シュナイダー・渡部学とは
ー新々語源学の理念-
ー新々語源学の理念-
新々語源学の理念
渡 部 昇 一
イメージの考古学
語源に対する研究の最も画期的なものは、19世紀における比較言語学であったことはよく知られております。グリムの法則、フェルナーの法則等々によって、それまではそれほど関係はないとされた諸言語を括る印欧語族という概念が成立し、それまではお互いに関係ないとされた単語が同根であることが法則的に簡単に見つかるようになった。これが一大発見であります。しかしどちらかと言えば比較言語学自体が音声主義、つまり「語形」中心でありまして、「意味」はどちらかと言えば付け足りといった趣が強いのであります。
ところが1950年代になって、偶然ミュンスターにおいて、GermanistikのTrier教授、AnglistikのSchneider教授などを核といたしまして、新しい語源学への視点が導入されました。それは意義を重視するものであって、その方法論の背後にはその語のもつ基本的なイメージというものがありました。そしてそのイメージというものを中心として考えてゆくと、いままでは語形は似ているけれども同根だとは認められなかったような意味の違いのきわめて大きいものが容易に結び付いたりするようになったわけであります。
一番分かりやすい例は、Schneider教授が解明されたのですが、ring「鳴る」とring「輪」が同根語であるというものです。これは古代ゲルマン人が太陽を「音を立てて回転しながら空を運行しゆく車輪」として表象していたということが解明されなかったらできなかったわけであります。
音象徴に基づく人類共通語根の探求
語根創成ということに当たって最も大きな働きをなしているのはオノマトペア(onomatopoeia)と音象徴(sound symbolism)であります。あとはそれをもとにして観念連合で単語を結び付けていくという方法があるわけですが、いまわれわれが考えておることは、その元の段階、オノマトペアと音象徴において、人類の脳細胞および五感の器官が本質的に同じであるという見地に立てば、人種あるいは語族(language family)の相違に関係なく語源を探求できるのではないかという発想であります。
たとえば、ghost「幽霊」は語根*gheis- (to frighten)から出たとされますが、つまりは「ゲェッとさせるもの」という意味です。古ペルシャ語ではzoishnuですから、*ghe-の部分がzoi-になっていくわけですが、これは文字通り「ゾーッとする」感じを示しているのではないでしょうか。また漢字の「駭(がい)」や「愕(がく)」もこれと通ずるものと思われます。
これは偶然ながら比較言語学を作り上げた欧米人からは出ない発想ではないかと思います。われわれ日本人はまったく欧米の文化圏の外側にいながら、かつての日本人の先輩が仏教を学んで仏教の本国を超え、漢学を学んで漢学の本場であるシナを超え、そして明治以来欧米語を学んで欧米の学者レベルに肉薄しているという背景があって初めてこういう発想ができるのだと思うのですが、われわれが持つのは結局、基本における人種的平等なのです。
人種の平等を実証するのが日本の役割
これは何でもないことでありながら日本人だけが20世紀において証明したことなのであります。アメリカが独立したときに独立宣言の中には“All men are created equal”という言葉があって、すべての人は平等に創られたと言明いたしました。これは理念としてはきわめて立派なものではありますけれども、それを高らかに謳い上げたいわゆる“Founding Fathers”たちが家へ帰ればその大部分が大地主であり、数百人数十人の奴隷を抱えておって、その奴隷たちは“created equal”だとはだれも思っていなかったのであります。また、奴隷でなくてもインディアンなどは“equal”と思わなかった。だからインディアンの土地を奪うこと、抵抗するインディアンを殺すことについては爪の垢ほどの良心の痛みも感じなかったのであります。
あるいはさらに詳しく言えば、その“all men”の中に入るのは初めのうちはアングロ・サクソンだけだったのかもしれません。イギリスの島にいるアングロ・サクソンとここ植民地にいる自分たちは同じなんだというぐらいだったかもしれません。それは容易にヨーロッパの白人には拡大されました。しかしそれが有色人種に拡大されることはなかったのであります。
また、アメリカのその独立宣言の余波を受けまして、フランス革命が起きて、そこでは自由、平等、博愛がモットーとされました。いずれ立派なものでありますが、その中の平等の中に有色人種が入っていなかったことは、フランスのその後におけるアルジェリアやラオス、ベトナム、カンボジアにおける植民地政策を見れば明らかであります。
このように白人は人種の平等などは毛ほどにも考えたことはありませんでした。それを日本人にわかる形で最初にはっきり表した象徴的な事件は1901年、最初のノーベル賞が発足した年の第1回ノーベル医学賞で、その最終候補にノミネートされたのが北里柴三郎博士です。結局、賞はもらえなかったのですが、もらったフォン・ベーリングというドイツの学者は北里博士と同じ研究室にいて、北里博士の後に同じようなことをやった人で、強いことばで言えば、いわばコピーです。北里博士が賞をもらえなかったということは、この前の戦争が終わるまでは有色人種に自然科学の賞をやるという発想がノーベル委員会にはなかったということです。
世界の学者にノミネートさせますから、学者は日本人をしばしばノミネートするのです。野口英世もその例で、ノミネートはされたのですが、賞はくれなかったのです。今年のノーベル物理学賞はアメリカの天文学者ですが、もちろん天文学に対する貴重な発見には違いないですけれども、戦前の木村栄(ひさし)博士のZ項発見みたいな大発見に匹敵するものであるかどうかはやや怪しい。しかし木村博士にはノーベル賞はくれなかった。それから湯川さんもノーベル賞の対象になったのは遥か前なのですが、戦争が終わった状況でなければくれなかった。
ということは、この前の日本の戦争を契機として世界の人種観が変わったことを示すものです。日露戦争では勝ちましたけれども、たとえばアメリカは頑として人種の平等を認めなかった。
たとえば日本からの移民はだんだん削減していって、最後には1924年の連邦立法によってただ一人の日本人の移民も入れないということにいたしました。それなのに大西洋からの移民は、それが植民地の人々であっても、あるいは国を失ったような民族であっても、またあるいは軽蔑の的であるような国の人々であっても、それが白人であれば、ポーランド人でも、アイルランド人でもイタリア人でもいくらでも入れたのであります。
独立宣言やフランス革命に高らかに謳われたことは、良く言えば理念、悪く言えば口先だけの話で、白人だけを対象としていたのですが、これが有色人種にも及ぶのだということを、日本は戦中から戦後にかけて実証した。だからわれわれは真の意味の人種の平等ということの体現が世界史における日本民族の役割であると思うのです。
その点において、われわれがいま構想していることは、日本語の音表象、漢和辞典を引いて明らかになる古代シナ語の音表象、それからインド・ヨーロッパ諸語の音表象、これに共通点があってもおかしくないという前提なのです。これは骨の髄まで人種平等主義者でないと出ない発想であると思うのです。これこそわれわれが、世界の言語学会において日本人として一番なし得るコンジーニアルな分野ではなかろうか、とさえも思っておるのです。
(1993年12月17日 於上智大学渡部研究室)
* * *
渡部昇一先生はドイツ・ミュンスター大学への留学から帰国後、50年以上にわたって語源を思索し、その成果を発表し続けられた。その代表的な著作を紹介する。
「OE ġeleafa (belief) の語源について」、『英文学と英語学』第1巻(1963年)、177-188頁。
『英語の語源』講談社現代新書(東京、講談社、1977年)
「語源の話」、『ことば・文化・教育―アングロ・サクソン文明の周辺―』(東京、大修館書店、1982)、229-290頁。(初出『英語教育』1967年4月号~1968年11月号 )
「新しい語源学について」、『言語』1984年7月号、46-49頁。
『英語語源の素描』東京、大修館書店、1989年 (初出『言語』1983年6月号~1987年7月号)。
「dog の語源」、『言語』1989年9月号、6-7頁。
「英語の語根創生とオノマトペ」、『言語』1993年6月号、68-69頁。