研究内容

Research subjects

化学結合や化学反応を支配する陰の主役、それは電子!

Electron that is an important particle dominating the chemical bonds and reaction !

我々の身の回りを取り巻く自然界や物質世界,物質間どうしの相互作用,化学反応を原子・分子レベルで探索・研究可能となっています.一般に,原子・分子の内部状態を探索するには、電子・光・イオン・励起原子などの入射粒子を標的となる原子・分子に入射し、散乱・放出された電子や生成イオンの運動エネルギー分布・運動量分布・さらにはそれらの角度分布を測定するのが有効な手法です.例えば,電子顕微鏡は,原子物理学分野のみならず,化学や生物学でも利用される最先端のテクノロジーとして近年特に注目されています.

これは,J. J. Thomsonによるクルックス管の実験で電子の比電荷(電子の電荷と質量の比)が発見されて以来,de Broglieが提唱したように電子は量子論的には物質波として振る舞います.de Broglieの式(電子の波動的な振る舞いに現れる波長は,電子の運動量に反比例し,その係数がプランク定数になります)に従い,150 V程度の電圧で加速された電子は,そのde Broglie波長が1Åとなります.これは,おおよそ原子・分子のサイズと同程度です.一般に,入射した波動の波長と対象となる物体のサイズが同程度となったとき,入射した波動は標的と最も効率的に相互作用し,波動が乱されることから,光の代わりに低エネルギー電子を生成・制御し,気体の原子・分子に衝突させることで,通常の光学顕微鏡では見ることのできない原子や分子(ナノの世界)の応答が見えるようになります.さらに,de Broglieの式は電子の運動量に反比例しますので,その波長を加速電圧により調整できることから,現代では原子や分子レベルの観測が可能となっています.電子は分子を構成する原子核(正電荷)を結合させるための接着剤の役目を担っており,化学反応や物質の構成もまた大きさを持たない点電荷である軽い電子の存在が重要です.電子がなければ,分子結合や化学反応は起こりませんので,決して表舞台には登場しませんが,電子こそミクロな世界の陰の主役と言っても過言ではありません.

そこで当研究室では,この低エネルギー電子分光や光電子分光実験を通じて,気体の原子・分子,特にプラズマプロセス分子や核融合関連分子,環境関連分子,生体構成分子や,最近では固体や液体など様々な幅広い標的に着目し,原子・分子衝突過程の実験的な研究を定量測定の観点から継続して行なっています.最近では,東京工業大学,高エネルギー加速器研究機構フォトンファクトリー,日本原子力研究開発研究機構,核融合科学研究所,ポルトガル・スペインをはじめとする諸外国の大学・研究機関とも積極的に共同研究を進め活動しています.

低エネルギー電子と原子・分子の衝突実験(上智大学実験室)

当研究室で従来から継続して行っている研究テーマは電子分光実験,特に電子エネルギー損失分光実験です.電圧E0(入射エネルギーと言います)で加速された電子を標的Aに衝突させ,原子や分子に限らず標的の終状態を散乱電子のエネルギー損失量ΔEから探索する実験手法の一つです.電子エネルギー損失過程は,以下のように表されます.


e- (E0) + A → e- (E0 - ΔE) + A*


ここで,ΔE = 0の過程,すなわち散乱電子のエネルギーが標的に与えられない散乱過程を「弾性散乱」と言います.この弾性散乱は全ての入射エネルギーE0で起こり,低エネルギー領域ではもっとも支配的な過程です.一方,ΔE ≠ 0の過程を「非弾性散乱」と言い,標的は入射電子のエネルギーの一部を受け取ることで励起され,入射電子はエネルギーをその分エネルギーを失います.標的が気相分子の場合,ΔEの値は分子の取り得る終状態ごとに大きく異なり,例えば,ΔEが数 meV程度であると,回転励起,数10 – 100 meV程度の場合は振動励起,数eV以上であると電子励起や電離が起こります.さらにこれらの励起状態は互いに重なり合うので,振動励起と伴う電子励起(vibronic)や回転励起を伴う振動励起(rovib)など終状態は複雑です.そのため,さまざまな散乱過程および分子の終状態を詳細に探索するには,高分解能電子ビームが必要となります.また,当研究室では散乱電子の角度分布も合わせて測定することで,衝突現象でもっとも大切な物理量である「微分散乱断面積」も得ることができます.


さらに,これらの様々な散乱過程に関する衝突断面積のデータセットは,プラズマプロセスや核融合プラズマ,大気環境シミュレーションなどの入力データとして重要です.応用で複雑な自然現象を理解するためには,より高精度なコンピューターシミュレーション(モデリング)が必要となりますが,プラズマに関連する応用では精度の高い「基礎データ」が必要です。実はこれらの基礎データは意外と標的分子やエネルギーが範囲,衝突過程が十分揃っているとはいえず,より現実に近い自然現象をモデリングするためには電子衝突実験のような基礎過程に関する研究が重要なテーマとなります.


  1. 気相標的の電子エネルギー損失分光実験(弾性散乱・振動励起・電子励起断面積の定量測定:上写真)

  2. 難揮発性液体分子・固体表面の電子エネルギー損失分光実験(下写真

電子エネルギー損失分光実験装置の真空チェンバー写真

クロスビーム法の概略図

電子衝突によるイオン検出実験(上智大学実験室)

  1. 交差ビーム法を用いた質量分析実験(電離・解離・解離性電子付着断面積の定量測定)


上述の電子エネルギー損失分光実験では、電子と原子、分子の衝突後にある角度に散乱された電子を検出し、標的原子・分子の終状態を見積もることができますが、本装置では四重極質量分析器(QMS)を使って電子と原子・分子の衝突による電離や解離で生成された正イオンや解離性電子付着で生成された負イオンを直接検出するための実験装置です。


e- (E0) + AB → AB+ + e- + e- :1電子電離

→ AB2+ + 2e- + e-電子電離

→ A + B+ + e- + e-解離性電離

→ A+ + B + e- + e-:解離性電離


e- (Er) + AB → AB-A- + B解離性電子付着


特に、電子と原子・分子の衝突による電離や解離過程はプラズマ形成の引き金となることから、このような電離や解離などの基礎過程における定量データはプラズマモデリングに必要不可欠な基礎データを与えます。電離や解離の断面積はある閾値から急激に増大し、ある入射電子エネルギーで極大値を示し、入射エネルギーの増加とともに緩やかに減少する傾向なのに対し、解離性電子付着断面積は、ある特定の入射エネルギーEr 近傍で共鳴的な構造を示すことが知られています。解離性電子付着断面積自体は、他の断面積と比べて小さいですが、上述の電子エネルギー損失分光で説明した分子の振動励起とも密接に関連しており、重要な過程として近年注目されています。

難揮発性液体分子・固体表面の電子エネルギー損失分光実験用チェンバー写真

質量分析装置のチェンバー写真

シンクロトロン放射光を用いた原子・分子の光電子分光実験(高エネルギー加速器研究機構フォトンファクトリー)

  1. 加熱気体分子(振動励起分子)の真空紫外光電子分光実験

  2. 軟揮発性液体分子の真空紫外・軟X線光電子分光・吸収実験

また、学外として茨城県つくば市にある高エネルギー加速器研究機構フォトンファクトリーや東京工業大学、日本原子力研究開発機構発とも共同研究を実施しています。特に当研究室では、高分解能電子分光装置SCIENTA R4000(右写真)を用いた光電子分光実験に力を入れています。光電子分光実験とは、


hv + AB → AB+ + e-

与えられる過程で、ある特定の入射波長(エネルギー)を持つ光、ここでは真空紫外線を原子や分子、実験によっては難揮発性液体分子や金属表面に照射し、そこから放出される光電子を運動エネルギーの関数として計数する実験です。光電子は、電離に必要な分子特有のイオン化ポテンシャル以上で放出されることから、一定の入射光エネルギーを与え、光電子の運動エネルギーを正確に測定することで、分子のイオン化ポテンシャルを決定することができます。これにより標的分子の電子状態や振動状態についての知見を得ることができます。最近では、加熱によって変角振動励起した直線三原子分子を標的とした実験を行なっています。

高エネルギー加速器研究機構フォトンファクトリーBL20Aに設置された高分解能電子分光装置SCIENTA R4000