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義和団事件の舞台「東交民巷」の今 近畿支部 山本 知美
激動の歴史を刻み続けている北京。義和団事件の舞台となった「東交民巷」は天安門広場の東側にあり、北京で一番長い胡同と言われる。その旧使館街には、当時公使館、兵舎、自国の郵便局や銀行、病院、商店などの生活インフラが広がっていた。いまだ多くの建物が残存していると知り出かけた。
地下鉄2号線の駅「崇文門」からスタートする。まず目に入るのが新僑飯店。旧ドイツ兵舎のあたりに位置し、一泊1万円ほどで宿泊できる。奈良大学名誉教授の森田憲司先生の定宿でもあるらしい(著書『北京を見る読む集める』2008年大修館書店)。天安門の東側に位置し、歴史を感じられ非常に便利な場所なので納得である。横にはサッポロベーカリーというパン屋とロシア料理店があり、パンもレストランも日本より値段が高いが賑わっている。
この新僑飯店の裏に今は大きな病院がある。昔はドイツ将校宿舎やドイツ病院だった。飯店と病院を挟んだ広くない道を西に進む。右には凱旋門をイメージしたという立派な門構えのフランス公使館跡。今も北京市政府が使用している。隣には、旧フランス郵便局。森田先生の本には四川料理のレストラン「静園川菜」だと書いてあるが、今は使われていない。ただ、西洋風のキッチュな建物はそのまま佇んでおり、写真撮影などに人気である。隣に日本公使館跡。石碑が残されており、辛うじて歴史を感じることができる。その横がスペイン公使館跡、横浜正金銀行跡地は今は法院博物館として開館されている。建物自体が赤レンガと白い石材で、東交民巷のランドマーク的存在である。
フランス郵便局まで戻って、左手を見ていく。旧ベルギー公使館跡、ドイツ公使館跡。壁があって、並木道であること以外、感じられない。六国飯店(ワゴンリーホテル)は戦後建て替えられ華風賓館として営業されていた時期もあった。すぐ近くには首都賓館という立派な宿がある。新僑飯店よりも値段高いが、高級感を醸し出しているので仕方がない。
正義路という道を渡ると、右に最高法院(最高裁判所)があるため、警備がとても厳しい。パスポートチェックを受けて、この先になんの用事だ?という質問に答えてさらに進む。左手にある灰色の堂々とした建物は北京警察博物館。一般人となった溥儀の身上書なども面白いのだが、古いカゴ型のエレベーターは敦賀市歴史博物館などでも見たことがある相当な年代物である。実はこの博物館、元々花旗銀行(シティバンク)であり、敦賀市の博物館も、元は大和田銀行である。この博物館の隣には昔オランダやアメリカの公使館があり、対面にはロシア兵営があったということである(出典は『北京』倉沢進ら著2007年中公新書、中国のSNS)
旧日本公使館跡すぐそばには「東交民巷飯店」というホテルがあるが、宿としては2025年春で一旦営業を停止したようである。ベルギー公使館跡には「紫金飯店」があったが、これも営業をしていない。北京は至る所でスクラップアンドビルドが行われており、この一体が開発されないことを祈りたい。
当時のままの機能として使われているのは教会である。普段は門が閉められて中を見ることはできないが、精巧な白い天使の彫刻が目に入る。日曜にはミサが開かれているということである。 地図
充実している北京の博物館 近畿支部 山本 知美
2024年9月に卒業し、今年から中国の首都北京に住んでいる。卒業論文は、博物館学をテーマにした。大学の実習で行った奈良県民俗博物館は現在本館展示室は休館中であり、一部の文物は他館に貰われていったり、処分されてしまったり悲惨なことになっている。他にも博物館の休館、閉館のニュースを聞く。論文では博物館の生き残り策について探った。
北京でも大好きな博物館巡りを行っている。歩ける範囲で10個以上の巨大な博物館が揃うオリンピック村周辺や、ひと区画に100軒ほどの美術館が密集していると思われる798芸術区など、その規模と充実度に驚いている。しかもそのほとんどが無料である。
姫路城の入場料で話題になった「外国人料金」の導入であるが、中国ではごく自然に導入されており、自国民は利用しやすく、外国人料金が設けられている場合は感覚として大体2倍の料金になっている。音声ガイドは最近は日本人観光客が少ないため日本語の用意がされていないところがあるが、故宮では日本語は40元(800円)、中国語は20元(400円)といった具合である。ちなみに中国でも博物館や図書館は月曜日休館のところがほとんどである。
こんな風に中国でも私の観察は続いているのだが、中国の発展の凄さは一言では表せない。無人タクシー、自動運転バスにも乗った。普段の生活で現金は一切使わないが、慣れてしまったら便利で仕方がない。新幹線の切符も必要がないため(パスポートで代用)、一時帰国の際には京都駅でサンダーバードや北陸新幹線の切符を買うのに大変苦労した。
奈良県は、中国人にとって野性の鹿で知られているが、シルクロード文化の終着点などとしては全く知られていない模様である。みなさんも一度北京に来て中国の方と交流したり、何千年もの歴史がある中国でご自分の研究を深めてみてはいかがでしょうか?昨年末より観光ビザも不要となりました。学友会中国(大陸)支部として歓迎いたします。
※山本さんは故宮博物館への交通機関、博物館内部の写真も送って頂きましたので、下をクリックしてください。
洛中洛外図屏風(勝興寺本 )解説本 刊行 東海北陸支部 針山 康雄
刊行のあいさつ
本堂と大広間式台が国宝指定の勝興寺が重要文化財「洛中洛外図」所蔵しています。
16~17世紀初頭、京の魅力を伝える「洛中洛外図」屏風は、国宝・重要文化財指定が八点存在しています。
真宗寺院が収蔵している特異性もあり、勝興寺本の解説本が少ないようです。
京都に憧れている著者が、建築士の眼で行事、寺院、町家、社会生活などの風俗など幅広い範囲で絵解きを試みた本を制作(B5版オールカラー)致しました。
生涯学習の心算で20年以上(勝興寺で奉仕活動は40年)屏風とにらめっこし、また、京都へ何度も足を運んだ探訪記でもあります。
本を刊行するにあたり指導を仰いだ原口志津子教授を通して大学図書館の蔵書にしていただく予定です。
※針山さんと連絡を取りたい方は学友会へメールして頂ければ、針山さんに連絡します。
福井洞窟が国の特別史跡に 福岡 中村 賢治(中国・四国・九州支部長)
令和6年6月24日、国の文化審議会において、長崎県佐世保市吉井町にある「福井洞窟」を国の特別史跡に指定するように文部科学大臣に答申がなされていたが、令和6年10月11日に正式に特別史跡に指定された。特別史跡とは、「学術的価値が高く、我が国文化の象徴」となる文化財で、いわゆる「国宝」と同じ価値を持つものである。全国に約47万件ある遺跡のうち、64件目となる特別史跡であり、旧石器時代までさかのぼる特別史跡としては国内で初めてのことで、最も古い時代の特別史跡となる。福井洞窟は、福井川の浸食で形成された砂岩の洞窟である。後期旧石器時代から縄文時代草創期にかけての石器群が出土し、土器が現れた過程などが明らかにされた遺跡で、旧石器時代から縄文時代にかけての暮らしぶりの変遷もわかる「学術的価値が極めて高い遺跡」と評価されている。 福井洞窟ミュージアム https://www.fukuicave.jp/
福井洞窟ミュージアム展示ガイド 佐世保市教育委員会:福井洞窟パンフレット
「奈良まほろばソムリエ」の会では、「やまとの神様」と銘打った神社の探訪記事を、週一で毎日新聞に連載されています、
今回の9月12日(木)の記事は「奈良まほろばソムリエ」の会々員である、本部幹事 の島田宗人さんが取材執筆しました、榛原の「墨坂神社」が掲載されました。
「やまとの神さま」をクリックしてご覧ください。
「旧門司港駅関連施設遺構の今後ついて」 中国・四国・九州支部 福岡 中村賢治
福岡県北九州市門司区の門司港エリアは、レトロな街並みが観光客に人気の場所である。
現在その地区にあるJR門司港駅前で複合公共施設の整備が進められている。ところが、建設予定地で「旧門司駅」の遺構が見つかったことで、開発計画に波紋が生じている。
遺構は2023年9月から市が実施した発掘調査で見つかった。約900平方メートルの建設予定地から、1891(明治24)年に開業した初代門司港駅の駅舎外郭や機関車庫跡が確認された。
北九州市側は老朽化が進む8つの公共施設を集約し、複合公共施設の建設を予定通りに進めたい一方で、鉄道史や建築史の専門家らは遺構を現地保存すべきと主張している。
北九州市議会は今年4月14日、北九州市門司区の複合公共施設建設予定地で見つかった明治期の初代門司港駅(当時の名称は門司駅)関連遺構を巡り、現地への複合公共施設の建設費を含む一般会計補正予算案を賛成多数で可決した。市は7月から追加の埋蔵文化財発掘調査を実施した後、今秋にも遺構を取り壊して施設建設を進める方針である。
これらの北九州市の動きに対して、日本考古学協会など11の文化遺産に関わる学術研究団体から要望書が出されている。
開発か保存か、今後の動きに注目したい。
徳川家康と千田先生?
本部幹事 美濃規央
6月15,16日は奈良学友会の大事な行事「総会・講演会」と「遊歩の会」でした。当日の雨予報は日が近づくとともに持ち直し、晴れになりました。メンバーの皆さまの賜と思います。ご出席下さった皆さま、お疲れ様でした。滞りなく区切りが着きましたので軽い話題を一つ出します。
皆さまもよく見て居られると思いますが、NHKの歴史番組に「英雄たちの選択」があります。そのタイトルが流れるときに次々と英雄の画像が登場します。その中に「千田先生」が現れると思うのです。千田先生は当番組に準レギュラーのようになっているからかなぁと思っています。例として徳川家康の画像と千田先生風画像を並べてみました。もちろんこの人は「○○○○」だろうなと察しは付くのですが、千田先生へ画像をだいぶ寄せていると思います。メンバーの皆さま如何でしょうか?
国立天文台を訪ねました
本部幹事 美濃規央
先週久しぶりに上京する機会があり、東京都三鷹市の国立天文台を訪ねました。特に目的があった訳でなかったのですが、実に半世紀余ぶりの2度目になります。「天文学」の授業を担当された森本雅樹先生(当時は助教授、電波天文学)に連れられてやって来ました。先生は電波望遠鏡の技術者を探しておられ、ちょうど野辺山(長野県)にも展開する時期でありました。現在、奈良学友会に私が所属していることは先生のお考えに添わなかった証拠です。逆に傾いておれば今頃南米チリで余生を過ごしていることでしょう。その心が揺れ動いた場所をもう一度見ておきたいと云うのが密かな目的だったかも知れません。
半世紀経ってもあのとき現役で活躍していた装置たちはその場所にあったものの今はどれも現役を退いていました。多くの施設や装置は国登録有形文化財や同指定文化財になっていました。歴史遺産としてその姿を今に留めているのを見ると年月の流れを感じます。森本先生の6メートルミリ波電波望遠鏡も静態保存されていました。残念ながら1970年に設置された装置でまだ何も国の指定を受けていませんでした。(という訳で写真はありませんが、パネルに「日本の宇宙電波天文学の出発点ともいえる望遠鏡」と書いてありました。)
構内をぐるりと回って有形文化財の写真を撮りました。写真の詳しい説明は次のURLに音声ガイドがありますのでそれでお楽しみください。
https://www.nao.ac.jp/study/mitaka-guide/ja/
また当地にご関心ある方はどうぞ訪問してみてください。この三鷹が本部になっていますが、まるで天体観測の歴史博物館のようになっています。(見学できませんが)建物の中ではハワイのすばる望遠鏡のプロジェクトやチリのアルマ望遠鏡のプロジェクトが動いています。とは言え、一般見学者向けにまだ太陽望遠鏡は活躍しており、説明を受けることが出来ますし(私の時は曇り空でフレア爆発頻繁で黒点いっぱいの太陽に会えませんでした)、夜はタイミング合えば観望会も開かれているようです。
https://www.nao.ac.jp/about-naoj/organization/facilities/mita