古くは「粟飯原」「藍原」と書かれていた。「粟飯原郷」という郷名は南北朝期~室町期に見える郷名。地名の古鳴海(鳴海村枝村)と沓掛山二村山(現豊明市)の中間に位置するという意味の「鳴海アイノ原」の意味で村名がつけられたのだそう。この地は鳴海絞の本場であるため、「藍原」は藍染に由来するという説もある(「郷」は単に「村」の意味と推測される)。粟飯原郷は足利尊氏によって志村を討った本多右馬允定助に勲功の賞として与えられた。
相原村は慶長13年に鳴海町から相原郷付近が分村して成立したもの。当時相原村の地は現在の相原郷より広く、旭出川よりも東を中心にして、徳重方面にまで広がっていた。『侚行記』に「戸口多キ故村中ニテ佃力足レリ」とある事から、人口が多く栄えていた事が推測される。
参考文献
榊原邦彦(2021)『名古屋史跡巡り一 鳴海史跡巡り』 名古屋市 中日出版株式会社
JLogos 『角川日本地名大辞典』中部地方>愛知県 2024年12月1日閲覧
JLogos 『角川地名大辞典(旧地名)』愛知県>名古屋市 2024年12月1日閲覧
榊原邦彦(1984)『緑区の歴史(名古屋区史シリーズ;6)』愛知郷土資料刊行会
Japanknowledge 『日本歴史地名大系』県別閲覧>愛知県 2024年12月1日閲覧 平凡社