究極の問い

バンディ石田

なんにもないのに すべてがある


究極の問いは

なぜ この世界が存在して

なぜ 私がこの世界に存在するのか?

ちゅうことです

そんなことは 誰にもわからんから

考えてもしかたがないのですが

考えてしまいます

実際は 役に立たん時間の浪費なのです

しかし その無駄な時間の浪費をすることで

フィジィカルな 悩みは軽減すれことも事実です

なんにもないのに すべてがある と

口で言うのは簡単ですが

感覚を得られるのは

ごく わずかなチャンスです

プロセスは 一人でいるのに みんなといる という感じになって

そこまでは僕も 時々あるのですが

おそらく 次は

私がないのに 世界がある の 感じになるんやと思います

それは きっと 自分が世界なんか? 世界が自分なんか わからん 一体感みたいなもんやと 思います

そうやって また

リアルな 社会生活に戻るのやと 思います

そういう なんにもないのに すべてがある みたいな感じになれても

現実は 何も変わりません

何事も 思うようにはいきませんが

そんで ええのや と 思うのです

電車の中 究極の問いについて 考えてみました

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