「黒沢台」は字名の「神沢」「黒石」から一字ずつ取って成立した町名。「黒石」は山を指す言葉で、黒い石があるところ。かつてその殆どが松を中心とした植生の御林であり、愛知郡村邑全図にも「神倉御林」と並んで「黒石御林」の文字が確認できる。御林とは幕府や藩所有の山林の事で、黒石御林の場合は尾張藩が所有していたと思われる。御林は一般人が立ち入って下草を刈ってもいい部分(明治時代以降官林と呼ぶ)とそれが許されない部分である不入御林に分かれており、字黒石の中心部は不入御林だった。不入御林は特に厳重に管理されており、「御小屋」という山守の番小屋を置いたほど。明治以降ほとんどの山林は国有林として引き継がれたが、黒石御林は民間に払い下げられた。
旧字は「松山」「鯰ヶ根」「鹿林」「大坂」等。「松山」は御林のこと。「鯰ヶ根」はなまずに形が似ている尾根。「鹿林」は鹿の住む林。かつて鳴海には鹿が多く住んでいた。「大坂」は滝ノ水の奥に大きな坂(現存しない)があったことに由来。
【余談】
①不入御林にて1本でも勝手に木を伐採しようものなら死罪だった(享保に追放罪となる)。かなり過激な自然保護のように思えるが、御林の保護には木材の確保や森林保護の目的があった。伐採による森林破壊は江戸時代にも大きな問題となっていたようだ。幕府にものっぴきならない事情があったのだろう
②字黒石には多くの池があったが、宅地化に伴い消滅してしまったものもある。その中の一つに「ダダボシ池」がある。ダダボシは「だだぼうし」「だいだぼうし」「だいだらぼつち」とも呼ばれています。つまりダイダラボッチ(でいだらぼっち)のこと。鳴海村には巨人伝説があった。ダイダラボッチの伝承は日本の各地に存在する。
参考文献
榊原邦彦(2021)『名古屋史跡巡り一 鳴海史跡巡り』 名古屋市 中日出版株式会社
榊原邦彦(1984)『緑区の歴史(名古屋区史シリーズ;6)』愛知郷土資料刊行会
榊原邦彦(2000)『緑区の史蹟』 名古屋市 鳴海土風会
愛知県図書館 絵図探索『愛知郡村邑全図 鳴海村』2025年1月11日閲覧