中井好男

NAKAI Yoshio

大学卒業後に行ったワーキングホリデーで多文化環境の居心地の良さを知ってから、その環境にいる人々と時間を共にできる日本語教師を目指しました。留学生や研修生、看護師介護福祉士候補者など、様々なニーズを背景とする日本語学習支援に携わってきましたが、教えるスキルもよりも学習する場を共に作っていくこと、そして日本語を使って生きる意味を共に考えることを大切にしています。

アドバイジングが必要だと思う理由

誰もが主体性を持っているから

私たちは誰もがやりたいこと、望むものを自分で決め、それを手に入れようと試行錯誤します。今日は映画を見よう、このラーメンを食べよう、いつものパン屋さんが閉まっているから違うパン屋さんに行ってみようと、小さな選択を積み重ねることで生活を送っています。そこには手に入る選択肢の中から自分が望むものを選んでいく主体性というものが存在します。学習も同じです。勉強したいと思うのは先生がいるからではありません。例えば、ケーキを作ってみたいと思った時、その作り方をインターネットで調べて必要なものを揃え、実際に作ってみたりします。人は何かに関心を持った時、それを知りたいと思うのは当然ですし、その方法を身の周りにあるものから選んで実行します。そのような主体性を伴った学習のお手伝いができるのがアドバイジングです。

誰もが自分のことを自分で決める権利を持っているから

何かをしようと思い、選択肢を選ぶとき、私たちはどうしているのでしょうか。ある映画が見たいと思ったとき、映画館や上映時間を調べ、移動手段や時間の都合などを考えながら、どこで何時に映画を見るのか決めます。一人で見に行く場合、自分で決めますが、二人で行く場合は、一緒に行く人と相談しながら決定します。そのため、時には自分の意思に反することが起こるかもしれませんが、いずれにしても場所や時間を決める(あるいは見に行くのをやめる)のは本人で、その決定を下すということは誰にも奪われない権利です。学習にも同じことが言えます。何かを勉強したいと思ったとき、どうやったらできるのか、どんな方法があるのか、どんなテキストがあるのか、はたまた、私は先生の言うとおりに進めるなど、数ある選択肢の中から自分で選ぶ権利を誰もが持っています。学習においても誰もが持っている決定権を奪わずに学習のお手伝いができるのがアドバイジングです。