day 7
玉里 Yuli → 花蓮 & 宜蘭 Hualien & Yilan
玉里 Yuli → 花蓮 & 宜蘭 Hualien & Yilan
10月10日。玉里から出発します。経路だけは平凡ですが、特殊な行動を2度要求されるという意味で難しい日でした。
朝ごはんを食べた後、1, 2kmばかり南に引き返して、玉里の面白地理スポットに向かいます。なんとここ、ユーラシアプレートとフィリピン海プレートの境界が剥き出しになってて直接見られる現場になっています。写真に見られる大きな段差はプレート活動の爪痕なのでしょう。
。。。と言ってみましたが、自力で理解できたのはそれくらいで、実はどこが何なのかはよくわかりませんでした。間違いなく珍しいものを見ているはずですが、専門家の説明は欲しかったかもしれません。糸魚川静岡構造線をド派手に見られる現場はそうそうないことを考えると、この光景はダイナミックではあります。
さてプレート境界を観察したら出発です。玉里に宿泊した最後の理由は、次の街の瑞穂に向かう途中にある瑞穂牧場に向かうからです。その前に北回帰線のモニュメントを通過しました。4日ぶりに亜熱帯気候の土地に帰ってきました。しかし大変天気が良かったです。西側の山もどっしり構えていらっしゃいます。
この辺には舞鶴だの鶴岡だの、馴染みのある日本語の地名が散見されます(鶴岡は山形の地方都市)。前日は富岡も見かけました。こういうのを見るたび毎回ふふってなります。
瑞穂牧場につきました。台湾における普遍的な乳産業の担い手であります。牧草をむしゃむしゃ食べる牛さんを眺めてのんびりしたのち、とれたての牛乳、現地で作ったどら焼きとエッグタルトを食べました。大満足。なお、自分の体は牛乳に耐性がないことに1時間後に思い出すことになります
瑞穂の次に通過する町は光復です。この町は1ヶ月前の大雨で溜池が決壊したが故に大変な被害を受けたばかりでした。一つの大きなダメージとして、台9線の一部である馬太鞍溪橋(https://hakkanews.tw/2025/10/09/234181/)が丸ごと流されてしまった、というのがあります(上図黒バツ)。このことは事前に把握していたので、193線を走って迂回しよう、と思っていました(上図赤線)。
しかし、途中のVisitor Centerで休憩していたところ(牧場の牛乳を夢中になって飲んでたらお腹の調子が悪くなった)、スタッフのおばちゃんが話しかけてきて、
おば「台湾一周中?」わたし「そうだよ」
「光復大変だけどどうするの」「193通ろうと思ってる」
「それはあぶない、復旧作業のトラックがたくさん通っているから。光復駅に行って自転車ごと電車に乗りな」
という気を遣っていただいた提案をいただきました。そこで一旦光復駅に向かうことになります。
光復中心街。この日は決壊被害から数週間が経っていたのですが、道路は泥だらけ、路側にはメチャクチャになった家具や車が並んでいて、いまだに痛々しい光景が広がっていました。同時に、光復駅周辺は多くの人だかりができていました。決壊の被害以来、台湾各地から復旧作業に携わるボランティアが集っており、駅には電車に乗ってボランティアにやってきた人、食事やマッサージ等の休憩をとっている人で群がっているのでした。ボランティアにやってきた英雄に感謝の意を抱くと同時に、ただの旅人が自転車なんか持って電車に乗り入れるのはボランティアに邪魔ではなかろうか。。。という気持ちが出てきました。
そうこう迷いながら駅員と相談していると、「馬太鞍溪橋の仮の橋が今日の午後3時に開くぞ」という情報をいただきました。なんという奇遇。旅程が1日でも早かったら詰んでいたかもしれません。この仮の橋の開通を待って台9線を走るのが安全かつ走行経路もシンプルだと判断しました(下図赤実線)。まだ午後1時頃だったので、どこかで時間を潰してから再び光復に戻ってくることにしたのでした。
ここは呂品咖啡、台9線からはずれた田舎道にポツンとあるカフェです(https://maps.app.goo.gl/s9tLijd3T6ztFewP7)。ここでマスターと時折談笑しながら1時間ほどゆっくりしました。アイスコーヒーを頼んで台湾一周中だと話したところ、試飲用のホットコーヒー、せんべい、豆菓子もサービスでいただきました。大変嬉しい。
このマスター、11年前に台北から花蓮に引っ越してきて、ペットの犬とガチョウと一緒にこの静かな場所でコーヒーを提供しているようです。すぐそばを通っている193線という道路は自転車やバイクのライダーに人気の道のようで、そのような人がよく立ち寄るカフェのようです。田舎でスローライフを送りながらコーヒーを提供する。なんかちょっと憧れます。事実、僕は山と田んぼしか見えない場所というのが好きです。
(右に写っているのが自転車。光復を走ったら自転車も泥だらけになりました)
1時間もゆっくりすると体力も回復します。マスターに感謝の意を伝え、いざ出発です。光復に戻ってきてからはボランティアの方々に邪魔にならないようにすばやく通り抜けて仮の橋に到達します。ボランティア含め、復旧作業に携わる全ての人に感謝し北上していきます。
ここからはただただ走っていました。多くの人の心の温かさに触れたのは嬉しいのですが、今日の目的地は花蓮駅、まだ60kmもあります。しかもそこから電車に乗って宜蘭に向かう計画です。宜蘭のホステルに着く頃には夜遅くなっていることでしょう。時間が遅くなることを悔やんでも致し方ないので、寄り道せず進みます。壽豐で休憩したときに自転車の泥を全部拭き取る作業をしたのを除いて、ただまっすぐ進みました。下り基調だった気がします。そういえば道路案内の花蓮のアルファベット表記がFalienでした。どうやら客家の言い方らしいです。中国語の拼音はHuāliánなので、北京中国語と客家語のミックスで英語表記がHualienになってるのだ、と妙に納得しました。
19時前に花蓮駅につきました。伝説の鳥がいました。名前は知りません。この日は光復通過に加えて特殊な行動を取ります。電車による花蓮〜宜蘭スキップです。
台湾鉄道の列車には、自転車をそのまま持ち込める列車が存在します(サイクルトレイン。区間車と一部の急行が対象)。対象の列車に乗る際に子供料金を追加で払うのみで持ち込めます。これが最もシンプルな乗車手続きかと思います。しかし19時台のサイクルトレインは自転車持ち込み用のチケットが売り切れてしまっていました。次のサイクルトレインは20時半。待つのだるいし宜蘭22時過ぎにつくことになる。さすがに夜遅い。
仕方ないので、自転車を解体して輪行袋に入れて持ち運ぶことにしました。これなら自強號などの特急列車にも乗れます。発車まで40分くらいしかなかったので結構急いでパッキングしました。自転車を入れた輪行袋は重いから大変。ぶつけないように歩かないといけないのもあり、気を遣う。これが嫌で普段輪行する気力が出てこないのですよね。。。
実は4日目に会った男性もこの日に花蓮に到着する計画だったようです。しかし結局会えずじまいで19時半過ぎの列車に乗りました。僕が宿を花蓮にとっていれば会えたと思うのですが。。。しかも花蓮はこの日が初めてなので少しは見て回ってみれば良かったかもしれません。
宜蘭では駅前のホステル(https://maps.app.goo.gl/JSf7bLhNqZyzDN4G9)に宿泊しました。綺麗でした。シャワーを浴びて洗濯をしたら22時を過ぎていてレストラン等がなかったので、夜市で蔥油餅を食しました。決して量は多くないですが、温かいのでよし。