2021年3月、岐阜市に不登校児専門の草潤(そうじゅん)中学校が開校しました。
自治体主導としては初の公立不登校特例校です。
その除幕開校式・内覧会で、京都大学総合博物館准教授、塩瀬隆之氏が行ったスピーチが話題を呼びました。
”学び”とは、何なのか?
私は、わが子が現在の学校教育に合わない子どもなのでは?と思うまで、その問いに向き合ったことはありませんでした。
”義務教育”とは何なのかも知りませんでした。
わが子が、多くの子どもが過ごす場所に合わない性質だったからこそ、今まで考えて来なかった事柄について学び、考える機会を得ることが出来たと、私は感じています。
知ることが出来て良かったものの一つが、ここで紹介するスピーチの内容です。
学校が苦手な子どもの保護者だけでなく、子どもに関わるすべての人に読んでもらえたらいいなと思っています。
そして改めて、”学び”とは何なのか?地域の皆さんと共に考えていきたいです。
全文は以下のリンクよりお読み頂けますが、一部をここでご紹介させて頂きます。
以下、引用
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『私が、世界中、それから日本中、理想的な学校がどういうところなのかというのを調べる中で、魅力的な学校に共通すると感じることがあります。それは、「学びの選択肢がたくさんある」ことです。好きな場所で学ぶことができたり、好きなことを学ぶことができたり、学ぶ内容を選べたり、さらには学びの設計図である「時間割」を先生と一緒につくることができる学校こそが、子どもたちにとって本当によい学校なのではないか、と思うようになりました。
(中略)
我慢して、耐えることだけが、子どもたちに必要なことで、これを6・3・3の12年間、さらに4年間足して16年間耐え続けられた人だけが大人になれるのでしょうか。
私は、そうでない場所、を作ることが大事だと思います。
子どもたちが勘違いしている言葉の一つに、「義務教育」という言葉があります。子どもたちのほとんどは、学校に行かなければいけない義務だと感じています。どんなに苦しくても、どんなにしんどくても、行かなければいけないのが義務教育だと勘違いをしています。
大人はここで声を大きくして、それが間違いであることを伝えないといけないと思います。子どもたちが持っているのは「学習権」です。学びたいと考えたときに、学んでいいという権利です。義務を負っているのは大人で、その子どもたちが学びたいと言ったときに、学ぶ方法すべてを提供しなければなりません。教室の中に、正方形のタイルのようにまっすぐ並ぶことのできた子だけが学んでいいという、そういう条件付きの学びではなく。子どもたち、いつ、どこで、だれと、なにを学びたいのか、そのすべてを選んでもいいはずで、その環境を提供できることこそが、大人に課せられた使命だと思います。
(中略)
いま学校現場は、たくさんのことを要求されています。グローバル人材、スーパーサイエンス、SDGsさらにプログラミング。これを全部できたら、スーパーマンにしかならないですよね。そんな大人は町の中に何人いるのでしょうか。
そんな大人が見当たらないにも関わらず、なぜかみな、学校に、たくさんのことを要求してしまいます。すべてを学校にやらせすぎな気がします。学校がやるべきことは、子どもたちの学びの機会を奪わないことです。子どもたちが学びたいと思ったときに、学べるような環境を用意することだけが唯一、学校に課せられた使命です。学びを嫌いにさせるのはもってのほか、絶望しそうになったときに学びを諦めない、そんな子どもたちに育つ場所が学校なのだと思います。 』
引用:Forbes JAPAN 2021.3.31 https://forbesjapan.com/articles/detail/40608より
全文は↑のリンクよりお読み頂けます。
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