元バイアスロン選手(2013年スポーツ科学部卒業)
北海道俱知安町出身・在住。在学中はスキー部に所属し全日本学生スキー選手権で優勝するなどクロスカントリー競技で活躍。卒業後自衛隊に所属するとともにバイアスロンに転向。2018年平昌、2022年北京のオリンピック2大会に出場した。現在は現役を引退し日本バイアスロン連盟の委託コーチとして活躍されている。
たくさんの要素が嚙み合わないと勝てないところが魅力的
―まずバイアスロンという競技についてどういう競技か、またその魅力を教えてください。
バイアスロンは、ライフル射撃とクロスカントリースキーを合わせた競技です。ライフル銃を背負い、決められた回数スキーを周回します。周回ごとに5発射撃をし、外した数分ペナルティとして距離(または時間)が追加されます。最終的には着順を競います。
この競技は、走るのが速いだけでも勝つことができません。加えて、レースの際は、10〜15本位の板の中から、その日の雪質に合わせたスキーの硬さ、滑走面、ワックスなど無限の選択肢の中から考えるなど、たくさんの要素が噛み合わないと勝てないところが魅力です。また、今回より次の方がもっと…(良い結果、選択を)と思えるところに中毒性があるところが魅力かな、と思います。
※バイアスロン競技についてはぜひ日本バイアスロン連盟のHPをご覧ください。
―在学中はクロスカントリー競技をされていたということですがバイアスロンに転向された理由はなんですか?
初めてバイアスロンを知ったのは高校2年生のときに、フィンランドに1年間留学していた頃、友だちがなかなか日本では目にする機会がない射撃を近くでしているところを見て、おもしろそうだな、と思い、まずそこで興味がありました。
その後大学卒業後に、クロスカントリースキーを続けるか悩んでいる時に、自衛隊からバイアスロンで、と声をかけていただき、そのエンターテイメント性の高いところに惹かれたのが1番です。
―スキーには、フリースタイルなど様々な種類がありますが、その中でクロスカントリーから始められた理由はありますか?
私は倶知安町(北海道)出身なのですが、そこは雪がすごく多く、スキーが盛んな町で、幼い頃からアルペンもクロカン(クロスカントリー)も両方やっていました。クロカンは兄もやっていて、付いて回っていたらクロカンをやっていたというところが最初で、そのうち仲間も次第に出来、その仲間たちと走れるのが楽しい!というのが最初のきっかけだと思います。
―現在はコーチをされているということですが後輩や今後に期待することは?
私自身スキーを通して良いことも悪いことも経験をさせてもらってきました。それで自分の人生が豊かになっていると思っているので、今後は誰かの人生が豊かになるきっかけを与えられるようになりたいな、と思っています。自分が辿り着いたところ、そのちょっと先のところまでは見えている、というのはあるので、後輩たちには、自分より高い位置に行ってもらえるようにできることを伝えていけたらな、と思います。
―バイアスロンをより多くの人に知ってもらうためには何が必要だと思いますか?
バイアスロンはなかなか出来る、触れる機会が少ない、そして環境がないと思うので、バイアスロンに触れられる機会を設けることや、そこで興味を持ってくれた子が続けられる環境を作って行きたいと、今思っています。また、日本でもっと盛り上がるためには、やはり結果が必要だと感じていて、そこで結果が出るとバイアスロンの魅力が日本に伝わるのかな、と思います。
―ちなみに、今注目している日本の選手はいますか?
2022年の北京オリンピックメンバーは、平昌(2018)に出ていた選手とほとんど同じだったんですけど、北京が終わって、今度はメンバーが大きく変わりました。なので、2022年は若手にチェンジした年で、日本チームは頑張っているところです。
その中で地元の後輩でもある福田光選手は練習を見ているところもあって応援したいな、と思っています。あと、早稲田大学在学中でスキー部の佐々木美紗選手も注目していて、出身の町が一緒のこともあり、本当に小さい頃から知っている後輩なので、その子がスキーを続けてくれて、その先でバイアスロンを選び、そして早稲田に進学してくれて、私と同じようなルーツで来てくれているのも嬉しく思っています。そして2022年に初めてナショナルチームに選ばれて戦っており、佐々木選手の未来も楽しみだな、と思います。
―日本のバイアスロンの選手と海外のバイアスロンの選手との大きな差は何ですか?
日本は、自分が(1番に)個人でもチームでもなれると思えている選手が少ないと思います。その理由にも、幼い頃から射撃経験がなかったり発走力でパワーが足りなかったりと色々細かいところはありますが、それを含めて、自分が1番になれるという気持ちが必要かな、と思います。
―海外の選手は小さい頃から射撃やスキーをやっていた方が多いのですか?
そうですね、日本だと(法律で)18歳以上でないと射撃を行えないのですが、海外だと6歳くらいから空気の小さい銃が撃て、16歳から実弾が撃てる国もあります。国によって様々ですが、幼い頃から仲間たちと一緒に練習や競技をし、その緊張感から勝ち上がる経験も多いのです。日本でいう野球みたいな、底辺がたくさんあってその中でいろんな局面を乗り越えていくみたいな、そういう選手が強いな、と思います。
―オフシーズンの生活や自衛隊と競技の両立について教えてください
シーズン的には3月に帰国して4月がオフという感じなのでゆっくりして、5月くらいから山に行けばまだ雪があるので残雪でスキーにのって、夏場はひたすらいろんな方法で体を鍛えて、山に登ったり自転車に乗ったり走ったり、ローラースキーという板にタイヤがついていてスキーと同じ靴を履いて滑るものでそれにのって、アスファルトの上を滑っていました。コロナになってからは行ってなかったのですが1か月~6週間海外に行って標高3000mくらいの氷河に上がってスキーにのったり、秋も合宿したりという感じで、平昌オリンピックの前は月の半分くらい合宿していて、シーズン中は大抵ヨーロッパや北米で試合があるので家にいたのは1年であわせたら2~3か月くらいかなという感じでした。
自衛隊入隊時には自衛官として知らなければいけないことを教えてもらう教育があったり、射撃や体力の検定があったり、結婚前に入っていた女性自衛官寮では一般隊員と生活をするうえで反を組んで掃除をしたり、結婚後は通勤時に迷彩服を着たり、など最低限自衛官を感じる瞬間はありましたが、仕事としてトレーニングをさせていただいていたので『両立』という感じではありませんでした。
ただ、競技者としてあるべき姿は自衛官としてあるべき姿でもあるので持つべきマインドは異ならないと思っています。