どうぞもう一度考えてみてください。
イラクがアメリカやイギリスに何をしたのですか?
将来何かするかもしれないと言って、その国の政権を潰したり、その国の人々を虐殺するのが許されることですか。
持っているかどうかもわからない大量破壊兵器を廃棄しろといって大量破壊兵器でその国の人達を虐殺するのが許されることですか。
例えば、この子は大人になったら自分の敵になるかもしれないと言って、大人が子供を殺すのが許されることですか。
この戦争はそういうことです。
この戦争を認めることは、これから先ずっと私たちが疑心暗鬼の中で生きていかねばならないということです。
この戦争を認めることは、私たちが理性を持つ人間であることを放棄することです。
愛情と信頼のある人間関係を放棄することです。
お願いです。
この戦争を止めて下さい。
私はイスラム教徒です。
イスラムは全てのテロを禁止しています。
この戦争を受け入れることは、私自身の問題としてイスラムを否定することになります。
私は、一人のイスラームとして、非暴力で、この侵略戦争に対してジハードします。
どうぞもう一度考えてみてください。
イラクがアメリカやイギリスに何をしたのですか?
将来何かするかもしれないと言って、その国の政権を潰したり、その国の人々を虐殺するのが許されることですか。
持っているかどうかもわからない大量破壊兵器を廃棄しろといって大量破壊兵器でその国の人達を虐殺するのが許されることですか。
例えば、この子は大人になったら自分の敵になるかもしれないと言って、大人が子供を殺すのが許されることですか。
この戦争はそういうことです。
この戦争を認めることは、これから先ずっと私たちが疑心暗鬼の中で生きていかねばならないということです。
この戦争を認めることは、私たちが理性を持つ人間であることを放棄することです。
愛情と信頼のある人間関係を放棄することです。
お願いです。
この戦争を止めて下さい。
私はイスラム教徒です。
イスラムは全てのテロを禁止しています。
この戦争を受け入れることは、私自身の問題としてイスラムを否定することになります。
私は、一人のイスラームとして、非暴力で、この侵略戦争に対してジハードします。
21, Mar. 2003 Yasemin Uetsuki Chiharu
アッサラーム アライクム
あなた方の上に平安あれ、という意味のアラビア語です。
私たちイスラム教徒は、このことばでお互いを祝福しあいます。
アッサラームアライクム。あなたの上に平安あれ。
自分は敬虔なクリスチャンであるというブッシュ大統領。
そして戦争を支持しているクリスチャンの皆さん。
どうぞもう一度あなたがたの聖書を読み直してください。
聖書の中に、人が人を殺すことを正当化できる言葉があるのですか。
他国への侵略を正当化する解釈ができるのですか。
あなたがたのやっている正義という名の戦争は、人間の尊厳を奪い取り、人と人との間の信頼と愛情を根底から崩してしまうものです。
テロリスト撲滅といいながら人々を追い詰めて、平和に暮らしている人々をテロリストに変えてしまう行為です。
あなたがたは一生疑心暗鬼で人を信じることができず、テロにおびえながら暮らしていくのです。
それはあなたがた自身が選び取ったこの世界での地獄です。
キリストはクリスチャンと名乗るあなたがたのような人達の為に十字架につかれたのだと私は思います。
2003.03.21 ヤスミン植月千春
あなたがたの心は、あなたがたの祖先の頃から全く進歩していません。
進歩したのはテクノロジーだけ。
あなたがたは、一体、いま、何をしているのかわかっているのですか?
あなたがたの祖先が、稚拙な武器しか持たない先住民から取り上げた土地で、そこに住む人々を自分達に歯向かう者として次々と虐殺していった。
そのような恥ずべき過去を、今またイラクでそのまま繰り返しているではありませんか。
そのときは金のため、今は石油の為に。
そのときは大陸支配、今は世界制覇の野望のために。
あなたがたには人間の心がないのですか。
あなたがたのやっていることはイラク人民の解放ではない。
中東の持つ石油を自分達に解放しようとしているだけです。
昔自分達が欲しいと思った土地を先住民から力ずくで奪ったように。
あなたがたの興味は昔も今もそこにある宝物だけであり、そこに住む人々の命には興味はないのです。
イラクの人々に「衝撃と恐怖」を与える権利があなたがたにあるのですか。
あなたがたの、嘘と欺瞞、非道と暴力はもうたくさんです。
アッサラーム アライクム あなた方の上に平安あれ。
私たちイスラム教徒は、このことばでお互いを祝福しあいます。
もし私がイスラームをしらなかったら、クルアーンを読むことができなかったら、このような大国の横暴の前に怒りと悲しみで耐えることができなかったかもしれません。
クルアーンは侵略者に対して戦え、しかし侵略者であってはならない、どのような酷い状況の中でも、希望を失わず、忍耐しなさいと言っています。
人間は必ずいつか死を迎えます。
アメリカやイギリスに対して何の危害も加えていないイラクの人達は、例えこの爆撃で犠牲になっても天国へ迎え入れられます。
この戦争を支持している人たちは、死を迎えるとき、自分が何をしたのか、はっきり知ることになるでしょう。
私はイスラム教徒になっての2年間、一所懸命クルアーンの勉強をしてきました。
爆撃の下で、兄弟、姉妹が、どんな気持ちで祈っているかを考えるとたまらなくなります。
爆撃を知るたびに、私はクルアーンを読み、祈りのことばを唱えることで耐えています。
イスラームは、ひとりひとりがジハードしなければなりません。
ジハードとは、聖戦という訳が使われていますが、努力するという意味です。
イスラームはすべてのテロを禁じています。
今、私が、この戦争という名の大きなテロに、何の抵抗もしないことは、自分の宗教を否定することになります。
この怒りと悲しみに耐えて、侵略者に対してすぐに侵略をやめるよう訴えるためにできることをやっていきます。
お願いです。
誰かこの人間として最も愚かな行為をやめさせてください。
ブッシュ大統領。あなただってベトナム戦争の時、戦いが怖くてお父さんの力で兵役を逃れたと聞いています。
小泉首相そして議員の方たち。アメリカの行為を支持するのなら、どうぞあなたがた自らイラクに入って戦ってください。人の命で戦争をしないでください。
私たちを共犯にしないでください。
どんな理由を以ってしても、大量殺戮である戦争は正当化されません。
学校の先生たち。あなたがたは子供達にあの戦争は悪いけどこの戦争は良いんだよと教えるのですか。人殺しをしてはいけないと教えているのではないのですか。
こんなことばかり見ていたら、子供たちは自分が正しいと信じ込むことによって、自分の正義を否定する人は、殺しても構わないと思うようになってしまいます。
こんなにテレビで毎日、映画かゲームみたいに人を殺すところをみていたら、強い者はその力を使ってみたくなり、人殺しはゲームになってしまいます。
お願いです。
もう一度人間としての心を、取り戻してください。
こんなことには耐えられません。
毎日、爆撃の夢を見て、寝汗でグッショリになって目がさめます。目がさめて、ああ、よかった、夢だった、と思います。それから、ハッとして、何が良かった..だ、イラクでは夢からさめたって悪夢は現実のものとしてそこにあるんじゃないか、私みたいに夢からさめて逃げられないんじゃないか、と気づくのです。
イラクに住む人達には一時だって安心していられる時はないんです。
バスラの病院を報道したVTRに、空爆で足を切断しなければならなかった17歳の少女へのインタヴューがありました。
彼女はアメリカに対するうらみを言うのでも、自分の運命を呪うのでもなく、退院したら将来先生になりたいの、と言っていました。
苦しめられても苦しめられても、希望を失うことなく将来の夢を語る彼女の伏目がちな瞳は純粋で誇り高いものでした。
バスラで大規模な空爆があったと報道されていました。
彼女が今、無事かどうか確かめる術はありません。
この戦争は、そんなささやかな夢すらも奪ってしまうのです。
日本からイラクに人間の盾として入った人たちは、イラクの人たちと接したことのある人たちで、イラクの人たちに友人として迎えられた人たちなんです。
イスラームにとって友人とは家族です。
考えてみてください。自分を家族としてあたたかくもてなしてくれた人たちを守りたいと思うのは自然なことではありませんか?
彼らは、友人であり、家族であるイラクの人たちを裏切ることができないという思いで、命がけでイラクにもどっていったのです。
私にも、「あなたは、私の姉妹だからね」ともてなしてくれたイラクの人たちがいます。
今、安全な場所で「爆撃をやめて!」と言っている自分をはずかしく思います。
でも、私に残されている方法はこれしかないのです。
だから、おねがいします。爆撃を今すぐ、今すぐやめてください。
私の兄弟・姉妹・友人たちを殺さないで!
ブッシュ大統領、ブレア首相、あなたがたのやっている戦争は人々の良心を麻痺させ、人間同士の憎しみを煽りたてる、恐ろしい神への冒涜です。
イラクに侵攻している兵士の人たちにも良心があるはずです。
人を殺すことに命を賭けるくらいなら、人を殺さないことに命をかけてください。
アメリカ大使館で働いている皆さん、あなたがただって人を助けることを目的の一つに仕事をしているのではないのですか。
人というのはアメリカ人だけをさすのですか。
アメリカ人もイラク人もみんな同じ人間ではないのですか。
アメリカ人の命は大切だけど、イラク人の命はどうでもいいのですか。
戦争という名の人殺しを傍観することは、人間の宝物である良心を堕落させることです。
イスラエルではイラクからの報復に備えて、ペット用防護シートが開発され、飛ぶように売れているということです。
パレスチナの人達は、自分を守る何の装備も持っていないのです。
イラクの人達も同じです。
パレスチナ人やイラク人の命は、あなたがたのペット以下なのですか。
これが人間が人間に対してできる仕打ちなのですか。
今すぐこの侵略戦争をやめてください。
これ以上憎しみの連鎖を増幅しないでください。
ミサイルではなく優しい言葉を。
弾丸ではなく、水と薬を。
憎しみではなく愛を、注いでください。
あなたがたは利権や覇権目的だけで動いているようですが、あなたにとって不必要な人間を粛清していけば、いずれあなたがた同士でころしあうことになるでしょう。
あなたがたのとっている行動は、人間を絶滅させる行為です。
こんな愚かなことはどうぞ今すぐやめてください。
3月18日から眠れない日がつづき、20日の爆撃が始まってからは、ショックと恐怖と悔しさでメソメソ泣いてばかりいました。
本当にアメリカがこの戦争につけた名前通りの効果を、日本に居ながらにして私は演出させられていたことに気づき、恥ずかしさで自己嫌悪に陥ってしまいました。
バグダードの爆撃の下にいる友人達は、「爆弾は私の上には落ちない。」と言いきってたたかっています。
アッラーのご計画を信じて、今出来ることをやらなければ…、とメソメソ状態を一週間かけてやっと抜け出すことができました。
今まで考えてきたことを、少しまとめてみようと思います。
【湾岸戦争とは、何だったのか。】
イラクは、湾岸戦争以降この12年間ひたすら国連の経済制裁にじっと耐えてきました。推定15~25万人ほどのイラク人が湾岸戦争で殺されただけでなく、アメリカの使用した300トンもの劣化ウラン弾の放射線の影響により死産や奇形児の出産や、ガンで死亡する人も年を追って増えつづけ、劣化ウラン弾の多用された南部のバスラでは5倍10倍の発生率になっています。経済制裁により、薬も、水を浄化する装置の部品もまかなえぬままに子供や女性を中心に現在までに、栄養失調やちょっとした病気で死に至った人は150万人ともそれ以上ともいわれています。
それに、イラクに、毎年のように行われていた米英の爆撃のことや、民間人が死んでいることなどは余りニュースになっていませんでした。
もちろん劣化ウラン弾の影響はイラクだけにではなく、使った側のアメリカ兵などにも甚大な影響を与えました。一般に湾岸戦争症候群として知られているものですが、兵隊の国籍を問わず、イラク南部の劣化ウラン弾の使用された地域に足を踏み入れた人達に同様の症状が起きています。イラクの被害が甚大なのは言うまでもありませんが、当時のアメリカ兵たちの中でも、すでにこれにより9000人死亡したということです。米国国防省は、劣化ウラン弾との因果関係を認めませんが、厳然とした事実です。戦車の装甲を貫き焼き尽くすスーパー兵器が核の廃物利用ででき、今後もどんどん使う予定があるのですから、これをやめるわけにはいかないのでしょう。
こうした放射線障害は戦場だけでなく、製造過程でも、核関連の兵器製造工場や試射場の周りで起こっていることです。製造し、実験している段階で、数十万人の被曝者を生み出しています。
過去にアメリカが自国兵隊をも核兵器の人体実験に使ったのも良く知られていることです。兵隊や民間人も使い捨て、全て軍需産業の利益優先です。
ところで、このスーパー兵器ショーであった湾岸戦争も、クウェートの石油盗掘などに端を発した、アメリカがイラクに起こさせた戦争でした。クウェート侵攻前にフセイン大統領はイラク駐在米大使に打診しましたが、大使は「我国は貴国とクウェートとの国境問題に意見を言う立場にない」と事実上黙認する旨の発言をしました。そうして、イラクがクウェートを併合すると、手のひらを返して世界にアピールし、連合軍を組織してイラクを叩いたのです。有名な真っ赤な嘘であった「水鳥報道」と「イラク軍兵士による病院での乳児虐殺事件」を始め、ありったけのメディアを総動員して宣伝を繰り広げ、正義を謳って戦争を煽りました。
日本もこれに130億ドルを供出しました。
アメリカはピンポイント爆撃を宣伝しながら、その実、陰惨な大量爆撃を行いました。砂漠ではイラク軍の退路をふさいで、死のハイウェーと呼ばれたようにウラン弾で全ての戦車隊を破壊し焼き尽くしたり、生き埋めにして虐殺したのです。何も知らされずここに立ち入った兵隊達は敵であれ味方であれ、いずれひどい放射線障害を起こすことになりました。戦争後すぐに、ラムゼイ・クラーク元米国司法長官は、米大統領らを戦争犯罪で告発しました。
アメリカはこうして、膨大な石油権益を手に入れ、サウジに軍をおおっぴらに駐留させることにも成功したのです。
テレビのニュースをみていると、自由であるとか、平和、民主主義などというのが、絵空事に過ぎず、世界が本当に気が狂ってきていることを感じます。スポーツやゲームを解説している感覚の評論家たち。天気予報でもしているような口調のアナウンサーたち。一体、人間同士の思いやりはどこへいってしまったのでしょう。私自身も気が狂いそうです。
【再びイラク攻撃へ】
そもそも、イラクはアメリカに対して何の危害を加えたこともなく、そんな力もないわけです。査察しても何も見つけられなかったところに、何の脅威があるというのでしょう。
この12年の間の査察によりこれら兵器は破壊された、と7年間査察官を勤めたスコット・リッター氏が証言しています。また、イラクからカナダに亡命した物理学者でさえ、原爆開発が完全に頓挫したことを認めています.
そもそも大量破壊兵器など問題ではないのです。そんなことなどアメリカは百も承知ですが、アメリカの言うことをきかない国は、力ずくで叩き潰すのがこの国がこれまでやってきた方法です。しかも、迅速に徹底的に打ち負かすことを国家政策としています(米国国家安全保障委員会政策文書(1989年))。
ブッシュ大統領が唱える「テロとの闘い」ですが、あまりの仕打ちにたまらなく起こされる自爆テロの原因は、誰でも知っているように全てアメリカやイスラエルなどの理不尽な国家テロにその根源があります。これらの国々のやりかたは、直接あるいは軍事独裁政権を支援したりして軍隊で民主勢力を叩くという方法をとっていますが、とりわけパレスチナ等の場合は、日常的な拷問や殺戮などで煽って自爆テロを起こさせておいて、軍隊の力で叩きのめすというのが陰惨なパターンとして定着しています。
アメリカは、アメリカや同盟国に対して行われる攻撃をテロと呼んでいるのであって、アメリカが自国利益追及や資源確保のために、南米やアフリカで行っている破壊活動や民衆の虐殺、あるいはイスラエルがパレスチナの人々に対して行う拷問や攻撃、虐殺はテロとは呼ばないのです。
アメリカの言うテロは自然発生的に生まれるものがあるわけではなく、アメリカ自身の行動がそれを起こしているのです。しかしアメリカは自らを糺すことができないので、輪をかけて抑圧にかかる構図が生まれます。
12年間耐え、そんな中でも、アメリカのさまざまな言いがかりに対して全てを受け入れてきたイラクを今、アメリカは、徹底的に潰そうとしているのです。世界で一番裕福な国が、苦しみ続けてきた国の首都を、広島原爆と同等の効果を期待してミサイルなどで破壊し尽くそうというのです。対戦車砲、バンカーバスターや貫通型の巡航ミサイルなどには劣化ウランが使用されます。すでに先の湾岸戦争で使用した量を超えているかもしれません。また、バンカーバスターに戦術核を搭載して攻撃することも計画されているようです。今日、民間施設である通信設備を攻撃したバンカーバスターは今までにない破壊力をもっていたとの報道がありましたが、上記のものでないことを祈ります。
イラクはアメリカを攻撃したこともないし、その意図もないのに、米英豪は「イラクが大量破壊兵器を保有している恐れがあり、アメリカを攻撃する恐れがあるから専制攻撃」したのです。探してもでてこない武器を恐れてその国を攻撃したり、国をのっとって良い理由になりますか。たとえ戦争がどのように終結しても、間違いなくバグダードは放射能で苦しむ街になります。
あまりに理不尽なことが毎日毎日あたりまえのように、そして他人事のように報道されています。
昨日国連で、イラク大使が、「アメリカは女性や子供を相手に闘っているのだ」と非難したところ、アメリカ大使は「我慢して聞いていたが、もうたくさんだ」と途中退席。
女性や子供を虐殺している事実を指摘されることから逃げたいのでしょうが、人の話を最後まで聞く忍耐すら持ち合わせていないようです。
イラクで毎日爆撃にさらされている人々は、逃げだすことも「もうたくさんだ」と言うことすら許されていないのに。
アメリカ代表である大使は、非難の言葉の弾丸すらまともに受けることもできず、逃げてしまうのです。一方、私たち日本の首相は、侵略戦争のまっただ中にむりやり放り込まれて死と向かい合わせの毎日を送っているイラクの人々を今救うことには全く興味を示さず、戦後の復興には率先して力を貸したい...と。
アメリカは10万人規模の兵力をあらたにイラクに送ることに...どこまで殺戮に殺戮を重ねれば気が済むのでしょう。
【アメリカの主張を聞くと恥ずかしくなります】
これまで、米政権がイラクに対して非難してきたことを、そのままアメリカに言い換えてみると、その理不尽さがよくわかります。むしろ、イラクには当てはまりませんが、イラクをアメリカと言いかえるとぴったりであることに気づきます。天に唾するように、まさしくアメリカには、以下がよく当てはまるのです。
・大量破壊兵器を大量に保持していること(イラクでは探してもみつからない。)
・ 他国に対してこれを使用する可能性がある。(それどころか、常用している。原爆、劣化ウラン弾、デイジーカッター、クラスター爆弾、化学兵器等々)
・ 先制攻撃する意思があり、まさに行っている(抑止力であったはずの核も先制使用を宣言している。いわゆる開戦前からも、ずっと攻撃し続けており査察のそばから連日のように爆撃を行い、多くの民間人も殺害してきている。)
・ これまで数知れず国連決議を守ってきていないイスラエルに対しては最大限の支援をしている。
それだけでとどまらず、
・ アメリカは国際司法裁判所でテロ国家として唯一断罪されているのにこれを無視している(ニカラグアに対する行為が国際法に反しているので、これの停止と賠償命令)
・ 人権擁護や環境保護、人種差別への決議に自己利益中心的にひとり反対している
といったおつりまで来るのです。
ところがアメリカは、本当に恥ずかしいことに、他の国々を誹謗中傷する言葉としてこれらの言葉を使用し、自らは「正義、平和、自由、民主主義」を語り、偽善で恥の上塗りをしています。まったく、こんな論理がまかり通るならば、世界中のどの国でも、アメリカをいつ何時でも自由に攻撃して良いことになります。ブッシュ大統領に亡命を促し、政権を替えるよう要求する権利があります。いうことを聞かなければ、ワシントンやニューヨークにミサイルを3000発打ちこんで、広島原爆の効果を期待し、完膚なきまで叩き潰す権利があるということになります。これが道理ですか?...アメリカに言わせれば、世界が力を合わせてやらねばならないことになります。もちろん、どこの国々もそんなばかげた考えも、力も持っていません。
友人に楽しくないことはやめようよ、と言われました。私のこの戦争への抗議活動のことを指していたのだと思います。
私だって楽しくないことはやりたくありません。
私は人と言い争うのが大嫌いです。
今までの人生もずっと音楽で周りの人と一緒に幸せな気持ちになることを目的に生きてきました。
この人はどんな曲が好きなのかな?この曲はきっとこの人にとって思いで深い曲だろうな、などと思いながら、ピアノを弾き、聴いてくれる人たちが、幸せになってくれるのを、自分の幸せとして生きてきました。
今毎日私は極度の緊張感を持って家を出て、周りを歩くおしゃれした戦争などには無関心な人たちの渦を抜けて、アメリカ大使館に向かいます。
楽しいことではありません。
大使館前では、アメリカの行為を非難する言葉で、自分も傷つきます。
何故なら、日本も同罪なのだから。
私は政治に興味は無いのです。私はただイスラームでありたいだけなのです。
でも今回の侵略戦争は、私が一人のイスラームとして生きていくのに、政治と無関係で生きていくことはできないのだと痛感させるところまで私を追いつめています。
楽しくないことをしなくて良い権利が、私にあるとはもう思えないのです。
さて、もう少し新聞などから得られる情報を整理してみたいと思います。
【なぜ米英が、湧きあがる世論の非難や反対を押し切ってまで、こんな破廉恥な行動にでたのか。】
これは、石油の利権や、軍需産業や戦後復興の利権を獲得することが目的であることはメジャーな新聞でさえ認めていることです。
破壊したあとの復旧工事の入札も約1000億円分が早々と行われ、油井の消化作業を落札したのは米国のハリバートン社です。これはチェイニーが副大統領就任直前まで最高経営責任者を勤めていた会社です。なんともあきれ果てた話ではありませんか。
ブッシュ大統領が先日議会に提出した約9兆円の追加補正予算の8割はロッキードを始めとする軍需産業やエネルギー関連産業に注ぎ込まれます。現米政権の中枢を担うひとびとの関連会社です。
そして、彼らに支払うのは米国民や支援国民です。積極的に手をあげている日本は膨大な額の支援金を税金で支払うことになるのです。人殺しと破壊の代金とインフラなどの復興のためにです。死んだ人は帰りません。
これだけ支離滅裂な論理で世論を蹴飛ばし、やみくもに「我慢できない。時間がない。Let's Go!」と攻撃に突入したのは、今回は特に周到に準備を進めてきた仕上げの行動として予定していたからに他ならないと考えます。
湾岸戦争、9.11の同時多発テロと呼ばれた米政府の関与を疑わざるを得ない不可解な事件からアフガニスタン、イラクへと連続する行動は、まさしくブッシュ大統領をとりまくタカ派の新保守主義者(ネオコン)が目指している新社会秩序、世界支配に向けて予定した「長い戦争」の重要なステップになっているからのように見うけられます。
イラクの民間人に犠牲が出ていることに、日本政府は「これは戦争ですから。」と言って、仕方がないという顔をしています。
サダム・フセインが悪いのだと決めつけて、連日イラクの無辜の人たちを虐殺していくことを、仕方がないという一言で自分を納得させることができる人たちが、イラクの人たちを自分たちと同じ人間だと思っているとは私にはどうしても思えません。
仮に、自分の家族の一人がイラクに滞在している場合は、答えが違うのではないでしょうか。
「ミサイル3000発で一日にして原爆の効果が期待される。バクダッドに安全な場所はどこにもない。」というようなニュースが平然と流されること自体、感性や理性が麻痺し、良心がなくなってきたのだということを私達は自覚しなければなりません。
昨日触れたように、こういった戦争で莫大な利益を得るのは、アメリカの政権を操る一握りの軍需産業や石油産業などの一部の資本家達だけです。また、一旦戦争が始まれば、建て前すらかなぐりすてて分け前にあずかろうとする国々もあります。
そして、他の人達はみんな将棋の駒として犠牲になります。
1991年湾岸戦争の後、何人の兵士と民間人の命が奪われたかを尋ねられたコリン・パウエル将軍は、「死亡者の数は我々の関心事ではない。」と言い放ちました。
アフガニスタンやイラクなどのそこに住む人々の命は邪魔なものであったり不必要なものであったり、どうでもいいものとして、スーパー兵器ショーの格好の標的として奪われていきます。劣化ウラン弾などで、国土も放射性物質で汚染されて、長い年月にわたって人々が苦しみ、死に、産まれくる乳幼児もガンで死に、人の住めない土地になることなどは、アメリカの興味のないことか、それ自体、もしかしたら折込済みの恐ろしい計画のひとつなのかもしれないとさえ思えます。
勝者にとって気になるのは自軍の損害ですが、ちなみに、湾岸戦争で戦闘で死んだ米兵は150人弱、1991年の秋にアメリカへ帰還したとき、米兵の死傷者合計は760名でした。死者294名、負傷と病気が400名あまりです。
ところが、戦後、22万1000人の将兵が障害補償を受けました(2002年9月の復員軍人援護局報告)。これらは湾岸戦争症候群といわれ、放射線障害や重金属による疾病で、劣化ウラン弾使用がその原因です。その中、約9000人がガンなどですでに死亡したことは3月27日付けの文章でも書きました。しかし、これら都合の悪いことは米国務省の関心事ではないのです。
一方、正確な数字は出ようもないのですが、イラク側は、およそ20万人ほどのイラク兵士が退路を断たれてスーパー兵器で虐殺され、その後の劣化ウラン弾の影響や、経済制裁の影響でこれまでにおよそ150万人ほどの方が亡くなりました。 このことなど、同罪である日本政府にも「関心がない」ことなのでしょう。
あまり離れていて実感がないかもしれません。
20万人というのは、山手線の周りに並べて10周ですよ。150万人というのは、東京-大阪を2往復以上ですよ。これらの人々を事前に想定していたかどうかは知りませんが、アメリカ支援とか国際協調とかいう言葉で殺したのですよ。
そのいいかたは酷いという人がいるとすれば、日本政府が供出した約2兆円弱の応分に分けても東京-大阪の片道分の責任があるのです。
本当は数字の問題ではありません。でも、あまりに理不尽ではないですか。
大量破壊兵器をもっているかもしれない、いや、持っているに違いない。
と言って...今度は何人ころすのですか。何人まで殺してよいのですか。
それも関心事ではありませんか。
とうとう四月になってしまいました。
三月二十日にアメリカがイラクに先制攻撃を始めて十三日経ちました。
開戦の前は、何としても戦争にならないように…と、開戦後は、今日こそは戦争を止めたい…と、祈りながらの毎日です。
もう一度振り返ってみたいのですが、小泉首相が二十日の緊急記者会見で言ったことはこうです。
「イラクは国連決議を無視、軽視、愚弄し、十分誠意ある対応をしてこなかった。大量破壊兵器を危険な独裁者に渡すとどれほど大きな危険に直面するか、日本もひとごとではない。
米国は日本への攻撃を米国への攻撃と見なすと言っている唯一の国だ。これが大きな抑止力になっている。」
3日前の29日に書いたように、前半部分はイラクをアメリカに置き換えるほうがよほど適切だと思われます。どれほど国連を軽視し、愚弄したのはどちらかかは、まともな判断力のあるひとであれば明白です。
今日は、後半部分に焦点をあてたいと思います。
このような危険なアメリカの外交政策によって、どこの国も安泰ではいられなくなり、いつアメリカに先制攻撃され、迅速に徹底的に核使用も辞さず叩き潰されるかわからないという可能性があるわけです。攻撃の理由は、アメリカの意に添わず利権を譲らないことであったり、あるいは、常に戦争状態を作って軍需産業を潤すために恒常的に対立図式を作るためだったりするわけです。
当然、悪の枢軸よばわりされている北朝鮮も戦々恐々としているわけで、防衛のための努力をするのは当然のなりゆきです。
日本は、何を考えているのか、このところ反朝感情をやたらに国民に掻き立て北朝鮮は危険だ危険だと言い出しています。そこにもってきて、アメリカが護ってくれるから、いや、護ってもらわねばならないからと、アメリカを信じきって一心同体になり率先してイラク攻撃を支持したわけです。 これは極めて危険なことです。
冗談ではなく、アメリカは何をするかわからない。論理や主義主張があるのではなく、軍事帝国として何をするかわからないということが、今回の行動でひろく世界に広まったわけです。日本政府はそうは考えていないかもしれませんが、これは今回世界の常識となったわけです。百歩譲っても、間違いなく北朝鮮はそう考えています。
アメリカに護ってもらうどころか、アメリカは、いつ北朝鮮に攻撃をしかけるかわからない。少なくとも挑発したり、脅威を与えたりしているわけです。
こんな状態では、北朝鮮としては米軍基地のある日本や韓国を直接攻撃することもやむない事態がでてくる恐れがあります。
日本の年度末の道路工事のように、あたかも公共事業のようにアメリカは毎年必ず世界のどこかで軍隊を動かし、どこかを攻撃しています。
それもそのはずです。アメリカ国民の税金は、おどろくことに半分以上が軍事関係費に使われています。このため、教育や、福祉などは省みられてもいません。世界の軍事費総額に対してみれば、米国一国で実に40%近くを占めています。アメリカはこの巨額の予算で軍需産業を支え、戦争をいわば公共事業のようなものとして行なわざるを得ない状況にいるのです。
日本はこんなアメリカの不沈空母であったり基地であるのですから、使い捨ての友人であることは間違いのないところです。
本当にひとごとではなく、間違いなく私たちは戦争に巻きこまれます。友人ではなく敵を作ることに奔走しはじめた小泉首相は、大変な決断をしたのです。
日本政府は大きな間違いを起こしています。イラクにしても、北朝鮮にしても、何としても平和を目指すためにはお互いの理解と尊重が必要なのであって、解決の方法として武力に頼っては絶対にいけないのです。
アメリカのイラク攻撃理由は、大量破壊兵器がテロリストの手に渡るのを防ぐというものですが、実際に行っていることは、平和に暮らしている人々を追い詰めて「テロリスト」に変えてしまう行為です。
人間は偽善からではなく、心から出てくる優しさには、優しさで応える美徳を持っていますが、自分が酷い状態に居るとき、もっと酷いことをされれば、そこには憎しみと疑いしか生まれません。
アメリカは自分たちを、解放軍としてイラクの人たちが迎え入れるだろうなどととんでもないことを考えていたようですが、大間違いです。イスラームの人たちは、侵略者に対しては断固闘います。偽善者を迎え入れることなどできるはずがありません。
アジズ副大統領の「我々はイラクでうまれ イラクで死ぬ。」ということばどおり、兵隊であろうが、民兵であろうが、民衆であろうが、みんなが自分たちが生まれ育った土地を守るために命がけで侵略者と戦おうとしているのです。
まわりのイスラームの国からも義勇兵が続々とイラク入りしていますが,当然のことと考えます。
イスラームは一つの身体であり、身体の一部が損傷を受ければ全体が苦しむのですから。
アメリカは、圧倒的な優位を誇っているからこそ攻撃に踏み切った卑怯な国ですが、テレビの解説者たちは、自爆攻撃は卑怯だと言います。何と言うばかげたことでしょう。すべてを奪われたひとたちの最後の抵抗手段としてなにがあるというのでしょうか。
外側から、この戦争を宗教の問題と考えるのも、宗教の問題ではないと考えるのも自由ですが、自国の利益のために他国を蹂躙するというのは人間として最低の行為であることはあきらかですし、現実として大量のイスラームの人々が一方的に攻撃されているのです。
アメリカでも日本でも、テロの危険性をあおっていますが、本当は戦争を正当化するための宣伝にすぎず、本当に脅えている状態ではありません。街を歩く人々は爆弾がそばで本当に爆発するなどとは考えずに歩いています。しかし、こんなことを許していれば、早晩、本当に恐怖を味わうことになると考えます。
やめるのは今です。今こそアメリカに「勇気ある撤退」を進言するよう日本政府に要求します。
アメリカ大使館前に抗議に行くと、いろんな人に逢います。
開戦前から戦争をおこさせないために毎日抗議をしていたひとたちは、開戦となってしまった今、なんとかして戦争を止めようと以前にもまして声をあげています。
泊まりこみで抗議アピールをしている人たちもいます。
アメリカが開戦した最初の日曜日に抗議の替え歌を歌い、「楽しくやろうよ」と言った若者に私は「楽しくなんかやれない!」と言ったのでしたが、そのうち、彼らが泊まりこんでいることを知りました。
彼らは雨の日もそこにいて、カップラーメンなどを食べて道で寝ていました。
私は彼らに対してとった攻撃的な態度を詫びました。
彼らは空爆の下にこそいないけれどずっとアメリカ大使館前でたたかっているのです。
私は少なくともベッドで眠り、家の中で食事しているのです。
どちらが楽しい生活をしているかは明白でしたから。
ビキニ姿で抗議にきた女性たちもいます。
最初はピチピチと元気だった彼女たちも、日が経つにつれ、だんだん消耗してきているようにみえました。
それでも、もうすでにかすれてしまった声で、「戦争反対」の抗議の声を精一杯あげていました。
最初はビキニ姿に抵抗があった私も彼女たちが身を削ってアピールしていることが痛いほどわかってきました。
それぞれがそれぞれの方法で精一杯抗議の声をあげています。
抗議している私たちに「うるさい」とか「情けない」とすら言い捨てていく日本人もいます。
「我々には何の関係も無い」と言って、冷笑を浴びせていくアメリカ人もいます。
かと思えば、警備している警察の中にも、穏やかな目で私たちを見て、「気持ちはわかる」と言う人もいます。
殺戮が長期化する中で、いろいろな人間模様を見ながら、今戦争を止めるために何ができるんだろう、五年後、十年後じゃなくて、今!・・・と焦る気持ちと闘う毎日です。
こうしている間にも、毎日毎日人が殺されているのです。
攻撃される側にとっては、とんでもないことは言うまでもないことですが、一方、正義感に燃えて攻撃に加わって、命を落としていくのは誰でしょうか。
政府のプロパガンダにのせられて、「正義の戦争」に志願する人も中にはいるでしょう。
でも結局、前線に送られるのは、資本家の息子たちではなく、お金のない人々であり、有色人種、ヒスパニックなどを主体とした、軍需産業にとっては「使い捨て」の人々です。
劣化ウラン弾の影響など知らされもしません。
グリーンカード(米国永住権)と引き換えに、前線に行っている人もいるという話も聞いています。
戦争反対の立場からアメリカも徴兵制を復活させるべきだと言う議員も出てきています。
日本も徴兵制が復活するとしたら、今のようにアメリカに完全服従するのでしょうか。
ブッシュ大統領は「イラクが自由になるまでは(戦いを)やめない」 と言っています。 新聞には括弧がひとつ補記してありますが、もう一つ括弧が必要でしょう。
「イラクが(アメリカの)自由になるまでは・・・」と。
このひとに自由や正義を語ってほしくありません。あまりにも言葉の意味がなくなってしまいます。
アメリカ政府に平和や民主主義を語ってほしくありません。この100年の間に毎年、100回以上の他国への軍事介入を続けてきた国ですから。
「一般市民を犠牲にしているフセインを戦犯として裁く」とも言っていますが、イラクの一般市民を犠牲にしているのはアメリカ自身ではありませんか。
アルジャジーラの報道した、頭が半分吹き飛んだ子供の写真を見た人も多いでしょう。
爆撃で傷ついた子供が痛みに顔をゆがめながら母親に「泣かないで」といっていたということです。
こういう状況をつくったのはブッシュ大統領そのひとではありませんか。
あまりにも自分勝手で傲慢な言葉に頭が錯乱しそうになります。
これが人の心を持った人間の言うことか、やることか、と言葉もありません。
小泉首相や川口外相は、本当に彼の言葉を理解できているのでしょうか?
できているのだとすれば彼らも悪魔です。できていないとすれば、あまりに軽薄で無責任です。
ここにきて人の心を持たない人間の集団が本当に存在するのだ、ということをぞっとするような思いで受け入れざるを得ない心境になってきています。
彼らは良心というものを捨てたのだ、と。
彼らにはあたたかい血の流れる人間としての言葉は届かないのだ、と。
今の私に出来ることは、抗議をし続けることと、祈ることしかありません。
私は神の存在を信じています。
今起こっていることは、神の意志だと受け入れてもいます。
でも、今起こっていることについての判断は私たちの責任においてなされなければならないと考えます。運命を受け入れるということは、何もしなくても良いということだとは思っていません。
このところニュースでは、爆撃で何人の人が犠牲になったかというような報道よりは、戦後の事に比重が移っているようです。
戦後復興では日本が世界に存在感を示すチャンスだ、と言っている大学教授がいました。
アメリカ国民の税金の半分以上を軍事関係に費やしているのに加え、わざわざ9兆円の補正予算まで組んで、めちゃめちゃにした国の復興をチャンスと言ってのけるこの感覚に背筋がぞっとしたのでした。
「イラクには石油も水もあるのです。これを利用しない手はありません。」と他国の財産をまるで自分のもののようなものの言い方をしています。米政権も、イラク戦後復興に関して、人道支援は国連にまかせて、軍事作戦に参加した米英が主導すると言っています。
この戦争をアメリカはどう言って始めたか覚えているでしょうか。
「イラクは9.11のテロを支援していたのでフセイン政権を倒さねばならない。」
次に、テロとの関係づけの説明ができなくなってくると、
「イラクは核兵器を開発中で、化学兵器も持っている。大量破壊兵器を隠し持っているフセインが悪い。フセインを倒す。」
と理由を変えました。
今はどうでしょう。
もう米英軍は、「間もなくイラク全土を完全に掌握する」ので「フセイン大統領の存在は関係がない。」というのです。
最初からイラクを経済制裁や毎年の空爆などで疲弊させておく政策だったようでしたが、ついに、占領すべきという意見が強くなり、9.11事件を期にその時期を今に決めたというのが真相でしょう。理由などどうでもよかったのです。
なぜならば、前にも触れましたが、イスラエルにはたくさんあっても、イラクに大量破壊兵器がないことくらいはアメリカが一番良く知っているからです。
1998年までの査察で殆ど破壊し廃棄されて、調べ尽くされていたのです。
1991年から98年まで7年間、イラクの査察現場でもっとも有能な米国人主任査察官として活躍したスコット・リッター氏は、「ブッシュ政権は大量破壊兵器の査察よりも、フセイン政権の転覆を目的としている」と述べ、イラク側とトラブルをわざと起こし、軍事介入の口実にするような指示を米政府から受けていたと明らかにしました。
リッター氏は、米国のあまりのやり方に抗議して査察官を辞任したわけですが、米英はというと、イラクが悪いとして98年に大規模バクダッド爆撃を行っていますし、経済封鎖も空爆もずっと行い続けてきていたわけです。
イラクから亡命したフセイン大統領の義理の息子であるフセイン・カメル中将が、1995年にすでに大量破壊兵器が破棄されていた、と証言していことについて、アメリカ政府は自分の都合の良い証言だけ利用して、こういった部分を故意に無視したことを、あの体制よりのワシントン・ポストでさえも伝えています。
正義のための戦争なんてあるはずがないのです。
力ずくで自分のやりたい放題やろうとしている人たちがいるだけです。
正義といえる戦争があるとすれば、自衛する側にあります。
昨日はイラクに戦争をしかけていった理由について書きました。
今日はアフガニスタンに侵略していったときのことを思い出してみませんか。
あの時も、証拠もないのに、ブッシュ大統領は、タリバン政権に、
「オサマ・ビン・ラディン氏を出せ。出さなければ攻撃する。」と無理な要求を突きつけ、そして西部劇を気取って
「Wanted ! Dead or Alive ! (お尋ね者、生死不問)」
として始めた攻撃でした。
それが、オサマ・ビン・ラディンの居所がわからないとなると、マイヤーズ米統合参謀本部議長は、
「我々は、オサマ・ビン・ラディンがこの努力の目標だと言ったことはない。」
と変わり、報道関係者をびっくりさせました。もちろん、私もびっくりしました。
私は、とりわけ、ラムズフェルド国防長官が空軍兵士を「激励」して言った以下の言葉を許すことはできません。
「君たちは自由に狩猟をする権利を与えられている。」
アフガニスタンの人々を、全く人間扱いしていないのです。
パレスチナで虐殺や虐待の非難が高まり、世論を気にした軍がパレスチナ人をもう少し優しく扱うようにというコメントを出したときに、メディアにインタビューされたイスラエルの女性将校が、「パレスチナ人を人間として認めろっていうことね」といった言葉も思い出します。
「一般人民が死ぬのはタリバンが悪いからだ」といういいかたも、今回フセインのせいと言っているのと同じです。
そして、アフガニスタンではいくつも村が殲滅され、バンカーバスターやデイジーカッターなどが使用されたのは皆さんもご存知のことですが、劣化ウラン弾が実に湾岸戦争の2倍以上(650トン)も使用されたという数字があります。
昨年9月の放射能や重金属汚染の調査では、最初に予測されたよりもずっと広い地域と多くの人口が汚染されている可能性が明らかになったそうです。聞き取り調査された家族の多く(30%)は湾岸戦争疾患に類似した症状を示し、乳幼児の25%以上が不可解な病気にかかっていると報告されています。
劣化ウランによる影響が今後この土地を半永久的に汚染しつづけ、人々を殺し、苦しめるのです。この影響はイラクと同じようにどんどん大きくなります。
長い戦争に次ぐ戦争で、とにもかくにもタリバンによる安定が得られた矢先に、めちゃめちゃにされ、たアフガニスタンは、今はまた、治安も悪く、救援物資も届かなくなり、ひどい状況だと伝えられています。しかし、目的は果たされたので、もう忘れ去られかけているようです。
アメリカの民主主義は、どこまで、悲惨な状況の上塗りをしていくのでしょう。
昨日のアフガニスタンのはなしから続けたいと思います。
多くの資料が出ていながら、わたしが知ったのはそれほど前のことではないことのひとつですが、アフガニスタンへの攻撃は、前々から計画されていたという事実です。
アメリカは、中央アジアから北部アフガニスタン、そしてパキスタンを経由してアラビア海に搬出するパイプライン計画を進めていました。しかし、話し合いにおいてはタリバンの協力を得られなかったために、アメリカは、タリバンを攻撃することを決めました。これは、あの不可解な9.11の「同時多発テロ」の1ヶ月前のことです。
なんとも都合よく、そこへ9.11のあの同時多発テロと呼ばれた事件が起こりました。この日は、戦闘機が緊急発進するのに30分もかかったり、直近の空港からではなく遠くの基地から発進したりして時間がかかるなど、なぜかこの日に限って防空体制が極端に弱体化したということです。国防総省には大きなボーイングが突っ込んだはずなのにその機体のかけらも示されず、大きな翼が当たったはずの柱も無傷で残っています。他にも不思議なことが盛りだくさんですが、政府はさっさとこの事件に関する調査を打ちきって、戦争に向かいました。
そして、1ヶ月も経たないうちに、準備万端ととのえて、オサマ・ビンラディンを賞金首とし、テロへの闘いを口実にした一方的なアフガニスタンへの攻撃を始めました。そして、タリバンを壊滅させたあとに、大統領に据えたのはカルザイ氏です。この人は、なんと、1995年からこのパイプライン計画を推進していたアメリカ石油メジャーのユノカル石油の最高顧問であった人です。まったく開いた口がふさがりません。
首尾良く、アメリカは、予定通りパイプラインの構想を動かし始め、莫大な利益を得ることになります。 民衆などは何人死のうが、湾岸戦争と同じく、アメリカの関心事ではありません 。人道支援は国連などに任せるとのことです。アメリカの行った人道支援は、戦争中に爆弾と同じように食料を人民の上に降らせたことでしたが、これで押しつぶされて死んだ人さえいると報道されていました。
今後アメリカは、アフガニスタンでも、傀儡政権が倒されないように、適度に爆撃や軍事支援を継続して行くでしょう。
アメリカは世界130カ国に軍隊を置いていますが、同じようなことを行ってきています。
結局終わってみれば、アフガニスタンに、言うことを良く聞く政権にすげ替えることがアメリカの目的だったことが良くわかります。
無理な言いがかりをつけ、「正義」を口にしながら、一方的に攻撃を開始する。
普段は農民であるような兵隊を皆殺しにし、多数の市民を犠牲にする。
放射性物質や重金属汚染で人や土地を破壊しほうだいです。
戦後の人道支援は国連などに任せ、莫大な経費は米国民や支援国民に負わせます。
そして、これによってもうけているのは、ブッシュ政権を担ぎ上げているエネルギー産業や軍需産業です。
今アメリカがイラクで行っていることも、まさしく同じではないですか。
何と理由付けようと、目的は最初から明らかです。
バクダッドを包囲した今、ニュースでアメリカの政府高官たちは、攻撃に踏みきる最後の根拠であった大量破壊兵器がみつからないことや、フセイン大統領の生死などの、「大義」はあとまわしでよい、勝利すればどっちでも良いというような本音を「堂々と」述べています。
今は、戦後の分け前にあずかろうと攻撃支持にまわる国が出て来たり、分け方などでもめはじめています。醜いことです。もちろん、仲良くわければよいといっているのではありません。
次はどこが攻撃の順番になっているでしょうか。「長い戦争」のシナリオは、すでに決まっているのでしょうか。
こんな計画的な戦争をゆるせますか?
こんな非道な、人殺し、破壊をゆるせますか?
こんな戦争を見過ごすだけでなく支援するような日本政府に、日本人の一人として抗議せずにはいられません。
人間のひとりとして、アメリカ政府・イギリス政府に抗議せずにはいられません。
土嚢を積んだ中に、そのあたりの市場からそのまま来たようなおじさんたちが機関銃をもって進入軍に抵抗しようとしている映像をテレビで見るたびに、あらたな怒りが込み上げてきます。
Tシャツを着て何の装備も無いイラク兵が、投降したと報道されるたびに怒りがこみあげてきます。
彼らはイラクで生まれ、ずっとイラクで生活してきたのです。
フセイン政権がどうであれ、何とかそこで暮らし、日々の生活を営むしかなかった人たちです。
自分の贅沢のために、他の国のものを略奪することなど夢にも考えつかないような人たちです。
そういう人たちが、連日、超軍事大国の最新鋭の兵器によって無慈悲に殺されているのです。
査察によって兵器を破棄させられ、軍備で自国を守ることの出来なくなった人たちを、新兵器を自慢しながら、フセインが悪いというひとことで虐殺しているのです。
市街地が瓦礫の山になり、妻と娘を探しておろおろと泣いている男性の映像が流されていました。
ひどい、かわいそうに、とは誰もが思うことでしょう。
でもこれが、東京やニューヨークで起こったことだとしたら、ひどい、かわいそうで済むのでしょうか。
あまりの不公平さに言葉もありません。
イラクで大量破壊兵器が見つからなくても、もうどこの国もアメリカを非難したりはしないのでしょう。
こうなってしまったのだから仕方がない、と・・・。
アメリカ政府はイラクに戦争をしかける数箇月前から、戦後統治の人選などを決めていました。
数箇月前といえば、イラクが戦争をさけようと、必死で査察を受け入れていたころです。
アメリカにとって、イラクが査察を受け入れようが、受け入れまいが、そんなことはどうでもよく、彼らの描いた青写真がそのまま実行されるスケジュールをただただ実行したのです。
アメリカが暫定政府統治者に据えようとしているジェイ・ガーナー退役少将とは、親イスラエル色の強い人として有名で、アメリカの「国家安全保障問題ユダヤ研究所」と関連が深い人物だそうです。そんな人をイラクの人々がうけいれるとは思えません。アメリカはイラクをどのように利用しようとしているのでしょうか。
小泉首相は「はやく終わってほしいですね。」と、インタヴューに答えていました。
工事ではないのです。これは虐殺以外のなにものでもないのです。
早く終わって欲しい・・というのはどういう意味なのでしょう。
いやなことは早く終わってもらって、戦後に力を発揮しよう、ということなのでしょうが、なぜ今行われていることに、目をとじることができるのでしょう?
南京大虐殺のように、すんでしまえばなかったことにして、未来をめざそうというのでしょうか?
過去のつみかさねがなければ、未来なんてないのです。
過去を嘘でぬりかためれば、未来だって嘘でつくりあげられていくのです。
暫定政府をつくりあげてから、ゆっくり大量兵器を探す、と報道されていますが、そうなるとどういうでっちあげでも可能でしょう。
小泉首相は「大量破壊兵器はいずれみつかるでしょう」と言っていました。
大量破壊兵器の存在の根拠を何ももたない首相が、なぜ、そんなことを無責任に言えるのでしょうか?
全てを虚偽で塗り固め、世界を納得させることは可能なのかもしれません。
でも私は信仰する者として、彼らは神の名を語って神を冒涜した恐ろしい罪から決して逃れることはできないと信じています。
世界にはまだ人間の心をちゃんと持っている人たちがたくさんいるのです。
一日遅れになりますが、昨日の夜のニュースから。
アメリカは、1トン爆弾4個を、市街地の人口密集地帯に投下しました。
がれきの山と化した建物の下には何人の人々が埋まっているかわかりません。
会合が行われていたという情報があったというのです。
これがアメリカの正義です。
一転してブッシュ大統領とブレア首相の会談後の発表
「我々は素晴らしい成果をあげています。
バスラの人々の喜びの表情を見ましたか?
我々は大量破壊兵器を武装解除するという約束を成し遂げます。
そして、イラクの人々をフセイン政権から解放します。
我々はイラクの人々の命を助ける、という大業をやっているのです。」
これはブレア首相の演説です。
このあと彼はブッシュ大統領と感極まったというように顔を見合わせ、我々はなんという良い人間なのだろう、という表情には幸せが満ち溢れているように見えました。
それを受けてのブッシュ大統領。
「ブレア首相は信念のひとです。
これほどの協力者を私は他に考えることができません。
我々は手を取り合って人権を推進し、人間の尊厳を世界中に示し、国際社会の要望を広めていきます。
アフガニスタンでやったように、正義の政府を作り出すのです。
大きな勇気と人間の力をもって戦います。
そのために我々は犠牲も強いられました。
命を落とした同胞のために、祈りを捧げます。
イラクの残忍な性質があきらかになりました。
イラクの罪のない人々を守り、今からイラクは自由になるのです。
本当の自由とはなにかがバスラの解放によって、人々はわかり始めています。
これからのイラクはイラクの人々がつくるのです。
イラクにはそのような人材がたくさんいます。
イラクはこれから民主主義にむかってあるきだすのです!」
言葉が意味を喪失し、コミュニケーション自体が成り立っていかなくなる。そういう時代に向かっているのでしょうか。
とても自分の口から本当のことを言えない、でも現実はこれで良いと認めてしまっている確信犯ばかりなのでしょうか。
民主主義や平和主義や良心というのは掲げるものであって、守るものではないのですか。
子供に説明することはもう不可能に思えます。
私自身も言葉を羅列するのがとても無意味に思えてきています。
テレビのニュースで、フセイン大統領の像がアメリカ兵とバグダット市民によって引き倒され、民衆が歓喜している映像が流されていました。それを見ながら私は涙がとまらず、心の中に虚無感がおしよせてくるのを感じていました。
この戦争はなんだったのか・・どうやって始まったのか・・どれほどのイラクの人たちが犠牲になり、またこれからも犠牲になり続けていくのか・・そういった思いが一晩中悪夢のモザイクとなって、襲ってきました。
見せかけの一方的な映像を「バグダード陥落」の象徴とし、人々の目に歴史的な出来事としてやきつけることをひとつの区切りとして、スケジュールどおりの「戦後」を作っていく。
まるでこれまでずっと続いてきたイラクの人々の「死」は、この映像の裏にぬりこめられていくようです。
今までのことはなかったこととして、新しい未来にむかってすすもうではありませんか!・・・と。
劣化ウランによる放射能被害で苦しみつづけてきたひとたち、経済制裁による水や薬の不足ですでに未来をうばわれているひとたちがたくさんいます。
一体だれのための未来なのでしょう。
生き残った、これからアメリカのいう民主主義に従順に従えるひとたち・・にたいしてでしょうか。
私はアメリカの政策のなかに、イラクのひとたちの人権を守ることなど盛り込まれてはいない、と考えます。
ブッシュ大統領は先日の会見で、パレスチナ和平についてふれていました。
今まで一度もパレスチナの側に立ってものを考えたことのない彼のいう「和平」は、イスラエルにのみ都合の良いものであることはまちがいないところです。
先日も書きましたが、イスラエルのロビー団体と非常に深い関係にあるガーナーという人がイラク統治責任者に就任ということになれば、アメリカは本当にイラクを不安定な状態なままおいておき、中東をますます不穏な地域にさせ、あちこちにテロを広めていきたいのだとしか考えられません。
中東を力でおさえつけ、どんどんテロを助長させる政策をとることで、「テロ撲滅」という大義名分を十二分に活用し、アメリカに批判的な国々をどんどん潰していく。
アメリカの戦争対象リストは世界22カ国にものぼっているといわれています。
いままでもそうしてきたのですが、毎年毎年、でも、このイラク戦争を機にもっと堂々と、公共事業のように、今年はこの国、来年はあの国・・・というふうにアメリカにとって不都合な国をつぶしていくスケジュールなのでしょう。
それはいつまで続くのでしょう。
私がこの世界での生を終えるまでずっと続くことを考えるとぞっとします。
どうすればこのような横暴をとめることができるのでしょう。
今、わたしたちにできることはなんなのでしょう。
今、今、今の積み重ねなのですから・・・。
またひとつ、あってはならないことが起こってしまったのです。
この戦争は終わった、と考える人もいるでしょうが、私にはこれから延々と続く、アメリカが必要としている対イスラームの戦争の始まりにすぎないとしか思えません。
私は平穏に音楽をやっていたいのです。
自分の感性を音で表現することで、自分も幸せで、まわりの人々にもすこしでも幸せな気分になってもらえれば、それがわたしにとって最高の日常であるのです。
前にも書いたように、政治について考えたり、関わっていくことは私にとってはストレス以外のなにものでもありません。
でも私が政治と関わりのない世界をこの世界で見つけることが不可能な以上、関わっていくしかないのです。
私は修道院で暮らしているわけではないし、イスラームはそのような生き方を否定しています。
なにも考えないで、天職であると信じている音楽だけをやり、クルアーンを読み、お祈りする生活ができればどんなにいいでしょう。
こんなことは、爆撃のしたにいないから言えることなのだとわかっています。
私はアメリカ型の民主主義のなかで、守られてものをいっているにすぎないこともわかっています。
それでも言いつづけるしかわたしには抵抗する手段がありません。
私は今までに、これほど自分自身の心と戦わなければならないと思ったことはありません。
これから今までの秩序が崩壊していくなかで、しっかり今おこっている出来事から目をそらさない勇気と、判断することを放棄しないでいられるだけの知識を神様が与えてくださいますように、と祈らずにはいられません。
神を信じ、お祈りをし、クルアーンを読むすべてのイスラームのうえに平安がありますように。
連日「イラクの解放」について報道されていますが、現実にはアメリカはイラク北部で今まで以上に激しい爆撃を続けています。
あたりまえのことですが、イラクの人たちが心からアメリカによる力での解放を喜んでいるはずはありませんし、無政府状態の略奪が日常茶飯事になっている今、これからの不安は報道されているような歓喜の表情とは程遠いものでしょう。
アメリカが解放の象徴とした、フセイン大統領の像をひき倒している映像も、アメリカインディペンデンス紙によれば、周りを戦車でかこみ、戦車のそとで抗議している女性たちをアメリカ兵が追い払っている状況があるにもかかわらず、そのような場面は報道されていない、とのことです。
この戦争の大義名分を「テロリストの撲滅」から「大量破壊兵器の武装解除」・「圧政からのイラク民衆解放」とコロコロ変えてきているアメリカですが、だいたいアメリカに「圧政からの解放」を語る資格などあるとは思えません。
今まで、そして今でも、アジア・アフリカ・南米などでアメリカに都合の良い独裁政権とその圧政を支えてきているのは、アメリカそのものではありませんか。
我々はなんと良い人間なんだろう、と信じて疑わない顔のブッシュ大統領の顔を思い出す度、同じ?人間として顔をあげられないほどの恥ずかしさを感じるのは私だけではないと思います。
本当の被害がわかってくるのはこれからですし、被害はこれからも増加します。そうでなくても湾岸戦争からずっと続いている劣化ウランの放射能・経済封鎖による物資不足で苦しみつづけてきた人たちのうえに、さらにこの戦争によるたくさんの被害者がでるのです。
ティクリットでは今まで以上の爆撃や砲撃が予想されているといいます。
湾岸戦争のときのように、退路をふさいで皆殺しにするつもりなのでしょうか。
どのくらいの劣化ウラン弾を使うつもりでいるのでしょうか。
フセイン政権が機能しなくなった今、なぜこれ以上の犠牲をださなければならないのでしょうか。
敗戦が決定的となった日本に原爆を落としたように、イラクでもバンカーバスターやデイジーカッター、劣化ウラン弾などの大量破壊兵器を大量に投入するのでしょう。
戦後の人道援助といいますが、取り返しのつかない所業を重ねて、いったい国連も日本政府もどのような援助ができるというのでしょう。
一番の人道援助は、今すぐ戦争をやめさせることしかないことぐらい、わかりすぎるほどわかっているはずなのです。
すき放題に殺戮させておいて、思う存分悪魔の兵器を使わせておいて、その後で、なにが「人道援助」なのでしょう。
今回の戦争で劣化ウラン弾を使用したのか、という質問に対してブルックマン准将はこう答えています。
「使用はしたが、数々の実験により、安全だと確認して使っている。」
もとより「安全」な兵器など存在するわけがないのですが、5倍10倍と白血病等が多発しているイラクの子供たちの調査などには目をつぶっての発言でしょう。
小児病棟にはいっているこどもたちが、経済制裁による、物資や薬の不足で治療をうけることができず、ただ死ぬのを待っている状態であるということを、あれだけの情報量をもつアメリカが知らない、とでもいうのでしょうか。
「数々の実験」には日本も協力しています。
1995年から1996年にかけて、沖縄の鳥島で劣化ウラン弾を誤射した、というアメリカの事後報告にたいして、日本政府はきちんとした調査すらしていません。
日本は唯一の被爆国なのです。いいえ、もはや唯一ではなくなっています。
しかし、原爆を落とされた唯一の国として放射能被害の恐ろしさを世界に伝えることは、日本人だからこそできることではありませんか。
「力」に追随してなにも物言わぬことは「非暴力」ではありません。
「力」に追随し、迫害されている人たちを見てみぬふりをするのは、立派な「暴力」だと考えます。
今のイラクの状況について、「戦争は確かに悲惨だと思うけど、イラクの人々がフセイン政権がたおれたことをあんなに喜んでるんだから、結局はよかったんじゃない?」・・というひとがたくさんいるのに、おどろかされるとともに力が抜けていくような思いです。
国境なき医師団の報告によれば、今のイラクは「かつて見たことがないような惨状」だということです。
今日現在の Stop the War Coalition HPの写真には、血だらけで、足がつぶれてとれてしまってぼろきれのようになった少女をトラックからおろしている市民の姿があります。
これがイラクに住んで、生きているひとが、いやおうなく見ている日常茶飯事です。アメリカが、そして日本が支持してやっていることです。
インディペンデンス紙にも、「手をのばして戦車を追いかけている黒い服をきた女性。7人の家族全員を殺されて。」
そばに立っていたというだけで殺された女性。「申し訳ない。だけどあの女は邪魔だてしていたんだ。」とアメリカ兵は言う。
このような記事を見るたび、読むたびに、私は気が狂いそうになるほどの悲しみになんとか耐えようと、無意識にクルアーンを唱えています。
武器を持たないものに対する殺戮が日常になっているイラクを、メディアでしつこくながされる「解放されて喜ぶイラクにひとたち」の映像をみてホッとすることで、頭のすみにおいやってしまわないでください。
本当のイラクは今、阿鼻叫喚のなかにあるのだということを、私たちは戦争をとめられなかった責任とともに、逃げないで考えつづけなければなりません。
フセイン大統領たちの行方をさがすため、アメリカ軍がかれらの顔写真をトランプにして兵士たちに配っていました。
この戦争はゲームなのですか?
最後通知をつきつけたときも、ブッシュ大統領は「ゲームは終わりだ。」と言っていました。
数々の大量破壊兵器をもち、一方的な殺戮が可能なアメリカにとっては、自分たちの政策を推し進めていくためのゲームにすぎないのかもしれません。
アメリカは人の命でゲームをしているのです。
アメリカは今まで世界中で数々の戦争をおこしてきましたし、その姿勢は今もかわっていません。 戦略を考える側にとって民衆のひとりひとりは、あたたかい血がながれ、愛する家族がいる、じぶんたちと同じ人間であるとは、思われていません。単に効果的かどうかの材料でしかありません。
いままでの数え切れないほどの戦争の歴史の積み重ねは、これからの抑止力になるためのものでなければならないはずなのです。
でも、抑止力になりうるのは論理ではないことは、これまでの「言葉の羅列」が証明しています。
自分を大切にし、隣人を思いやるこころが大切なのだと考えます。
ヤー・スィーン章45節でクルアーンはいっています。
「あなたがたの前にあるもの、また後ろにあるものを畏れなさい」と。
過去と将来の間に浮かんでいる現在は一瞬一瞬過ぎ去っていきます。
人間には過去という、将来へのはっきりとした指針があり、きちんと過去の過ちを悔悟しさえすれば、進む方向を正すことができる、という神から与えられた恩恵についてもっと深く考えてみたいと思います。
先日テレビで、湾岸戦争以降何度もイラクを訪れて、劣化ウランの放射能被害の実態を調べている、伊藤政子さんというかたが撮った写真を紹介していました。
昨日紹介したような惨たらしいものではなく、笑っている天使のようなこどもたちの写真です。
この子たちはみんな白血病に冒されています、と伊藤さんはおっしゃっていました。
とても病気とは思えないような、大きな輝く瞳をきらきらさせた、本当にかわいらしいこどもたちでした。
ある2歳の女の子の手の甲にちいさな傷があるのをみて、アナウンサーが「この傷はなんですか?」とたずねました。 「点滴の跡です。この傷が化膿してこの子はこの写真を撮った2日後に亡くなりました。」と伊藤さんは答えたのです。
わたしは、一瞬呆然とし、心のなかで、「そんなこと!嘘でしょう?」と叫んでいました。
呆然としているあいだにも、伊藤さんは続けたのです。
「私はイラクで何百人というこどもたちに会いました。そのなかで今生きているのは3人です。」と。
「それでも、私が会ったのは、たった何百人かにすぎません。会っていないこどもたちも、毎日どんどん死んでいます。」
言葉をなくした私の脳裏にうかんできたのは、バグダードのもとはこどもたちの遊び場であった空き地に作られた「子どもたち専用の墓地」の映像でした。
だいたい子ども用にたくさんのお墓が必要とされる、ということ自体が気狂いじみています。
イラクでは、風邪をこじらせただけでも、経済制裁による医薬品などの不足から、治る病気も治すことができず、子供たちが毎日死んでいくのを医師たちはなすすべもなく見ているだけなのだ、とイラクから来た医師が言っていました。
これは、湾岸戦争が残したもので、今回の戦争が始まる前のことです。
今回の攻撃でも劣化ウランが大量に撃ちこまれまれたはずです。
今、破壊されたイラクの町々には、医薬品も麻酔もない、と報道されています。
歯の治療にすら、麻酔がないと耐えられない私です。
爆弾の破片で、傷だらけになったこどもたちが、痛みで泣き叫んでいるそばで、親はどうすることもできないのです。
頭に包帯を巻いた男の子に母親が、「私がかかわってあげたい」と泣いているのを、痛みに顔をゆがめながら、「ママ、泣かないで。」とその子が慰めているのをイラク・ピースチームのメンバーが目撃しています。
アメリカの政権を握っているひとたちにも、こどもはいるでしょう。
小泉首相や川口外相にもこどもがいるでしょう。
アメリカの兵士たちにも、こどもがいるでしょう。
なぜ? どうして、こんなに簡単なことがわからないのでしょう?
戦争は、汚れのない、無垢なこどもたちを、こんなにも無惨に殺すのです。
政治というものが、政を治めるものであるなら、真っ先に守られなければならないのは、こどもたちではありませんか。
伊藤さんの撮ったこどもたちは、神様のそばで楽しく笑っていることを私は信じています。
それでも、私は言わずにはいられません。
この世界で、もうこれ以上こどもたちを、醜い大人たちの欲望の犠牲にしないで!
こどもたちをこれ以上殺さないで!
「イラクの現状を、イラクにいないあなたにわかるはずがないし、メディアが流している情報がアメリカに都合のよいものばかり、と現地にいないあなたがなぜ言えるのか。」という疑問をなげかけられました。
おっしゃるとおりです。その意味では、全世界の人間がイラクの戦火の下に行って確認する必要があります。イラクに行くことを断念していた私としては、今のところイラクの現状を知る術はメディアや個人的なつながりをとおしてかありませんし、アメリカの政策についても、私が信頼できると判断して得た知識のなかから推察するしかないわけです。間違っていることもあると思います。絶対正しいなどという考えは危険なことですし、間違いがあるかもしれないという危惧をもちながら考え行動することこそが大事だと私は考えています。
そもそも、私は政治について詳しく述べたいわけではありません。
イラクの現状についても、できることなら「解放されたイラク」の面だけ見て、少しでも安眠したいと思います。
それができないから、なぜ、こういったことが起きているのかを調べ、考え、訴えつづけているのです。
それに、たとえ、すべての情報源を絶ったとしても、すでに今戦争がある、という事実を知っている限りこの心の激しい痛みからのがれることはできません。
私にとって、どちらが正しいか、など言ってみればどうでもいいことなのです。
絶対的な正義というものがありますか?
宗教的にはありますが、考え方や立場によって解釈も違えば、価値観も違うのです。アメリカ政府が特定の人々の利益のために何万人もの老若男女を殺すことが正義だと考えるか、この世の中で暮らしているひとびとの命がひとつひとつかけがえも無いものであるとするという立場をとるかは、考え方や良心のおきかたの違いです。
私たちが置かれた状況で、どのように考えるかが私たちの義務であり、どのように振舞うかが私たちの責任なのです。少なくともこの惨状は、私にとって、攻撃を支持した日本政府について、日本人のひとりとして、わからないし関係ありませんなどといって済まされる問題ではありません。
正しさとか正義という言葉は、すでに泥にまみれてしまいました。
アメリカが攻撃に踏み切った時、話し合いではなく武力を手段として自分の目的を達成することを意識的に選んだわけです。実際、数々の情報から、今アメリカがやっていることが、虐殺以外のなにものでもないことは、あきらかですし、今までのやりかたを見ても、心をもった人間のやれることとはとても思えない、というのが正直なところです。
わたしが大切にしたいのは、アメリカ人もイラク人も日本人もみんな人間だということなのです。 このあたりまえのことが、あたりまえとして考えられていない、ということをもう一度心に刻んで欲しいのです。
戦争はひとを殺すだけでなく、神からあたえられた恩恵である大地をも破壊します。
物体としての人間や大地だけでなく、ひととひとの精神的な繋がりをも破壊します。
アメリカの戦争推進派のひとたちが、「我々が安心して眠れるのは、今イラクで戦っている兵士たちのおかげだ。」といっていました。
彼らはなんとおびえているように見えたことでしょう。
そのはずです。アメリカが今やっている殺戮のおかげで、これからどんどん追い詰められたひとたちが「テロリスト」になっていくかもしれない、という恐怖がいつも彼らを脅かしているだろうことは、容易に想像がつきますから。
彼らが安心して眠れるのは、自分たちがいじめぬいてきたひとたちが、同じ人間としての誇りと意思を放棄するか、さもなくば、そのひとたちを殲滅するときです。
今のイラクになんとなくその兆候を認めて、彼らは少しだけ安心しているのでしょう。
でもなんと大きな思い違いを彼らはしていることでしょう。
すべての人間が神によって創られたという点において、平等であると思います。人間が人間を力で思い通りにすることは、不可能なのだということを、彼らには知ってもらいたいと思います。これはわたしの強い願いです。
自分の都合の悪いことに目をつぶっていたら人間のこの世界での未来はないのだ、ということに気がつかなければ、彼らにとっては「安心して眠る」という人間としてあたりまえのことが、いつまでも願望に過ぎないものになるでしょう。
アメリカはフセイン政権の崩壊を宣言しました。
ということは、今イラクは政権をもつ国家として認められていない、ということです。
今までは「戦争」でしたが、これからのイラクのひとたちのアメリカに対する抵抗は、「テロ」とみなされるわけです。
鎌倉の内田さんという方からメールで大変興味深い論文をいただきました。アメリカ軍は、フセイン大統領などの行方を追う、という名目で、執拗にイラクの人々の家々を乱暴に家宅捜索しているそうです。そうやって、イラクでふつうに暮らしていたひとたちをわざわざ挑発している、と書いていらっしゃいます。
この状況は私にイスラエルがパレスチナのひとたちにやっていることを思い出させます。
いきなりやってきて理由もいわず家人をつれさり、拷問のすえに捨てる、ということが、日常茶飯事におこなわれているパレスチナ。
イラク戦争のかげにかくれて、おおきな報道もされませんでしたが、ヒューマン・シールドとして、ブルドーザーで家を破壊しにきたイスラエル兵の前にたちはだかった、23歳のアメリカ人女性レイチェルさんは、ブルドーザーに故意に轢き殺されました。
「現場には命を危険にさらす無責任なやり方で抗議していた一団がいた」とは、そのときのイスラエル軍の報道官の言葉です。
国家を破壊し後ろ盾をなくした人民を抑圧して、テロリストにしたてあげ、ますます不安定な状態をつくりあげる・・そういう構想を中東全体に広げていくつもりなのでしょうか。
「あなたはミュージシャンなのだから、政治に関わるのはよしなさい。」との忠告をたくさんもらいます。
私のことを考えてくださっての発言だと思います。
でも私は音楽を奏でる者として、言いたいのです。
音楽とは人間の喜びや悲しみや苦しみを表現する手段であるはずです。
この世界で不当に虐げられているひとたちの苦しみや悲しみに心をむけないで、今自分が享受している安易な生活のことだけ考えて奏でる音が心のこもった音になるとは、私にはとても思えないのです。
私は音楽を通じても、訴えたいのです。
今私が弾いているアラビアの琴、カーヌーンの音はアラビアの情景を運んでくれます。
憂いをふくんだその旋律は、イスラームの偉大な過去を思い起こさせ、また今現在のアラブの人たちの苦しみを伝えているようです。
ミュージシャンであるからこそ、今の苦しんでいるアラブを訴えていきたいのです。
もし世界の情勢に目を閉じたまま音を奏でるのであれば、私には音楽をやっていく資格はない、と考えます。
「この戦争は政治であって宗教とはなんの関係もないんだから、関わるのはよしなさい。」との忠告ももらいます。これも、私のことを考えてくださっての発言だと思います。
でも私は、この戦争が宗教と関係ないとは思っていません。
人間ひとりひとりは、神に創られ、平等です。それゆえ、この世界にある不平等は、大きな宗教的な課題であり、訴えつづけていかなければならないことでしょう。
わたしたち人間はこの世界で、神から一定の生を生きなさいという課題をあたえられています。
私たちには、この世界の喜びを享受するとともに、まわりに起こる出来事を洞察し判断し対処していくことが求められていると思います。
祈っていれば良いのだという人もいます。しかし、来世をよりよいものにするためには、現世での行動の積み重ねがなによりも大切だと思います。祈りは勿論一番大切なものですが、それだけでは不充分だと思っています。
自分に責任があることについては、「知らされる」のを待つのではなく、みずから「知る」ということが必要です。
宗教は生活そのものであり、政治や経済やあそびなどは生活の一部です。選り好みなどしていられないのです。
私にとって、今自分が属している世界の政治を判断することも、いやだと言っていられないのです。
時期をまてばイラクの状況もよくなるだろうから焦らないほうがいい、というひとがいます。
この一瞬一瞬はすでに過去になっていて、その過去をとりもどすことは不可能だということを私たちは知っています。
こうなる前にやっておけばよかったな、と思うときにはすでに遅いのです。
このままじっと待っていてイラクの状況がよくなるだろう、と思えるほうが不思議です。
イラクどころか周りの国の状況ももっと悪くなるのを待つ、というふうにしかわたしには思えません。
思い出してみてください。9.11事件をバネにして、「長い戦争になる」とブッシュ大統領が言ったことを。 「オサマ・ビン・ラディンをだせ。ださなければ、攻撃する。」とアメリカが言った時、アメリカを信じている楽天的なひとたちは、
「まさかアメリカがそんなにひどいことはしないだろう」とおもったことでしょう。
実際攻撃が始まると、「ターリバン政権が悪いのだから、まあ仕方がない。」と人殺しが悪いとわかっていながら無理やり自分を納得させたのではなかったですか?
今回のイラクにしても、イラクが査察を受け入れひたすら忍耐していたとき、世論の反対も多いし国連も認めないほどの悪いことをまさかアメリカはしないだろう。
今度はアメリカは断念するだろう、と思ったひとは多かったのではないでしょうか?
でも、「大量破壊兵器を持っているから、攻撃するのだ。」と。
結果は今わたしたちの目の前にある通りです。そして、始めてしまったのだからしかたがない...と。
「アフガニスタンのこどもたちを殺さないで!」とついこのあいだ叫んでいた私は、今は「イラクのこどもたちを殺さないで!」と叫んでいます。
大量破壊兵器が見つからないので、今度は、「シリアがイラク政府の要人をかくまっている。大量破壊兵器も運びこまれたのだ。生化学兵器も持っている。」と難癖をつけはじめています。
そして、その次は...叫ぶ国名はどんどんかわっていきます。理由は滅茶苦茶です。
過去のアメリカの武力行使をすべてをあげていけば、それだけでもう書くスペースはなくなります。
3月26日付けのメッセージで、私は「イラクのひとたちは、あなたがたのペット以下なのですか?」と書きました。
確かにアメリカにとって、意思をもつ人間はペットより都合の悪い存在なのでしょう。
日本のように資源など無い国は、おとなしく従順に言うことをきいていれば、つぶされはしないかもしれません。でも、わかりません。
大きく腕力のある乱暴な子が、腕力のない子にめちゃめちゃな暴力をふるっていたら、そばで「すごい、かっこいい」と言って強い子を褒め称えましょう、というような教育をわたしたちは子どもたちにしているのですね。
「いじめをなくしましょう。ひとに親切にしましょう。」といいながら「これはたてまえというものです。もっとずるがしこくなりましょう」とこどもたちに大声で言っているようなものです。
いや、やりたい放題するためには、腕っぷしを強くすれば良いのだということをアメリカは示し、日本政府はそれを称えているのです。
政治のことは、私たちの生活のレベルでの話ではないから・・なんて言っていられますか?
私は母親として、自分の娘にそのような教育を絶対にしたくありません。
バグダッドでの略奪にアメリカも手をやいている。略奪を米軍が阻止できなかった事実は重い。大方のメディアはこんな論調です。
びっくりするでしょうが、真相は以下に添付したグローバル・ピース・キャンペーンからの転送記事の中にあると思います。
少し長いですが、最後まで読んでください。
アメリカはなんでもやるだろうとは思っていましたが、これほどまでにイラクの人々の身も心もずたずたにしているのです。
そして日本ではメディアの報道を鵜呑みにしている人たちが、このごろ「イラクのニュースが少なくなったわね。だいぶ落ちついてきたのかしら、良かったね。」などと言っているのを聞いて身体が震えてくるのを感じます。
ことばに尽くせないほどにひどい目に合わせた人たちを、さらに、メディアの嘘で何重にも辱める。
それが、石油省の建物だけはがっちり守っている「民主主義国家アメリカ」のやりかたです。
「ブッシュ米大統領は16日、イラクに対して国連が科している経済制裁について、「イラクが解放された今、国連は経済制裁を解除すべきだ」と述べた。」ということです。
当然解除すべきですが、これまで12年間制裁で民衆をとことん痛めつけてきて、自分の統治下になったら歓迎してもらうために解除しろというのです。そもそも、アメリカが国連にさせた制裁です。さも自分のせいでないような言い方は、傲岸不遜としか言えません。
アメリカのいうことを楽天的に信じている人たち、目をさましてください!
本当のことを知らないでいるうちに、いつのまにか加害者にされてしまっていいのですか?
2003.04.17 ヤスミン植月千春
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■バグダッド略奪は米軍が引き起こした■
TUP速報から(※TUP=平和のための緊急翻訳チーム Translators United for Peace)
オリー・ローゼンボーグ
4月11日、ダゲン・ニエター紙(スウェーデン)
カリード・バヨミは、アメリカ軍指揮官が、「我々にはバグダッドの略奪を阻止する手だてがなくて困っている」とテレビで不平をもらすのを見てびっくりした。
「私は、米軍部隊がイラク人たちに略奪に走るよう仕向けている現場に、たまたま居合わせたのです」
カリード・バヨミは「人間の盾」になるため、ヨーロッパからバグダッドに向かい、現地に到着したその日に戦争が始まった。彼は戦争体験だけでも多くの証言ができるが、最も興味深いのは、略奪勃発現場での目撃体験についてだろう。
「私は、チグリス川西岸ハイファ大通りのちょっと向こうの貧民街近くにある友人に会いに行っていました。それは4月8日のことで、戦闘があまりにも激しくなり、川向こうに戻れなくなりました。
午後になると戦闘が止んでまったく静かになり、そこへ4台のアメリカ軍戦車が貧民街の境に移動しました。米兵はハイファ大通りの向こう側にある自治体行政府ビルの門前に立っていたスーダン人警備員二人を撃ち殺し、行政府ビルの扉を粉々に破壊しました。その後、戦車の中から貧民街に隠れている人々に向かって、アラビア語で、近くまで来るように熱心に誘う声が聞こえてきたのです。
午前中いっぱいは、大通りを横切ろうとする者は誰でもみな撃ち殺されていたのに、米軍の通訳は、今度は近くに寄るように誘うのです。銃撃戦も終わり、何とも言いようのない静けさがしばらく続きましたが、家々に隠れている人々はその誘いに、徐々に好奇心を持ち始めたのでしょう。
45分後には、最初のバグダッド市民が思いきって家から出てきました。すると、戦車に乗っているアラビア語通訳は、近くに寄ってきた市民たちに、行政府ビルの中に入っていって、何でも好きな物を手当たり次第に持ち出してもいいぞと奨励したのです。
この指図はあっというまに広まり、ビルの中のすべての物が奪い去られました。警備員が米兵に撃ち殺されたとき、私はその300メートル側に立っていたので、状況をはっきりと目撃できました。その後、米戦車は近くにある法務省ビルの入口を破壊し、そこでもまた略奪が引き続きおこなわれたのです。
私は大勢の見物人たちの中に立ち、この略奪劇を一緒に見ました。見物していた群衆は、略奪には参加しなかったけれど、それを止めようともしませんでした。
多くの人々の目には、恥の涙があふれていました。
翌朝、略奪の波は、400メートル向こうにある現代美術館にまで広がっていきました。そこでもまた2種類の群衆がいました。略奪にせいをだす人々と、それをむかつきながら見物する人々です」
「バヨミさん、ではあなたは、アメリカ軍部隊が略奪の口火を切ったと言うのですね?」
「まったくそのとおりです。喜びにあふれたバグダッド市民が路上でお祝いする場面が見つからないものだから、米軍にとっては別な形で、市民がサダムを憎んでいたという証拠の映像を流す必要があったのです」
「でもバヨミさん、バグダッド市民は、サダムの大きな銅像を引き倒したじゃあないですか?」
「あれを、本当にバグダッド市民が自発的にやったと思っているんですか?銅像を引き倒したのはアメリカ軍の戦車です。それも、報道陣が宿泊しているホテルのすぐ側でです。
あの銅像引き倒しがあったのは、4月9日なのですが、それまで私は誰一人としてサダムの肖像を壊しているのを見たことがありません。もし人々がサダムの銅像を引き倒したいのなら、米軍戦車の助けなんか借りないで簡単に倒せる小さなやつから始めるわけじゃあないですか。
もしバグダッド市民が政治的な暴動を起こしたかったのなら、まずは銅像を引き倒して、その後に略奪が始まったはずです」
「でもまあ、サダムがいなくなって、よかったじゃあないですか?」
「サダムは消えてはいませんよ。彼は自分の軍隊を、ごく小さな部隊に小分けしたのです。だから、大きな戦闘が起こらなかったわけです。公式発表では、サダムは1992年にすでに大部隊を解散させています。彼はそれに並行して、イラクでは圧倒的な決定権を有する部族機構を再編しました。
アメリカがこの侵略戦争を始めたとき、サダムは国家組織を完全に放棄しました。
そして今は、部族機構に頼っているのです。だから、彼は戦わずして大都市を捨てたわけです。
イラクを統治する政治組織が壊滅した今となっては、アメリカはすべてを自分たちでやらざるをえなくなっています。国外から送られてきたイラク人の二人は、あっというまに殺されました。
(二人とは、デンマークから帰国したナザル・アル・カズラジ将軍と、シテ回教徒指導者のアブドル・マジド・アルコエイ師を意味する)
彼らはアメリカの傀儡として送り込まれたとみなされ、激怒したナジャフの群衆によりナイフと刀でずたずたに切り裂かれてしまいました。
オランダの新聞、BT紙によると、アル・カズラジ将軍はCIAによりデンマークからイラクに送られたそうです。
イラクでは今、いつまで居座るか分からない占領軍が駐留しています。米軍は民主選挙の期日も、市政統治計画もまだ発表してはいません。こんな状態では、想像できないくらいの混乱が起こる恐れがあるのです」
(翻訳・パンタ笛吹)
このインタビューは、ストックホルムに本拠を置くスウェーデン最大の新聞、ダゲン・ニエター紙4月11日版に掲載されたものである。この記事はオリー・ローゼンボーグにより書かれ、ジョー・バラセックにより英訳された。
カリード・バヨミは、ランド大学で10年間、中近東問題について研究し教鞭をとった。彼はこのインタビューを広範に広めることを許可している。
http://www.dn.se/
*上記はダゲン・ニエターのURL(スウェーデン語)
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■バグダードの目撃者■パレスチナ・フォーラムMLから
米国のCIAと海兵隊はバグダード中央刑務所を解放し、収容されている刑事犯や窃盗犯に略奪や暴動をそそのかす。
弾幕のごとくイラクから日々伝えられるニュースがパレスチナや他のアラブの国々で観察している人に伝えられるにつれて、イラクの国の象徴や大学さらに歴史というものが汚され略奪されているのを見ることに多くの人々は深い悲しみと苦痛を感じている。現在、アラブ世界ではアメリカ占領軍が意図的にイラクの多くの都市において、この無法状態、無秩序状態をそそのかしているというは常識的になっている。
イラクで現在進行していることに関するアラブのメディアからのニュースを観察するとそれは他の国際的な情報筋特にアメリカのメディアからのものと異なる。
略奪が行われているときに撮影されたアルジャジーラTVでは一人のバグダード住民がインタビューで、アメリカ海兵隊とCIAの諜報員がバグダード中央刑務所の扉を開け、全ての囚人、多くは刑事犯や窃盗犯の類が解放されたと証言した。
その住民は「海兵隊が約300人の囚人を引き連れ、この政府の合同庁舎に放ち、中の全てを破壊させるのを私はこの目で見ました」とも述べた。
さらに彼は怒り、確固たる調子で次のように付け加えた。
「私たちはイラク人であることを誇りに思っています。私たちの価値観ではこのようなことは許せません。それはアメリカ兵が意図的にさせているものなのです。
イラク人はこの様な悲惨な戦争を私たちにもたらしたことで、これらの兵士達を放逐し、殺すでしょう。」
英国王立国防学研究所の所員でイラク系英国人で、最近のイラク戦争に関するゲストとして、しばしば多くのアラブ系メディアに登場しているムスタファ・アル-アンニ博士は次のように述べている。
「私たちが今見ている略奪や強奪はアメリカによって計算された政策の一つである、それは国家としてイラクに何を残すかという破壊そのものであり、イラクの人民に絶望とあきらめをもたらそうとする意図的な行動である。」
その結果、イラクの人々はアメリカによって数週間後に強制される政治体制がどんな形態であろうと容易にそれを受け入れるであろう。
彼はさらに付け加えて言う。
「私は確信しています。CIAと海兵隊はこの混沌とした状態、無政府状態に積極的に関わっていることを。アメリカ人達はバグダード中央刑務所に押し入りあらゆる種類の犯罪者を解放したのです。」
アル-アンニ博士は話を続けた。
「アメリカ人は少なくともバグダードや他の諸都市を征服した後の数日は戒厳令を引くべきでした。なぜ彼らは警察力を導入しなかったのか?彼ら(アメリカ人)が一般の人々にある程度の治安を確保する妨害に対する戦いを計画することが出来るのであれば、占領軍として国際法の下で現在占領下にある人々に基本的に必要なものや安全をもたらすのは彼らの責任ではないだろうか。」
このゲストは略奪者たちが内務省に入った場面を見て次のようにもコメントした。
「ここはとても重要な省です。ここにある記録(*が失われること)はイラクにとって大きな損失になることは確実です。今、例えばアメリカ人はどんな部外者でも連れてきて非合法的にその人をイラク市民とすることができるのです。ご覧ください。記録は破壊されつつあります。アメリカ兵は見ているだけです。また病院や大学も破壊されつつあります。それは将来アメリカの企業にその施設を好きなように再建築する契約が与えられるということなのです。それはイラクに対する広大な戦略なのです。」
2003年4月12日
B.サーメド
Reported by,B.Samed
April, 12th., 2003
週末、私は香川県の歴史博物館で催されている「大トルコ展」のオープニングでカーヌーン演奏をさせていただいてきました。
歴博の方々の温かい心に支えられて、本当に良い雰囲気のなかで演奏することができました。
雨にぬれた栗林公園の新緑の木々や瀬戸内海からの風、それになにより演奏をサポートしてくださった方々、私の演奏を聴いてくださった方々の「とてもやすらぎました」という言葉、慌ただしいなかでわざわざ交流の機会をもうけてくださったムスリムの方々とすごしたひととき、など本当に私に力を与えてくださることばかりでした。
明日イラクにむかう私に神様はなんという素晴らしいプレゼントをくださったのかと、感謝の気持ちでいっぱいです。
常に神さまの方をむいて生活する中に偶然というものは存在しない、と私は信じて生きてきました。
世の中がこのように、世界規模での戦争の方向になだれをうちはじめる直前に、私はイスラームを知り、入信しました。
それまでの人生で私が考えてきたことの当然の帰着点でした。この世の中にある不平等に接するたびに、堪らなく悲しい思いをしてきたわたしにとって、はじめてそこに平安を見いだすことができたのです。
それからクルアーンの勉強をはじめ、いままで読み漁ってきたどんな哲学書よりも説得力のあることを実感しました。
そのはずです。クルアーンは人間の言葉ではなく、預言者ムハンマド(彼に平安あれ)をとおして語られた神の言葉であるからです。
それまで、どんなに尊敬する哲学者の著作や宗教書を読んでもどうしても納得できなかったこの世界での疑問が納得できたのです。
それは疑問がなくなった、ということではありませんし、世の中にある矛盾にたいする答えがわかった、というようなものではないのですが、このことについては、私の宗教観に関することですのでここでは書きません。
ただ人間の目でみることができるこの世界の事象だけで物事を判断することはできない、ということは明確に感じています。
とにかく、クルアーンの勉強を始めたことも、アラビアの琴であるカーヌーンを弾くようになったことも、実際にイスラームの生活をしている人たちの国に行き、イスラームのひとりとして彼らの中で話をしたことも、イスラームを身体で感じるのに大きな影響を与えました。
それまで、私が、私が、とひとりで頑張ることばかり考えていたのですが、無理しないでできることをしていれば道は開けるし、兄弟姉妹たちも支えてくれている・・に変わっていきました。
人間がいかに弱いものであるか、でも弱いが故に神さまの愛にすがることができる、という恩恵を与えられているのだと知ることができました。
ブッシュ大統領のように自分を強いと信じているひとたちの信仰は、神さまの愛にすがるというようなものではなく、自分が神に選ばれているのだ、というような奢ったもののように思います。
それは絶対者である神にたいしての冒涜であり、信仰ではないと思うのです。
優しく聡明な友人たちが、イスラームに対する戦争のことになると、自分の内なる良心よりも西洋的な論理を必要とし始めることに驚きと失望を禁じ得ません。
すべて自分の良心と対話しようとする人は、イスラームに最も近いところにいるのですが、そこに自然な優しさのかわりに西洋的解析論をもってくることによって、すぐ近くにあるはずのイスラームが遠ざかってしまうのではないでしょうか。
理解できる範囲の知識で自分自身をなんとか説得できればいい、というものではないと思うのです。
そういう私は、もうイラクの人たちの気持ちと離れたところでこんなことを書いている苦しさの限界を感じています。書くことが何か力になっているのだろうかというむなしさにもとらわれています。
今、イラクでは、医薬品、麻酔が極端に不足している状態だということです。しかも、治安が悪く届けることが非常に難しい状態にあるそうです。
いつもいつも私を支えつづけていてくれる私の家族と私が家族だと思っている人たちを心配させるのは本当に心苦しいのですが、明日私はイラクにむかいます。イラクの人々に会いにいきたいのです。イスラームであることで私でも何か役に立てることがあるかもしれないからです。そして、今の本当のイラクの人々の状況を自分自身で確かめたいのです。信仰を通じて親交を深くさせていただいてきたジャミーラ高橋さんと中東行きをご一緒できることになりました。
アメリカがこの滅茶苦茶なイラク攻撃をはじめてからずっと私のメッセージを読んでくださることで、わたしを支えてきてくださったみなさんに、帰ってから、私の目で見たイラクをお伝えできることを願っています。
帰国日程は今のところわかりません。衛星電話を手にいれることができなかったのですが、もしなにか手段があれば中東からもメッセージを送りたいと思います。