北前船と文化人










睨満の書/柴栗山

睨満(げいまん)/ 栗山柴彦

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柴栗山(しばりつざん)

元文元年~文化421

江戸幕府に仕えた讃岐国 出身の儒学者

文化四年(1807)71歳の時、57日に江戸を発した栗山は天橋立・城崎温に遊行し68ここ竹野賀嶋で雄大な日本海を望みその景色を詠んだ。その時の漢詩の題を書にしたためここ住吉屋に残した。

松鶴図襖絵/吉田公均

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吉田公均 (よしだこうきん)

文化 - 明治9

幕末から明治期の越中出身の四条派絵師

安政年(1855)京都御所再建に携わった公均は、同郷藹山と共に北前船に乗り、故郷の富山からここ竹野浜にやって来てこのきらびやかな襖絵を描いたと思われる。

南画屏風/谷口藹山

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谷口藹山(たにぐちあいざん)

文化1312月 - 明治3212月30日

幕末から明治期の越中出身の文人画家山水画花鳥画を得意とした

貫名海屋門人の藹山同門同郷の公均 とに北前船で竹野浜にやって来て、ここ住吉屋でこの屏風絵を描いたと思われる。藹山もまた京都御所の再建に携わっている。

書「静功有壽/寺西易堂

寺西易堂 文政7年(1824)~大正15年(1916)享年91才。

漢学者、儒者、書家、南画もこなした。名は鼎。名古屋の人。村瀬太乙・林鶴梁・藤森行庵等に学ぶ。大阪府勧業課長・大阪博物場長等を務める。のち大阪船町橋に私塾愛身学舎を設け、門下の育成につとめた。墓所は大阪市天王寺梅旧禅院

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静功有壽

甲申十書/為 永田稚兄属/易堂

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「静にして功を立てるは長寿あり」※功とは気功の一種

明治17年(1884)10月、59歳の書、幼き永田兄弟のために書くとある