⑨高田石切場
⑨高田石切場
文化文政(1804~1830)の頃に切り開かれたものです。ここから切り出された石は「高田石」と呼ばれています。石を切り出す「石切ィドン」はノミやツルハシを使って石を切り出していました。高田石は切り出す時には柔らかいので加工しやすい反面,風雨にさらされると硬くなる性質があり,墓石などに用いられてきました。
記録によると昭和32年度に石切ィドンは76名が最も多く,その後,時代の流れで年々少なくなって最終は有薗喜利さんがただ一人となり平成30年に他界され石切ィドンの火は消えることになりました。
しかし,ここに残されたこの素晴らしい空間を何とか活用できないかと高田の住民をはじめ多方面から協力を得て,令和2年8月と11月にコロナ禍に関わらず盛大な音楽会を実施することができました。
今後もこの素晴らしい空間を何とか後世に引き継ぎたく,多方面からのアイデアを募集しています。