昨日もお話しした通り
湯 の本来の意味は 飲み物(食品の名前)です。
=浴槽に入っている温かい水は温水であって、湯ではありません。(飲めないので)
おそらく古来の湯は味無しですが、早い段階で味付になりました。(飲み物なので)
そして、味無し湯を白湯と呼ぶようになりました。(味ありが湯)
”湯”の漢字が日本に入ってくる前
定説:
ゆ は体を清めるための綺麗な水 (温度は関係ない)の事でした。
ひとびとは、ゆ で体を洗うことに神聖さを感じたようで、それは一種の儀式のようになっていきました。(例:禊ぎ(みそぎ))
現代に残る単語としては ゆあみ 等がありますが、本来はそこには水の温度の意味はありませんでした。
(冷水で行う方が主流です。当時大量のお水を沸かす技術がありません。出来てもせいぜい、太陽で温めて、ぬるい状態まででしょう。)
→体を清めるための儀式に使う水を ゆ と呼んでいた。
一つの説:
ひとびとが神聖な水を探しているうちに、とある湧き水と出会います。
その湧き水は白い煙を出しており、そして温かかった。=温泉の源泉
その湧き水のある地域では ゆあみ はその温かい湧き水で行うようになりました。
→だんだんと ゆあみ に使う水に 温かい の意味が入り始めました。(温かい大量の水はとても魅力的に見えたのでしょう)
漢字の伝来と ゆ の融合
本来 ”湯”は飲み物で、”ゆ” は体を洗うための水 ですから、全く別の用途なのですが、
水の状態だけを考えますと、”火傷しない人間にとって心地よい温度の水” である事は同じです。
そこで渡来人は ”ゆ” に ”湯” の字を充てました。
渡来人は日本の体を清める儀式の事を知らないため、徐々に 体を清める儀式に使う水 の意味が薄れていきました。
(浴槽に貯められた水こそが 本来の意味での ゆ で、それを提供するお店を 湯屋(ゆや)と呼んでいました)
(+本来の湯の意味である”飲み物”の意味が足されていきました、が、味のことはすっかり忘れていました。)
最終的に
湯(ゆ) には 人間にとって心地よい温度の水 の意味だけが残りました。 上記の経緯から、その水の用途は問いません。(飲めるし体も清められる)
従いまして、火傷をするような水は 湯ではありませんので、
熱湯という風に、区別されるようになりました。(おそらく湯は45度まで)
総括
”ゆ”には本来温度の意味はありません。 むしろ冷たい”ゆ”が主流でした。
現代の湯の意味が古来からの日本人の感性で作られた単語とは言いがたいです。
温泉+温かい飲み物 の意味の融合ですので・・(火傷しない水という感じ)
(むしろ、”禊ぎに使う清らかなな水”という日本人の感性っぽい部分の方が失われてしまいました。)
以上、湯 の複雑な事情でした。