瀬井 陽子

SEI Yoko

地域の日本語教室でボランティアをしたことがきっかけで日本語教師になりました。海外はタイとカンボジア、日本国内は日本語学校、専門学校、大学など様々な教育機関で日本語教育に関わってきました。現在は、日本語教育の現場に言語アドバイジングを取り入れることによって学習している人が、自分らしく日本語を学び、使い、過ごせるようになればと試行錯誤しています。

アドバイジングが必要だと思う理由

自分についての答えは自分の中にあるから

自分のことは自分にしかわからない、自分しか知らないことはたくさんある、と思います。だからこそ、「あなたの答えはあなたが持っている」という考えが基にあるアドバイジングは、アドバイザーとの対話を通して自分のことを整理することができ、それによっaて自分が描く将来的により近づけるのではないかと思います。これが、私の考える、アドバイジングはなぜ必要だと思うかの1つ目の理由です。

自分が知らなかった自分を見つけるために

自分についての答えは自分の中にあると、1つ目の理由として挙げました。でもその一方で、自分のことも自分ではわからなかったりする、とも思います。これもまた、相反するように見えてアドバイジングが必要な理由に入るのではないかと思います。

何かを選ぶとき、小さなことでも、大きなことでも、自分で選ぶことができたら、それを大事にできたり、長続きさせられたり、また、あきらめられた、という経験はないでしょうか

でも、自分のことを客観的に見ることは意外に難しくて、自分の考えに気づいていないとき、それはとても厄介だと思います。

以前、アドバイジングを専門にしている先生とお話しした時、「どうしてそれを選んだのかな」「どうしてそう思うのかな」と繰り返し聞かれ、たくさんの「自分が知らなかった自分」を見つけることができました。

その先生との話は、フォーマルなアドバイジングセッションを受けていたわけではないのですが、無意識に私が「当たり前」で、「いいことだと思っている」ことが何かを自覚することのできるやり取りでした。

アドバイザーとの対話を通じて自分が知らなかった自分を知り、答えに辿り着くためにアドバイジングが必要である、というのが2つ目の理由です。


言語学習も選択と自分についての気づきの繰り返しだから

理由の1で自分が描く将来像に近づくために進む道は、自分の中に答えがあると書きました。

理由の2で自分が知らない自分がいること、それに気づくにはアドバイザーの存在は大きいことを書きました。

これらを言語学習に関連させて書くと、言語学習は選択と自分についての気づきだと思います。

以前私は、英語の勉強をするなら4技能バランス良くやらなければ、カジュアルな話題でも学術的な内容でも網羅的にできるようにならなくては、と思っていました。けれど、それを目標にしてしまうと大海原に投げ出されたような状況に陥ってしまいます。何のために勉強するのか、どんな時に使いたいのか、いつまでにする必要があるのか、それによって学習方法は大きく異なりますし、4技能全てをバランスよく学習する必要はなく、一番必要なことを選ぶ、という行為が必要になってきます。アドバイザーは、アドバイジングによってそれ明確にしてくれる存在です。