日本にはもともと、

幸福の概念がなかった

バンディ石田

バンディ石田 何もないのに すべてがある

聞いた話やけどさ

幸せになりたいと

言うやろ?

ほんならさ 心の裏っからじゃさ

幸せにに対立して

不幸せちゅう概念も目覚めるやろ?

まあ 反対する人もおるかもしらんけどな

これは 事実そやと思います、

幸せと 不幸せは

コインの裏表やからさ

そんでな 僕ら 日本人には

幸福ちゅう 概念が

昔は もともと、なかったと言う話を聞いたんよ 明治以前のことやろか?だから、西欧から、入ってきた概念なんかもしれんな。

ほんなら、それに替わる概念は何か?ちゅうたら

機嫌がよい ちゅうことらしいねんやんか。

えー それは 幸福とちゃうんけ?

と 思うけどさ

老子の 無為自然に近い感覚でさ

無根拠 無目的に

心地よい ちゅうことらしいわ

それは なんにもないのに すべてがある

の 感覚やと 思うねんな

マインドフルネスに近いね

今 ここに いて

自然か?

気分ええか?

不快でも それと 一体化してるか?

ちゅうことやと 思うんよ

マインドフルネスは

西欧から入ってきた

禅の 逆輸入やね

僕は なんにもないのに すべてがある

ちゅうのは理想ではあるけど

なるだけ そうで

ありたいと思うねん!

だって 幸福は

条件がいるやんか?

恋人はいるか?

友達はいるか?

お金はあるか?

仕事はあるか?

名誉はあるか?

見た目はいいか?

全部なくても

機嫌よくしていたいもんな