依頼主の思い出や場の記憶を井戸に
立て続けに起きた能登半島地震と豪雨により民家や納屋は甚大な被害を受けました。
建物が倒壊したために解体を余儀なくされ、思い出の品々をとっておく場所も無くし、泣く泣く処分されることが多々起きています。
「ほんの少しでもいいから、依頼主さんの思い出や変わっていく場所の記憶を井戸に留めることはできないか。」tsu.ku_l代表の中村は美術作家としてのこれまでの経験を生かし、依頼者さんから聞き出した思い出と品々を用いて、「能登わっしょい」で掘った井戸を、「アートな井戸」として仕上げる活動をしています。
Sさんの亡くなられたご主人の編んだ縄、縄編み機の歯車、趣味の釣りのルアー、倒壊した納屋の瓦などを使って制作。小学生も使うということから、楽しい雰囲気の井戸に仕上げました。Sさんは涙を浮かべ嬉しそうに、今は亡きご主人の品々が使われた井戸を、訪れた人たちに説明していました。
地域の歴史に詳しいHさんによると、ここはかつてH家が営む塩田でした。海水が結晶化して、太陽の光を浴びてキラキラ光っていたことでしょう。それが明治の初めに塩田整理によって姿を消し、今は畑になっています。かつて珠洲の海で使われていたガラスの浮きと、ガラス玉を使って、Hさんに畑を教えてくれた亡きおばあちゃんの使っていた鍬や鎌が結晶化したようなアートな井戸に仕上げました。
1964年から2005年まで穴水と蛸島を結んでいた「のと鉄道能登線」。全30駅のうち、旧上戸駅前にのみ井戸がありました。駅前だが厳密には区長さんの私有地で、かつて井戸の隣にはトイレがあり、町の婦人部がトイレ清掃や花壇の水やりに井戸を使っていたそう。錆び付いて使えなくなっていた井戸を修理し、線路のバラストを思わせる石をまとわせました。
夏は家の田畑を営み、冬は出稼ぎに出る、というのが能登のかつての暮らしで、出稼ぎの花形のお仕事が杜氏でした。Tさんのお義父様とお祖父様は能登を代表する杜氏で、親子2代で滋賀の酒造会社に勤められました。勤続25年記念で酒造会社から送られた火鉢と、令和5年5月5日に起きた地震の際に取り外されていた鬼瓦を使用し、シャンパンタワーのような井戸を制作。上から下へと流れる水は、命や教えが次世代へと受け継がれていく様をイメージしています。
人通りの多い三叉路前の井戸。Dさんは盆栽好きで、いつも花を植えて通りを行き交う人の目を楽しませています。そこに三叉路と同じ形をした、かつて家の梁だった部材をベンチとして配置し、その上にまるで盆栽から出てくるような井戸を制作。Dさんがここに毎年寄せ植えを施す予定です。ここを通りすがる人が、ベンチに座って思わず井戸端会議が始まる。そんな日常のシーンが生まれたら嬉しいです。
Cafe ANARCHYにある井戸。「せっかくならアナーキーな井戸にしましょうよ。」と、ご提案させていただいたところ、店主のOさんもご快諾してくださいました。店内にあった使われていないドラムセットを発見し、井戸にしました。ドラム叩きながら、水がジャーってでるような演奏をしてもらいたいです。「震災で暗いニュースばっかりだけど、こんな楽しい井戸があるといいね。」と地元の方に言っていただき、この制作がきっかけとなって、アートな井戸プロジェクトが始まりました。
メディア掲載
2025年5月20日
2025年5月22日