すべての人の救いを望まれる神よ、あなたの恵みにささえられ、福者ユスト高山右近は、福音に忠実に従う道を選び、すべての地位と名誉を捨て、祖国から追放されて殉教を遂げました。幾多の困難を進んで受け入れ、あなたの愛を力強くあかしした右近が、世界のすべての人の希望となり、聖人の列に加えられますように。 (右近の取り次ぎを願い、各自の意向を沈黙のうちに捧げる)いつくしみ深い神よ、福者ユスト高山右近の取り次ぎによって、わたしたちの心からの願いを聞き入れてください。わたしたちの主イエス・キリストによってアーメン
高山右近とのご縁 私が高山右近とはじめて出会ったのは、今から20年数年前のこと。教会のボランティアで、はじめて単身フィリピンへ行った帰り道、訪問したチルドレンズ・ホームからマニラ空港へ向かう途中だった、高速道路から市内のストリートに入るために、車が港に向かっておりていった時、夜明けの空と海がマーブル色に染まっていた。その時、わたしの胸に熱い望郷が湧き上がり、一瞬、高山右近!て、感じたのである。それまで、高山右近のことは考えたこともなかった。過去5年間高槻に住んでいて、ご像をながめていただけなのに。あの時の私は、ズボンにチップ用の紙幣を押し込んで、何とか一人で日本にたどりつかないといけないと、必死だった。でも、高山右近がきっと守ってくれるという確信が芽生えた。空港で搭乗手続きを終えると、大阪の中央卸売市場の男性が声をかけてくださり、コーヒーをご馳走してくださった。そして、そこのトイレを使うように勧めてくださり、厳格なボディーチェックがすむまで、通路で待っていてくださった。そして、無事日本に戻ってくることができた。それから数年後、右近像が小豆島教会にやってきた。そして、はじめて高山右近が小豆島に潜伏していたことを詳しく知ったのである。私は、今でも、あの時高山右近が守ってくださったんだと思う。そして、何より高山右近の望郷の思いは心の奥に残っている。400年前、フィリピンに流された彼は、きっと日本のことを思い続けたにちがいない。そして、日本の教会のために、一番熱心に祈ったにちがいない。その彼の思いに、応えたい。