北前船の歴史

北前船と竹野浜

竹野の北前船は、江戸中期以降、明治末に鉄道が開通するまで賀嶋半島窓嶋を停泊地として、小さな方位磁石を頼りに日本海の荒波を北は北海道の江差、西は九州唐津、瀬戸内海を通って大坂まで各地の特産品を運び交易をおこなっていた木造帆船で、このあたりでは千石船と呼ばれていた。


方角石

廻船業が盛んで北前船の寄港地であった竹野浜には、日本海の日和を観測する岡見があった。そして、その上に据えられていたのが方位を示す方向石である。


現在、方向石は鷹野神社境内の道路を挟んで左手前に置かれている。元は神社本殿の西隣に高さ5~6メートルほどの石垣造りの岡見が築かれ、その上に据え置かれていた。しかし、昭和23年頃、海岸へと続く道路拡張のため神社境内に移されたという。

方向石は八角柱の台座石の上に置かれ円柱で上部に亥、子、丑の文字が刻まれている。

 方位は十二支で表され子が北を指す、そして北を12時方向とすると11時方向が亥、1時方向が丑となる。湾の内側に置かれていたのでその3方向以外は必要がなかったと思われる。

鷹野神社左手にあった岡見

昭和20年