学校区の概要

東松島市の位置及び地勢の概要

宮城県の中央東部,石巻市の西隣に位置し,北は美里町,西は松島町と接し,南は太平洋に面している。東日本大震災以前は,「母なる川」として親しまれてきた定川沿いに水田が開けていた。また,石巻,仙台圏との交通の便がよいことから,都市型近郊農業による野菜栽培が盛んで,ネギやトウモロコシ栽培では県内トップクラスの出荷量を誇っており,現在はその復興を目指している。

市の西部は,北西から南東にかけて走る松島丘陵と,箟岳旭山環状丘陵のうち大高森(105.8m)を最高として60m以上の丘陵との間を北から南東に流れ太平洋にそそぐ鳴瀬川,吉田川の両岸小野地区において谷上に発達した平野が開け,下流の浜市と野蒜地区においてやや幅広い海岸平野を形成している。

鳴瀬川の本市流域における河床は暫時堆積作用によって高まり,天井川の様相を呈し,今日までに幾度かの洪水の原因を成したが,河川改修により堤防が高くされた。また,南部宮戸地区の海岸線は屈曲にとんで著しく風光明媚であり奥松島と称される。特に,大高森や嵯峨渓の景観が有名である。浜市地区には明治時代の野蒜築港跡がある。

東松島市沿革の概要

藩政時代は,伊東・富田両氏(小野本郷),剣持氏(野蒜),和田氏(宮戸)などの藩士の所領となっていたが,明治4年廃藩置県により,仙台県の管轄に属し,翌5年より宮城県の管轄に属することになった。

明治22年4月1日,市町村制の施行により,藩政時代の村は,赤井村,大塩村,鷹来村,小野村,野蒜村,宮戸村の6カ村となり,昭和15年には,鷹来村は矢本町となる。更に昭和30年5月3日,矢本町,赤井村,大塩村の3カ村が合併して,矢本町となり,小野村,野蒜村,宮戸村も合併して調整を施行し,町名を鳴瀬町と称した。

そして,平成17年4月,矢本町と鳴瀬町の合併により,東松島市が誕生することになった。

宮野森小学校区の概況

旧野蒜小学校の学区,野蒜地区は宮城県の中央東部海岸地区に位置し,西は松島町に接し,南は石巻湾に臨んでいる。東日本大震災前は白砂青松の美しい景観に恵まれ,野蒜海水浴場,東名海岸には海水浴や潮干狩りに訪れる観光客が多く,レジャーゾーンとしての発展がめざましかった。

自然環境の豊かさにより,県や市の諸施設が集中していた。松島自然の家,松島簡易保険保養センター,松島ユースホテル,老人ホーム「不老園」等の施設があり,また,洲崎地区には,総合グランド,サッカー競技場,野球場,テニスコート,マレットゴルフ場,武道館等の諸施設を備えた総合体育館バウンズ88が完成した。

地域の産業は,農業・漁業が主であり,ほかに観光業もみられる。農業では,稲作中心で園芸も盛んである。漁業は,かき等の養殖が中心であり,生産量も震災前に近づいてきている。

JR仙石線の利便性や地の利に恵まれた宅地開発が進んだことから,東名地区等に会社員,公務員等が住宅を建て仙台市,塩竈市,石巻市に通勤する人が増加した。観光業も盛んで,商店,民宿,飲食店も比較的多かった。

児童の保護者は共働きが多く,また近年の交通量の増加や観光地化に伴い,登下校時等の安全確保等が課題となっている。

旧宮戸小学校区,宮戸島は,東松島市の南西部に位置し,北は松ケ島橋で野蒜とつながっている。西は鰐ケ淵水道を隔てて,塩竈市の寒風沢島に面し,東は石巻湾に臨み,南は外洋に面しており,四面海に囲まれている周囲15kmの島である。

海岸線は非常に不規則で,大浜,月浜,室浜,里浜等にわずかに砂浜が見られるだけで,ほかは直接断崖をもって海水と接し,盛んに海蝕を受けている。

当学区は,特別名勝の地,奥松島の名で知られ(県立自然公園),松島四大観の一つ大高森をはじめ,島の島南端に突出した岬,嵯峨渓は日本三大渓の一つで,景観は見事である。学区内に点在する貝塚は,平成5年に国の史跡に指定された。

全島のほぼ中央に最高点高度105.8mの大高森があり,展望台からは視界をさえぎるものがなく,360度のパノラマ式展望をなしている。石巻湾に面して室浜,南面外洋に臨んで大浜と月浜,北面内湾に面して日本最大級の貝塚を擁する里浜の四地区がある。

月浜地区に伝わる小正月の鳥追い行事「えんずのわり」が,平成18年に国の重要民族無形文化財,平成21年に国土交通省「島の宝百景」に,平成25年に日本ユネスコより「プロジェクト未来遺産」に指定されるなど,伝統的な行事が継承されている地域でもある。

職業別にみると,震災前は小売業や理美容業のほかは,半農半漁がほとんどであり,民宿等を営む家庭が多く生活程度は豊かだった。

水産物では,のりの生産が最も多く,魚介類の水揚げもあった。現在はのりやワカメ,かきに関しては共同で少しずつ復興してきている。

旧野蒜小学校が津波被害により校舎が使えなくなったため,鳴瀬桜華小学校区の小野地区において民間施設の敷地を借り,統合したが仮設校舎で授業を行っていた。

平成28年12月に新校舎が完成し,平成29年1月から新校舎で教育活動を行っている。新校舎は仙石線東名駅と野蒜駅の中ほどにあり,校舎の側には「復興の森」が整備され,児童の活動フィールドの一つとなり,市民の憩いの場にもなる予定である。校舎移転と時期を同じくして,集団移転が進み,仙石線が全線運転再開されたことから,まちとして形成が進んでいる。