「圓明剣 剣の道を修業する」
武蔵円明流十五世宗家師範 荒川 公延
【一】圓明剣の意義
当流(江戸時代は、武蔵圓明流と云う)の剣術秘傳書より
聞く 他流に相撃(相打)を不思議剣と云う外伝あるなり。相撃に似ているがそうでない。当流相撃の技は、試合前技術鍛錬したる上で皆々見破して真の一刀をなすを当流圓明剣と云う。他流にては、神明剣、不思議剣、無量剣と云う。皆無思無量の一刀故に名を附け難しく神に〆。当流に圓明無二剣と云い、真無妙圓明剣という。当流の技は高上無限で即ち此の上もない、限りもない。剣術者の心身の力が良い事なり。
【二】宮本武蔵の精神と技巧を学ぶ
武蔵守流は二刀と云う剣術の開祖なり。他流にも二刀有れも真の二刀たる事を不知。武蔵守は日本日下の開山剣術の教法至て委敷事他に勝れたり。其上岡本映方に至て猶又教法細密なり。当流二刀は極秘の立てものなり。通称の二刀あり真の二刀(別称の二刀)あり。通称の二刀は上中下の二刀あり、左右の二刀あり、剣の二刀あり。真の二刀は中段以上九段に至るまで真の二刀なり。是を胎陽剣、陰胎剣と唱う。胎は未顕の胎なり。所謂、胎は先天の胎にして先の一刀なり。陰體剣は後天の一刀にして後の先なり。以上是を真の二刀と云う、皆陰陽の微兆たるを以て傳とす。敵に少しも不顕を以て真の二刀なり。先の先は陽なるを以て先んす。後の先は陰なるを以て後とす。
精神は、若い宮本武蔵玄信が著した円明流兵法の「兵道鏡」と晩年の「五輪書」両書の必要な項目を学び実施します。
【三】武蔵円明流の修業(何を求めて鍛錬するのか)
当流は剣術・居合術の修業による過程で、各自の成長欲求の超越的な自己実現欲求(至高体験を経験したい)に挑戦します。