地獄変のエッセンスを10分くらいで読めるようにぎゅっと濃縮しました。名付けて「縮約版令和バージョン」です。あらすじ、要約のように要点をまとめたものではなく、ぎゅっと話を縮めたものです。
難しい言葉は言いかえて読みやすくしています。中学生でも読めることを目指しました。
ただし、約10分で読めるようにするため、以下の箇所は含んでいません。
■読むうえでのポイント
従来の書評・解説で完全に抜け落ちている点
)。平安時代の仏教、特に浄土教が話の背景にあります。浄土教とは、ざっくりいうと、阿弥陀仏(あみだぶつ)を信じれば誰であってもどんな人でも極楽浄土(ごくらくじょうど)にいけるという宗教です。浄土教が日本で普及しだしたのがこの作品の時代設定である平安時代。興味ある方は、源信の著書『往生要集』をキーワードにして調べてみてください。ちなみに、この源信が、本作品に出てくる僧侶のモデルだといわれています。地獄変【縮約版 令和1.03】
(ある人物による語り)
大殿様のおそばにおつかえして20年。大殿様には後々まで語られるような事が沢山ありました。
大殿様がなさることは、私ども凡人では考えが及ばない思いきったところがありました。ご自分ばかりがお栄えになるのでなく、しもじものことまでもお考えになられるご器量をお持ちでした。洛中(*1)の老若男女は大殿様を権者(*2)の再来であるかのように尊んでおりました。
なかでも、今ではお家の宝となっている地獄変(*3)の屏風絵のことほど恐ろしいことはありません。あのときは大殿様であっても大変お驚きになられました。この絵について語るには、まず、良秀という絵師のことから説明しなければなりません。
地獄変の屏風絵を描いたのは、当時日本一の絵師といわれていた良秀です。いまでも名前くらいは覚えている人がいるかもしれません。
歳は50にもなったころでしょうか。背は低く、骨と皮ばかりの痩せた意地の悪そうな老人でした(*4)。誰にきいても評判が悪く嫌われていました。というのも、見た目の卑しさだけでなく、日本一の絵師だというのを鼻に掛け、偉そうにして人を見下していたからです。
そんな良秀でも15になる娘のことは大変可愛がっていました。優しくて親思いで、母を早くに亡くしたせいか、しっかりとした利口な娘でした。
良秀の娘は、大殿様のご意向で小女房(*5)としてお邸にあがっていました(*6)。良秀は不服で、しばらくは大殿様の前に出ると苦々しい顔をしていました。そんな様子を見たものが勝手な想像をしたのでしょう、娘の美しさに心を引かれた大殿様が親の不承知にもかかわらず召し上げたと噂になっていました。その噂は嘘ですが、良秀は子煩悩なため、娘が下がることをいつも祈っていたのは確かです。
良秀に描かせた絵の出来に満足した大殿様は、絵の褒美をとらすから何が欲しいかを良秀に尋ねました。ぶしつけなことに良秀は「娘を御下げください(*7)」と答えたのです。大殿様は「それはならぬ」とおっしゃいました。その後にも同じようなことが何度かあり、大殿様が良秀を見る目は次第に冷ややかになっていったようです。
あるとき、大殿様は良秀を呼びつけて地獄変の屏風絵を描くよう御いいつけなさいました。それから五、六ヶ月はお邸に伺うこともせずに熱心に描いていたのですが、ある時から全く進まなくなってしまいました。
良秀の弟子によると、良秀が庭でひっそりと涙をためている姿を見たそうです。その頃、良秀の娘は気がふさいでいて私たちにさえ涙をためている様子がみえたのでした。その理由について色々な噂がありました。大殿様が自分のいうことをきかせようとしてるとの評判が立つと誰も娘のことを噂にしなくなりました。
半月ほどして、良秀は大殿様に突然会いに来ました。絵はほとんど完成しているというのに、どうしても一ヶ所描けないところがあるというのです。良秀はその理由を説明しました。
「枇榔毛(びろうげ)の車(*8)が燃えながら空から降りてくるところを描こうと思っております。車には煙にむせて苦しむ美しい上臈(じょうろう *9)が乗っているのです。その女性が描けません。私は総じて見たものしか描けません。車を燃やして見せてください。そして、もし、できますことなら...」
大殿様は一瞬顔を暗くなさいましたが、お笑いになって
「その願い、かなえてやる。車に火をかけてやろう。女ものせてやろう。心配するな。すべてお前の望むようにしてやる。車のなかで女が悶え死にする、それを描こうとはさすがじゃ。褒めてとらすぞ」
と、おっしゃいました。良秀はそれを聞いて色を失い唇を震わせて小さな低い声で礼を述べました。自分の考えを大殿様に言われて今さら怖くなったのでしょう。
それから二三日した夜、準備ができました。場所は、大殿様の妹君が以前お使いになられていた山荘です。妹君はすでに亡く、誰も住んでいない寂しく気味の悪い場所でした。
大殿様は良秀に言いました。
「望み通り車に火をかけてやる。炎熱地獄を見せてやるぞ。車の中には罪人の女を乗せてある。雪のような肌が燃えて、ただれるのを見逃すな。黒髪が火の粉になり、舞い上がるさまも良くみておけ。絵の良い手本となるぞ」
大殿様がお命じになると車の簾(すだれ)があがりました。そこにいたのは、きらびやかな格好をし、鎖にかけられた女でした。身なりこそ違えど良秀の娘でした。良秀は驚いて、両手を前に伸ばし、車に向かって飛び出そうとしました。が、刀の柄に手をかけた侍にさえぎられていました。
すぐに大殿様は火をかけるようにお命じになり、車は燃え上がりました。火がつくと良秀は足を止め手を車へ伸ばしたまま、苦しそうな顔で炎を眺めていました。その表情の凄まじさは、怪力の侍でさえ色を失うほどでした。大殿様は時々気味悪くお笑いになってじっと車をお見つめになられていました。
やがて、車は火の柱となって燃え、車のなかは黒煙の底に隠されました。火を前に良秀は立ち両腕をしっかりと組んで火の柱を見つめていました。なぜか娘の姿が見えていないようなのです。顔には法悦(*10)の輝きが浮かび、人間とは思えない怪しげなおごそかさがあり、威厳が円光(*11)のごとく頭にかかっているかのようでした。皆、息をひそめ、随喜(*12)の心に満ちて、仏でも見ているかのように目を離さず良秀を見つめました。ただ一人、大殿様だけは別人のように顔が青くなり、口からは泡を吹き、まるで獣のようにあえいでいました。
この出来事が世間に漏れると、世間では批判の声が上がり色々と噂となりました。一番多かったのが叶わぬ恋が原因だろうとの噂でした。しかし、大殿様のお考えは、絵のために娘を犠牲にしようとした良秀をこらしめるために違いありません。大殿様みずから、そうおっしゃっていたからです。
また、目の前で自分の娘を焼き殺されながらも絵を描いた良秀への批判もありました。ある偉い僧侶はその批判に味方して「絵の才能に優れていても、そんなことをしては地獄に落ちるほかあるまい」と良くおっしゃっていました。
ひと月ほどして良秀は完成した絵をお邸に持ってきました。そこには良秀を批判していた僧侶もいました。良秀を見ると苦い顔をしてにらんでいたのですが、絵を見ると膝を打ち、「でかしおった」とおっしゃいました。それを聞いた大殿様は苦笑いをなさいました。
それからというもの、良秀を悪く言うものは少なくともお邸にはほとんどいなくなりました。地獄変の屏風絵を見たものは、いかに良秀を憎んでいても、おごそかな気持ちにさせられ炎熱地獄の苦しみを感じるからでしょう。ただ、そうなった頃には良秀はこの世の人ではなくなっていました。良秀は、地獄変の屏風絵を渡したあと自分の部屋で首を吊っていたのです。
良秀の死骸は今でもあの男の家の跡に埋まっています。小さな石が、誰の墓か分からないように苔だらけになっているに違いありません。
おわり
■想定される質問
工事中