震災から復興する宮城で感じた東北の人のパワーと、「奇跡のデニム」
―私たちの卒業後10年間は、東北が東日本大震災から復興しはじめた期間と重なります。近くで見ていて印象に残ったことは。
僕が仙台で働きだしたのは震災から2年後の2013年でしたが、目に見えない影響が色々と指摘されはじめた頃でした。地元の企業が体力的に弱ってしまったり、人々の「心の復興」が叫ばれるようになったりしていました。
実は当時もまだ震度5程度の余震が頻繁にあったんです。県内で震度5弱以上の地震があると緊急出社しなければならないんですが、入社1年目からそういった状況に置かれ、不安に感じたこともありました。
沿岸部の取材にもたくさん行きましたが、東北の人のパワーはもの凄いなと日々感じます。東北の人は控えめ、遠慮深い、親密になるまで時間がかかるなどとよく言われるんですが、その分親密な関係になると本当によくしてくれます。忍耐力もあって、内に秘めるパワーがすごいです。
例えば、沿岸部で旅館を経営していたが津波で全て流されて更地になってしまった。でも復興商店街で仮設営業を続けて、「絶対同じ場所で同じ規模で再開するぞ」と言って本当に実現したケースをたくさん見てきました。凄いパワーがないとできないことだと思います。
また、東北の方がよく言うことに、今のコロナ禍の落ち込んだ状況は震災後の状況にとても似ているという話があります。自粛、自粛で経済も回らなかったり。でもあの状況を一度経験しているからか、逆境に打ち勝つすべを皆さん知っているのかなと感じます。決して暗くならずにやっている方が多いように思います。
―「奇跡のデニム」
取材した中で1つご紹介したい事例があります。
気仙沼市にオイカワデニムという小さなデニム工場があるんですが、震災前にSTUDIO ZEROという自社ブランドを立ち上げました。すると技術力の高さが評価され、海外の有名ブランドから縫製の依頼が来るなど、リアル「下町ロケット」のような会社でした。
震災の津波でデニムの保管庫が流され、何万本というデニムも流されてしまったんですが、何とか40本くらいかき集めました。すると、デニムはドロドロになっていたものの、糸1本ほつれていなかったんです。このデニムはメカジキの角を素材に使っていて、非常に丈夫だそうなんですが、「奇跡のデニム」と呼ばれて有名になりました。
幸い工場は高台にあったため津波を逃れることができ、一時的な避難所になっていました。避難所にいた人たちは、暖を取るためにダンボールを敷き詰めて、その上にさらにデニムを敷いたそうです。このデニム生地が結構暖かくて、絨毯代わりになったと聞いています。皆さん何日もそこで肩を寄せ合って、暖を取って過ごしたそうです。
オイカワデニムは僕も愛用しているんですが、こういうエピソードを聞くとすごく思い入れが湧きます。
スポーツの「歴史的な瞬間」に立ち会いたい
―今後の目標は。
スポーツで歴史的な瞬間に立ち会いたいです。自分だけの力ではできないですが、先ほどのようなハプニングではなく、感動的な瞬間に立ち会いたい。
実は今年1つ叶いました。夏の甲子園で仙台育英高校が東北勢初の日本一になり、その瞬間を目の当たりにすることができました。
7年前に仙台育英が準優勝した時も甲子園で取材をしていて、選手の親御さんと一緒になって「惜しかったですねぇ」と言って泣いていました。選手たちに張り付いて取材をしていると、親御さんとも仲良くなるんです。
その経験があったので、宮城県勢の初優勝を目の前で取材したいと強く思い続けていました。高校野球の100年の扉が開いた歴史的瞬間でした。
今度はプロスポーツで、そのような瞬間に立ち会いたいです。楽天イーグルスが優勝したのは2013年。それ以来まだありませんから、その瞬間を実況したいです。
あるいは相手チームでも、例えば佐々木朗希投手の2度目の完全試合を実況したとか、誰かのノーヒットノーランを実況したとか、後に語り草になるくらいの瞬間に立ち会えたらなと思っています。
―リカレント教育などが話題ですが、学び直してみたい分野は。
関わることが多いので、気象の勉強はしてみたいです。気象予報士を目指すほどではないですが…。
それから、微分積分とか、大学の受験勉強の頃にやっていたことをもう一度学んでみたいなと漠然と思っています。学園祭の取材に行った時に赤本を配っていたので見てみたのですが、全然できなくて(笑)。人間の記憶って、こうも薄れるものかと思いますね。
―AIのアナウンサーが登場していますが、人間のアナウンサーならではの魅力は。
AIアナウンサーも、出始めの頃に比べたら発音も流暢になり、人間さながらになってきています。表情も豊かになり、今後もっと出てくるかもしれません。そんな中で人間ならではと言うと、原点に戻ることだと思います。
これは地方局の特徴だと思いますが、入社1年目は地元の人に顔と名前を覚えてもらうところから始まります。特に僕みたいに県外から来て、どこに何があるかわからないと尚更です。地元の人の当たり前を知らないので、そこを知るところからスタートです。先輩に教えてもらった地元の人に馴染みの店に行くとか、スポーツの取材に行って選手に顔を覚えてもらうとか。会社のイベントがあれば、色々な人に声をかけて覚えてもらいました。いわゆる「足で稼ぐ」ということです。
どこかに足を運んで話を聞く、何かを食べて「美味しいですね」と言って店の人と話すなど、コミュニケーションをとれることが人間ならではだと思います。
早稲田というだけでコミュニティが作れる。どこにでもいてくれる安心感
―身の回りで「早稲田」を感じたときや、早稲田出身で良かったと思うことは。
皆さんそうだと思いますが、どこにでも卒業生がいることです。社内にも稲門会はありますし、たまたま同じ大学卒業というだけでコミュニティができて、飲み会の口実ができてしまいます(笑)。入社1年目には在仙台の稲門会にも呼んでいただき、コミュニティ作りという意味でとても助かりました。
―2013年次の同期にメッセージをお願いします。
僕はこの10年間同じ仕事を続けてきましたが、今は企業も従業員も終身雇用の概念が薄れてきて、転職している友だちもたくさんいます。そうやって新しいことにチャレンジして活躍している同期を見ていると、憧れもあるし刺激にもなります。アナウンサーって意外と狭い世界なので(笑)。
皆さん、宮城県、仙台には美味しいものがたくさんあるので、ぜひお越しください。
そして、その際は、ぜひ1チャンネルをご覧ください!!
林田さん、ありがとうございました!