と衛生が一番の問題です。

(註:HP管理人がヤスミンの健康を気にして聞くので、衛生面などのはなしに偏る傾向があります。すみません。帰国したらいろいろなはなしが聞けると思います。)

2003.05.07(水) 再びナジャフにて

2003.05.07(水)23:10(現地7日夕方17:10)再びナジャフにて

今日はシーア派聖地のカルバラーに行ってきました。ナジャフの攻撃が2週間だったのにくらべ、ここの戦闘は3日間だったということで、特定の拠点以外は破壊をまぬかれていました。再び、ナジャフに戻ってここに泊まります。モスクは壊されていないので、聖地巡礼といったところです。

以下のイエローケーキ(粉末上の精錬ウラン)が池や川に流されていれば、結局チグリス、ユーフラテスに流れるのだし、生活水に入っているでしょう。もうレストランなどで水をたくさん飲んでしまっています。住んでいる人々はそんなこと避けることはできません。

そういえば、バスラの病院に行ったときのことを思いだしました。サッダーム大学付属病院というところに行ったのですが、ガン患者がたくさんいて、毎日々々たくさんガン患者が来るのだそうです。薬が足りなくてこまっているそうです。足りないものは病院によって違うということです。
電気も不備で、冷蔵庫に入れたワクチンや血液が溶けたり固まったしているということです。

もうおなかは大丈夫ですが、咳がとまらず、すこし胸に入ってきみたいです。でもまだ抗生物質は飲みたくないです。
明日は、バグダードに戻ります。その後、ティクリット、モースル、ファルージャにも行きたいと思っています。

(今日の報道から:イラク中部の原子力関連施設で、4月上旬、粉末状の精錬ウラン約100本のドラム缶が持ち去られていた。近隣の小さな村で水道がないため、貯水用にドラム缶を盗み、ウランは地面にまいたり、川や池に流したりした。イラク軍は戦車などで厳重に警備していたが、米軍は、この略奪を許した。(註:劣化ウランより放射能レベルが高く、また集中的に湾岸戦争と同じくらいの量(300トンほど)がばら撒かれたことで、これによる多大な影響は避けられないであろう。)

2003.05.08(木) バグダードに戻りました

2003.05.08(木)21:50(現地8日夕方15:50)バグダードに戻りました

今日バグダードに戻りました。
知人のところに2日ほど泊まります。
電気はなく、ローソクの生活です。水もほとんど流れません。
今、ジャミーラさんは休んでいます。
実は昨晩、ほとんど寝ていないのです。ナジャフのホテルでまわりの様子がどうもおかしく、危なくて服を着たまますごしました。いざとなったらお金を放り出してドルだけ持って逃げようとジャミーラさんは言ったのですが、わたしはもったいないな~、どうやったら全部もって逃げられるかな~などと考えていました。幸い何事も無く夜が明けました。

ところで、昨日ナジャフからカルバラーに行く途中に、民兵の兵舎がありました。激戦があったというところですが、そこには手榴弾がいっぱい放置されたままになっています。子供たちも良く知っていて、あぶないから近寄るな、と言ってくれました。

2003.05.09(金) 今日はお休み

2003.05.09(金)21:30(現地9日夕方15:30)今日はお休み

今日は泊まっている家の3人の娘たちとおしゃべりをしていました。ジャミーラさんは疲れていままで休んでいましたが、これからお出かけします。
明日はモースル、ティクリットに出かける予定です。

2003.05.10(土) モースルまで来ました

2003.05.10(土)22:30(現地10日夕方16:30)モースルまで来ました

今日はイラク北部の町モースルまで来ています。

クルディスタン・ダンスをみんなと踊ってきました。

これまで南の廃墟にされた町々を見てきました。要するに原爆ドームのように破壊された廃虚ばかり見てきたので、それとくらべれば、ここでも破壊はあるけれど、余程ましに見えます。電気もとおっています。

それでも、サッダーム・フセイン宮殿やバース党本部は滅茶苦茶に破壊され、省庁や銀行、重要な建物はみんな軒並み破壊されています。モースルへの道も、戦車やバスやトラックなどが真っ黒な残骸となって延々と破壊されて並んでました。道も壊されています。恐らく劣化ウラン弾も多用されたと考えられます。

上にはアメリカのヘリコプターがたくさん舞い、地上ではアメリカ兵がイラク人に銃を向けています。

宮殿などには落書きもたくさんあります。

略奪を恐れてかスーク(市場)はほとんど閉まっています。

アメリカはむしろ略奪者たちを守っているのです。北からアメリカが連れてきたクルド人や、アメリカが開放した刑務所の人たちに略奪するのをこのあたりでも奨励したと聞いています。

イラク人はみんな不安がっています。

バグダードでもLiberal Democratic Movementという団体を作って活動を始めている人たちとお話をしましたが、いまはアメリカに逆らえないし、しょうがないといいます。今は何も無い、教育省も真っ先に壊された。湾岸戦争のあとでは、政府があったので復興が早かったのだけれど、占領軍にはなにも逆らえない、何も出来ない、といっています。

サッダームは半年分の食料を民衆に配給したけれど、略奪などにあって、もう1~2箇月しかもたない。どのように生きていけばよいのかわからないということでした。バグダードはゴミだらけ、女性の外出もままならないような状態だし、バスラではコレラも蔓延してきています。

イスラムはひとつ、ということでクルドもシーアもスンニーもなくひとつのイスラムの精神で国作りをしたいという願いは多くあるけれど、占領軍はそれを望んではいないようです。

バグダードでは昼も夜も銃撃戦の音が聞こえました。 NHKのニュースでは、バグダードの電気は60%回復して来たということですが、わたしたちが泊まっていたアメリア地区では1日に1時間程度、それも明け方しか電気は来ません。

アメリカのやることはイラク人の気を殺ごうとしているかのように見えます。

ガソリンも手に入れにくく、ガソリンステーションに2~3日並んで待つのです。それで入れられるのは25リットルだけ。道端の闇で買うと200倍するそうです。

今夜は、ここモースルの川沿いのホテルに泊まります。この辺はのんびりしたところで、川沿いを牛たちがゆっくり歩き、来る途中でも羊たちの群れをたくさんみました。戦争さえなければのどかなところです。

明日朝早く、ファジュルを済ませてから出て、昼にティクリット、サーマッラーに寄って明日中にバグダードへ帰ります。

そして12日か13日には発って、シリアへの道を試してみます。飛行機はダマスクスからなので、行かねばならないからです。だめなら、一度戻ってアンマン経由にしなければなりません。 

2003.05.11(日) バグダードに帰還

2003.05.11(日)22:30(現地11日夕方16:30)バグダードに帰還

想定したよりも早くバグダードに到着しました。

それというのも、ティクリットでは車から降りれなかったのです。ティクリットはアメリカ兵やイラクの軍服を着た兵隊たちがたくさん守っていて、タクシーの運転手は行きたがらなかったのです。

撃たれるというのですが、結局車は走らせどおしで、降りられずに町を抜けてきました。

サーマッラーには寄ってこられました。

いつものことではあるのですが、料金をめぐって、タクシーと大もめにもめました。法外な値段を言うのですが、生活苦と、そもそもガソリンを手に入れるのが大変で、闇のガソリンを入れているからとか、やはり大変な状況なのです。

バグダードでも車も襲われているし、わたしたちがお世話になっているお家の方たちは、怖がって外出はしていません。

明日の朝、シリア国境に向かって発ちます。シリアが入国させてくれない場合は、しかたがないので遠回りしてヨルダンのアンマンを回ります。幸い、これまで危険をなんとか免れているので、最後までなんとかなるでしょう。

バグダードのホテルに滞在している日本人たちは何人もおなかをこわして、発熱している人もいるそうです。赤痢がはやっているので、その可能性もあるかもしれません。 

2003.05.12(月)

2003.05.12(月)

(管理人より:今日は、連絡がありません。シリア国境を目指しているはずです。)

(報道:バグダード市内などに放置されたままのイラク軍車両の残がいの多くが放射能に汚染されていることが、11日、バグダード大学の現地調査で分かった。米軍による劣化ウラン弾の使用が原因とみられる。放射線の吸収線量は最大で、イラクで自然界に存在する量の十五倍を記録した。戦後も市民が被ばくの危険にさらされることになる。東京新聞 5/12 ) 

2003.05.13(火)ダマスクスに着きました

2003.05.13(火)ダマスクスに着きました

今日、長いことかかってアンマン経由でダマスクスに着きました。

近いうちに日本に帰ります。

バグダードの放射能ですが、ガイガーカウンタで調査している人から、針が振りきれたという話を聞いています。

詳しい話は帰ってからにしましょう。とにかくひどいことが多いです。 

2003.05.15(木)17日(土)朝、成田に着きます

2003.05.15(木)17日(土)朝、成田に着きます

明日朝ダマスクスを発ってモスクワに向かいます。トランジットで再びエアロフロートに乗り、17日の朝9:40に成田第2空港ターミナルに着く予定です。 

2003.05.17(土)無事帰って来ました

ジャミーラ高橋さんと人間の盾でイラク入りなさっていた村岸さんと一緒に今朝帰国いたしました。

私たちの無事を祈ってくださっていたみなさまに心からお礼を申し上げます。

今日早速渋谷での報告会に参加させていただいて、イラクの現状をすこしお話させていただきました。

今イラクは本当にひどい状態です。

今日は疲れているので、はやく休んでまたゆっくりご報告させていただきたいと思います。