賛同署名いただいた方々とそのメッセージ

以下は順不同です。随時追加していきます。

梶丸岳(京都大学卒業生)、内海俊介(北海道大学教員)、原基晶(イタリア文学者)、河野真太郎(一橋大学教員)、溝尻敬(出版社勤務)、浅野純一(岡山理科大学教員・元吉田寮生)、大村智(航思社)、Fiszelew Valeria(大学非常勤講師)、高山学(精神科医)、山本泰三(大学非常勤講師)、久保昭博(関西学院大学教員)、田中昌平(京都大学院生,吉田寮生)、杉谷和哉(京都大学大学院生)、久下正史(灘高等学校・灘中学校教諭)、酒井勇輔(学部1回生)、小浜正子(日本大学教員)、ハヤシザキカズヒコ(福岡教育大学教員)、久嶋智美(法律事務所勤務)、菊地暁(京都大学助教)、水谷和寿(京都大学総合人間学部人間科学系4回生)、泉和花(京都大学学生)、石井純哉(京都大学総合人間学部4回生)、高橋宏幸(桐朋学園芸術短期大学教員)、二関知美(マルクス主義者・元学内活動家)、新出(元駒場寮生)、杉山茂(静大准教授KUAC)、橋本陽介(編集者、元東北大学寮生)、林葉月(近隣住民)、山﨑雅広(京都大学大学院人間・環境学研究科)、盛岡晋吾(京都市民)、山田勝哉(京都大学経済学部卒業、京都大学大学院人間・環境学研究科修了)、櫻田和也(元・数理研モグリ)、中森弘樹(京都大学総合人間学部非常勤講師)、吉水公一(高校教員)、林貴志(グラスゴー大学教員)、森島陽介(卒業生、ベルン大学教員)、竹間優美子(大学講師)、絓秀実(早稲田大学ビラまき不当逮捕反対署名呼びかけ人)、藤井理嘉、鄭光珠、中村優子、安藤政利、八木孝三、内貴大輔、山本泰博、平田元、堀秀雄、青柳朔、安藤歴、柏元真理子、吾妻弘子、飯田駿介、福田開史、林茂樹(摂南大学教員)、西本千尋(JAM主宰)、福田珠己(京都市民)、鈴木泉(東京大学教員)、白井聡(京都精華大学教員)、稲本とんぺい(吉田東通り 居酒屋店主)、中河伸俊(関西大学教授・大阪府立大学名誉教授)、田原孝平(吉田寮厨房使用者)、三谷直生(京都大学学部生)、鶴田和雄(70J 弁護士・山梨県弁護士会)、伊藤剛士(京大卒業生・総合人間学部)、花岡由起(雑多な雑貨とごはん おおきな木店主)、桑畑洋一郎(山口大学教員)、宮西建礼(農学部卒、作家)、岡本健太(元吉田寮生)、千野暁生(非正規労働者)、明石健五(週刊読書人編集長)、中村研(大阪市民)、橋本保(元非常勤講師)、平林禄(京都大学教育学部卒業生)、立木康介(京都大学人文科学研究所准教授)、牧口誠司(高校教員・元寮生)、樫田祐一郎、木原俊明、岡田健一郎、佐々木航平、寺井昌輝、下山千晶、宇野秀一(妹が京大卒。)、上尾真道(京都大学非常勤講師)、安井大輔(大学教員)、五野井郁夫(高千穂大学教員)、金江亮(三重短期大学教員)、米原守((株)ニッコウエステート代表・吉田寮OB)、榊原健一(北海道医療大学教員)、澤田稔(上智大学教員)、松井隆志(武蔵大学教員)、今村純子(卒業生)、和田華月(芝居を観にいったことがある)、吉川弘晃(京大院生)、林田正幸(医師、京都大学文学部在籍)、平井玄(非正規批評家)、越智郁乃(元GCOE研究員)、岡本光寿(かつてスコップと呼ばれた人)、小柳暁子(フェミ風呂60度)、三軒家佑將(京都大学工学部4回生)、伊藤桃子(元寮生)、小林哲夫(ジャーナリスト)、豊田憲子(翻訳業・講師)、小川敦、室原卓弥、金子麻実、井形和正、小川恭平、岩熊にこ(東京都民)、熊沢透(福島大学教授)、横谷和彦(特定非営利活動法人 釜ヶ崎支援機構)、合田真(日本植物燃料株式会社 代表取締役)、水谷尚子(中央大学経済学部兼任講師)、小坂純一(気象予報士・元吉田寮生)、宍戸友紀(元吉田寮生)、渡邊太(大阪国際大教員)、竹佐古真希(オルガニスト)、宮本陽子(なし)、藤井幸之助(猪飼野セッパラム文庫主宰・同志社大学嘱託講師)、岡嵜啓子(長野市民)、浅井治善(元寮生)、竹村健太郎(空想家)、山口勝己(自治労大阪府本部執行委員長)、早川義輝(会社役員)、椎野礼仁(編集者)、小笠原博毅(神戸大学教員)、三松幸雄(明治大学教員)、松本潤一郎(大学教員)、向原祥隆(図書出版南方新社代表)、佐藤知久(京都市立芸術大学教員)、荻野哲矢(グローバルニート)、藤田直哉(文芸評論家)、須藤巧(週刊「図書新聞」編集長)、手塚さや香(釜石リージョナルコーディネーター)、村澤真保呂(龍谷大学教員)、新居万太、濱田すみれ、高木英泰、市嵜鈴夫、雑賀恵子、新海みどり、横山佐紀、森保之、福田弘、菅原潤、大原調(京都大学大学院農学研究科修士課程)、川野英二(大阪市立大学教員)、毛利嘉孝(東京藝術大学教員)、小島雅史(一橋大学大学院生)、土屋誠一(沖縄県立芸術大学教員)、古川雄大(左京区民)、三脇康生(仁愛大学教員)、柿並良佑(山形大学教員)、中島万紀子(早稲田大学非常勤講師)、柿原泰(東京海洋大学教員)、浅井健一郎(京都大学卒業生)、大田季子(文学部卒業生)、乙部延剛(茨城大教員)、竹田伊織(元左京区住民)、安部彰(大学非常勤講師)、谷川雅彦(近畿大学非常勤講師)、西郷南海子(京都大学教育学研究科博士課程)、熱田敬子(早稲田大学助教)、勺禰子(歌人)、馬場詩織(日本基督教団名古屋東教会牧師)、清水耕介(龍谷大学教員)、佐々木英司(元寮生・ゴミ屋)、恒木健太郎(専修大教員)、小関武史(一橋大学教員)、古田圭(弁護士・和歌山弁護士会)、中尾麻伊香(非常勤講師)、臼井陽一郎(新潟国際情報大学教員)、信友建志(鹿児島大教員)、八木一平(元京大テクノ部)、百木漠(ポスドク研究員・京大卒業生)、楠木裕樹(公益社団法人岡山部落解放研究所)、鈴木英生(会社員、経済学部00年卒)、香川七海(日本大学教員)、久保田泰考(滋賀大教員)、松本博文(フリーライター)、脇坂明史(卒業生・音楽家)、藤田正人(弁護士・東大駒場寮OB兼元同自治会代理人)、小林達也、志賀浪土筆、毛利拓真、古川誠、小野将、堂本健史、CHEN YANXIN、山本奈美、山本昭宏、中西航、奥田俊介、堀林正、三浦博之、武田将明(京都大学卒業生)、谷文彰(弁護士・京都大学出身)、船勢肇(阪南大講師)、井上理津子、西山卓彦、山本奈美、池内正史(大学講師)、樫村愛子(愛知大学教員)、増田幸弘(フリー記者/編集者)、三原徳久(古書籍販売業)、中田英樹(社会理論・動態研究所所員)、中村昇平(京都大学院生)、山口俊雄(日本女子大学教員)、諸富健(弁護士)、片山文雄(東北工業大学教員)、相原正義(文学部卒業生)、隠岐さや香(名古屋大学経済学研究科)、繁澤良介(京都大学農学部・吉田寮生)、遠藤泰弘(松山大学法学部教授)、草野善太(京都大学大学院文学研究科修士)、大城直樹(明治大教員)、安原邦博(大阪弁護士会)、田中祐理子(京都大学教員)、越道京子(元寮生)、池田浩士(京都大学名誉教授)、中砂明徳(文学研究科教授)、谷竜一、吉田惠子、関戸詳子、鈴木大輔、杉本真一、白柳武彦、国重裕(龍谷大学教員・京都大学卒業生)、吉川健明(医師、元熊野寮生)、笠木丈(左京区民・元「石垣カフェ」店員)、佐藤哲彦(関西学院大学教員)、野田裕久(愛媛大教員)、原口剛(神戸大学)、上田雅子(京都大学文学研究科院生)、秋本勝(京都女子大学名誉教授、京大卒)、山上浩嗣(文学部卒業生)、竹中朗(編集者)、Manuel Yang(早稲田大学教員)、西﨑明美(立命館大学学生)、左近幸村(新潟大学教員)、鈴木隆一(NHK学園高校地歴公民科講師)、岩城卓二(京都大学人文科学研究所)、橋本一径(早稲田大学教員)、石井知章(明治大学教授)、西川浩樹(仏NPO法人エリゼクラブ代表、元人環院生)、森啓輔(元ルー大生)、栗原幸夫(元・編集者)、増井真琴(北海道大学大学院生・介護福祉士)、伊藤玄(吉田寮生)、秋谷謙太郎、水書隆太、坪田眞理、平田なぎさ、小倉康寛、高橋若木、柴野恭範、川合秀明、滝澤哲也、乙川文英、石井昌幸(早稲田大学教員)、日置真理子(元・民族学校出身者の京大への受験資格を求める連絡協議会)、可児裕美子(会社員)、河野和憲(編集・製作者)、根津朝彦(立命館大学教員)、宮野真生子(福岡大学人文学部教員)、武田宙也(京大教員・人間・環境学研究科)、吉田千恵(近隣住民・卒業生)、蜷川泰司(作家)、山本圭(立命館大学・教員)、塩塚秀一郎(京都大学教員・人間・環境学研究科)、松島泰勝(龍谷大教員、琉球民族遺骨返還研究会代表)、伊藤紀子、石上敦子、樋口大弐、安田直人、石丸泰平、森元斎、元山明浩、伊原康隆(京都大学名誉教授)、齋藤星耕(沖縄国際大学教員)、和田忠彦(東京外国語大学名誉教授)、藤田尚志(九州産業大教員)、吉田哲也(兵庫県弁護士会、弁護士)、若林宣(フリーライター)、千坂恭二(元バクーニン主義者で現在ユンガー研究の無職)、前川真行(大阪府立大学)、大竹碧(人間・環境学研究科院生/吉田寮生)、中山永基(編集者)、山本貴宏(京都大学理学研究科博士課程)、夏目研二、佐藤泉、中井雅之、平井啓三、橋本知子、稲葉真以、梶原千歳、杉谷和哉(吉田寮生)、金田直子(自由業)、林武文(ゆにおん同愛会)、田中恒輝(京都大学文学部)、山下真吾(非正規労働者)、加藤尚弘(税理士)、森下光泰(京都大学卒業生)、逸見龍生(新潟大学教授)、丹羽健介(文學界編集部)、根上健(会社役員)、山下泰幸(京都大学大学院生)、藤井あきら(東京都議会議員、元寮生)、関弘志(大学寮経験者)、山口康昭(歯科医師)、國田昌男(北海道高等学校教職員組合連合会中央執行委員長)、下村泰史(近隣住民・京都造形芸術大学教員)、山田浩司(会社員)、二宮ともこ(会社員)、深田都志哉(京都大学文学部卒業生)、中村聡一郎(京都大学学生)、西本吉伸、川上周造、小藤桂子、張勝一、東桂、谷川明、溝渕淳、日臺健雄、横山昌明、片木真理子、竹本了悟、上林芳夫、佐藤暢(高知工科大学 研究連携専門監)、山口純一郎(卒業生、岡山朝鮮)、田尻健(卒寮生)、川島隆(京大教員・文学研究科)、内田雅敏(弁護士)、浅野和恵(京都大学文学部卒業生)、YANAGISAWA Masayasu(団体職員)、青木純一(文芸評論家)、荒木しう子(とかちいなきびプロジェクト)、塚本まこと(元吉田寮生・近隣住民)、松岡智広、綿野恵太、山川文、松尾秀哉、山内由賀、浜本勝弘、行友弥、白坂達也、田中spock敬一、大浦康介(京都大学名誉教授)、田中一弘(文化知思想普及協会理事)、呉世宗(琉球大学教員)、矢野優(編集者・京都大学卒業)、中野昌宏(青学大教員)、趙博(芸人)、阪上孝(京都大学名誉教授)、山口壽美世(市民)、山室信一(京都大学・元教員)、松本曜一(真宗大谷派僧侶。ビハーラ21理事)、堀田新五郎(奈良県立大学 教員)、中條健志(東海大教員)、ムン青ヒョン(一級建築士)、福島勲(北九州市立大教員)、守中高明(早稲田大学教員)、早尾貴紀(東京経済大学教員)、森元庸介(東京大学教員)、松本一彦、岩本麻奈美、中倉智徳、河野益近、奈良本まゆみ、早野潔(会社員)、和久田賴男(白水社編集部)、長尾高弘(元国立大学学寮寮生)、上田彰(文学部97年卒、牧師)、中島一夫(近畿大学教員)、田尻歩(一橋大学大学院言語社会研究科博士課程)、野崎ターラー(ファン)、岡田茂彦(京都大学卒業生)、中原耕(元寮生・NPO職員)、大野友アンドレイア、森田曉、山本聡子、小丸朋恵、友森敏雄、おかあきこ、村田里鶴、岩城あすか、飯田悠哉、森あい、野田沙良、河合大輔、森山裕子、奥田俊介(京都大学大学院 人間・環境学研究科 博士後期課程)、隅田聡一郎(一橋大学大学院生)、末冨浩(京都大学・人間環境学博士)、久門千紘(京都大学学部生)、宮下利次(左京区民)、横田未生(卒業生)、下山勉(近隣住民)、要友紀子(SWASH)、近藤和敬(鹿児島大学法文学部准教授)、片田孫朝日(元京大生・灘高等学校教員)、冨岡勝(元寮生・近畿大学教員)、高橋ペコ(京大吉田寮やタテカンなどの京大文化を愛するもの)、ときわ萌(元しばい部)、麻野博司 (元東大駒場寮住人)、黒河待子、神田浩史、近藤博仁、柳沢隆夫、八代多惠子、大河内泰樹、渡辺真規、福田雅美、小岩信治、杉原正浩(元寮生)、榎本智至(模索舎舎員)、杉浦一輝(学部生)、岩瀬久夢(修士課程)、渡智一郎(京都大学文学部)、井上義和(帝京大学教員・元寮生)、青木利夫(広島大学教員)、木村真希子(津田塾大学)、上村英明(恵泉女学園大学教授)、平手友彦(広島大学教員)、永澄憲史、上原直希、雁木聡、芳仲猛、阿部大雅、中村隆之、佐藤壮広、小田原琳、深見佳代、泉田由妃、永滝稔(有限会社 有志舎 代表取締役)、井上彼方(元・中世の大学の良さを取り戻したいスコラ哲学者有志の会代表)、福島直樹(京都大学大学院生・アジア・アフリカ地域研究研究)、戸邉秀明(東京経済大学教員)、小寺隆幸(京都大学教育学部前非常勤講師)、東はるひこ(大阪大学卒、京大へは頻繁訪問)、竹内栄美子(明治大学教員)、丸川哲史(明治大学政治経済学部/教養デザイン研究科)、米谷匡史(東京外国語大学教員)、長原豊(法政大学 教員)、山本英司(元寮生・金沢星稜大学教員)、東條政利(映画監督)、小松原織香(同志社大学非常勤講師)、水嶋一憲(大阪産業大教員)、岡本正樹(経済学部89年卒)、鈴木隆洋(卒業生、同志社大学大学院博士後期課程)、橋本竜太(香川高専教員)、北垣徹(文学部卒業生)、高原孝生、布施哲(名古屋大教員)、和田隆之介、丹生谷貴志、斉藤渉(東京大教員(文・人環卒業生))、Cassegard, Carl(社会学者)、伊藤正(元吉田寮生)、粂川麻里生(慶應義塾大学教員)、嶽本新奈(学振PD)、げいまきまき(パフォーマー)、佐々木隆治(立教大学教員)、大畑凜(京都市民)、江川隆男(立教大学教員)、盛田良治(大阪産業大学非常勤教員、京都大学卒業・元吉田寮生)、小谷英之(平成元年 工学部卒業)、箱山富美子(明治学院大学国際平和研究所研究員)、古久保さくら(大阪市立大学教員)、田崎英明(立教大学教員)、額田康子(元学生)、上田実(会社員)、山本めゆ(日本学術振興会特別研究員・PD)、及川英二郎(東京学芸大学教授)、増田圭悟(卒業生)、和田篤史(京都大学卒業生)、谷川穣、中山全広、池田弓子、オノリオ今村、青柳克幸、比嘉徹徳、松原宏之、勝俣誠(明治学院大学元教員)、石川博(早大教員・京大卒業生)、廣瀬陽一(大阪府大・非常勤講師)、渡邉浩一(卒業生)、株式会社三人社・山本(卒業生・現出版社)、黒河宏企(京大名誉教授)、柿木伸之(広島市立大学国際学部教員)、峯陽一(同志社大学教員)、木谷公士郎、富永京子、西口正史、河西英通(広島大学教授・京大卒ではありません)、山下耕(吉田寮生)、中田みどり(島本町議会議員)、赤阪辰太郎(大学院生)、中田兼介(京都女子大学現代社会学部教授)、塚原東吾(神戸大教員)、長塚真琴(一橋大学大学院法学研究科教員・著作権法)、福田隆雄(編集者)、森亜紀子(卒業生)、中井亜佐子(一橋大教員)、色平哲郎(佐久総合病院医師、元吉田寮生)、斉藤龍一郎、水口秀樹、野村佳代、木村理恵、石田俊(山口大学教員)、長沢弘樹(卒業生・会社員)、藤田公二郎(大阪大教員)、北川功(新聞労働者)、伊藤朱美(元吉田寮生、郵便局で働く人)、尾原宏之(政治思想史研究者)、小山寿美代、新郷啓子、瀬戸口明久(京大人文研教員)、宮下あゆみ(左京区民)、山口裕之(徳島大学教員)、石山純(いいかげん村村長)、柴山浩紀(編集者)、中川崇(京大OB・奈良県議会議員)、竹田響(京都大学大学院 人間・環境学研究科)、山下健太郎(氷見市地域おこし協力隊/フリーライター)、長門真理、古屋敷一葉、石田紀郎、元井摩耶、渡部朝香、根無裕子、逆本悠一(農学部生)、島岡哉(私立大学教員)、吉永剛志、堀金博(弁護士・徳島弁護士会)、吉住公男(元吉田寮生)、稲葉奈々子(上智大学教員)、石原明子(熊本大学教員、元京都大学室町寮生)、小尾章子(会社員)、羽倉信彦(下流老人)、岩瀬みゆき(東京外国語大学大学院生)、高間響(劇団 笑の内閣 代表)、永田武司(「竹内+愛のコードレスでいこか」構成作家)、前田禎司郎(卒業生)、押川淳(編集者)、蓮行(劇団衛星代表)、中村一成(ジャーナリスト)、渡辺祐子(明治学院大学教員)、徳永昌弘(関西大学教員)、池田一平、阿部秀俊、木村廣元、加納洋、飯島雄太郎、秋田市太郎、岡本伊津子、中島涼太、星川圭吾、田中愛子、藤井あゆみ、佐々木大輔(早稲田大学学部生)、宗田昌人(文学部卒業生)、阪上雅昭(京大教員)、坂梨健太(龍谷大学)、山下紀志子(会社役員)、西郷甲矢人(長浜バイオ大学教員・京都大学卒業生)、松本大成(北海道大学 恵迪寮生)、茂木響平(大学のお水飲み比べサークル会長)、小林将悟(京大文学部生・熊野寮生)、池田剛介(美術作家)、吉田寛(立命館大学教員)、門馬一平(九州フィールドワーク研究会)、藤谷祐太(モルグモルマルモ)、前田雅彦(京都大学 卒業生・時間雇用職員)、宮里慎太郎(渋谷越年越冬闘争実行委員会)、とうてらお、麻生のぶよ、森岡剛洋、高野万葉、前田佐和子、伏原納知子、ボナさん、野間野太郎、安部翔平、pha(作家)、玉置尚徳(元軽音楽部長(1983年頃))、平野幸彦(新潟大教員)、須貝道雄(フリーランスライター)、藤村修、岡本らら、松村真希、武知俊輔(弁護士・大阪弁護士会)、山岡幸司(街医者(小児科)・卒業生)、小山哲(京都大学・文学研究科・教授)、杉山英夫(京都大学文学研究科院生)、拓徹(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 客員准教授)、Jae Hyun Kim(京都大学法学部生)、山内健(法学部卒業生、会社員)、山本由美子(任期付き教員)、前田浩之、立見淳哉、土代武、菅原慧祐、守屋友江(阪南大学教員)、益田実(立命館大学教員)、金原正宏(福祉施設職員)、佐々木孝、田中淳、藤川賢、中嶋周、遠藤健太(研究者)、富山隆將(国立研究機関技術職・91~99在学)、松井梓中川克志(横浜国大教員)、柴山秀一(卒業生)、武藤達哉、桂牧、大工原弘貴、石橋正二郎、竹上永祐、草深公秀、三浦陽(京都市民)、別役泰輝(むかしの西部講堂つながり)、西怜香(吉田寮と西部講堂のファン)、入江公康(大学非常勤講師)、宮崎聖史、小林文子、岩下伸雄、櫻井篤史、三宅章介、大和田雅子、福原伸治、石田量子、出水正一、輝野洪瑞(画家・哲学研究者)、須田奈津妃(編集者)、山田肇(「君が代」不起立処分と闘うグループZAZA)、大濱周也(近隣住民)、矢部史郎、南部裕一、古屋日菜子、髙瀬萌(京大近隣住民)、坂上香(映像作家・大学非常勤講師)、毛利浩章、竹田賢一、菅原道泰、西田侑平、大越森平(早稲田大学学部生)、片岡卓三、大内裕和(中京大学教員)、玉城真巳(卒業生)、川名真理(編集者)、風間奎志(京都大学学生)、作田知樹(京都精華大非常勤講師)、伊藤拓也(学校事務職員労働組合神奈川)、伊藤ゆり子(新月舎)、川北浩司、久保田光、境毅、宮﨑寛、南條恵津子、下久禰高穂(北大恵迪寮OB)、泉翔(NPO法人ウィークタイ)、櫻井拓(編集者)、鎌田英明(広島大学教員)、末原真紀、乙原雅弘、山下湧志朗、田中生悟(学部生)、牧野裕介(京都大学学部生)、松浦由美(演劇人)大北益弘(卒業生)、末岡友行(利用者)、内野クリスタル(京都大学の大学院生)、塩見弥千穂、鈴木健太郎、森田由起子(京都精華大卒業生)、西田怜子(学生)、松本博文(フリーライター)、浅井次郎(福祉労働者)、塩田隆比呂(京都大学教員・理学研究科)、渡邊洋之、石澤聡美、仲西美幸、瑞慶覧長空、宮澤隆義、ひびのまこと(元京大生)、松尾大樹(京都大学OP)、喜友名正樹(京大理学部生)、山本晋(画家)、馬嶋裕(吉田寮OB)、和田譲二(NPO法人緑と水の連絡会議事務局長 1979L 吉田寮OB)、辻海(京都大学学生・吉田寮生)、渡辺拓也(大阪市立大学都市文化研究センター研究員)、藤垣元裕(京都大学元学生)、東野将志(京大卒業生)、甘蔗勝宏(京大総人2期生)、永野三智(水俣病センター相思社)、辻潤、大野寛明、隅田悦子、小林雄介、山本奈央、宮崎史朗、小林陽一、金和永、冨永則子、阪本林太郎、佐野泰之、辻潮、辻日月、佐々木郁江、吉実伸浩、萩一晶、辻優希、川本浩之(神奈川労災職業病センター専務理事)、市川裕咲(浪人生・京大不合格者)、上田直美(連れ合いが元吉田寮生。奥野路介さんが仲人です。)、伊原木大祐(北九州市立大教員)、三瓶智章、大久保生子、岡部達彦(元吉田寮生)、前田浩之、シュテフィ・リヒター(Leipzig大学の教員)、岸田良朗(京大工学研究科修了・在学時軽音楽部所属)、河村央也(青空学園主宰)、大石高典(東京外国語大学教員)、西道奎(京都大学学生)、吉田多満子(京都大学卒業生・文学部1958年卒)、石本卓也(卒業生)、松本英雄(86年経済学部卒業)、高向正和(京都市民)、加藤良輔(京都大学文学研究科修士課程)、渡部直己(早稲田大学教員)、井上亮(京大マップ)、田中誠一(出町座支配人)、芦刈成人(京大愛好家・1984年教育学部卒)、ツマミ具依(ライター)、村上絢一(京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程)、山口祐二、長谷川一志、寺田研志、徳田忠大、永井智映、谷本直樹、山本久仁子、藤井理嘉、山口エリナ、柏木夫美(主婦)、青野智生、倉橋あかね、伊藤敏、等々力政彦、東矢真白、樋口節子(フリーランス校閲者)、熊野早希子(在学生保護者)、森尚美(京都市民)、家入龍太(建設ITジャーナリスト)、濱田麻矢(神戸大学教員)、藤田渡(卒業生(法学部・人環)/大阪府立大学教員)、西尾一朗(法学部・法学研究科卒業生)、杉山英夫(京都大学文学研究科修士課程学生)、藤原和真(京大理学部)、小松美彦(東京大学教員)、どんきち、伊藤熙寿、宮澤孟彰、藤井亜希子、多田麻美、上村志奈、妹尾歩、横田和磨、近藤烈、吉沢幸一、ほか氏名等非公開者240名

賛同署名者からのメッセージ

※個人情報保護のため、内容が変わらない程度にメッセージを改変した場合があります。ご了承ください。


八木孝三

吉田寮廃寮攻撃阻止!大きなタテカンを止めさせたいとかも理由がない。日本社会は非必要な不自由、遠慮が多すぎて息苦しい。もっと自由を。


内貴大輔

京大周辺は京都の景観ではなく、京都大学の景観であり、立て看あっての町並みであると思うのですが。


匿名

山極さん、これでは松本総長と変わりません!何のために全職員が結集したのか、思い出してください。自由な学風以外に自慢できるもののない京都大学で一方的な管理ばかり強化してどうするんですか。山極さんに期待して些少ながら寄付もさせて頂きましたが、裏切られた気持ちでいっぱいです。


ハヤシザキカズヒコ(福岡教育大学教員)

京大とは縁はありません。しかし、こんな処分をゆるしていては、大学の言論や表現が破壊されてしまいます。大学の研究者はもっと団結して、抗議の声をあげるべきだとおもいます。


青柳朔

京大の「対話を根幹とする自由の学風」なんて嘘だ。今の京大には対話も自由もない。


水谷和寿(京都大学総合人間学部人間科学系4回生)

京都大学の全てが官僚主義によって支配されるならば、それは京都大学の敗北である


石井純哉(京都大学総合人間学部4回生)

「京都大学なのだから」というような、“京大アイデンティティ”を理由に大学当局の一連の規制に反対するのではありません。今の当局のやり方はあまりに一方的に感じます。だから当局のやり方に反対します。

大学のトップに立つならば当事者である学生や教職員を尊重して当事者の声を聞き取ること、そして必要とあれば大学外の利害関係者達にすら立ち向かって調停させていくことが求められるのではないでしょうか。誠実な態度を期待します。


杉山茂(静大准教授KUAC)

今になって解決はされていないけれども大きな課題としてクローズアップされている諸問題に関する先鋭的な問題意識は、まず立看で知ることが多かった。それらは40年後の現在でも研究・教育の大切な水源です。


林葉月(近隣住民)

表向きは「京大変人講座」などされていますが、学内管理強化される動きは矛盾甚だしい。近隣住民としても最近の京大当局の姿勢は非常に危ういものを感じています。そんなやり方でいいのでしょうか?考え直して頂きたい。


山﨑雅広(京都大学大学院人間・環境学研究科)

7年くらい京大にいるが、だんだんと息苦しくなっているのを肌で感じる。立て看板の件も、ちゃんとサークル所属の学生たちと話し合う機会を設けてほしい。どこかで勝手に決まったものがただ実行されてて、たいへん気持ち悪い。


安藤歴

もはや消えかている「自治」という言葉と実質を少しでも守っていかなければならないと思います。卑劣さと傲慢さに怒りの声を上げるのは当然です。


櫻田和也(元・数理研モグリ)

異物を退け者にする大学に未来はない


吉水公一(高校教員)

京都大学の自由な伝統を尊重せよ!!不当な管理抑圧、学生自治解体に断固反対する!!


匿名

ここ十年来において浮上してきた問題であり、種々の文脈で応答を示す試みはあったものの、大凡にして情報共有どまりで、実際にラディカルな議論を行ったり、あるいは何らかの身動きを呈するに至るものは現れなかったように見えます。その最中において京大の主体を巻き込んだ署名運動、鵜飼氏(北部祭典でも登壇されていました)などを招いたシンポジウムの開催はこの課題において意義深いものを与えるものであろうと期待されるものがあります。大学という機関が徐々に変容し、私たちを迎え入れるものは禁止を伝える小文字の法で有りましたが、それらはいたづらに大学内の主体を窮屈にさせるものであるのが現状です。それを如何に乗り越えるべきかを検討するにあたって、タテカンという対象は極めて重要な切り口であると考えています。微力ではありますが、お力添えできれば幸いに思います。宜しくお願い申し上げます。


西本千尋(JAM主宰)

「京大吉田キャンパスの立て看板を考える会」(東京)の事務局をしております。今回の緊急アピールに掲げられた課題の公開討論、具体的な検討の模索に賛同いたします。特にタテカン問題に関しても情報交換させていただければ幸いです。


福田珠己(京都市民)

界隈をしばしば訪れる市民として、また、文化的景観にかかわる研究者として、立て看問題を注視しています。


鈴木泉(東京大学教員)

他山の石として深く賛同します。


稲本とんぺい(吉田東通り 居酒屋店主)

大学からの一方的な物言いに、人権の侵害を感じます。


中河伸俊(関西大学教授・大阪府立大学名誉教授)

学風や学生の自主的活動の伝統は、一朝一夕で育めるものではない、そしてもちろんお金では買えないかけがえのない文化遺産です。当局が、自らの愚行について再考されることを切に望みます。


花岡由起(雑多な雑貨とごはん おおきな木店主)

息子が吉田寮でお世話になってます。


匿名

京大で院生時代を過ごしたものとして,現在の状況を悲しく思います.京大の自由な学風は,その研究にとっても不可欠なものだということを,もう一度確認すべき時期なのかと思います.


佐々木航平

自由な風土が対話もなく消えるのは寂しい、おかしい。関係者同士の対話を公開し、人々にそれでいいのか確認すべき。


寺井昌輝

近隣住民でした。立て看板で知った催し・読書会等々で様々な知識を得る事が出来、それは今の生活基盤の一部になっています。


立木康介(京都大学人文科学研究所准教授)

学風やエスプリの危機ではない。京大の「実存」の危機。当局の好きにはさせない。


牧口誠司(高校教員・元寮生)

立て看や吉田寮への締め付けは、この国全体の閉塞状況や右傾化と無関係ではないと思います。ことは単なる景観や一つの寮の話に留まりません。管理されつくした大学はもはや学問の場とは言えません。この問題に、多くの方が関心を示されますように。


金江亮(三重短期大学教員)

立て看は京大の文化であり、尊重されるべきものです。


匿名

90年代後半に東京で大学生活を送りました。自分の在籍校や親しく出入りしていた他大学から立て看板などが次々に「撤去」されていくのをただ懐手に眺めていたことを、遅ればせながら悔いている者です。今回の呼びかけ人の皆さん、事務方の皆さんに敬意を表しつつ、微力ながら署名いたします。


匿名

現状の京都大学には、ただただ失望しかない。


米原守((株)ニッコウエステート代表・吉田寮OB)

吉田寮OBなので、とりあえず、アピール賛同に一票


榊原健一(北海道医療大学教員)

京都大学の存在意義が何か,大学当局は熟考すべきです.


澤田稔(上智大学教員)

学問の場は、表現の自由を守る場でもあると思います。今回の「立て看規程」は、この近代的価値を制限するに足る根拠を示せているとは到底思えませんのでアピールに賛同し、この企画を立ち上げられたみなさんに敬意を表します。


豊田憲子(翻訳業・講師)

「京大を政治信条や経済条件に関わらず、大学の外の人に向かって広く開かれた場所とし、京大を学問と研究の本当に新たな認識と言説の発信に結び付けたい」というお考えに賛同し、署名いたします。


匿名

自由と自治 次世代、未来の創造と革新してゆく若い人々に管理強化は馬鹿げた無意味な強権と感じます。


匿名

自由にものを考える機会が失われれば、もはや、大学ではないのだと思います。


水谷尚子(中央大学経済学部兼任講師)

もはや吉田寮は、古都の歴史遺産、文化財です。光華寮もなき今、せめて吉田寮は保存してほしい。


匿名

この状況に至った詳しい経緯など、わからないことだらけである京都外に住む者ですが、それでもイベント等で何度か足を運んだ京大のキャンパスや、外から眺めた吉田寮の佇まいに感じる自由闊達な気風が、大学側の手により一方的に削がれるということには不思議や理不尽を感じます。このような動きが出てきたことに賛同します。 親しい親族の子が今年京大に入学したこともあり、この問題を注視していこうと思っております。大学側は最低限、話し合いに応じることを望みます。


宍戸友紀(元吉田寮生)

立て看が京大の壁に寄生し、吉田寮が京大の敷地と朽ちかけた建物に寄生しているように、京大の「自由」は種々の特権に寄生してきたもの、したがってその特権とともに批判されうるものだ。それは前提として......いろんな寄生物、あってもええやん? 巨木の表面にうごめく苔や菌や虫たちの活動は、大きな目で見れば森の豊かさを生み出す。目先の秩序のために混沌を殺すな。多様性のないところに未来はない。


藤井幸之助(猪飼野セッパラム文庫主宰・同志社大学嘱託講師)

自らの意見を述べる「立て看」がまだ“残る”京都大学を外から見ていて、好ましく思っていた。他の大学では「立て看」はほとんど潰えているからだ。学生生活を支える寮潰しはもってのほか。しかも、なぜこの時期に?

緊急アピールにある次の2文に強く懸念と共感をする。

「京大当局は、産官学連携強化の掛け声の下に、「ステークホルダー(利害関係者)」としての産業界や国家の意向を反映しようとする一方で、実際に京大で学び・研究する学生や教員、あるいは大学とともに生活を続けてきた近隣住民の意向を無視し続けています。」

「むしろ京大を政治信条や経済的条件に関わらず、大学の外の人々に向かって広く開かれた場所とし、京大における学びや研究を、本当に新たな認識と言説の発信に結びつけたいのです。」

大学は、それを管理する者の勝手にはできない。大学に暮らす者やその周辺に暮らす者の意見を聞かないようになってはお終いだ。


山口勝己(自治労大阪府本部執行委員長)

無限の自由に耐えてこそ、若者は育つ。管理強化はその芽をみすみす摘んでしまうのではないでしょうか。


匿名

権力者の横暴が顕在化し、意見の異なる者への非寛容が目に余る現状に危機感を持ちます。


向原祥隆(図書出版南方新社代表)

いろいろ大変でしょうが、応援しています。


荻野哲矢(グローバルニート)

資本主義と国家へ中途半端でダサい媚びをうる万国の大学当局に断固反対!


森保之

現行憲法下では大学の自治は学問の自由と一体に捉えられるという統一見解があり、大学当局側が「学生も学問の自由と施設の利用を認められる」という最高裁判決に則って行う学生の活動の権利を一方的に制限することは、当局による大学の自治の濫用と考えられる。


匿名

秋に文化祭にお邪魔しました〜。


須藤巧(週刊「図書新聞」編集長)

京都大学とは縁もゆかりもございませんが、大学が「おもしろくも変人でもない」現状に対する怒りと憂慮において、連帯いたします。


村澤真保呂(龍谷大学教員)

山極学長もぜひ賛同署名に加わっていただきたい。


匿名

立て看撤去は今まで京大が培ってきた文化と景観の破壊となり、行政処分は一方的で筋が通らないですね。そのその立て看は清水寺の真ん中に立てるわけでもなく、すべて学生・教員・研究者向けて、むしろ周囲の景観とは無関係です。

何かルールを作って、それに従わせるとポイントが上がる、そういう行政・会社・政治家の上役の一存の発想、もしくは自由な活動が自分の所業・存在を潜在的に否定する人間の考えでしょう。京大総長に対して社会のある部分からの圧力というのはあるでしょう。

中央集権的な社会では世の中を統制してコントロールしたら勝ちだ、自分たちが正しい、収入や地位が上がるという環境や発想が生まれがちで、それがゆえに日本を社会を飛んでもない方向に進めてきたことも事実です。そういう見えない闇の力が京大に及ぶことには断固反対です。


匿名

百万遍の景観は京都の景観です。無くなってほしくない。


古川誠

京大内外の学生・教員・市民に対して、近隣住民や関係者とともに当局の学内管理強化に抗議し、京大当局が学内外の当事者の声に真摯に耳を傾けることを求めます。


匿名

吉田寮・立て看を残すべき、という主張ではなく、話し合う「対話」の場を設けるべき、という点に賛同します。


竹田伊織(元左京区住民)

吉田寮には食堂にライブを観に行ったことがある。立て看板は、百万遍の景色だった。あの辺りは寛容な町だった。排除の論理に違和感をおぼえたので、署名しました。


西郷南海子(京都大学教育学研究科博士課程)

立て看や自治寮のない京大は、京大ではありません。


熱田敬子(早稲田大学助教)

大学では学生の言論、表現活動それ自体が文化です。「景観」という言葉で、恣意的に望ましい文化とそうでない文化を区別するようなことに、大学が加担していいのでしょうか。


匿名

一橋大学は敗北しました。京大は絶対に負けないで欲しいです。私は立て看板が大好きですし、たくさん作成してて来ました。立て看板は、大学にとって学生・講義の次に大事なものです。教職員はその次です、


匿名

私も60年前、故郷を離れ大阪で寮生活を四年送りました。寮長の時に台風(のちの伊勢湾台風)が大阪に来るという予報が出され、オンボロの建物が潰れるのではないかと随分心配したものです。吉田寮の寮生の気持ちも良くわかります。皆さん頑張ってください。


中尾麻伊香(非常勤講師)

この前現場に遭遇しましたが、ビデオカメラの撮影といい、あまりに強権的に学生を抑えつけていて驚きました。私がかつて憧れていた京都大学の魅力がなくなっていっているように思いました。危機感をもってこの緊急アピールに賛同します。


臼井陽一郎(新潟国際情報大学教員)

何かとても大切なものが封じ込まれそうで本当に心配です。


匿名

基本的には賛同しますが、吉田寮については自治の維持とは別に、耐震や防火対策は実施していただきたいと思います。伝統は残すにしても、決して今のままで良いとは思えません。


匿名

呼びかけ人のみなさまのなかには、現在は京大でない(それこそ、京大以上に学内の“管理”が徹底されているとも仄聞する)大学に籍を置く方々のお名前を少なからずお見受けします。その一点をもって、私はアピール文には反発と不信の念をおぼえます。なるほど、縁ある地への思い入れには共感します。では、ご自身の足許、すなわちそうでない大学およびその所在地については、みなさまはこれまでなにをなさってきたというのですか? 無論、これは私じしんにも跳ね返ってくる問いです。今後みなさまと同じ方角を目指して歩めるよう、やけっぱちの思いで願います。“処分”がああだ、政治信条がこうだ、無期雇用でも常勤でもない、“学内者”でも“学内施設利用者”でもない……その他の理由を一方的に持ち出して、学生・教員・職員・研究員・市民等々を“管理”の名のもとに選別・排斥して良い大学など、どこにもあろうはずがない。そう信じるからこそです。


百木漠(ポスドク研究員・京大卒業生)

立て看が自由に乱立している京大とボロボロの吉田寮が横にある京大のなかで学生生活を過ごしてきました。あの風景を自らなきものにしようとする意味が分かりません。大学当局は学生・教員との話し合いの場を設けてください。


中西航

京大とは直接関係がありませんが、応援しています。がんばってください!


匿名

私は全てが今まで通りであるべきだとは思わない。ただ、変えるのならきちんとした手続きをとらなければとは思う。

日本は上からの力に従い、下からのムーブメントが失敗すると言われてきた。本当にそうなんだろか?何か可能性はないのだろうか?

少なくともこれから起きる全てが、うやむやではなく記録されていくべき。東大の駒場寮がなくなった時を思い出しつつ。


奥田俊介

国家や京大の理事、上層部の人間が考える理想のキャンパスは、学生を監視し、束縛する場所なのでしょうか。警備員が学生を脅すような大学ではあってほしくないと切に願う次第です。


匿名

立て看は、キャンパスの花。

一人ひとりが自由に表現できてこそ、深い対話が生まれ、交流は広がっていきます。豊かな人間性を育むためにも、懐の深い国立大学であってください。


堀林正

今まで普通だったものが規制で制圧される。そして自由が奪われていく。今の社会はモラルハラスメントの状態。


脇坂明史(卒業生・音楽家)

京大の立て看板がなくなったら、ただただ淋しいです。


藤田正人(弁護士・東大駒場寮OB兼元同自治会代理人)

自治寮は闘いの砦、不沈空母です。何としても守らねばなりません。


西山卓彦

立て看問題は、京都市の規制も、京大当局の対応も、表現の自由を踏みにじるものです。吉田寮問題とも合わせて、賛同します。


武田将明(京都大学卒業生)

京都大学の自由な校風の恩恵を受けた者としては、昨今の管理強化について懸念を感じないわけにいきません。時代によって変わるべきものもあるかも知れませんが、京大の京大たる根拠、さらには大学の大学たる根拠までも失うことのないよう、一卒業生として願っております。


吉田惠子

京大の心ある皆様、頑張ってください。東北から応援しています。


関戸詳子

「緊急アピール」に賛同します。


諸富健(弁護士)

極めて重要な問題。一方的な締め付けではなく、徹底した討論で議論を深めていただきたい。


相原正義(文学部卒業生)

立て看の自由を支持します。吉田寮の存続を願います。新総長や学生担当教官の学問の内容とかより、今の大学の政治性を批判すること、大学が地域で解放的であろうとすることの方がずっと大事だと思いますよ。


杉本真一

山極統治下でありえやろへん!


遠藤泰弘(松山大学法学部教授)

京都大学は大学の自由の最後の砦だと思います。普段から、山極総長のリベラルなご見識を尊敬しています。この問題でも是非リーダーシップを発揮して、大学の自由を維持するために尽力していただきたく存じます。


池田浩士(京都大学名誉教授)

現総長はもう少しマシな人間かと思っていましたが、あまりにもひどいやりかたの連続で、なさけないという言葉しかありません。しかし、これが当たり前の大学の姿で、それを変えるのは学生!--遠くからご健闘を祈っています。


谷竜一

京都大学には縁もゆかりもありませんが、いち国立大学の卒業生として、大学は学問の場であり、学問は自治によるものであるべしと考えています。今回の問題を些末なネゴシエーションの問題と捉えることなく、おおらかに、かつ自由に議論されることを期待しています。


中砂明徳(文学研究科教授)

吉田寮の問題は正直言って、認識不足でよくわかっていません。しかし、立看板の問題のほうは単純に当局のやり方はおかしいと認識しています。ただ、今回のアピールの趣旨を拝読して気になったのは、近隣住民の方がどう考えておられるかがわからないことです。彼らの声を拾うことはできるのでしょうか。


林貴志(グラスゴー大学教員)

以前「京大が『ただの地帝』化しつつある」と書いたら特権主義的と揶揄されたし、おそらく当局は世間の中の大学として「当たり前」のことをやっているに過ぎないと思っているわけだろう。だが今大事なのは、「特権主義的」「貴族主義的」と言われることに怯まないことなのだと思う。


国重裕(龍谷大学教員・京都大学卒業生)

自由な発想、多用な考え方の衝突からうまれる学問の豊かさは、現京都大学執行部がすすめる管理強化と相容れません。一卒業生として、学問の場に「権力」が介入する事態に深い憂慮の念を抱いています。


吉川健明(医師、元熊野寮生)

学生処分、立て看規制、自治領破壊は、戦争に向けた憲法改悪そのものだ。自由の砦をまもろう。学生を守ろう。


佐藤哲彦(関西学院大学教員)

対話は学問の基本です。頑張りましょう。


水書隆太

京大関係者ではないが、この問題を見逃せば大学という学問機関としての存在価値そのものが崩壊していくという素朴な危機感、そこから管理教育に組み込まれることにより後世に託されるべき将来の様々な可能性へ向けた学問を通じた選択肢が閉ざされゆくことに対する懸念、そして政官学連携ということで、やがては体制に抑圧された世の中となり、結局は我々自身の首を絞めることにつながるので署名しました。

この自治を守るということは、巡り巡って自分達の自治を守ることになることから至極賛同いたします。

また、一方的な取り決め、権力を盾に強引に物事を進めることへの抗議の意思、微力ではありますが署名を通じ連携いたします。

体制にやられてたまるか!


匿名

「安全」や「景観」といった便利な言葉のもとで、当事者との十分な対話のないままに、執行部により強権的な締めつけが発動されようとしている。

吉田寮の件に関しては、学生の形態によって代替宿舎提供の有無が決められるという、明らかな差別が断行されようとしているなど、理に反することが数多く存在する。にもかかわらず、寮生を含めた当事者には、いまだに十分な説明がない。

(川添副学長の好きな「社会的支持」を求めるのだとしても)このように一方的な決定のしかたではなく、当事者全員に開かれた場において議論を重ねることによってこれからを考えていく必要があるのではないか。


上田雅子(京都大学文学研究科院生)

京都大学という大学がこの国の教育制度を通して人間を差別・選別して国家を支える「人材」を育てる装置であり、戦前・戦後を通して基本的にそうなのは否めない。吉田寮もまた一つの装置である。差別・選別を許したくない私には吉田寮の存在を無条件で肯定することはできない。吉田寮の存続の意義が見出されるには吉田寮自体が多様な人間に対して開かれていくことが不可欠であろう。寮生である私自身を含めて差別に対して不十分な取り組みしかまだまだ寮では出来てはいないが、吉田寮は入寮資格を拡大し、西寮のトイレ・シャワーのオールジェンダー化に取り組み、長年にわたり低廉な寮費を寮が当局から勝ち取ってきた。このことからは少なくとも京大当局よりは差別・選別に対して吉田寮が批判的であった、と言えると思う。ならば人間の差別・選別を推進するような今の大学当局の方針には断固反対していくことにこそ吉田寮の存在意義はあるのではないのか?


秋本勝(京都女子大学名誉教授、京大卒)

立て看は京都の風物詩と言っても良い。学内外とも無くさないでほしい。

吉田寮は建て替えるにしても、学生自治による運営継続が最低条件だ。


西﨑明美(立命館大学学生)

1年間、単位互換制度などで京大にお世話になりました。学生が作成した掲示物が厳しく規制され殺伐とした衣笠キャンパスを出て市バスに乗り百万遍で降りるとき、その瞬間に鮮やかな絵と強い意志を持った言葉が目に入り、肩の力が抜けて深く息を吸えるようになったかのような感覚を得ていました。そのような空気の中で思い切り貪欲に学ばせていただき、僅かな時間でしたが大変刺激を受け知識と視野が大きく広がったと感じています。

私の学びたいという気持ちに大学の枠に拘ることなく応えてくださり、成長する機会を学外者にも与えてくださった京大の寛容さが失われることなくこれからも継承されていってほしいと切に願います。京大で知覚した全てが一生の財産です。応援しています。


匿名

多様性が日々毀損され、同調圧力が益々強まっていく昨今だからこそ、学びの場は自由闊達であってほしいと思います。


西川浩樹(仏NPO法人エリゼクラブ代表、元人環院生)

門川市長が積極的に言い出した撤去要請とは思えません。中央の政界・行政からの要請や市の忖度があったのではと推察します。文科省による全国の国公立大学の人文系学部廃止通達とも連動する、文化や自由な発信への弾圧、侵害であると考えます。


栗原幸夫(元・編集者)

60年代から70年代に京都大学で共同作業をした人びと、その半分以上はもうこの世にいないが、私はその人達を、林立した立て看に埋めつくされた風景とともに、忘れたことはない。それは、決めるのは私だ!という意志表示だった。そこは、新しい学問の生まれる現場だったのだ。


滝澤哲也

大学の管理強化はなぜ?私には何とも言えない恐怖心が湧いてきます。学問。内心の自由。何もかも国家に監視されて縛られていく恐怖感が襲ってくる。


伊藤紀子

アピールに強く賛同いたします

吉田寮の存続を心より願っています


石上敦子

百万遍の交差点が妙に殺風景になってしまいました。大学らしい風景が失われつつあり残念です。


石丸泰平

頑張ってください。表立って活動する勇気が無くて申し訳ありません。


森元斎

連帯いたします。


吉田千恵(近隣住民・卒業生)

吉田寮と同じ町内に住む市民として、一連の問題に関心をもっています。

地域に開かれた大学をめざすと言うのなら、その重要な回路の一つであるタテ看を無くすべきではありません。また、長年、地域に根ざして存在してきた吉田寮に対する嫌がらせ・人権侵害は今すぐやめていただきたい。

大学による管理強化は、地域の魅力も間違いなくうしなわせます。見た目がきれいなだけの町に住みたいわけではありません。近隣住民の意見も聞いてください。


蜷川泰司(作家)

いまだ京都に住まうが、市バスで前を通りかかると否応もなく目に入る、京都市立堀川高校のくだらない(失礼?)業績誇示の、しかもおびただしい数の垂れ幕こそ、おぞましくもまた恥を知らず、「景観」を制度的に破壊してやまない。そして大通り沿いにはとうに手遅れとなった、ゼネコン御用達の11階建てビルの林立、その代償にされた歴史的建造物(明治期)の破壊こそが問題だろう。その挙句に「明治維新150年」とは、この島の文化レベルの低下にもますます歯止めがかからなくなっているという証左だろう。


松島泰勝(龍谷大教員、琉球民族遺骨返還研究会代表)

京大当局は学内だけでなく、琉球人遺骨返還問題のように学外に対しても植民地主義的態度をとっており、琉球民族もその被害を受けています。皆さんの抵抗運動に心からの賛意を示します。


伊原康隆(京都大学名誉教授)

おもしろくも変人でもない京大、にならせないよう、私も賛同します。


齋藤星耕(沖縄国際大学教員)

雑然としているのが良いと思っています。


匿名

織田作の母校と自由のために


平井啓三

頑張って下さい。学生の自由は守らないと行けません。


山本貴宏(京都大学理学研究科博士課程)

京都大学の学内運営において、学生など当事者たちが決定に関わる機会はほぼ失われています。団体交渉はその数少ない手段の一つだったはずですが、川添理事の印象ひとつで、それすらも閉ざされてしまいました。川添理事になってから、学内での集会やタテカン設置を理由にして、学生が処分されるようになりました。学生の管理強化が急速にすすんでいる現状において、「おもろいこと」や「変人」であることを声高に掲げることは、もはや茶番にしか見えません。


杉谷和哉(吉田寮生)

現役吉田寮生です。吉田寮の自治のあり方や学問の自由といった大きな問いも大切ですが、私にとってはこれは生活に関わる、身近な問題です。思想や考え方の違いはあると思いますし、私たちと異なった想いを抱いている人もいることでしょう。しかし、とりあえずは私たちの考えに耳を傾けていただければ幸いです。


林武文(ゆにおん同愛会)

京大卒ではありませんが、普通にタテカンのある学生時代を京都で送りました。タテカンのない大学など美しいどころか、逆に気持ちが悪いと思います。


山下真吾(非正規労働者)

学生の手に自治権を取り返せ!


匿名

めんどくさい人たちがいるという先入観があった(すみません)けど、いろんな人のメッセージを読んで、吉田寮は福利厚生施設でもあること、立看とかはまちの文化の一部なんだと思えました。賛同します。


森下光泰(京都大学卒業生)

学生寮や自主管理スペースに活きる自治の精神こそ京都大学が誇るべきものと思います。


川上周造

吉田寮は建物かっこいいから残って欲しいよね、部分改修とか耐震補強しながら。

看板は、まぁクスノキの前に何度も立てるのは茶番でナンセンスかもだけど、少し脇によけたりしてクスノキと時計台と看板が景観的に共存できたらかっこいいよね。


小藤桂子

変態は希少価値です。


張勝一

京大ガンバレ!!大学の自治と自由闊達な気風を守れ!!


山下泰幸(京都大学大学院生)

京都大学が日本に二つとない豊かな学生文化を、自らの手で壊そうとしていることが残念でなりません。僕が愛する京都大学は自由の砦としての京都大学であり、それが無機質で人間味の感じられない空間とならないことを望むばかりです。


藤井あきら(東京都議会議員、元寮生)

吉田寮のおかげで、生活費を稼ぎながら卒業することができました。吉田寮ですらも許容できなくなった京都大学に、「自由の学風」を名乗る資格があるでしょうか。対話をすることすらなしに、一方的に排除する。そこに知性はあるのでしょうか。京都大学は知性を放棄して、どこを目指しているのでしょうか。


関弘志(大学寮経験者)

大学4年間を学生寮(桐花寮)で過ごした貧乏学生の私にとって、寮から追い出されることは当時の経済的状況から考えて学生であることを続けられなかったでしょう。


國田昌男(北海道高等学校教職員組合連合会中央執行委員長)

大学自治の由々しき問題。思想・良心、信条、表現の自由は何をおいてもまもられるべきです。主権者たる学生の意思の尊重を望みます。


下村泰史(近隣住民・京都造形芸術大学教員)

立看板も吉田寮も京大の自由な文化が景観的な顕われであり貴重なものです。この抑圧は京大の対外的プレゼンスを傷つけるものです。


山田浩司(会社員)

潔癖で無個性な大学などに存在価値はない。


横山昌明

かつて駒場寮で生活していた者です。アピールに賛同いたします。


竹本了悟

国家や時代、あらゆる力に縛られない、自由な発想力は、掛け替えのないものだと思います。京大でさえ、それが良しとされないのであれば、とても悲しいことだと感じています。


上林芳夫

連帯します。


匿名

全く関係のない者ですが、応援しています。


匿名

がんばってください


志賀浪土筆

応援しています。


宇野秀一(妹が京大卒。)

応援しています。


林茂樹(摂南大学教員)

応援しています


山口純一郎(卒業生、岡山朝鮮)

学生の自治無くして大学の生命なし。


匿名

応援しています!


匿名

京大で90年台後半に軽音をやっていました。吉田寮でも何度かライブをしました。そこにはいろんな人がいていろんな表現がありました。その自由は人間としての尊厳そのものだったと思うし、自分という枠を広げてくれました。

そのような場を奪うことはこの管理強化・効率重視という人間性軽視の現代において、大学の存在意義をまた一つ損ね、多様性の象徴でもある京大の""懐""を著しく狭めることに他なりません。どうか再考を願います。


匿名

廃寮阻止


荒木しう子(とかちいなきびプロジェクト)

近く〈多分)の京大西部講堂のステージに立ったことがあります。聖地です。関連という事で、+言論の自由支持、言論の自由撤廃に反対します。息苦しくなるのはイヤだ。


田中一弘(文化知思想普及協会理事)

大学自治は風前の灯だ。昔ながらの寮はいまや吉田寮だけではないだろうか。大学における教育の機会均等を図る施設として、絶対になくしてはいけない。タテカンも表現の自由を担保するものであり、それを規制するのは言語同断。


矢野優(編集者・京都大学卒業)

伝えたいことがあるから立て看を出す。勉学と生活の拠点を学内に持ち、学生が自治をおこなう。そんな「自由」がこの世界に存在することを私は京都大学で学び、その自由を行使しました。大学を離れて年月が経ちましたが、今でもその学びは、私の世界観の根本にあります。生涯をかけて深めることができる「自由」体験を学生時代に得る機会や空間が失われることを、私は深く危惧します。


松本一彦

安倍政治への忖度だどおもいます!絶対に許してはなりません!


中野昌宏(青学大教員)

いろいろ難しい話以前に、あの程度の看板がダメなの?という話。度量が狭すぎます。


趙博(芸人)

反対から抵抗へ、抵抗から反撃へ!


阪上孝(京都大学名誉教授)

主旨にはまったく賛成ですが、肝心の京大生がほとんど無反応なのが残念です。


岩本麻奈美

東大にはない自由が京大にはあると信じて京大生になった人が大勢います。東大の二番手なら、京大はいい学生を取れなくなると思います。


匿名

学生が主体の大学の環境が守られることを応援しています。


守中高明(早稲田大学教員)

立て看板は学生の自由な意見・主張の表現手段であり、吉田寮もまた学生の自由な生活・研究・交流の場であり、いずれもその自律性と自治が最大限に保障されるべきである。大学をたんなる規律・管理空間にしては断じてならない。


早尾貴紀(東京経済大学教員)

東北大学の学部生だった時代に、読書会サークルでナンセンス立て看をつくっては、いちばん目立つ場所に設置するために競ったものです。

セクト系のゲバ字立て看に負けじと(設置場所とデザインで!)、やたら春先には一生懸命でした。あのナンセンス立て看のおかげで読書会のサークル員が増えたとはあまり思えませんが(苦笑)、キャンパス内の基本的な表現活動の自由を行使して、楽しんでいたわけです。

そのサークルのなかで得たものは、難解な思想書を地道に読むこと、レジュメをつくること、解釈をめぐって議論すること、社会問題について熱く議論すること、そして卒業後もつづく友人関係を見つけること。

立て看なんていうものは、そういった諸々の基底にある学生の表現活動の自由です。そんなことさえ許されない大学というのは、また一段と学生の活力を削ぎ落す悲しき愚行だと思います。


森元庸介(東京大学教員)

京大を訪れる折ごと、夜もなんとも素敵に意味不明にわちゃくちゃしているキャンパスの様子に憧れてきました。わたくしたち、いずれ末法の世にいるわけですもの、仲よくなくてよい、むしろ悪くたってよい、ともに生きられる場所、だから時間、その無窮をもっと喜ぼうではありませんか。


尾原宏之(政治思想史研究者)

文書館で吉田寮関係資料を読んだ程度の関係しかない無関係者ですが、賛同いたします。その中の『京都帝国大学寄宿舎誌』(復活創刊号・1934)で、当時学生主事だった長崎太郎は「昔と異つて今日では人と人との接触は多くの場合に事務的になつて来た」と嘆いていますが、あまりギスギスした世の中にはしたくないものです。


早野潔(会社員)

賛同します。面白く変人だらけの京都大学をこよなく愛する一人です。


小丸朋恵

京大とは関係がありませんが、応援しています。


おかあきこ

吉田寮を保存する意義を考え、保存する努力をしてほしい。これ以上、窮屈で、生き辛い人が増えていく社会はいやだ。少なくとも、大学という空間は、もっと自治の意味を考え、そしてどこまでも自由であってくれ。失望させるな。


長尾高弘(元国立大学学寮寮生)

京都大学ではありませんが、別の国立大学の学寮にお世話になりました。あらゆる学校のなかで学寮で生活をともにした寮生以上に多くのことを教えてくれた人はいません。10代から競争の連続でおかしくなっていた心のなかをまともに戻してくれたのも寮での生活でした。本当に大切なものは教室ではなく寮にありました。だからこそ、文科省、大学当局は学寮をつぶそうとするのです。弾圧をはねのけ、がんばってください。


田尻歩(一橋大学大学院言語社会研究科博士課程)

私が所属している大学でも、大学改革に起因する同じような問題が噴出しています。賛同いたします。


野崎ターラー(ファン)

よくわからないけど、噂はK氏から聞いていた。

ごった煮、闇鍋の環境は 作ろうと思って作れるものではないっ!!

解体を断固として反対します!


匿名(総長と同じ高校卒)

自らが京大生の時は恩恵を享受し、自らが総長のときはそれを壊しにかかる。立場が違えば考え方も変わるのでしょうし、地位のためにはそれが普通なのかもしれません。けれど、その「普通」に抗うのが、京大卒の先輩としての役割ではないのでしょうか。私の目には、変人を演じることで自分をよく見せようとする普通人にしかみえません。本当の変人を、今の京大生に示してください。


匿名

自治を守るために。


奥田俊介(京都大学大学院 人間・環境学研究科 博士後期課程)

何をしても現状が変わるとは思えませんが、何もしないのも癪に障ることもあり、賛同いたします。5年ほど前の総人・人環取り潰し騒ぎの時のように、連帯して行ければよいですね。


隅田聡一郎(一橋大学大学院生)

日本で最もリベラルだとされる京都大学が、産官学連携を強化するあまり、権威主義大学に転落しようとしています。一橋大学の見本をこれ以上つくらないでください。


匿名

よく分からないですけど、よく分からない状況で規制が進むのは良くないと思います。自由の学風が失われていると思う。吉田寮のや同学会の話は、双方で言っていることが違うので本当のところを知りたい。


久門千紘(京都大学学部生)

サークル活動を通してどちらも遠い出来事ではないのですが、情報も錯綜していました。知る、学ぶ、議論する機会を設けてくださってありがとうございます。

立て看板規制にしてもせめて勉強会の形でいいので根拠や対処の方針などを学生に教えて欲しいと思います。年内にあったらしい?広告物に関する勉強会も、そこまで認知されていたでしょうか?私は年明けに初めて存在を知りました。

吉田寮の方は、流れを追っているだけですと、正直議論が水かけのように見受けられます。双方それぞれの主張のみを聞いていても今後どうなっていくのかが全く想像がつかないです。

この機会にぜひ色々と学ばせて頂きたい。そういう気持ちで当シンポジウムに賛同致します。よろしくお願い致します。


宮下利次(左京区民)

一度失った文化は元に戻らないと思います。とても大切な文化を作る自由を失おうとしていると危惧します。立て看も吉田寮も大変貴重な文化です。


下山勉(近隣住民)

90年代末、寮生といっしょに吉田寮の一室で読書会をしていました。旺盛な好奇心の人々が飛び入り参加しては面白いお話をしてくださいました。大学という広場は何はなくとも学生たちと市民たち、そして本があって談論の輪があちこちに小さくあるなか、新たな集まりが必要だという声が上がり、立て看が作られては設置され、集会が開催される連続なんです、そうやって新しい声がぶつかりつつ、はなれたりつながっていくんです。立て看との出会い、立て看作りのなかで新たな学びをつかんでいく人もいる。当時の状況を念頭に置くと現在の諸状況は信じられませんが、吉田寮も例に漏れないのだなと気を引き締めています。


匿名

学生が相部屋で共同生活をして、自由に議論できる環境は貴重だと思います。耐震や防火などの安全対策は重要でありますが、出来る限り現在の自治寮のあり方を尊重するべきと思います。問題点があるのであれば、京大生・寮生に十分に意見を聞くべきと思います。


要友紀子(SWASH)

90年代後半、京大吉田寮の自主管理スペースという開かれた場所で交わる文化、知、人の恩恵を受けました。場の公共性という京大らしさを失わないでほしいです。それを失うと、大学の息苦しさが増して、自殺したくなる若者が増えると思います。


近藤和敬(鹿児島大学法文学部准教授)

一見すると京都大学だけの問題のように見えるタテカン撤去事件ですが、実際には日本各地の大学の動向を象徴する出来事だとみるべきですね。大学だけでなくすべての教育機関には、管理の届かない抜け穴、隙間が必要で、それがなくなれば、いかなる創造性も育つことはないでしょう。


冨岡勝(元寮生・近畿大学教員)

吉田寮の自治の歴史は、記録が残っているだけでも1906年までさかのぼれます。これをなくしてしまうのは、本当にもったいないことです。


高橋ペコ(京大吉田寮やタテカンなどの京大文化を愛するもの)

フラッグは、愛と自由


匿名

数年前、私の母校を訪れたとき、大学の学生への規制がずいぶんと強くなっていることを感じました。大学には、学生が自由に探求したいことを探求したり、もがいたり、ぶつかりあったり、ときに無茶なことができる、そんな場所であってほしいと思っています。

特に京大には、数ある大学の中でもそれを許す寛容さがあるイメージがあります。京大出身の友人たちは、皆変わっていて、おもしろくて、独自の道を歩んでいます。

京大なら、目の前にある現実問題の解決を、管理者にとってやりやすい方法ではなく、新しいユニークな方法でできるのではないかと期待しています。*


杉浦一輝(学部生)

立て看問題・吉田寮問題ともに「大学の監獄化」を感じます。

大学の自治は学問の自由を確保するために保障されるのであって、その自治権が学びの一主体である学生を不当に拘束するために使われるのは本質を異にするものといえるでしょう。

学生として生活してきて入学当初に比べ、京都大学は徐々に外に開かれていた扉を閉ざし内部の管理を強化するー「監獄」への道を歩み始めているように思えます。

勇気を出して声を挙げる者がいる今だからこそ、利害に関わらず学生、教員、その他全員が、監獄ではなく「学問の府」としての大学の在り方を考えるべき時期にあるのではないでしょうか。


阿部大雅

こんな現代だからこそ大学や寮の存在意義についての実りある真摯な議論が必要だと考えます。


井上義和(帝京大学教員・元寮生)

真摯でユーモア溢れる行動で、京大らしい知恵の結集を!


匿名

自分の頭で考える機会を、権力が奪う。そんなことをしないで下さい。


匿名

せめて学びのかたちが自由であることを保証できないものでしょうか?*


永滝稔(有限会社 有志舎 代表取締役)

私は京大出身者ではありませんが、この社会において人権の尊重・言論の自由こそが一番大事なものだと信じている編集者です。京大教員の方々とは何度も一緒に仕事をしてきたし、その方々のバックボーンになっている自由な学風は羨望の対象でもありました。その精神を京大に失って欲しくありません。


福島直樹(京都大学大学院生・アジア・アフリカ地域研究研究)

吉田寮はその建物の外見や構造以上に、寮生たちが織り成す世界の内面にすばらしい価値を持ち合わせている。多様な出自、専攻、趣味、年齢層、規範が同居する。それだから、各人がおのずから従う属性であるところの出自、専攻、趣味、年齢、価値規範について、日々ぶつかり合いながらも再認識させられかつ相対化させられるような場を形成している。自分は何を信じ生きるべきか、何を大切にして生きたいか、その都度立ち止まって思い悩むことで、私自身も困難な研究課題に立ち向かうことができた。吉田寮が現代に体現する自治の精神は、管見の限り、将来世代が世界のより良い在り方を模索し創造するために、現代ヒト社会において、また人類史においても欠かすことのできない偉大な学びの空間を提供しており、世界中の指導者たちに対して日本が誇りうる稀有な実験場にさえなっていると思います。*


東はるひこ(大阪大学卒、京大へは頻繁訪問)

立て看がない京大は考えられない。*


丸川哲史(明治大学政治経済学部/教養デザイン研究科)

闘いの伝統を継承しつつ、また今後どのような闘いが可能なのか――私も考えたいです。


山本英司(元寮生・金沢星稜大学教員)

山極総長、川添副学長、『京大広報』No.375(1989年7月10日)掲載の西島安則総長(当時)の「吉田寮在寮期限設定に伴う一連の措置の完了について(所感)」の、「誠意をもって寮生と話し合って行くなかで、自治の原則に沿った解決への熟成の時が必ず来ることを固く信じていた」との言葉を再読して下さい。「本学の学寮の歴史を振り返り、京都大学らしい解決方法を熟考」されんことを。


岡本正樹(経済学部89年卒)

百万遍界隈、京大の立て看風景は京大生・卒業生の心象風景であるだけでなく、長らく京都の街の風景の一つであり続けていると思う。大学の自由・自治の最後の砦を死守してほしいが、京大や大学だけの問題だけではなく、広く社会への問題提起となる視座を持ちたい。例えば、ストリートでのデモと同じ土俵で、社会に対するメッセージや表現という視座。


鈴木隆洋(卒業生、同志社大学大学院博士後期課程)

有り体に書けば、「規則に従うのは従属階級」とコインの裏表で、自ら判断することを求められる層、すなわち将来の政財界人とその有機的知識人およびその予備軍を輩出するような大学や、そのような大学への進学者を多数輩出する高校には自由自治教養の気風があったのだと思いますが、今や京大においても、それも「学問の自由」を嘉する総長副学長が、むしろ天下り理事らをしのぐかのような勢いでそれを潰しに来るとは、日本における(「ブルジョア」)自由主義の未来は暗いと天を仰がざるを得ません。特権は、万人の権利になれば特権ではなくなります。その日まで自由を擁護する責任がそれを享受する者の責務である空間が、関わる者を鍛える鉄床が、残されねばなりません。また情報公開連絡会や団体交渉など「京大の民主性」を担保して来た制度が現体制下で強権的に廃されて来たことも恐るべき退行であり、現体制の言う「学問の自由」の中身を疑わせるに足ります


匿名

文学部の学生です。京大が特権的な空間であるのは事実ですが、この事実をしかと受け止め、より開かれた場をつくろうと模索してきたのは教員ではなく学生であるように思います。学生の声を聞かない執行部が突っ走っても大学はディストピアになるばかりです。*


匿名

京大が今やっている様々な規制は、その内京大を何も言えないただの役所に変えてしまうでしょう。社会が誤った方向に進もうとした時に、大学がそれを拒否できなくていいのでしょうか。自主規制は表現の自由を殺す。私はそれが怖いのです。


布施哲(名古屋大教員)

思慮も教養もないが、物分かりだけは良い小役人然とした小物たちが大学運営に嬉々として介入するのは、いまや国立大学の日常的な光景となっています。ある種の”異物感”は学問とそのための環境には必須であるはず。たとえそれが取るに足らないものであったとしても。立看板の排除?ほかにやることないの?


絓秀実

2005年、2006年の早稲田大学ビラまき不当逮捕に対する抗議署名の呼びかけ人の一人として、署名いたします。


斉藤渉(東京大教員(文・人環卒業生))

京都大学という空間には、不可思議なものがあふれています。少なくとも、これまでは、あふれていました。その最たるものが、タテカンであり、吉田寮であったのです。知的な自由さというものが京大の特色であったとすると、それはこうした不可思議さを糧としてきたにちがいありません。世のなかで自明とされていることが正しいとはかぎらないこと、思いもよらない出来事や考え方のなかに大きな可能性が秘められているかもしれないこと――こうした感覚こそが、京都大学の学風と呼ばれるものを培ってきたのだと私は信じています。この不可思議さに対する感覚が、世間一般はいうまでもなく、大学を運営する人々のあいだですら衰えている。それは、目ざわりなものを排除してまで守られようとしている古都の景観などというものより、はるかに貴重で失われやすい文化的遺産なのです。


げいまきまき(パフォーマー)

私は京大生でも寮生でもないのですが。にしては何故か吉田寮には思い出があります。動物がうろついていて、性についてのデリケートな話をケンケンガクガクと出来て、真夜中に即興演劇があり、ヨガを朝からやって、素敵な音楽を聴いて、トルコアイスも食べた等。何でしょうか、このばらばらは。でもこのばらばらさを提供出来、しかも寮生に限らず受け入れ、問題は話し合う、そんな失われつつある社会の試行錯誤を吉田寮の人々は切磋琢磨して紡いできているのでは?と想像します。大学は対話を。寮生への真っ当な向き合い方を近隣の住民としても求めます。


大畑凜(京都市民)

大学に残された(もはや)数少ない自治空間が壊されようとしていることに抵抗するこの活動に強く賛同します。そのうえで、事が京大の問題としてのみ扱われることがないことを望みます。「京大文化」が失われることを嘆く前に、私たち自身がそれぞれの場所で加担してきてしまった/防げなかった数々の(大学だけにも留まらない)自治空間の消滅と破壊を今一度思い返すべきでしょう。そこから、今回の問題に取り組む道筋が改めて見えてくることを願っています。


盛田良治(大阪産業大学非常勤教員、京都大学卒業・元吉田寮生)

京都大学・吉田寮OBとしての立場だけではなく、近所に住む一人の「ダメなおじさん」として、立て看規制が強化されることによって、また吉田寮がなくなることによって、吉田地区近辺の視覚的・文化的・思想的景観が損なわれることに、断固反対します!


小谷英之(平成元年 工学部卒業)

自由と責任がとれれば、いいと思います。学生なので、ある程度は、無責任さえ、大人は許すべきでは?

無論、ゲバ棒を人に振るなどは、許されないですが。*


田崎英明(立教大学教員)

大学がジェントリフィケーションのエージェントとなって久しいですが、それに抗して空間の公共性を守ろうとするこの運動を支持いたします。*


額田康子(元学生)

権力の犬みたいな大学当局の一方的で恥ずかしいやり方は、学生や住民の質の低下を招きますので、やめてください。


上田実(会社員)

このシンポジウムが継続して、今後の課題を考える結集軸になることを切に祈ります。


谷川穣

いまや小さな学会の告知看板すら、立てる場所を制限されるに至っています。大学当局がそんなに〈我々〉を無下にはしないはず、という多くの〈善意の〉学生・院生(そして教職員)たちに支えられながら、その知らぬ間にそうした統制が進行し、いらぬ亀裂への種が蒔かれるさまは、いろんな意味で問題があるように思われます。


池田弓子

私の職場は、早稲田大学の近くにあります。戦時性暴力の記憶と記録を伝える資料館です。資料館に来てくれた早稲田大学の学生の方が、仲間にも知らせたいとチラシを持って帰ってくれました。配布されたチラシを大学事務局の方が見て、「大学内でチラシを配ることは禁止していますから」と電話がかかってきたことがありました。「えっ?なんで?」とわけがわかりません。今、大学はどこもそんな感じなのでしょうか?

メッセージにはなっていませんね。すみません。*


匿名

大学当局の不当な介入に対して闘っている人たちに連帯します。

現在はとても遠い場所にいるので、直接的に支援することは難しいですが、微力ながら、現在いるところで情報を共有させて頂きます。Solidaritat!*


匿名

立看板は文化だと思います


匿名

30数年前、京大西部講堂周辺をうろうろしていました。

京大らしさの残る吉田寮の存続を勝ち取ってほしい。*


匿名

貧しい清潔さより豊かな猥雑さを支持します。30年前のOBより。


石川博(早大教員・京大卒業生)

歳をとって、京大的なおもしろいとか変人とかいうのをおもしろくも変とも思わなくなったが、それでも京大の衰退は悲しく感じている。それは日本の衰退の象徴かもしれない。国全体の余裕のなさが圧力となって大学を締めつけ、小役人ばかりが執行部を占めるようになった結果が今回の件だと思う。この運動の先行きには悲観的だが、健闘を祈る。


匿名

自由の学風が、真に存続することを願っています。*


株式会社三人社・山本(卒業生・現出版社)

元法学部卒業生で現在吉田キャンパスの横で出版業をしております。母校として、今は職場のお隣として気にかかっており、そして立て看板と表現の自由、大学の未来を大切に考えないといけないと切実に感じております。

小さな出版社ですが、全国の大学を周りますので、何かお役に立てないかと日々思っております。

近くにおりますので、いつでもお気軽にお声がけください。

微力ながら頑張らせて頂きます。


匿名

私は京大の学生ではなかったですが、吉田寮、西部講堂の文化圏にてよく生息しておりました。そのようなことが可能になる土壌こそが、京大の創造性を培うものと思いますし、世界の大学世界の中ではこちらが主流ではないでしょうか?今回の大学当局の動きはとても残念なものであり、自ら大事なものを手放す愚行に見えますよ。熟考を求める。


匿名

吉田寮の元寮生の友人です。自治寮としての吉田寮を維持し続けることに微力ながら、何かしら協力したいと存じます。*


匿名

つまんない大学にならんといてほしい。


水口秀樹

百万遍のあたりの看板を見て、京大生は頑張っているなと思っていました。最近、看板が少なくなってきているし、政治的な看板はなお少ないと感じています。デッカイ看板に不正に対する主張があり、さすが京大生だとよく思っていました。


匿名

学生の意見を尊重し、まずは話し合いを。*


河西英通(広島大学教授・京大卒ではありません)

京大にはいろいろな面で闘いの先頭に立っていただきたい。


山下耕(吉田寮生)

数年前、大学本部の広報課の方が吉田寮の取材をしたいと言っていました。「京大らしい」「自由な」「自治空間」だから、と。(取材が実現したらおそらくこのような”コンテンツ”の1つになったのだと思います。http://www.thats.pr.kyoto-u.ac.jp/

いま、広報課は外部メディアに対して寮への取材を(寮に説明なく)規制しています。「教育・研究環境への妨げになる」から、と。

広報課だけを批判をしたいわけではありません。このように急速に立場を変化させ、対話を管理に置き換えていく「自由な」大学のあり方に対して反対します。


匿名

自分は吉田寮で暮らしたことはありませんが、イベントには何度も出かけました。そのたびに、そこで話し合われ、考えられ、無意識に/意識的に実践されている、これからの社会や共同体のあり方に触れ、自分自身の考え方を見直す発見がありました。寮が自主的自律的に運営されるからこその刺激だと思います。大学当局が、学生の自主自律を否定して、その実践に介入することに、強く抗議します。


塚原東吾(神戸大教員)

ここから、すべてを変える、ことができるかもしれません。頑張りましょう。


長塚真琴(一橋大学大学院法学研究科教員・著作権法)

私は、山極総長の出身地にある大学を出て、そこで働いています。私淑する先生や尊敬する同業者は、京大出身です。自分のささやかな学問にも、京都学派の成分が含まれていると信じています。その憧れの場所で、かつて母校兼勤務先で起きたことが起こりつつあるのを、悲しく思います。京大に集う皆さんが、冷笑しているうちに大切なものを手放すことのないよう、遠くからお祈りしています。


色平哲郎(佐久総合病院医師、元吉田寮生)

自治寮の大切さは、失ってみてしまってはじめてわかるものでありましょう

自由の大切さも、失ってみてしまってはじめてわかるものでありましょう

健康の大切さも、失ってみてしまってはじめてわかるものでありましょう

お世話になった方々、加藤周一、宇沢弘文、そして鶴見俊輔、鶴見良行らと

語り合った「自治の大切さ」

失ってみてはじめてしまってはじめてわかるようでは、たいへん困ります


北川功(新聞労働者)

吉田寮では約30年前、寮食堂を当時在籍していた劇団の公演に使わせていただきました。京大から、いや日本から失くしてはいけない場所だと思っています。


伊藤朱美(元吉田寮生、郵便局で働く人)

立て看は、部外者にとっても情報が得やすくとてもよろしいものです。倒れないようにするのが大切。

吉田寮は、建て替える必要はあるかもしれませんが、手続きに問題がありそうですね。


瀬戸口明久(京大人文研教員)

立て看アピール賛同します。*


匿名

大学側が間違ってます。あなた方が正しい。応援してます。


中川崇(京大OB・奈良県議会議員)

本当にそれでいいのか?と思う。

総長の山極さんは、年頭に「対話を根幹とした自由の学風」を挙げたが実態は逆。就任当時から注目させていただき、様々なアイデアを出してきた点は素晴らしいが、大学運営そのものにはポリシーを持ってされているようには伺えない。

現在の京大の運営には、学問の府でありながら熟考の跡が伺えないし、教育研究の府でありながら教育者の名に恥じるような行動を散見する。もちろん、学生が甘えて何をやっても良いわけではないが、思考停止してノイズを排除するかのような、安易な行動に走るのは残念。

「ノイズと思われるもの」を排除し、「キレイキレイな大学」にすることで、得られるものもあるだろうが、失うものはそれ以上に大きいのでは。

イノベーションは多様なものとの絡まり合いから生じる。見ざる・聞かざるではどうしようもない。

「自学自習」をはじめとした、京大の美風を発信する資格は無いだろう。


山下健太郎(氷見市地域おこし協力隊/フリーライター)

参加・居住するすべての人が自分たちの関わる場所に積極的に参加し、話し合うことができるあり方を目指しているからこそ、当然のように表現が生まれてくるのが良さだと感じています。この「当然」をなくしてしまうことに危惧を覚えます。


渡部朝香

本やPCといった個人用の媒体の中ではなく、土地にあってこそ生きる文字、土地を生かす文字というものがあります。先人が津波の危険を伝えた石碑なども、そういったものかと思います。タテカンがそこにあること、自由に表現できることは、大学が大学であることを守っているのではないでしょうか。


稲葉奈々子(上智大学教員)

自由で想像力のある活動が吉田寮から生み出されてきました。合理化だけでは得られない社会の豊かさを醸成する場所です。吉田寮は京大の豊かな想像力の源です。存続を支持します。


小尾章子(会社員)

いま、何が課題となり、どのような議論が行われているのか、立て看に表現された多様な意見を知ることは、大学の外で暮らす者にとっても、大切な気づきであり、欠かせない町の風景です。対話に基づく自由の学風をどうか守ってください。


岩瀬みゆき(東京外国語大学大学院生)

およそ30年前、吉田寮に臨泊したことがあります。そうした個人的な感傷を越えて、吉田寮が存続されることを望みます。*


匿名

約30年前学生の頃ですが、芝居を通してお世話になりました。ニュース等で取り上げられるようになり気になって2年前に久しぶりに見に行きました。学生さんともお話しさせてもらい現状の問題など聞きました。なんとか頑張って貰いたいと思います。*


木村廣元

情報を公開せよ!


高間響(劇団 笑の内閣 代表)

吉田寮食堂で旗揚げ公演をしてその立て看板も作った。10周年記念パーティーも食堂でした。20周年も50周年もないと困る。吉田寮も立て看もあってこそ京大、わざわざブランドを捨てる事などない*


匿名

大学の自治を取り戻すべし。


永田武司(「竹内+愛のコードレスでいこか」構成作家)

京都で大学時代を過ごしたものとして立て看がある景観を守って頂きたい*


匿名

劇団ケッペキOGです。文化財関係の仕事をしています。

自分が学生時代に携わってきたという贔屓目を除外したとしても、立て看も吉田寮も、学生の街京都の中でも歴史ある京都大学周辺において文化的景観を形成する重要な構成要素であると考えます。


前田禎司郎(卒業生)

立て看規制と聞いて、どんなつまらない大学になるのやと言うトホホの思いで、シンポジウムに行きました。粘り強い対話を通じて大きな間違いの無い道を求める知力が無くなりつつあるのでしょうか、京大には。

やたらと自習室とかできてるけど、あまりキレイじゃないし、学生の生活感が感じられる場所が無くなってるなというのが、久しぶりに訪れた一卒業生の感想です。樹木の剪定とか金掛けてるのかな、ガードマンも目立つし、学生はお客さんなのでしょうか?もっと大学を居心地の良い場所にしましょう。市民を含んだ全てのステークホルダーのために。*


岡本伊津子

居住している人と話し合わないといけない、力づくは違反ですから。


匿名

「自由な人民諸君よ、次の格率を覚えておくがよいーー人は自由を獲得することはできる。だが、自由は二度と見つかりはしない」と誰かが言ってました。僕らは自由の意味を問い直すべきかもしれませんね。奴隷になる前に。*


蓮行(劇団衛星代表)

対話を通じた解決を望んでいます。


徳永昌弘(関西大学教員)

おもしろくも変人でもない京大はもはや京大ではありません。


宗田昌人(文学部卒業生)

海の向こうから応援しています。小生がいた当時も「防戦」一方の情況ではあったものの、何かを「守る」過程からこそ創り出されるものがあるということを学びました。小生はそちらの国から早々に逃げ出した腑抜けですが、皆様の闘いに連帯のエール送るとともに最大限の敬意を表したいと思います。


阪上雅昭(京大教員)

シンポジウムに参加してよかったです.京都市の行政指導に端を発する立て看規制ということで,大学の外に開かれた問題になっているという指摘は重要だと感じました.今日のシンポジウムにも多くの外部の方が参加して下さっていたと推測します.今回のもう一つの問題である吉田寮のことも,自治寮の存続や確約の遵守という観点では熊野寮にも深く関わる問題であることは言うまでもないと思います.さらに,高等教育を受ける権利の保障,大学の多様性の維持などの観点からみれば外に開かれた形で議論されるべき問題だと考えています.それらの意味を含めて,今回の緊急アピールを支持します.大学当局はもちろんのこと,当局の規制強化に抗議している私たちも学内外に開かれた形で活動していくことが重要だと感じています.


とうてらお

景観のことを言えば立て看があるから百万遍は成り立っている。*


山下紀志子(会社役員)

弾圧は、先ず『学生』そして『知識人』、『ペンクラブ、原水禁、等』と。が、余りにも酷過ぎる言論弾圧に、ここで声を挙げ、皆が団結しなければ取り返しのつかないことになります。


西郷甲矢人(長浜バイオ大学教員・京都大学卒業生)

京都大学卒業生です。近隣住民でもあります。京都大学は、自由な大学「だった」とは言いたくありません。もちろんいまだかつて一度として、文字通り「自由な大学」だったことはない。しかしそれにしても、川添副学長らを中心とするこの横暴を許すことはできません。何よりもそれが、山極壽一という優れた学者であり、人格者であり、しかも「リベラル」な総長の名のもとに行われているという現実は、私を戦慄させるものです。国との関係、財界との関係、いろいろな悩ましいことはあるでしょう。しかし、立看や自治寮のない京大が京大といえるでしょうか。京大をもう一度京大にしなければなりません。たとえ、いまだかつて一度もそうであったことはない、としても。


麻生のぶよ

大学の自治を守る!とてもシンプルな事だと思います。


森岡剛洋

これからもずっと吉田寮に通いたいのです。


松本大成(北海道大学 恵迪寮生)

吉田寮大好き。


小林将悟(京大文学部生・熊野寮生)

「自由の学風」をトレイドマークにしようとする京大当局。しかし彼らがやってきたのは不対話裡の規制強化であり、それに対する学生の抵抗こそが自由を作り守ってきたのです。「自由」の横取りを、その明白な欺瞞を、許すわけにはいきません。

学問の砦に言論統制が敷かれることの恐ろしさ。そしてそれが現実のものになりつつあることへの危機感。京大だけのローカルな問題というわけでもなさそうです。


匿名

京大のタテカン、好きです!あの感じを残してほしいです*


匿名

大学の自治が、可能な限り、幅広く維持されることを望みます。*


吉田寛(立命館大学教員)

東京の大学に通っていた頃、夏休みに、友人を訪ねて、京大の寮にしばらく滞在させていただいたことがあります。開放的な雰囲気とそこで営まれている知的交流に興奮しました。そして東京にはすでにそういう場所がありませんでした。貴重な「京都の伝統」をどうかもうしばらく守ってください。


匿名

「もちろん、私たちは京大を特権的で例外的な場所と考えて、「京大だから、京大生なんだから何をやっても許されるよね」などと自己満足に浸りたいわけではありません。むしろ京大を政治信条や経済的条件に関わらず、大学の外の人々に向かって広く開かれた場所とし、京大における学びや研究を、本当に新たな認識と言説の発信に結びつけたいのです。」が徹底されますように。また、「大学の外の人々に向かって」は「大学の内外の人々に向かって」として、学内でも民主主義が徹底されますように。*


匿名

京大から立て看と吉田寮をとったら何が残るだろう。つまらないものに違いない。


伏原納知子

一般市民も巻き込んで大きな流れを作ってください。*


野間野太郎

タテカンのある百万遍の風景が好きです。


前田雅彦(京都大学 卒業生・時間雇用職員)

近年、京大だけでなく、社会の様々な領域における「管理」の傾向が強まっているように思います。そしてそれは、人間にとってあまり心地よいものではないと、感じている人は多いのではないでしょうか。

社会のもつ既存の価値に対し、よりよい価値を提示していくことは、大学の重要な役割と考えます。その意味で、構成員に対する管理強化とは別の形の、京都大学によるイニシアチブを望みます。


宮里慎太郎(渋谷越年越冬闘争実行委員会)

東京からも応援しています。攻防局面になれば、できるだけ駆けつけたいと思うております。


匿名

吉田寮に友人が住んでいるわけでも、私が京大生のわけでもない。寮生と会話したわけではない。食堂の催しに参加したわけでもない。

たまたま存在を知って、中を覗いてみただけだ。ぐるりと敷地を歩いたことがあるだけだ。私は、縁もゆかりもない、全くの部外者である。

私は、あの場所の雰囲気が好きだ。好きな場所がなくなるのは寂しい。だから、吉田寮にはなくなってほしくないと、切にそう願う。


藤村修

本当に、嫌な世の中になったものです。


玉置尚徳(元軽音楽部長(1983年頃))

応援しています。


須貝道雄(フリーランスライター)

大学内の表現の自由、学生たちの活動の自由は学びの場として、何物にも代えがたい価値があると思います。学生を管理する発想は大学の存在意義を壊すことにつながります。


山岡幸司(街医者(小児科)・卒業生)

現在自治寮に居住する者とタテカンで意思表示しようとする者だけの問題に矮小化しようとする意思にNO。

大学当局にとって都合の悪いものを排除しようとする姑息な意思にNO.

大学当局は、まず公開の場での話し合いに応ずるところからはじめよ。


杉山英夫(京都大学文学研究科院生)

タテカンや寮に限らず、学内で種々の規制を強めることは、自由な研究機関としての京大の価値を高めることに繋がるでしょうか?


匿名

吉田寮と立て看のある風景は左京区の生態系のひとつです。伝統のある森を焼き払い、鉢植えの「自由」に置きかえようとする安易な発想に寒気を覚えます。有象無象の虫も鳥もゴリラもヒトも共存できるジャングルのような空間を守って下さい。


拓徹(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 客員准教授)

恐縮ながら、シンポに出席して初めて問題の所在を知りました。個人的には、京大西部講堂がいかに日本のロックを育み、支えて来たかということはよく知っていたので、その背景にどのような思想があったのかを知り、衝撃を受けました。こういう運動はともすると「政治的」「党派的」「偏っている」と見られ不当に敬遠されがちなので、Jロックとの関係といった文化面からアピールしてみても良いかもしれないと思いました。応援しています。


匿名

今回のシンポジウム開催によって、より多くの方々が吉田寮・立て看板の問題に関心を持たれることを切に願っています。


Jae Hyun Kim(京都大学法学部生)

京都大学が社会に果たすべき責務とは、こういうことではないはずです。


山内健(法学部卒業生、会社員)

外で言っていることと、内でやっていることが矛盾したり、できないならそう言えばいいのに、嘘をついたり、人として恥ずかしい当局の人たちを許してはいけません。


匿名

京大当局による学内管理強化に反対し、立て看板の自由、吉田寮の存続を求めます。

自治空間がなくなると「自治とは何か」感覚としてわからなくなってしまうと思う。そうなると、何が奪われようとしているのか、それを奪われることが自分達にとってどれほどの損失になるかもわからない。今、学生自治を多少なりとも経験し「自治とは何か」がわかる学生・若者がどれほどいるだろう。それは、この社会の貧困化・劣化の度合いと比例していると思います。

そのことの重大さもわからず管理・抑圧しようとする世のおじさん達はこの社会の劣化の見本です。


匿名

議論を開かない当局の姿勢は問題だと思います。ぜひ大学外の人々にも話題を広げていくこのような取り組みを続けてほしいと思います。その意味で賛同し応援します。


佐々木孝

立看を作ろう。

世間の耳目を集め当局がうんざりするような巨大立看。



匿名

よしだりょうはいりたい*


益田実(立命館大学教員)

学生の存在とその主張が多様な形で可視化されてこそ大学は固有の魅力を発すると思います。目に見える特徴を失ってしまえばやがて目に見えない部分でも特徴は失われるでしょう。タテカンと吉田寮が失われた時京大もまたどこにでもあるつまらない大学と化すことが危ぶまれます。


匿名

寮や立て看の存在意義について疑問を感じないわけではありませんが、どれほどくだらない文化であっても一方的な圧力で潰されていいはずがありません。大学自治の建前はどこに行ったのか、京都大学当局の対応に怒りを感じます。


金原正宏(福祉施設職員)

当局・執行部は、世間の京大への敬意や親近感を破損しないで欲しい。以上。


富山隆將(国立研究機関技術職・91~99在学)

吉田寮で青春時代を過ごしました。色々な人間がいて、感心な奴も駄目な奴もいました。暮らしてみれば、楽しいことも腹立たしいこともありました。夜な夜な何かについて議論しました。自分の中であれほど人間関係が大きく占めていた時期は、後にも先にもありません。良いことも悪いことも、すべて人生に役立つ経験だったと思います。

当時、世界は吉田寮化すべきか?などという馬鹿な議論もありました。その是非はともかく、吉田寮にはひとつの世界があり、それは京都大学の文化に貴重なスパイスとなっています。人々にリアルな吉田寮を知ってもらえれば、きっと、潰すための議論でなく、活かすための議論が出来るのではないでしょうか。


匿名

このような一方的な規制は本来の大学のあり方ではないと思います。かって自分の通っていた大学で、同じような締め付けの強化を見ながら何も出来なかった人間として、せめて署名だけでもさせていただきたいと思います。*


匿名

学内に対しては強権的な管理体制を強めながら、対外的には「自由の学風」をアピールするという現在の大学当局の欺瞞的なあり方は大変見苦しいように思う。総長選挙の際に山極さんに期待されたのはこのような方向性ではなかっただろう。いまからでも遅くないのでこうした強権的手法の過ちを認め、関係者との対話を重ねて民主的な問題解決に努めてほしい。


匿名

吉田寮も立て看板もあって当たり前のもの。あって誰も困らない。


石橋正二郎

81年から88年まで西部講堂に住んでました。その時吉田寮生の方々にはとてもお世話になりました。伊藤先生や鵜飼さん(LA研の時でした)にも大変お世話になりました。吉田寮と西部講堂は大学のあるべき姿の象徴だと今でも思います。学生でもなくただの不法占拠者との話し合いにも応じてくれた当時の学生部にも感謝しています。開かれた大学の存在は学問や文化の成熟には欠かすことのないものだと思います。そうした存在であった京大が変わっていくのはとても耐えられません。*


草深公秀

大学生の自主性を尊重したい、それが京大らしさでもある。*


小林文子

原発事故から目が覚めて、安保関連法に強い危機感を覚え、微力でも意思表示は必要だと考えている者です。この国がどこへ向かっているのか、教育現場にも圧力が掛かって来ていて、本当に恐ろしいです。


岩下伸雄

「学生の安全な生活のための耐震性対策」と言うと、もっともらしく聞こえるが、現状の吉田寮の建て替えで京都大学が失うものは測り知れない。軍事産業との産学協同を進める今の日本国家に批判的な山極先生ならば、「京大の文化」を継承する必要性がお分かりになるはず。*


匿名

京大の風景は京都の大事な風景です。*


福原伸治

大学の自治は守られるべきであり学生もそれにより責任感が醸成されていくはず。

「自由な校風」は特徴ではなく当然であるべき。


匿名

立て看は歴史でもあり学生の表現方法故に文化の一つ。美観云々とかいうけどどこも統一された整い過ぎた美観にはうんざり。学問の府学生の自治は学生に任せるのも社会勉強。*


石田量子

広く開かれた京大であってほしいです。*


入江公康(大学非常勤講師)

この間、日本の大学は管理ばかり強化して来ましたが、それで何かいいことあったでしょうか。今一度考え直してほしいと思います。


出水正一

学生の処分、立て看板規制、吉田寮問題すべてこれらは、安倍政権が目指す大学や大学生の自治の破壊に京大当局が自ら手を貸すことになるもので、絶対反対です。*


矢部史郎

学術活動は教室と板書だけで成立するものではありません。学生生活すべてが学ぶこと考えることを支えるのです。学生生活に対する規制強化は、たんなる施設管理問題ではなく、学生たちの教育機会を侵害するものです。


匿名

もう3,4年前でしょうか、市バスで京大の横を通ったら、通路に「タテカン」が並べてあるのが見えて、懐かしく、以前のように所狭しではないのが寂しかったのですが、それでも大学の当たり前の風景として、ほっとして通り過ぎようとすると、やおら構内からトランペットの音色。なんと「君が代」が。

これには、ショックでした。今や大学の自治も無きに等しく、学生さんは奨学金の巨額の借金返済のためにアルバイトに忙しいと聞いていましたが、まさか京大でと。このとき行き先の精華大の校内は、文化部のタテカンが多かったものの自治会のそれも踏切にまではみ出してきていて、何の違和感もなかったことを鮮明に覚えています。京大よ、お前もかと。反撃の砦たれ!呼びかけてください。拡散して、年配もはせ参じます。


山田肇(「君が代」不起立処分と闘うグループZAZA)

立て看板禁止は自由の圧殺。人間も猿も自由なくしては生きられない!


匿名

たまたまFB経由でこのアピールにたどり着き、日に日に息苦しくなる日本の変わりように、困惑する中、伝統ある大学でも闘う皆さんがいらっしゃるのを知り、賛同したくなりました。*


匿名

吉田寮残ってほしいです。


髙瀬萌(京大近隣住民)

立て看がある風景は、私たち近隣住民にとっての日常です。

キョウトダイガクか山極か川添か門川か知らんけど、私たちの日常を勝手に奪う権利はあなた達にはありません。


竹田賢一

かつて京大西部講堂の企画を手伝ったり手伝ってもらったりして、大学が創造の現場でもあり得るんだ、という認識に昂奮しました。それを支えていたのは、大学の自由を守るために大学と学生が緊張感のある関係を保っていたからでしょう。立て看は石垣、吉田寮は砦です。学生にとっても、大学にとっても、ぼくにとっても。


西田侑平

権力に屈するな


毛利浩章

大学の主体を学生にも担わせるべき


匿名

自由というイメージに助けられた時期がある身として、自由のわかりやすい表現である猥雑さをあえてなくすことは、なるべく避けてほしいとおもっております。*


大内裕和(中京大学教員)

「学問の自由」「言論の自由」「表現の自由」は、学問研究の根幹を支える理念です。大学での研究と教育に関わる一人として、大学の管理強化に反対します。


匿名

賛同*


伊藤拓也(学校事務職員労働組合神奈川)

学生時代、吉田寮と寮生の皆さんには何度となくお世話になりました。学生の権利と自由を支持し、管理強化に反対します。


久保田光

立て看は街を自由にする。立て看は京都大学の誇れる文化です。


伊藤ゆり子(新月舎)

応援します!


泉翔(NPO法人ウィークタイ)

他大学の出身ですが、京大にはある種の憧れを持っています。とても残念に思っています。


末原真紀

対岸の火事と思っていたことが、いつのまにか自分もその当事者となった経験から、今回のタテカン、そして吉田寮の問題をとても他人事とは思えずにいます。一度無くしてしまったものの大事さについて、後で気がついても、復活させることはとても大変。大きな行動はできませんが、自分の地域で今回の問題について対話をするなどの取り組みをしていきます。遠くからですが、おもっています。*


匿名

京大とはご縁がありませんが、大学の自治は大切だと思います。立て看板ほか自由な活動を許容する京大だからこそ、おもしろくて変人で、そして素敵な何かも生まれているんですよね、きっと。運動頑張ってください。


匿名

石垣問題(いまの学生さんはご存知でしょうか)のときに学生だった者です。タテカンがなかったら、京大じゃないです。応援しています!*


匿名

これからも変わることなく、私の惹かれた京大であってほしいです。活動陰ながら応援しています。*


匿名

何が景観条例だ、俺たちが景観だ


匿名

01~03年に鍼灸師として働きながら聴講生をしてました。吉田寮は私にとって刺激の多い場所で、たくさんのユニークな人間と知り合う事ができました。今後もあの空間は続いていってほしいです。*


匿名

京都にすんでるだけですが、おじさん圧力がなんか嫌だな。面白くなくなっちゃうな。と思い署名しました。


鈴木健太郎

日本の原子力研究を代表してきた大学のキャンパスから原発国家への批判がほとんど挙がる様子が見えないこと、この7年間いつもずっと残念に思っています。無責任な教員と同じ顔をして学生が通り過ぎるだけのキャンパスよりも末永く、どうか学生の皆さんの自治が生存しますよう、心より祈念いたします。(2018.3.11)


塩見弥千穂

理事会や一部の教職員による独断強行と「大学の私物化」に反対します。


森田由起子(京都精華大卒業生)

吉田寮は単なる建築物ではありません。たくさんの人びとの生活や思い出が、そこには生きています。取り壊してはいけません。皆と共に抗議します。*


渡邊洋之

たくさんの呼びかけ人の冒頭に浅田彰さんの名前を見つけた。学内で勝手に露店を開いていた学生から『構造と力』を昔買った。ラカンのところはよう解らんかったがこんなことも書いてあった。「ジャングルでないと学問なんてできませんから」。


匿名

構成員の一人として、賛同いたします。大学本部からの一方的な通知ではなく、関係者全員が話し合って解決できることを望みます。*


松本博文(フリーライター)

吉田寮は現在に残る学生寮として非常にユニークな存在と思います。建築物としての価値、学生による自治システムと、一度なくすと永遠に失われてしまう。現在の吉田寮を残すことを望みます。*


塩田隆比呂(京都大学教員・理学研究科)

2月の集会で駒込先生が言及された管理の入れ子構造には上部構造があると思います:管理する側である本部事務も極めてブラックで、毎日深夜までの時間外労働を強いられ、鬱病患者が何人も出ている、しかし本部事務の職員は管理職なので職組は何もできない、との話を関係者から聞きました。また副学長をしていた頃の杉万先生が「最近府警がうるさくて」とこぼしていたのを聞いたことがあります。こう見ると管理強化は根が深い問題ですが、我々が情報共有することは管理・弾圧に対抗する有効な手段だと思います*


ひびのまこと(元京大生)

理事会や役員会に権限を集中させて少人数でものを決め、トップダウンで京都大学を運営しようという近年の試みの一つの山場が、今回のタテカン規制であり吉田寮廃寮化攻撃です。だからこそ私たちは、単にタテカンや吉田寮を守ることだけを考えるのではなく、そもそもどのような京都大学をつくろうとするのかの「私たちのビジョン」を提示していくことが大切だと思います。それは、京大の男性特権やホモソーシャルを問うことであり、遺骨返還や731部隊などの負の歴史を引き受けることであり、営利企業には門を開いて市民の自由な構内出入りを規制するあり方を問うことを含みます。現在の京大は、単に「そのまま守ればいい」ような状態ではなく、改善しなくてはいけない問題が山積しているんです。道のりは長そうですが、ゆっくりでもいいので、確実に前に進むことが大切だと思います。共に闘わん。


匿名

反骨精神、自主独立精神にあふれ、自由と人権を尊重する京大とは思えない仕儀で情けなく思います。話題にし、論題に載せるという意味では有意義かもしれませんが。


隅田悦子

予備校の教え子達が京大に進学し、彼らから現状を聞きました。京大の広く開かれた環境こそが京大の良さであると常々思っております。


喜友名正樹(京大理学部生)

権利は保障されるものではなくすべての人間(あるいは生命)に内在するものだ。そうでなくてはならない。

権利の保障とは保護の名の下にその権利の自然性を剥ぎ取り、保障無き権利を認めないという最も恥ずべき権利への侵害だ。我々には、憲法などなくとも理と利の幸福のために世界を憂い思想を育み語る権利がある。

タテカンや吉田寮(ひいては学問の自由と学生の権利)はこうした庇護という名の剥奪と、生得の権利との闘いの諸前線の一つなのだろう。


匿名

以前見た「学生自治最後の砦 京都大学」という立て看が素晴らしかった。京大すら倒れることになれば日本の大学に未来はない。


和田譲二(NPO法人緑と水の連絡会議事務局長 1979L 吉田寮OB)

応援します


宮崎史朗

学生の自発性を引き出すことこそ大学の本分。それぞれの場所で頑張りましょう。*


匿名

良心や精神の自由の侵害は許されません。それ故に賛同します。


匿名

全面的に賛同します。どのような理由であれ、このようなやり方に屈してほしくありません。


匿名

頑張ってください


匿名

緊急アピールのメッセージに賛同します。京大当局は不当な立て看規制や吉田寮廃寮方針を無条件に撤回せよ。*


辻潤

「立て看・吉田寮問題から京大の学内管理強化を考える緊急アピール」に賛同します


匿名

タテカンは学園の風物詩。現在社会の出来事や問題を眺められます。

学園にはあまたの部活あり。追求の深さはプロ並み。各部活それぞれ工夫を凝らした看板を立て、賑やかに飾るべし。これなら当局は言い掛かり付け難かろう。様々な学園生活の活性化だからね。日常的にやるの。

時にはテーマを与えて解決策を競うべし。例えば学費が諸国に比べ高すぎないか?何故ですかとか。

スマートに知的に訴えてはいかが?


永野三智(水俣病センター相思社)

吉田寮の存続を強く求めます。


匿名

昔からあるものが理不尽に無くならざるを得ないというのはとても悲しい事なので、応援してます。

力になれれば幸いです。*


上田直美(連れ合いが元吉田寮生。奥野路介さんが仲人です。)

何度も行きました。若井真由美さんの穏やかな話しぶりや、飼い猫のディアがなつかしいです。*


シュテフィ・リヒター(Leipzig大学の教員)

近年になってから、どこの国の大学にも起こりえるじじょうですので、連帯させていただきます。


岸田良朗(京大工学研究科修了・在学時軽音楽部所属)

西部講堂も未来に向けて継続的に維持して欲しいと考えています。


河村央也(青空学園主宰)、、西道奎(京都大学学生)、、石本卓也(卒業生)、、、加藤良輔(京都大学文学研究科修士課程)、渡部直己(早稲田大学教員)、井上亮(京大マップ)、田中誠一(出町座支配人)、、、、山口祐二、長谷川一志、寺田研志、徳田忠大、永井智映、谷本直樹、、藤井理嘉、




ツマミ具依(ライター)

京大の変人は京大にしかできません。代替不可能唯一無二天下一品の京大文化を残したいです*


村上絢一(京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程)

社会にとって毒にも薬にもなるのが京大生の役割。力でねじ伏せて都合よく使えると思うならば、それは間違いだ。役所がハンコをつかないと物も言えないようなあり方は京都大学にそぐわない。*


大石高典(東京外国語大学教員)

在学/在職中の経験から、立て看は、学内外を越えたインフォーマルなコミュニケーションの方法として自由な対話の場作りに役立ってきたと思います。吉田寮も、京大らしさを残す場所として大事な場所だと思います。当局には、管理を強制するのではなく、ぜひ柔軟な対応を取って欲しいと思います。


吉田多満子(京都大学卒業生・文学部1958年卒)

京大の自由な空気を、卒業生としてずっと誇りに思ってきました。立て管はそれを象徴する文化の一つと思います。今でこそ若い人たちは政治的な意見をあまり表明していないように思いますが、世の中の情勢次第で、彼らの将来に何が降りかかってくるかわかりません。そしてきっと、自分たちの意見を訴える手段は非常に狭くなっているに違いありません。今でこそクラブの勧誘がほとんどの立て看であっても、その時、表現手段として貴重なものになると思います。立て管をなくしてはなりません。おそらく全国的にもほとんど京大にしか残っていない立て管文化を守らねばならないと思います。


松本英雄(86年経済学部卒業)

自分のFBにも書きましたけど「こういう時に大学(=組織)としてのManagement能力が問われる、と思います。百万遍の交差点にコタツ出すのはちょっとまずいとは思うけど(笑)。んじゃあ、西部講堂の自主管理、あれも強権発動するの? 絶対ようせんと思う。- 要は安直に抑え込めるところだけを狙い撃ちしてるんちゃうの? ボクらの後輩、そんなこと簡単に見通しとるよ。」頑張って下さい!


高向正和(京都市民)

立て看は京大だけでなく、京都市民にとっても大事な文化です。

その文化をなくさないでください。


井上亮(京大マップ)

京都大学内の情報共有地図アプリ「京大マップ」として、本活動に賛同します。


芦刈成人(京大愛好家・1984年教育学部卒)

自由こそが、京大のレゾン・デトル。安倍政権にこびへつらう京都市の横暴に唯々諾々と従う理由は何もない。京大の自由よ、永遠に。


山本久仁子

タテカンは京大の個性です。私は行けなかったし、自分の子供も京大で学べそうにありませんが、時々、京大のタテカン前を通る時はなんだかワクワクテンション上がります。

外からの見てくれだけを気にする京都市、外から観光客を呼んで金をつかわせることだけに一生懸命な京都市。いっそここと京大のタテカンを観光名所にしてしまえば?タテカンは止めてはいけません!*


山口エリナ

大学側、ちゃんと頭を使って欲しいです。*


匿名

以前、京都大学を志していた者です。吉田寮での生活を夢見て日々頑張っておりました。吉田寮の存続を強く願い、東京から応援しています。*


匿名

今回の立て看および吉田寮の件は、大変残念なことと感じています(立て看については、大学当局よりむしろ京都市に問題があるのかもしれませんが)。

京大の自由な学風とカオティックな魅力は、少なくとも現役の学生さん方が望む限り、失われてほしくないものです。*


匿名

吉田寮にはお世話になりました。吉田寮は生きる財産です。後世に伝える義務があると思います


匿名

1979年吉田寮に泊めてもらった一宿一飯の恩義(当時、同姓同名の入寮者がいたが全くの別人)で応援します


匿名

各大学の立看が決まった形決まった場所にしか立てられなくなってしまっています。僕たちの時代には各大学とも自由に各自の責任で立てていました。それで何か不都合があったとは聞かなかったです。最後の砦として京大は頑張ってほしいと思います。個性も自由も本当になくなってしまっています。


匿名

立て看・吉田寮問題は京都大学における管理強化を示す一つの傾向です。これらのひとつひとつが管理強化への大きな流れとなり、気付いたときにはもう止められないものとなっているでしょう。今ある問題はその始まりを表すと同時に、最後の砦でもあるのです。これを守れずして保ちうる自由など一つも無い。

監獄で「自由の学風」という幻想を見せられ「変人」という商品番号を振られて市場に出回る、そんな一人の京大生として、それでも声をあげている限り私たちはまだ本物の自由を見ることが出来ると信じて、私はこの緊急アピールに賛同します。


匿名

立看板に関する京都大学の姿勢は、卒業生として残念です。景観に関する価値判断は多様で、条例規制の本質は、景観に関する行政と地域住民らのコミュニケーションを拡充して一定の方向性を見出す「プロセス」にあるはずです。少なくとも、私が在学時の一般教養科目ではそう教えていました。大学が行うべきは、行政当局および地域住民、そして学生を交えて、この問題に関するコミュニケーションの場をつくることです。


匿名

何をもって撤去してしまうのか理解できない。長年続いてきた伝統であり、京大の方が自分たちを表現するために時間をかけて考え、一生懸命製作したであろうものを、誰かが被害を受けているわけでもないのになくしてしまうのは本当におかしいし、そうゆうことをしていくとどんどんつまらない日本になっていくと思う。高校生の私が少し考えてもそれがおかしいことだとわかるのだから大人はもっとよく考えてみてほしい。


柏木夫美(主婦)

幼少より京大の近くに住んでいます。

工学部が去ったときもかなり寂しく思いましたが、

今回、京大らしいユニークな看板が消え、近隣住民として本当にがっかりしています。

優秀なのに自由・豪快・素朴でお茶目な学生が多い、京大の象徴だったのに。

京都市や大学側は、とても大事なものを壊したと、地元の市民として怒りの思いです。


匿名

観光地ならまだしも百万遍で景観保護といわれても、と思い、そもそも市の条例が適用されることに納得がいきません。また、市の条例違反という指示に対して学生を保護せず一方的な撤去のみを行う大学に疑問を禁じ得ません。自由の学風に憧れて入学しましたが、この5年間でどんどん「普通の大学」になりさがっていると感じます。京都大学のプライドを取り戻して欲しい。


倉橋あかね

亡き父が第三高等学校の卒業生でした。京都の学生の自治についてとても誇りに思っていた事を覚えております。私自身は京都で学ぶこともなく、立て看自体にさほどの愛着がある筈もないのですが、父が最後まで深く思っていたあの吉田山界隈を歩くとき、ああ京大だな、京都だなと思うのです。京都という町の精神の一端だと思うのです。そして、「私の日常が盗まれた」という一文は、今の様々な世相の中で、実に心揺さぶられるものでした。

こういった所から「日常」が崩れていくんだと考えた時、皆さまの抵抗は実に真っ当なものです。頑張って下さい。支持します。


伊藤敏

言論の自由と無害航行 近隣住民も危険でないタテカンはもちろん許容しているのだ


東矢真白

吉田寮に住みたいです。タテカン立てたいです。入学するまで無くさないでください。


樋口節子(フリーランス校閲者)

百万遍の景観にまで伝統となった「立て看」を、あるいは学生寮をどうするかを、当局は学生や教員と話し合うことで解決してください。*


熊野早希子(在学生保護者)

芸大での展示会のような活動がさらに広がって欲しいと思います。私はまず市の条例そのものが問題だと思います。刑事罰の対象となるような活動は避けつつ、粘り強く抗議を続けてほしいと思います。


森尚美(京都市民)

一般的な京都市民ですが、大学側の行為は行き過ぎだと思っています。

京都市民はアホな京大生を愛していると思います。

人脈をフル活用し、根回しを充分に、権力も利用するとか、手は尽くされていると思いますが、やり方を考えて良い方向にしてください。

京都市民は気にしています。*


家入龍太(建設ITジャーナリスト)

ノーベル賞受賞者を多数輩出した京大の文化は、表現の自由と多様性あふれる風土があってのこと。一方的な「景観保護」を盾に、京大の文化が常識の枠に閉じ込められることがあってはならない。


藤田渡(卒業生(法学部・人環)/大阪府立大学教員)

いったい京大はどうなってしまったんだろう?こんな、ふつうの、東大の次、みたいな大学なら、もうつぶしてしまってもいいと思う。


藤原和真(京大理学部)

伏見稲荷みたいに鳥居を飾ったらどうかなと思いました。

あれなら、どうみても景観条例に違反していないでしょう。


小松美彦(東京大学教員)

大学にあってタテ看と便所の落書きは、知の基底を支えるものだと思います。


どんきち

本当に真摯な”表現”を目的とするなら、わざわざ軋轢を生じさせるような方法ではなく、あくまでも法規制に抵触しないように(①法規制内での設置方法を考え出す、又は、②どうしても、敷地外の公道上に今のような形態での設置を維持したいなら、特例など法規の改正を働きかけてかけ許容されればその範囲で行う)でやるべき。

現実的には、①の、大学敷地内の外部道路に面した場所に、タテカン設置エリアを設けるなり、あくまでも敷地内に設置して(塀の内側にしっかり固定設置して、植栽を刈り込んで外から見えるようにするか、塀も取り払って、敷地内に設置するなど。倒壊、飛散、毀損など防止のため柵を設けたりすればなおよし。遊歩道のように外部の人も自由に立ち入ってタテカンを眺めて通過できるような、”開かれたアートスペース”を設けるなども。)外部から見えるように、かつ、外部に危害を加えないような方法で設置すればすむことではないか?


宮澤孟彰

自由は自然に保障されるものではない、それは自由を守る戦いでもって保障されるものである。そして今ここで表現の自由と言う人間の基本的人権を守ろうと戦う方々がいる。その人々には最大限の敬意を払い、今回賛同する。*


藤井亜希子

最近、立て看撤去の報に接して、まさかと思いました。京大が自由でも変人でもないなら、東大の影に隠れて存在感がなくなるやろ。一番貴重な財産を大切にしてや。*


上村志奈

協力させてください。


横田和磨

安全対策を考えることなく規制する者に声を上げねばならない*


吉沢幸一

ここから京大は全体主義に向かっていく。絶対に何としてでも止めなくてはいけない。*


匿名

京大のタテカンは京都が誇れる文化だと思います。大学は学生さんとよく話し合って下さい。*


匿名

なくしてしまったらもう二度と取り戻せないと思う。だからしっかり頑張ってください。*


匿名

京大関係者ではありませんが、母校に立て看がたくさんあり、それが志望・入学とのキッカケの一つとなった者です。対話や明確な提示もなく規制してくるのが、開かれた学び場なのかどうか、不安を覚えます。こうした方針は国立であるからこそ、一層危険視されるべきだと思います。*


匿名

立看板撤去も吉田寮に対する大学の態度も不当であると考えている。*


匿名

小さなことに思えることから自由は侵食されていきます。生きやすい自由な社会であり続けたいです。*


匿名

たてかんがんがえー*