■検証すること
十三節の後半から十四節までの場面は、良秀の娘が誰かに襲われた場面として解釈されることが多く、誰に襲われたのかが議論されることがある。作品においてどうかかれているのか?
■作品は何といっているのか?
この場面では当事者としての「私」が登場します。以下に抜粋します:
「私」視点で要約します:
どこにも、娘を襲った場面は描かれていません。襲ったというのは推測の域をでません。娘は「私」を恐ろしいものでも見るように見上げたと書かれています。恐ろしくて見ていた対象は「私」だと表現しており、襲われたことでの恐れではありません。
この場面からいえることを整理すると以下となります:
■結論
良秀の娘は誰かと会って争ったようだとあるが、襲われたとは書かれていない。
■「私」が当事者として登場する重要な場面
ここは、「私」が当事者として登場しており、「私」が何者であるのかを考察するための材料を提供してくれています。
狼藉者であったら目にものくらわせてやろうという意気込みある発言から、「侍(さむらい)」だと想定できます。ここでいう「侍」とは平安時代の「侍」のことであり天皇や貴族の護衛や警備を担当していた者たちのことです。「私」が大殿の護衛を担当して行動を共にしていたとすれば、何かと大殿と良秀が会う場面を「私」が見て知っていることの説明がつきます。
そしてもう一つ。「私」が良秀の娘に特別な感情を持っていた、あるはこの場面で持った、と想定できます。「侍」であるなら狼藉者をとらえるのが仕事です。なのに逃げていく者を放っておいて娘に見とれてそばにいるからです。下記にその箇所を引用します:
■逃げたのは誰か?
娘と密会して逃げた人物が誰なのかは作品では書かれておらず推測するしかありません。
大殿だと言われることが多いですが、それは娘を焼くための理由を求めた結果でしかなく、それ以外の点について説明できないことが色々と出てきます。それら説明できないことを列挙します。
これら全てを説明できるもっともな理由がありえるでしょうか?
見方を変えると、大殿が娘を焼いた理由としては、娘を手籠めにしようとして失敗したからだと考えるべきではないということです。