「神沢」の旧字は「神田」といい、古くは「じんでん」もしくは「しんでん」と読んだそう。「しんでん」には低湿地の意味があり、腰ほどまでの深い田だったとのこと。神沢池も明治初年頃は「神田池」と呼ばれていたが、「滝ノ水池」や「滝ノ水雨池」と呼ばれていた時代もあった(かつてはこのあたりも滝の水だった)。
また、神沢には要池がある。要池の名は扇川の名前にちなみ、「扇の要」という意味でつけたと推測されている(扇川の支流の神沢川に繋がって要にある池だから、という説も)。
戦後はしばらく水車小屋があった。神沢では昭和40年代始め多くの窯跡の発掘調査が行われ、奈良から室町時代の須恵器等が多数発掘された。
他にも旧字に「御林畔(おはやしくろ)」があり、これは御林の縁の意味。
参考文献
榊原邦彦(2021)『名古屋史跡巡り一 鳴海史跡巡り』 名古屋市 中日出版株式会社
榊原邦彦(1984)『緑区の歴史(名古屋区史シリーズ;6)』愛知郷土資料刊行会
名古屋市緑区ホームページ 2024年12月13日閲覧
榊原邦彦(2000)『緑区の史蹟』 名古屋市 鳴海土風会