東京労釣連の歴史

東京労釣連50周年のあゆみ

釣りの楽しみは奥深いものがあります。行事計画を毎年積み重ねて、釣る魚によっての対処の仕方を考え、次の釣りに生かすことを大切な活動にしています。個人が単独でする釣りも楽しいものですが、団体として大会の準備も考え、役割分担を決めてやることで釣り活動周辺の、例えば自然を守る活動などに加わることができます。こうした活動を続けてきて、2018年には50周年を迎えました。2018年11月18日に創立59周年記念祝賀会を持つことができました。下記はその際制作したスライド「東京労釣連のあゆみ」です。

労釣連50あゆみ

十年前を振り返って

「東京労釣」発足のころ 永田 一脩( 10周年記念誌「この十年」から )

一九六六年二月二七日号から赤旗・日曜版が増ページになって、つり欄が作られた。その号に私は「ヤマメの餌づり」という記事を書いている。 「同和会」から「磯釣同和会」を作って、「全磯連」に入って、文化部で十六ミリーカラー映画の撮影・製作をしていたが、それも一段落ついて、当時は「リアリズム写真集団」の副会長をやっていた。

戦後、磯づりを中心につりをしていたが、日ごろ考えていたのは、つりというレクリエーションの場には、右翼もファシストもあらゆる思想の人が集まっている。そしてつりの会では誰れもが、思想的な話はいっさいしない。しかし、行動や会の運営には、どこかにその人の影がうつし出されてくる。だから時として民主主義に逆行する場合があるのだ。また一方に資本主義の圧力がある。だから一本の映画を作るにも、つり具メーカーの協力を得なければ出来ない。それではつり具商の宣伝映画に終ってしまうではないか。 たんとかして民主主義的痙、つり人同士の集りはできないものだろうか。同じ考えの仲間は何万といるはずだ。そういう会ができれば、本当に楽しいつりができるし、わが国のつりを、時代にそった方向に進展させることもできるだろう。そんな気持で私はつりをし、日曜版の記事も書いていたのだった。

幸に日曜版のつり係には木谷八士氏がいた。そのころ木谷さんとどんな話をしたか覚えていたいが、結果は一九六七年十一月三日の「赤旗日曜版賞「ゼつり大会」になって表れた。これは「東京勣労者つりの会準備会」でもあって、「東京勤労者つりの会」の黄色いのぼりが、ちゃんと出来ていた。これは加藤さんが作っていたのに違いない。 そして翌一九六八年三月八日の渋谷、全金労働会館での「東京勤労者つの会」の結成となった。この時には本当に「俺たちの会ができたんだゾ、という気がした。 会の本当の勝負はこれからだろう。