継承語教育と国語教育の違いについて
ダグラス昌子 Ph.D.
カリフォルニア州立大学ロングビーチ校
ダグラス昌子 Ph.D.
カリフォルニア州立大学ロングビーチ校
継承語と母語の違いについて
海外の週末日本語学校、補習校、継承日本語学校などで日本語を学ぶ子どもたちは、日本語力と家庭の言語環境からみて母語話者なのか継承語話者なのかという点で、以下の表の4つのグループに分けられます。そしてこの4つのグループの子どもたちへの日本語の指導方法は母語話者のための国語教育なのか、継承語話者のための継承語教育なのかという大きな違いがあります [1]。
表の中で特に日本語を母語とする子どもたちへの国語教育と、日本語を継承語とする子どもたちへの継承語教育がはっきりと違うものとして実践されていないのではないかと思われます。つまり、カナダでも、米国でも継承語教育の必要な子どもたちに国語教育がなされていることが多いのです。ここでこの違いの主なところを、継承語教育に国語アプローチが使えない理由という点から、見てみましょう。
[1] 上の表では、4つのグループははっきり分かれているように見えますが、実はそうではありません。日本から来て間もない子どもも外国での滞在が長くなるにつれ、日本語は母語から継承語となり、指導方法も国語教育から継承語教育に変わっていきます。また2つ目と3つ目のグループの境も、子どもたちの日本語力の発達の度合いをはっきり線で区切ることはできず、かなり日本語力のある子どもから日本語力の低い子どもまで、連続する線の上にあるのが普通です。また、同じ子どもでも、子どもの日本語の環境が変われば日本語力も変わり、小さいころは日本語をよく話していたのに、高校生になったら日本語があまり話せなくなっていたというケースもあり、日本語力は言語環境で変わっていきます。
継承語教育に国語教育のアプローチが使えない理由
語彙力の違い
国語教育と継承語教育の大きな違いの一つは、子どもたちの日本語力です。国語教育は、生まれてからずっと1日24時間どこにいても日本語に接触し、小学校入学までに文法の基礎ができ、6歳で理解語彙の総量が、およそ5000~6000語ほど[2]ある子どもたちのための教育です。つまり、子どもたちは、文字で書けなくても、音で聞くと理解できる語彙をかなり持っています。この子どもたちのための教育、つまり国語教育は、音と意味を習得している語彙に字をあわせていく、つまり読み・書きの指導が主体となります。一方、継承語の児童の場合は、就学前の家庭での日本語への接触量と習得量によって違いはありますが、音を聞いてもその言葉の意味がわからない語彙が多いため、国語教育のように教科書を音読しても内容がわからないということになります。継承語教育では、話し言葉の中の語彙を増やしながら、読み書きの指導もしていく必要があります。
例を使って説明をします。この文を見てください。
「ふたりは、野原を走り回っていっしょうけんめいさがしました。ピョンは、草の間にかわいい赤い花を見つけました。コンは、大きな石のかげで、きれいな鳥の羽を見つけました。 」(光村図書国語2下、p.23)
日本語が母語の小学校2年生がこの国語教科書の文を読むと、ひらがな、カタカナを音にかえていくスピードもあり、ひらがな、カタカナで書かれた語が読めてその意味も理解できます。けれど新しく出た漢字は読めません。この場合、漢字の読み方を音で教えてもらうと、例えば「野原」「羽」という漢字は「のはら」「はね」という音だとわかると、テレビで見たり、本で読んだり、実際に行ったり、見たりした経験から、意味がわかり、書かれている文全体の意味もわかります。このように国語教育では漢字の読み方(つまり音)を学び、すでに知っている意味に結びつける練習をしていきます。
一方同じ指導法を継承語の子どもたちにするとどうなるでしょうか。「野原」「羽」という漢字の音も知らないし、たとえ音を教えてもらっても、「野原」が広くて草が生えている平らな場所で、「羽」がトリや虫の胴には生えて左右に伸びているところという意味につながらなければ、この文の全体が理解できないということになります。たとえ英語でfield, wingという言葉の意味を知っていても、このような英訳を与えられないで一人でこの文を読む時は、「野原」「羽」が何を意味するかが分からないと、英語で知っている意味にはつながりません。ここで、ちょっと実験をしてみましょう。ここにスペイン語で書かれた表現があります。Trabajo en el interior del dispositivoという文です。読んでみてください。スペイン語がわからない方でもローマ字を読む要領で発音すると、いわゆる「音読」(音に出して読む)ことはできます。ところが何が書かれているか、意味は何かときかれるとさっぱりわかりません。そのわけは、スペイン語の語の意味を知らないからです。これと同じことが「野原」「羽」という漢字の音を教えてもらっても、その意味を知らないと文全体の意味がわからないというのと同じことです。漢字は読み仮名があれば音にはすることができますが、その意味がわからない言葉が多いと内容を理解することができません。英語の研究ですが、1ページ中に6-10語意味がわからない語があると、読んで理解する、または読んで楽しむということが困難になると言われています。
[2] 森岡健二 (1951)『国立国語研究所年報2』。
漢字教育について
国語教育では、学年ごとにいくつ漢字を習うのかということがよく言われますが、これは、音として習得している語彙がいくつ漢字で読んだり書けたりするのかということです。継承語教育では、音として習得している語彙が日本で生活する子どもたちより少ないので、学習漢字の字数を数えるよりも、まず音としての語彙を教えるのが出発点となります。語彙が入っていないのに、漢字に読み仮名をつけて音読させていくだけの指導では、いくら読み進んでも内容を理解することができず、話の内容がわかるという楽しさを味わうどころか、読みの学習は無味乾燥で苦痛なものになります。継承語教育では、語彙教育をとばして、国語教育のような漢字教育をしても、効果は期待できません。漢字教育は漢字という「字」を教えるのではなく、漢字で書かれた「語彙」を教える教育だといえます。
また、継承語教育で、教師も保護者も漢字教育の目標として学年配当漢字を学習目標の柱にすることが多々あります。学年配当漢字は、画数が少ない簡単な漢字から複雑な漢字へと並べられていますが、これも、母語としていろいろな語彙をすでに習得している子どもたちには、簡単な漢字から学習していくほうが覚えやすい、書きやすいという利点はあるかもしれませんが、語彙を習得していない継承語の子どもたちにとっては、いくら見た目が簡単な漢字でも、日常生活で目にして、耳にすることがない言葉の漢字は使う可能性も低く、漢字を覚えようという動機も低くなります。例えば、1年生の学年配当漢字である「竹」「田」という漢字は、日本にいれば日常生活で見たり聞いたりするものですが、外国にいると(少なくとも私の住んでいる地域では)まず見ることのないものです。このような漢字を覚えるよりも、学校でとりあげるトピック、例えば年中行事を学ぶとすると、画数は複雑でも年中行事という言葉と漢字のほうが子どもにとっては低学年であっても学ぶ意味のあるものになります。また漢字学習の目標も、一度に読める・書けるを目標にするよりも、まずは書かれたものの中の漢字の語彙が理解でき、それを何度も目にして、話の中で使って定着させて、その後、書く練習をするというように、覚える負担を分割させることも必要だと思います。新しい漢字をいきなり何度も書かせて丸暗記させる学習活動(いわゆるドリル式学習)だけさせても、効果が期待できません。
加えて、漢字教育では、漢字のトメ・ハネ・筆順をどれだけ厳しくするかということがよく話題にあがります。日本で国語教育を受けられた方だと、漢字のテストでトメ・ハネを間違えて減点されたという記憶があるかと思います。また、日本語学校で先生が書いた漢字の筆順と自分の覚えている筆順が違っていて、どちらが正しいのだろうと迷われたことはないでしょうか。漢字のこのような規則は、国語の先生が教えてくれたものをそのまま覚えていることが多いのですが、国語の先生自身が覚えているルールが違うことがあるので、バリエーションが生まれます。これはどちらが正しいとか、答えは一つというものではありません。漢字に関する規則については、文部科学省は、学年配当漢字表にある字体を標準とするが、それ以外を誤りとするものではない(太字筆者)としています。また常用漢字表を見ても、許容範囲としていくつか漢字のバリエーションが上がっています。漢字検定の採点基準でも、それほど細かくはみていないとのことです。高校入試の採点でも、誰が見てもその漢字であるとわかれば形の崩れは問わないとのことです。このような現状を参考にすると、漢字のトメ・ハネ・筆順には誰が見てもその漢字であるとわかればよいなどの許容範囲があることを認めてもいいように思えます。
継承語教育で大切なこと
母語話者として日本で教育を受けた保護者にとっては、国語教育が唯一の日本語教育で、自分たちが習ったとおりに子どもたちも日本語を学習するのが望ましいとの思いから、漢字をとにかく教えてほしいとか、漢字学習は学年配当にしたがって進めてほしいという要望がよく出ます。日本語学校でもそのようなアプローチをしているところもあります。けれども、先に述べたように、継承語教育と国語教育には根本的な違いがあり、子どもたちにとって効果がある教育をするためには、保護者、学校または教師は、国語教育と継承語教育の違いをよく理解することが必要です。
また、国語教育と継承語教育の違いは、子どもたちの育つ言語環境の違いからくるものがあり、これは大きな違いです。国語教育を受ける日本語を母語とする子どもたちは、日本で、日常生活でも学校教育の場でも日本語を唯一の言葉として育ちますが、継承日本語教育を受ける子どもたちは、カナダ、米国のように居住国で、家庭では日本語(またはそれ以外の言語も)、学校ではカナダでは英語・フランス語、米国では英語で教育を受けるという複数の言語環境で育ちます。複数言語で育つ子ども達の言語習得の過程は、日本で単一言語で日本語を習得する過程とは違います。複数言語を習得する場合、昔は、それぞれの言語が別々に習得されると考えられました。けれども最近の研究では、複数の言語は融合して習得され、それぞれの言語がお互いをささえているということが言われています。ここで大切なことは、複数の言語の発達はそれらをすべて見ないといけないということです。日本語の発達だけをみて、日本語母語話者の基準と比べて、「できない」と判断することは適切ではないということです。他の言葉で「できる」ところも同時に見ることが大切です。講習会で、保護者から「子どもが英語も日本語もどちらも中途半端ですが、どうしたらいいでしょうか」という質問を時々受けます。この時、いつも思うのは、どういう基準で判断されているのか、英語と日本語の母語話者の基準を使っていないだろうかということです。アドバイスとしては、一度、お子さんの一日をみて、何をするときに何語でしているかを書き出してみることをお勧めしています。そうすることで、いろいろな場面で複数の言語を使いながら生活している子どもたちのポジティブなバイリンガル・マルチリンガル像が実感できるのではないかと思います。学校でも、子どもたちのニーズに合った指導をするために、どの活動をするときに、どんな言語を使っているかを教師が把握することは大切なことです。
以上をまとめると、日本で国語教育として実践されているいろいろな学習活動を継承語教育で使う前に、その学習活動が継承日本語学習者にとって意味のあるものなのか、効果があるのか、逆に負の効果になることはないのかなどをよく吟味してから使う、あるいは使わないという判断が必要になります。