●アーカイブ動画
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《 ダイジェスト版》
《 特別公演本編 》
●開催レポート
2022年9月20日、グランシップ(静岡市)にて「令和4年度第1回ガストロノミーツーリズム研究会」が開催されました。会場とオンラインのハイブリッド形式で行われ、観光事業者、料理人、生産者など、幅広い関係者84名が参加しました。
“しずおか型ガストロノミーツーリズム”の幕開け”
研究会は静岡県スポーツ・文化観光部部長 京極仁志氏の挨拶によりスタートしました。
全4回を予定している研究会の第1回目をキックオフミーティングと位置付けたうえで、「コロナ禍が落ち着きを取り戻しつつある今、観光もこれから回復していくことが予想されます。人々の旅行スタイルは個人型にシフトすると同時に、体験を重視する傾向が強くなっています。しかし、美味しいものを食べるという楽しみは、今も昔も変わりません。静岡ならではの食を”体験”してもらうため、県の方向性のひとつとしてガストロノミーツーリズム研究会に力を入れてまいります」と、本研究会の意義を述べました。
《しずおか型ガストロノミーツーリズムの推進》
続いて、『しずおか型ガストロノミーツーリズムの推進』について、静岡県ガストロノミーツーリズム担当参事の土泉一見氏が登壇し、県の取り組みと方向性について解説しました。
土泉氏は、多彩で高品質な439品目を有する静岡県を”食材の王国”と表現。それらの食材を活用することで、地域完結型の食の提供が可能だと言います。「東西文化交流の要衝であるだけでなく、富士山、伊豆半島、南アルプス、浜名湖に代表される地域資源のほか、持続可能な農作物の生産の実践(世界農業遺産)など、持続可能な観光地域の素地があり、『和の食』や食文化をツーリズムに取り込むことで、更なる地域の魅力向上を目指します」と、県の方向性を説明しました。
《しずおか型ガストロノミーツーリズムを考える》
次に、ふじのくに地球環境史ミュージアム館長の佐藤洋一郎氏が登壇し、『しずおか型ガストロノミーツーリズムを考える』と題し、講演いたしました。
冒頭、佐藤氏は「静岡でガストロノミーツーリズムをやると考えた時、強みはなんだろうか?」と問いかけました。
佐藤氏の示した静岡の特徴は、以下の3つです。
①地理的な強み:この県には439の農芸品があり、2位とは圧倒的な差が開いています。それは富士山・南山脈・駿河湾といった自然の恩恵や、日本のおへそ・東西の結節点といった地理的な特徴に起因しているのではないでしょうか。また、静岡には縄文文化と弥生文化の両方の歴史があり、東西のみならず南北の軸も持っているため、古くから塩の交易で栄えてきました。しかし、優れた産地である一方で、「静岡料理」という概念がありません。美味しいものが県外に流れてしまう事態を防ぐ必要があるでしょう。
②水:いい水のないところに食文化は存在しません。静岡は伏流水や地下水に恵まれています。西のうなぎ、伊豆のわさびなど、全ては水が支えているのです。
③色濃く残る武家の文化:茶、精進料理、宗教。何といっても、静岡は日本の食文化に多大な影響を与えたお茶の産地です。また、静岡の地理的要因を踏まえると、スペインのサンチャゴ・デ・コンポステーラの聖地巡礼で発展した”バスク料理”のように、静岡でも宗教によって発展した歴史があるのでは、と考えています。
「歴史については、専門家である小和田先生のお話をお楽しみください」と締めくくりました。
《 特別公演 》
戦国時代の日記に記された、貴重な食の記録を紐解く
特別講演には静岡大学名誉教授の小和田哲男氏をお招きし、『戦国・安土桃山時代の食文化~『言継卿記(ときつぐきょうき)』で読み解く今川時代の食文化』と題してご講演をいただきました。
NHK大河ドラマで数々の時代考証を行ってきた小和田氏ですが、その中でも「この時代にこの野菜はありません」と指摘する場面もあったそう。そんな小和田氏が今回、静岡県の食文化を読み解く資料として選んだのが『言継卿記』です。著者は山科言継。弘治2年(1556年)9月~弘治3年(1557年)3月の半年間、駿府に滞在していた京都の公卿です。
「私たちが普段日記をつけるとき、毎日食べているものは記録しないですよね。変わったものを食べた日だけ記録するのが普通です。ところが、言継は違います。40年間、毎日事細かに日記をつけています。余談ですが、言継のようなお公卿さんの日記は比較的多いのですが、武士の日記はあまり残っていません。昼間一生懸命働いているので、日記を残す余裕なんてなかったのでしょう。研究者として、『言継卿記』には非常に助けられています。京都に足を向けて寝られません」とユーモアたっぷりに会場の空気を和ませた小和田氏。
言継が静岡に滞在した半年間は、まさに今川氏の全盛時代。駿河・遠江・三河という広大な領地を治めていました。「今川義元が桶狭間の戦いで負けたイメージが強いですが、実際の今川氏は戦国時代屈指の名将でした。上杉謙信・武田信玄らと肩を並べるだけの力を持ち、有名な『川中島の戦い』では今川氏が仲裁に入りました。また、当時駿府は金の採掘場であると同時に塩の産地でもあり、東海道が通っている今川の領地は、商品流通経済の中心地でした。織田信長の楽市・楽座よりも早く、富士宮の門前で楽市・楽座を行っていたのです。
駿府は今川氏の城下町として発展し、多くのお公卿たちが駿府にやってきました。その1人が山科言継です。彼の日記を見てみると、駿府に滞在中の時だけ上質な紙を使っていることが分かります。京都より質の良い紙です。これは駿河が紙の産地だったことを示していて、今の富士の製紙工場に繋がっています。
言継は日本各地を訪れて多くの戦国大名と交流し、滞在先で見聞したことを事細かに書き残しています。各地の様子がよく記録され、地元である京都とは異なる文化、特に食べ物については詳しく書いています」と小和田氏。
弘治2年(1556年)9月25日の記録を見ると串柿、醬、浜名納豆、茶とあります。
小和田氏「醬はひしお、と読みます。当時、醤油はまだ存在しなかったため、塩漬けの類と思われます。魚は塩で食べていました。
海の幸でいうと、海老、魚、鮭、カマホコ(蒲鉾)、鮒、鯛、イナダなどの記録が見られます。カマホコは当時よく食べられていました。また、豆腐が多く登場します。魚ばかり食べられる状況ではなかったことが推測されます。
ちなみに、日記に登場する雁(かり)、雉(きじ)、鵠(くぐい)、雁之汁、これらは全て鳥類です。鶴の記載もありますね。最も高級な鶏料理は白鳥だったようです。当時、4つ足動物はほとんど食されておらず、駿府では鶏料理が多かったことが読み取れます。おそらく特別なご馳走だったことでしょう」
弘治2年(1556年)12月30日にはイルカ、牛房、カチ栗、大根の食材が並びます。
小和田氏「残念ながら食材名しか書いていないため、どんな料理にして食べられていたのかは想像するしかありませんが、イルカと午房は味噌煮にして食べていたのではないでしょうか。また、カチ栗の記載がありますが、これは縁起物として当時好まれていました。「打って、勝って、喜ぶ」というゲン担ぎで、打ちアワビ、カチ栗、昆布を食べる習慣がありました」
年が明けて、1月1日には雑煮を食べていたことが分かります。小和田氏曰く「日記に登場する鰆、なまこ、鯨などの海産物は、駿河湾で獲れていたことが推察されます。蕎麦も食べていました。現代のように細く切っていたかは不明です。また、餅ぜんざいや饅頭など、嗜好品も食べられていたんですね」
当時の公卿が食べていた食材が次々と明らかになる一方、意外と農産物が登場しない点について、小和田氏は「もしかしたら野菜は当時からありふれていたため、あえて日記に書かなかった可能性はありますね」と言及しました。
なお、言継は浜納豆がよほど気に入ったらしく、2月27日に調理法を習った記録が事細かに残っています。当時は男性も料理をするのが普通で、男の教養の一部という位置づけだったようです。
「戦国時代の人々が何を食べていたのか。言継は普段食べていないようなものをピックアップして記録したのかもしれませんが、それでもこの資料は貴重です。特に魚・鳥についての記録は非常に興味深い」と小和田氏。講演の最後に、戦国時代の食文化をガストロノミーツーリズムに役立てる一例として、当時の接待料理について紹介されました。
「織田信長が徳川家康を接待した際の記録が、『安土御献立日記』に残されています。ホヤの冷や汁や鰻(当時はぶつ切りを丸焼きにしていた)など、NHK大河ドラマの『麒麟がくる』放映時には、これらのメニューを再現して観光資源として活用されました。
ガストロノミーツーリズムというからには、ちょっとしたご馳走を食べてほしいと思います。接待料理がモデルになればいいですね。関ケ原が東西の境目であるとよく言われていますが、静岡はどうでしょうか?これから皆さんに研究していただけると嬉しいです」と、戦国時代史の第一人者ならではの視点で講演を締めくくりました。
《対談》
豊かな静岡の食が垣間見えた対談
その後は佐藤氏・小和田氏に再び登壇いただき、静岡のガストロノミーツーリズムについて自由に対談いただきました。
佐藤)今日のお話で特に面白いと感じたのは「浜名納豆」のお話です。小和田先生のお話を聞いていると、京都の「大徳寺納豆」と似ているなと感じたのですが…
小和田)そうですね。味も製法も似ていると思います。
佐藤)浜名納豆と大徳寺納豆、どっちが古いのでしょう?
小和田)正確な時期は不明です。ただ、どちらも禅宗の精進料理として作られたことは確かでしょう。
佐藤)嗜好品としてぜんざいを紹介されていましたが、当時のぜんざいも甘かったのでしょうか?
小和田)砂糖は当時大変な高級品でしたので、砂糖の甘味はなかったと思います。
佐藤)砂糖以外の甘味はあったのでしょうか?
小和田)さとうきびのような植物を使った可能性は考えられますね。
佐藤)先生のお話にあった通り、当たり前のことは記録に残さなかったのかもしれませんね。それから鳥。鳥の中に序列はあったのでしょうか。
小和田)まずは白鳥でしょうね。織田信長が自分では食べずに天皇に献上するくらいですから。一度食べてみたいです(笑)
佐藤)中国に行くと食べられます(笑)
小和田)鴨、雉、雁などは、比較的手に入りやすい肉でした。実際の鷹狩は、大名が自分で獲物を獲りに行くんです。よくドラマの演出で、獲物を部下に取りに行かせる場面がありますが、実際は違いました。家康が70歳以上まで元気だったのは、鷹狩で身体を動かしていたからだと思います。
佐藤)今も長生きするには肉を食えといいますね。
小和田)魚や鶏肉で健康的だったんでしょうね。
佐藤)不思議だったのは、川魚が少ないことです。京都では川魚の記録しかないんです。ちなみに、序列の一位は鯉でした。
小和田)言われてみればそうですね。静岡は川が多いのに不思議です。言継は、鮎とか鯉は京都で食べ慣れていたので、記録に残さなかった可能性は考えられますね。
佐藤)カチ栗が出てきましたが、これはやっぱり武家ならではの習慣でしょうか?
小和田)そうでしょうね。栗といえば、三内丸山遺跡(青森県)で栗が栽培されていたと佐藤先生から以前お伺いしましたよね。
佐藤)そうです。静岡県の森町は昔から栗の名産地ですね。次郎柿の原木もあります。それだけ労働していた人々が、甘いものを摂取していなかったとは思えません。やはり植物から摂っていたんでしょうね。最後に『安土御献立日記』のお話がありましたが、信長が家康を接待したときの「鮒寿司」のお話について聞かせてください。
小和田)私は「鮒寿司」が好きで、滋賀に行くと必ず食べます。保存食の王道で、武将たちも好んで食べていたと思います。匂いが気になる方が多いと思いますが、会場の皆さんはいかがでしょうか?
(会場では嫌いな人が多数)
小和田)接待料理として出されることはあったでしょうが、特段高級な食べ物と言う印象はありません。
佐藤)長期保存がきく食べ物なので、いろんな場面で出てきたのかなと想像しました。
小和田)僕が意外だったのは、ハマグリが少ないことですね。他の地域ではよく見られるハマグリが、『言継卿記』の駿府での記録には登場していません。
佐藤)このあたりは良い砂浜が少ないのかもしれませんね。今後明らかになればよいなと思うのが、調理法。『言継卿記』には原材料名だけ書いてあるので、どんなふうに調理されて食べていたのか、気になるところですね。
《意見交換》
続けて、会場の参加者からの質問に佐藤氏と小和田氏が答える意見交換の時間が設けられました。
参加者A)『言継卿記』に、お酒の記述がないのが意外でした。お水に恵まれているので、無いのが不思議だなと…。
小和田)お酒は毎日飲んでいるので、あえて書かなかったのでしょう。
佐藤)度数は行っても20%くらいでしょうね。
小和田)よく指摘されますが、当時は清酒もありました。
参加者A)お酒関連でもうひとつ。蜂蜜や蜂蜜酒はあったんでしょうか?
小和田)戦国時代の記録で、蜂蜜はないですね。ただ、秀吉が朝鮮出兵の時に養蜂の技術を持ち帰って福岡で育てた記録が残っています。
参加者B)小和田先生に質問です。家康公が晩年、なぜ静岡に戻ったのか、先生はどのように推測されますか?静岡で過ごした幼少期の良い思い出が残っていたからと聞いたことがありますが…。
小和田)おっしゃる通り、駿府に戻ってきた理由として、幼少期の記憶や、温暖な気候に良い印象を持っていたことは挙げられます。もう一つ、「駿府の米が美味しい」と言っているんです。これも理由の一つになったかもしれませんね。ちなみに、家康の死因は鯛の天ぷらにあたったと言われていますが、油で揚げているので食あたりの可能性はありません。高齢にも関わらず、油っこいものを食べすぎたというのが正確でしょう。ちなみに、鯛の天ぷらと言っても、鯛のすり身を揚げたものでした。
佐藤)すり身でも上等ですね。誰か再現してほしいです。
佐藤)オンラインからも質問が来ています。「家康公に食事を差し上げるとしたら何が喜ばれるでしょうか?」
小和田)家康は健康志向です。あまり豪華な食べ物は食べていなかったからこそ、70歳以上まで生きたのでしょう。好んで食べていた麦飯は、脚気の予防にもなっていました。当時の武将は脚気に苦しんでいました。そう考えると、やはりとろろがおすすめでしょうか。
佐藤)このあたりの名産品ですもんね。
小和田)健康に気を遣っていたので、薬草園も持っていました。
佐藤)薬膳と言う観点から、食文化に繋げられるかもしれませんね。
他にも多くの質問が寄せられ、活発な意見交換の場となりました。
静岡県スポーツ・文化観光部観光交流局局長の影島英一郎氏が閉会の挨拶に立ち、「本日は生産者、料理人、観光事業者、学術関係、実に多くの関係者様にご参加いただき、心強く思っております。ぜひ、皆様にご協力をいただき、本県のガストロノミーツーリズムを盛り上げて参りたいと思います」と、記念すべき第1回の研究会を締めくくりました。
第2回目の研究会は12月12日、ヴァンジ彫刻庭園美術館(駿東郡長泉町)にて開催予定です。特別講演には、アル・ケッチァーノオーナーシェフ/ふじのくに食の都づくり仕事人の奥田政行氏をお招きいたします。
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