■検証すること
良秀は描けない箇所がある理由として「見たものしか描けませぬ」と大殿に言っている。良秀は見たものしか描けない人物として作品において書かれているのか?
■作品は何といっているのか?
良秀の発言を以下に引用します:
しかし、この後の大殿との会話において良秀はこの発言と矛盾したことを言い始めている。対応が分かりやすいように文の順番を変えて対話形式で以下に示します:
上記の通りに、描く対象そのものを実際に目にしていなくても代替することで描けると説明しています。獄卒については、夢で見ているから十分だとまで言っています。
■結論
良秀は文字通りの意味で「見たものしか描けない」ことはない。代替手段があればよい。
これはつまり、燃える車の中で悶え苦しむ女性を描くために、実際に女性を車に乗せて車を焼かなければならないということではないということを意味する。
■参考:深まる謎
良秀は地獄変に多様な人物を描いています。語り手「私」が見た地獄変の完成図の説明がされている六節より以下に引用します:
こうしてみると、様々な人々を良秀は描いています。良秀が描けない箇所があると言って大殿にお願いする必要があったのか疑問になってきます。さらに謎なのが、大殿が車を燃やす場面において良秀は絵を描かないどころか描く準備さえしていないということです。絵を描くために弟子を鎖で縛ったり鳥に襲わせたりしてデッサンした良秀なのに。
描く準備については、暗くてよく見えないこともあり語り手が説明をしなかったという解釈も可能です。しかし、車に火がついてからは語り手は良秀の行動を丁寧に描写しており、絵を描かずに車を見ていたことは明らかです。
大殿にわざわざお願いしてまで見せてもらった燃える車を前にして描こうとしていないのは何故なのか。その点について作品は何も説明しておらず推測するしかありません。