「字小坂」に基づく町名で、小さな坂のあるところを意味する。「黒石」南部の旧字大坂に対する地名。
かつては「滝ノ水」「大形山」などとともに相原村の北の山の意味で「北山」と呼ばれていた。
【どんどん塚】
塚の上で飛び跳ねるとドンドンと音が響くことから、「どんどん塚」と呼ばれる小山(古墳状隆 起)が畑の中にあった。古墳と思われていたが、昭和63年の発掘調査で古墳ではない事が判明。人工的に作られた土盛の遺構で、民間信仰や土地境界の標識として作られたと考えられている。国道302号線の建設に伴い消滅し、現存しない。
現在の「相原郷」の旧字「石神堂」の由来はこのどんどん塚と推測されている。「石神堂」の旧字は「石神戸(いしかめと)」なので、堂があったわけではない。近年どんどん塚と呼んでいたのは明治初年の字整理の際に「字石神堂」の位置がずれたため、石神堂と呼ばなくなったからだろうとのこと。
参考文献
名古屋市ホームページ『緑区誌』 2025年1月12日閲覧
榊原邦彦(2000)『緑区の史蹟』 名古屋市 鳴海土風会
榊原邦彦(2021)『名古屋史跡巡り一 鳴海史跡巡り』 名古屋市 中日出版株式会社