OLIVE &HARMONY
花言葉(知恵・平和)油(癒し) & ハーモニー (調和)
花言葉(知恵・平和)油(癒し) & ハーモニー (調和)
2025年は、私たちにとって記念すべき年。
太平洋戦争直後に島外から帰ってきた信徒たちによって、何もない所から希望を糧に教会が誕生してから80年、進駐軍のカマボコ兵舎だ
った聖堂から、信徒たちが自らの手で新しい聖堂を建設してから45年、そして新求道共同体の司祭の派遣を拒否する申入書を教区に提出
してから25年。今、主は私たちに何を語っておられるのか。
神は人間に
「判断力と舌と目を与え、耳と、よく考えるために心を授けられた」
シラ書 17章 6節
このホームページを作った理由は3つ。
一つ目は、高松教区が大阪大司教区と合併した一年後(2024年)、大阪高松大司教区が方針を転換し、約25年前私たちの教会に深刻な
分裂を引き起こした問題に改めて向き合わざるを得なくなったこと。
二つ目は、高松教区の再生を目指して、溝部司教や諏訪司教が取り組んでこられた教区の再生計画はいったい何だったのか?実を結ばな
かったのか?
三つ目は、小豆島教会の取り組みについて紹介しながら、大阪高松大司教区の明日に向かって今何が必要なのかを、小豆島教会以外の
みなさんにも共に考えていただきたい。
1 小豆島教会のその後の歩み
先日、信徒の一人がある教会でミサにあずかった時、新求道共同体とよく似たグループに遭遇した。いろんな方々に訊ねると、外国から来た新しい
グループだったが、小豆島でゆったり過ごしているうちに、教会の状況は刻々と変化しているのを感じた。そして、20年以上経っても自分たちの中
には、怯えのような不安が残っているのを実感した。
小豆島教会では、2000年3月に新求道共同体の司祭の派遣を拒否する申入書を教区に提出してから、申入書を最後まで撤回しなかった信徒は、7年
間ミサに与ることを許されず、他の信徒たちとの交流も禁止され、葬儀もしてもらえない立場に追い込まれた。
しかし、この間一人も信仰を捨てるものはいなかった。
離島である小豆島教会は、緊急時に備えて教区で最初に聖体奉仕者の養成を受けていた。切り離された信徒たちはそのうち2名の奉仕者によって集
会祭儀を開いた。島外の支援者からいただいた1枚のご聖体をみんなで分かち合ったこともあった。その時の前信徒会長の司式は、今でも忘れらな
い。
「神よ、どうか助けにきてください。」という詩編のことばに、ご聖体を手渡す手は震え、涙にぬれていた。
7年後、溝部司教から招かれた信徒は教会へ赴いたが、信徒どうしの確執は簡単には戻らない。言い争いになったこともあったが、担当司祭の浜口
神父(後の大分教区司教)やサレジオ会の司祭の尽力によって関係は徐々に改善されていった。ただ、お互いの心の奥に植え付けられた不信感はず
っと消えなかった。
その後、危機が2度やってきた。
1度目は、2020年司祭不足により担当司祭の常駐がなくなり(その後修道会も撤退)、番町教会の松永神父が兼任された時。私たちは神父常駐がな
くなる不安を松永神父に訴えた。その時神父から出た言葉は、「キリシタンに戻ったと思えば何でもできる。葬式も信徒でできる!」
私たちは一致して覚悟を決め、諏訪司教に改めて聖体奉仕者の養成を願った。第1期は5名(うち1名帰天)、第2期は2名、現在6名の聖体奉仕者
が活動している。
この養成には、以前の養成とは違う点があった。それは、シスターと松永神父の指導で司祭の勧めのことばの代わりに15分ほどの「みことばの分か
ち合い」を取り入れたこと。
最初は、中々馴染めなかったが、沈黙を大切にしながら無理をしないで分かち合う内、背伸びをせず、本音で分かちえるようになってきた。
2度目は、前年に高松教区が大阪大司教区と合併した2024年の年頭の挨拶。
教区が新求道共同体を受け入れる内容だった。東讃ブロックの評議会では、それぞれの教会の考えをまとめることになり、私たちは、評議会として
今まで避けて来たこの問題に改めて目を向ける覚悟を決めた。今まで出されてきた多くの資料を信徒全員が読み合わせ、お互いが体験した事柄を両
面から検証し、本音で分かち合った。そして、最後に申入書を撤回した信徒から、自分たちが教区から受けた情報と判断は間違っていたという声が
出た。
この瞬間、私たちは初めて心の底から和解した。
同時に、私たちが長年受けてきた苦しみと悲しみを、二度と味わいたくないという思いに一致した。カトリック教会ではこれからも新求道共同体の
みならず様々なセクトができてくるかもしれない。そのためには、私たち自身も客観的な情報を広く多くの人たちと共有し、知恵と祈りによって
識別する能力を身に着けていかねばならない。
私たちが確認した識別の方法
〇見分ける目と、心と体で感じる感性を育てる。
〇一人一人の信徒が、流されない自分を持ち、単純であっても自分で考え、自らの信仰を成長させていく。
「〇〇が言われてるから、大丈夫。」って、大丈夫?
〇自分が感じた違和感を、信頼できる人と分かち合う。
〇簡単な見分け方
・教会の雰囲気に、何か違和感を感じ始める(調和が崩れ始める)
・グループ独自の養成
グループに参加すると、グループの雰囲気(甘い言葉、音楽、花)に高揚感を覚える。
考え方の焦点が狭められていく。(断捨離的な思考回路)
罪の公開告白
悪魔や罪が強調され、恐怖に支配されていく。
グループの行事に再三誘われ、小教区より優先するようになっていく。
・典礼
小教区の聖堂で、一般典礼ではないグループ独自のミサが捧げられる。
・経済問題
養成を受け始めると、教会が指定している献金以外にグループへの献金を要請される。
視野が狭窄していくと、大切なもの以外のもの(お金、物品、不動産など)を喜んで差し出していく。
小教区財政から、特定のグループに支出が増えていく。
小教区の献金に、教区指定献金以外の献金が設定され、その献金はグループに入金される。
など
2 高松教区再生の経緯
小豆島教会では、2名の信徒が溝部司教、諏訪司教の教区再生計画に参加させていただく機会を得た。そこで見て感じたことをここに紹介したい。
溝部脩司教の施策(2004年~2011年)
〇主に教区の組織改革に取り組まれた。従来の信徒会を閉会し、聖職者と信徒を一体化した宣教司牧評議会を設置、教区に必要な委員会も改革され
た。
教区中央部から各小教区に司教の方針を行きわたらせ、各小教区からの意見を吸い上げるシステムを推進され、小豆島教会からは評議員として参
加した。
〇司教教書によって丁寧な教導を行なわれ、小豆島教会では、司祭によって教書の読み合わせと丁寧な説明が行われた結果、司教の方針を理解し、
教区行事にも積極的に参加できた。ただ、小教区の隅々にまで情報を行き渡らせ、その理解が及ぶことは、各小教区に差があったように感じられ
た。
〇一年おきに教区と地区で信徒大会が企画され、小教区を超えて聖職者と信徒が参加し、香川では地区の交流が進んだ。
〇高松教区で働く司祭を全国から呼び寄せ、神学生の養成にも尽力され、日本カトリック神学院を卒業した3名(日本、韓国、ベトナム)の司祭が
叙階された。
〇日本司教団と共に何度もバチカンに赴き、長年の懸案であった新求道共同体活動を禁止し、同共同体神学院を閉鎖された。
諏訪榮治郎司教の施策(2011年~2022年)
〇NICE(福音宣教推進全国会議)に沿った歩みを推進。
大阪教区のご出身であることから、高松教区の再生に向けて、大阪教区の人材を途用。
〇教区再生のために、「社会と共に歩む教会」をめざして、KJ法などを使って10年にわたって計画を推進。 最後の3年間は教区女性の会の大会で
分かち合いのプロジェクトを試行し、結果をたたき台にして教区の各地区で実践するなど、効率的な改革を行われた。小豆島からも女性の会役員
として、プロジェクトに参加した。
〇結果、このプロジェクトは、女性の会の四国全体大会では盛り上がったが、地区大会では手ごたえは少なかった。
その主な原因は、4点考えられる。
・企画の内容が、十分に理解されなかった。
・ファシリテーターの養成不足と、養成を見守り相談を受けるスーパーバイザーがいなかった。
・女性の会がプロジェクトを作成したことへの偏見というジェンダーの問題。
・教区再生へのモチュベーションの低さ。
女性の会が役割を終了した時、あるメンバーから、「今までがんばって教区のためにいろいろ働いてきたけど、結局教会は人を育ててこなかったと
いう印象を強くもった。」という意見が出た。
〇諏訪司教は3年間のプロジェクトを振り返り、「福音の分かち合い」を核とした信徒養成委員会を教区に立ち上げ、女性の会のメンバーをファシリ
テーター養成に特化したグループとして組み入れられた。しかし、直後に司教の退任が決まり、その企画は中断した。
〇新求道共同体については、溝部司教の方針を受け継がれた。
高松教区の体質
四国八十八か所の気風があり、素朴で、お接待の心が根付いている。 しかし以前、高松教区の信徒は、司祭から右を向け!と言われたら右を向き、
左をむけ!と言われたら左を向くだけだと聞いたことがある。自分では何も考えず、判断もすべて司祭任せで依存的。一方、表面は従順に見えても
排他的で、教区外からの新しい風には乗り切れず、中々変われない。ただ、他教区のある黙想会に参加した時、「今の信者はお客様信者。教会から何
かしてもらうことしか考えていない。」というご意見があり、これは高松だけの問題ではないのかもしれないとも感じた。
溝部司教からの最後のお言葉
溝部司教が高松教区長を退任される前にくださった手紙を読みかえすと、司教が心血を注いで問題の神学校を閉鎖されたことに対して、分裂の苦し
みに遭遇しなかった教会の信徒たちがあまりにも無関心であったことに大きな衝撃を受けた、しかし、そういうものなのかもしれない、と書かれて
あった。
ただ、最後にはこう締めくくられている。
「従って、問題は、これからどのように今後の問題に取り組むかを真剣に考えるグループを立ち上げられるかです。
自立する信徒たちを通して、きっとそれは成功すると信じています。ただし、これが成功するには、あわてないこと、ゆっくりと、しかし確実に人
の輪をひろげて進むことだと思います。仲間の輪をひろげていくということです。」
“信じる心を通して事は成る。”という信念こそ、まさに現代に必要なこと。”
溝部脩
3 小豆島教会の取り組み
私たちは司祭不足を前向きにとらえ、これからも担当司祭と共に、将来に向けた信徒の養成を模索し、
互いに仕えあう共存型の教会を目指して、希望と喜びをもって福音宣教に励んでいきたい。
【信徒の養成】
一人一人が、主と繋がり、みんなで霊性を深めていく。
〇やさしい(易しい・優しい)福音
集会祭儀の分かち合いへ参加した人たちの感想
「やさしかった。」
・信徒たちの分かち合いは、とても分かり易かった。
他の人から出た言葉は、私(みんな)にも当てはまる言葉だった。
・本音で語られる言葉は優しくて、ほっとした。参加して良かった。
聖書指導
担当司祭の指導は難しい解釈や講義ではなく、やさしい。
福音の種
一人一人が福音をおいしい種としていただき、自分の中で育まれた福音を家庭や社会で証していく。
〇寄り添い
・司祭、信徒どうしの寄り添いから、救いを求める人たちへの寄り添いへ
・互いに弱さと迷いを抱えながら、共に歩む。
〇神の民
信徒全員が一人一人のタレントに目覚め、自由に役割を果たし、互いに愛し合い、共に喜んで信仰を生きていく。
〇信徒奉仕職
聖体奉仕者 司祭の代理として病者訪問など、ご聖体に関わる。
集会祭儀司式者 司祭の代理として集会祭儀を司式する。
基本 信徒の位置づけと役割を正しく理解する。
ミサと集会祭儀の内容、関係(つながっている)について正しく理解する。
司会者は、祭儀が終わった後に振り返りを行い、報告書を作成。
質問や疑問がでれば、司祭に報告し、回答や指導を得る。
ファシリテーター 分かち合いを円滑に進めていく
(カテキスタ) やさしい福音やカトリック信仰理解への司祭補佐として、希望している。
典礼奉仕者 典礼準備、聖書朗読、オルガン伴奏、聖歌隊
司祭と信徒間の橋渡し(外国人司祭の場合、ことばの壁をカバー。)
清掃,その他すべての役割を全員奉仕の精神で行う。
【シノドスの推進】
小豆島教会が置かれている現実、ここにある意味や可能性を霊的に分かち合い、みんなで福音宣教を見つけていく。
まずは、分かり易いシノドスの分かち合いを模索中
私たちのエール!(小豆島教会聖体奉仕者の認定を受けて)
高松教区報2020年10月号掲載
小豆島教会は、信徒20名余り、高齢化により要介護者を抱え、自身も闘病中という方々が多い状況です。
この教会にいつも神父様が常駐してくださり、緊急時にはすぐに駆けつけてくださる、それがとてつもないお恵みだということに気づかず、皆フワ
リ と暮らしておりました。
昨年、神父様の常駐がなくなった折りもおり、信徒の緊急入院、家族の不安、それは信徒全体の不安となりました。
松永神父様に相談し、西川助祭様に聖体奉仕養成講座を開催していただくことになりました。
11月から毎週金曜日、聖書の講義もあるので、洗礼を受けていない方にも声をかけました。そして本年2月、5名が諏訪司教様から「聖体奉仕者」
として認定をいただきました。助祭様、神父様、司教様、心から感謝いたします。
今から思えば、それから半年の新型コロナウィルスの感染拡大、相次ぐ助祭様、神父様のご病気と、まさに、災禍を予見していたかのような認定書
の拝受でした。
「イエスのみ心」の6月、私たちは必要に迫られ、初めて信徒使徒職として集会祭儀(ことばの祭儀)を行いました。
マリアの園の院長から聖書朗読の後に「みことばの分かち合い」を組み入れるようにアドバイスをいただき、二人一組になって、私はアシスタント
として参加しました。
集会祭儀の時間はおよそ1時間。聖書朗読の後、30分ほど分かち合いに当てました。分かち合いの方法はレクティオディビナです。まず、私たち
の頭に浮かんだのが、集会祭儀の前に、途中で分かち合いがあることを説明すること。
でないと聖書朗読をしっかり聞いてもらえません。こうして集会祭儀は始まりました。福音朗読が終わって、私たちは聖堂の至聖所から降り、十数
人の信徒に向かって座りました。
司式者は、静かに説明を始めましたが、緊張はビンビン伝わってきます。すかさずアシスタントが口火を切ると、それに続いて、一人一人自分が選
んだみことばと思いを発信し始めました。
淡々と続く毎日の生活。見失いそうになっていても、無意識に祭壇に寄っていく自らの姿にふと気づく瞬間、更に深まった感謝の思いなどをありの
ままに述べ合って、いつのまにか皆、「みことばの分かち合い」に堅苦しさを感じなくなっている様子でした。最後に、「どうして今、分かち合いを
するんじゃ?ご聖体はもらえるんか?」という年配者からの質問があり、一瞬面食らいましたが、司式者が「ご聖体をいただく前に、みことばを
分かち合うのは、イエズス様の思いと一つになるためですよ。」と答えると、一同うんうんと頷かれました。分かち合いの〆に、西川助祭様からの
「小さな雀の全き信頼のメッセージを紹介し、聖体拝領になると、年配者の幼子のようなニッコリ笑顔に、他の人たちも笑顔で続かれました。
こうして、無事集会祭儀は終わりました。
後日、聖体奉仕者の認定を受けての感想を書くように促されました。言い訳をいたしますと、私は72歳、洗礼をいただいて6年です。何も分かっ
ていないのです。養成講座の聖書の講義では、今まで頭の中に平坦に記憶されていた聖書の世界が立体的に色彩をもって浮かび上がってきて、感想
文にこの喜びを喜々として書きました。でも、これを読んだ仲間から「違うよ、これだけじゃないでしょ。」という指摘をもらい、急いで声を掛けて
もらって、ミサ後、聖堂の前で、奉仕者みんなでそれぞれ感想を述べ合いました。その立ち話の何と感動的であったこと!
皆、若くはありません。一筋縄ではゆかない人生を生きてきております。
「全ては些細なことで、本当は自分は幸せだったんだ!現実は何も変わってはいないけど、私の祈りは変わった。」
「前にも増して聖書を手に取り、開いて読むようになった。」
「私は強くなったと思うよ。」
「人の必要とするものが見えるようになってきた。」
みんなの実感でした。
そして後日、二人であの立ち話をふり返っていて、私たちは不思議なことに気づきました。
集会祭儀での「みことばの分かち合い」は、自分たちの認識以上に魂に必要なものだったのです。皆、繋がっていたのです。
この小さな教会を、皆で力を合わせて信仰を分かち合おうよ。みことばの分かち合いも、かしこまらずに普段着の言葉で、皆で話をしようよ。
それが浸透してきていると感じました。
勿論私も大きな気づきをいただきました。認定書をいただいた時から、「私は何でもする。祭儀の司式もする。」と申し出ておりました。そして、こ
れまで二度、私に司式の役割が廻ってきました。しかし、なぜか急用が入ったり、助祭様が来られたりしてその役割から免れました。実は、私の心
の中には怯えがあったのです。未熟な自分が司式することに恐れを持っていた。そのことから目を背け、聖書の講義を信仰によらず、楽しみにすり
かえていました。仲間の「違うよ。」という指摘を受け、周りに目を向け、分かち合いをふり返ることで、奉仕職は、単なる「仕事」ではなく、何よ
りも何よりも私が主の御跡をついていく道標だと気づきました。この恵みを、いつも再確認し、心新たに奉仕職を努めていきたいと思います。
おしまいに小豆島教会のエールを紹介いたします。あの日の立ち話で、みんなの中からポロッと「司式は無理。アシスタントだったら」と本音が洩
れたのです。でも、小豆島教会は、シスターを除いたら、十人あまり。そこで、私たちはお互いにエールを送り合いました。
「小豆島教会は、全員野球だ!」
「アシスタントでも何でも、まずはやってみよう!」
「私たち、がんばれるよね。」
「小豆島教会、がんばろう!」
小豆島教会 坂井潤子
(2023年12月帰天)