Vo Thi Van Anh (2014),「瑜伽行派における波羅蜜多受容について―十波羅蜜多の定数を中心に―」『龍谷大学佛教学研究室年報』Vol.18, pp.68-57.(“On the Acceptance of the Doctrine of Pāramitā in Yogācāra School: Focusing on the number of Ten-pāramitā” Bulletin of Buddhist Studies Ryukoku University Vol.18, pp.68-57, Kyoto).
0. はじめに
瑜伽行派の代表的な文献である『瑜伽師地論』(Yogācārabhūmi-śāstra) に菩薩道思 想が導入されて以来、「波羅蜜多」という概念もその思想において大切な要素とな っている。その波羅蜜多は、最初に菩薩の「種姓」として確立され、後に「施品」 などの品の名として採用されるのみならず、他の「自他利益」・「真実」・「威力」 など多くの品にもしばしば説かれているのである。しかし、この文献の前後に説か れた、また同学派の他文献に説かれた波羅蜜多の内容には多少の相違がある? す なわち、その教説を受容し、また編纂する過程も見られるのである。これらの点に ついてはこれまで多くの研究があり、本稿ではそれらの研究を踏まえた上で、表題 に示したように、この学派の「十」 波羅蜜多の法数について、またそれがどのよう に受容され、定着したのかを新たな考察の課題とする。そして、それを理解するた めに同学派の初期・中期の諸文献を考察対象として検討していきたい。
3. 終わりに
1. 『菩薩地』 「住品」では般若波羅蜜多が現前するから現前地であると いう解釈が意識される。
2. 「行品」は初めて十波羅蜜多の名、特に十の後四の名称を明示する。
3. 『解深密経』では後四と前六の十波羅蜜多の数を合理化し、またそこ に、菩薩の階位において菩薩の実践行である波羅蜜多を修習するとい う地と波羅蜜多との親近性が展開される。
4. 『中辺分別論』・『摂大乘論』などが十地と十波羅蜜多との結合配当 を初めて言及し、それ以来、十波羅蜜多の法数が定着するようになる。
また、検討結果から、十地と十波羅蜜多との対応関係が定まったにも関わらず、 十地を主題とした文脈であれば十波羅蜜多という数が用いられるが、十地を主題と しない箇所では、学派の基盤教説としての三学に基づいた六波羅蜜多という数にな っていることが窺える。
Vo Thi Van Anh (2014),「『中辺分別論』における円成実性のsad-asat-tattva再考」『龍谷大学大学院文学研究科紀要』 Vol.36, pp.27-42.(“A Reconsideration of the Concept of Sat-asat-tattva of Pariniṣpanna-svabhāva in The Madhyāntavibhāga-śāstra” The Bulletin of The Graduate school of Letters Ryukoku University, Vol.36, pp.27-42, Kyoto).
0. はじめに
本稿で扱うテーマは、かつて葉阿月1971 (「円成実性としてのsad asac ca tattva」) が論じられ たものである。そこでは「無の有」という真実は円成実性の性質であると指摘されている。そ れ以来四十年余、三性説の研究はますます進んでいったが、円成実性については、現在の学界 において、必ずしも明確になってないと思われる。本稿では、葉氏と同じく『中辺分別論』第 III章第3偈に説かれる円成実性の sad-asat-tattva という規定を安慧の註釈に基づいて再検討 し、円成実性の性質を明らかにしたい。
5. 終わりに
以上の通り、円成実性のsad-asat-tattva について、安慧の並列複合語解釈の意趣が明らか になった。つまり、「清浄所縁 viśuddhyālambana」は多義の複合語であり、円成実性の二種 の性質を意趣していたものであると理解すべきである。
またこの際、二次的な円成実性が安慧にとっては重要な位置を占めているのに対して、彼に 先行する世親の諸論書にはそれに対する言及が見られないという相違を指摘できる。
最後に、円成実性解釈について、安慧の慎重な態度から考えれば、清弁の円成実性批判が背 景にあるのではないかとも思われる。今後両者の関係を考察する際に注目すべき点として提示 しておきたい。
Vo Thi Van Anh (2014),「瑜伽行派における十波羅蜜多説の起源について」『南都仏教』Vol. 99, pp.58-70.(“On the Origin of the Ten Pāramitās Doctrine in the Yogācāra School” Journal of the Nanto Society for Buddhist Studies, Vol. 99, pp.58-70, Nara).
0. はじめに
周知のように、実践行を主とする瑜伽行派では大乗菩薩行の波羅蜜多が重要視されている。これに関して、ある場合、同学派の文献において十波羅蜜多が見られる。その十波羅蜜多がどんな文献から影響されたのかを明らかにすることが本稿の目的である。その起源背景を探求するために、以下は同学派で初めて十波羅蜜多の定義を説いた『菩薩地.1 (Bodhisattvabhūmii) 行品 (Caryā-paṭala) の一節を取り上げ、次いで波羅蜜多という概念をもっとも重視する『般若経』群、また十という波羅蜜、多の法数に関係あると推測される『十地経』系の文献を検討する。結論から述べれば、稔伽行派における十波羅蜜多は『十地経』からのものであると言える。
4. 終わりに
直前の三点の指摘は本稿の課題を解決するものである。つまり、取伽行派の十波羅蜜多説の起源は『十地経』に説かれるものであると言える。また、波羅蜜多を地に配当させることが、当時の書薩十地思想文献群において、段階的に説示していったということは、議伽行派の十地と十波羅蜜多との配当に関して、重要な根拠となると想定できょう。
最後に、本稿で検討してきた『般若経』系における波羅蜜多という十の法数については瑞伽行派の典拠とは確認できない。しかし、瑞伽行派の波羅蜜多説は同経からの影響が全くないと言えない。この検討は今後の課題とする。
Vo Thi Van Anh (2015),「『中辺分別論』第V章「無上乗品」における波羅蜜多説について」『印度学仏教学研究』Vol.63, No.2, pp.985-982.(“The Theory of Pāramitā Expounded in the “Yānānuttarya-pariccheda” (Chapter V) of the Madhyāntavibhāga” Journal of Indian and Buddhist Studies, Vol.63, No.2, pp.985-982, Tokyo).
0. はじめに
波 羅蜜 多 と言 え ば菩 薩 の 実践 行 で あ る 六 波 羅 蜜 多 を指 す こ とが多い が , 瑜伽行派の 文 献に は 十 波 羅蜜多 も説 か れ て い る . 『中辺 分 別 論 』(Madhyā−ntavibhāga-śāstra, 以 下 MAV ) 第 V 章 「無上 乗 品」の 場合 が 典 型 的 で あ り, そ の 十 波羅 蜜 多が 菩薩の 十 地 に 配 当 され て い る こ と は 言 うまで もな い. そ の 他 , 同 品 に見 られ る波 羅蜜多 説に は 幾 つ か の 注 目すべ き点 が あ る . そ れ を本 稿 に お い て 順 次に 考 察 し て い く.
5. 終わりに
以 上 の 二 点 に わ た り, MAV−V に お け る 波 羅 蜜多説 の 特 徴 を指摘し た. 波 羅 蜜 多の 語源 説 に つ い て , 瑜 伽 行 派 の 観 点 , 特 に 安 慧 釈 に 見 られ る parama の 語 を nirukti−nyāya とす る こ と は 重 要 な 手 が か りと な ろ う. そ し て , 大 乗化し て い く瑜 伽 行派 に お い て は , 大 乗 的修 行 道 の 体 系 化 が 必 須 で あ っ た た め , 大 乗教 学 と さ れ る 波 羅 蜜 多を 受容 し, 学 派 独 自の 修 行 道 体 系 が 完 成 され て い っ た と いう背 景 を想 定 で き よ う.