奥田進一
モンゴル料理の代表格としては、ボーズ、ホーショールやツォイワンが挙げられる。はじめてこれらを食する人は、とにかく言われるままに注文して、何が出て来るかとワクワクドキドキするかもしれない。しかし、目の前に出てきた瞬間、小籠包も揚げ餃子も焼きうどんも頼んだ覚えはないと訝しく思うだろう。決してオーダーミスではない。ボーズは、漢字で書けば「包子(現代中国語ではbaozi)」で、小籠包よりやや大ぶりの蒸した肉饅頭である。ホーショールは、小麦粉を練った生地でひき肉やたたき肉などを包み、油脂で揚げたものである。ツォイワンは、羊肉と野菜を炒め、そこに麺を加えて蒸した焼うどんのようなものである。いずれもモンゴルの家庭料理の代表格である。
伝統的なモンゴルの食べ物は、「赤い食べ物」と「白い食べ物」とに大別される。前者は羊を主とする肉類を指し、冬の主食である。後者は乳製品を指し、夏の主食である。羊や牛などの家畜は、春に出産シーズンを迎え、夏に向けて搾乳の量が増える。その自然の摂理により、夏は余るほどの乳製品を中心とする食生活を送り、秋口にこれ以上出産しないであろう家畜を屠って干し肉等にして、食料の乏しい冬場を凌ぐのである。また、遊牧を基本的なライフスタイルとして農耕は行わないから、小麦などの穀物は交易によって入手するしかなかった。野菜は栽培もしないし、交易によっても入手困難なため、ビタミン類は肉類や乳製品から摂取することになる。したがって、前述のボーズなどは、糖質、タンパク質、ビタミンを同時に摂取することのできる高級料理にほかならず、そもそもボーズは正月料理であった。ボーズをはじめとする高級料理は、13世紀以降に展開されるチンギス・ハーンとその子孫たちによる征西によって世界中に広がっていった。なお、筆者は歴史研究者ではなく、以下の記述はあくまでも一般的に流布している俗説の域を出ないことを断っておく。
ボーズは、多様なバリエーションを見せながらユーラシア大陸に広く分布していった。中国では、包子、小籠包や餃子へと姿を変えて今に伝わり、漢民族の家庭料理の代表格である。また、ロシア料理のペリメニもボーズの変形で、ピロシキなどはホーショールそのものと言ってよいだろう。また、ツォイワンは、カザフスタン、キルギスタン、ウズベキスタンなどの中央アジア全域で食べられているラグマンと呼ばれる手延べ麺の原型とされ、中国では「拉条子」や「拌面」と呼ばれる一種のラーメンへと進化する。そういえば、チンギス・ハーンの孫のフビライに長く使えたマルコ・ポーロは、大元帝国の住民が好んで食する麺をイタリアに帰国してから周囲に広め、これが発達してパスタになったという説がある。イタリア人は、ほぼ例外なくこの説を否定するが、当時の彼の影響力を考えるとあながち荒唐無稽な話でもなさそうである。
世界の大都市では、世界各国の代表的な料理を口にすることができ、それはウランバートルも例外ではない。中華料理店やイタリアンレストランなどが、軒を重ねてひしめき合っている。しかし、これら料理の一部がモンゴル料理発祥ならば、料理が世界史を動かしていたのかもしれない。「異食同源」と駄洒落てみても、言い過ぎではあるまい。