富山県高岡市のご紹介
富山県高岡市のご紹介
雨晴海岸から望む立山連峰
古くは奈良時代、伏木の地に越中国府が置かれ、万葉集の代表的歌人大伴家持が国守として赴任し、風光明媚な雨晴海岸や二上山を歌った220首余りの秀歌を万葉集に残しました。
また、江戸時代には加賀前田家二代藩主 前田利長公が城下町として高岡を開き、廃城後には商工業の町として発展しました。
銅器や漆器は高岡を代表する伝統産業であり、町のあちこちに藩政期以来長い歴史の中で受け継がれてきたものづくりの技を感じることができます。
高岡古城公園について
高岡古城公園は、前田利長公が開町時に築いた高岡城があった場所に位置します。
明治期、民間に払下げになりそうなところを、有志の尽力により城跡公園として市民に開放されました。中心市街地に21万㎡という広大な面積を持ち、水濠は築城時のまま残っていることなど、人工的にあまり手を加えられていない自然公園であり、豊かな水をたたえた水濠公園である事が特長です。
そしてここ本丸広場は、城主利長の居館や本丸門、番所などがあった場所とされています。現在、利長像をはじめ数多くのブロンズ像、句碑、歌碑などがあり、イベント会場としても利用され、市民の憩いの場となっています。
ロゲーション各エリアについて
中心部エリア
高岡御車山祭の曳山を持っている10町を「山町」といい、開町以来北前船など各種商業で財を成した高岡商人が住んだ町。
旧北陸道沿いの各町には優れた土蔵造りの家々が立ち並び重要伝統建造物群保存地区に指定されています。
高岡築城直後、前田利長公は7人の鋳物師をこの地に呼び寄せ、幅50間、長さ100間の土地を与えて鋳物場を開設させました。また、諸税や労役を免除するなど多くの特権を与えて手厚く保護したことから、この地に鋳物産業が根付き、今日の高岡鋳物発祥の地となっています。
千本格子の家並みが大切に保存されており、伝統的建造物群保存地区に選定されています。
前田利長公の命日に当たる6月20日には利長公への報恩・感謝の意を込めて「御印祭(ごいんさい)」が盛大に執り行われます。
前田利長公の菩提寺であり江戸初期の禅宗寺院建築の傑作である国宝「瑞龍寺」や、大名として最大規模の大きさを誇る「利長公墓所」、開町前から存在し高岡という名を利長公に提案した真言宗の古刹「総持寺」、そして高岡の近代水道発祥の地であり、銅板葺きの最上部が印象的な「清水町配水塔資料館」などがあるエリアです。
吉久・伏木・雨晴エリア
藩政期に越中で最大であった加賀藩の「御蔵」があった場所。明治期には米を商う米商が住むなど米の交易で栄えた町です。重要伝統的建造物群保存地区に指定される町並みは、金屋町と並ぶ貴重な文化遺産です。
万葉の昔から越中の国府が置かれ、要港として栄えた町です。江戸期には北前船で賑わい、現代では国際貿易港となっています。北前船で繁栄した往時を偲ばせる町家や明治の洋風建築が各所に残る町です。
海越しに3000m級の立山連峰を望む大伴家持も万葉集に数多詠んだ絶景の地。雨晴の地名は、源義経一行が奥州平泉に落ち延びた際、雨宿りをした逸話が残ることに因みます。