山
山
私と同じく銀塩カメラを趣味にしている友人と話をしていた時、面白いことを聞いた。
写真を撮り始めてから、彼には一つのテーマがあるそうだ。それは木。
木の写真しかとらないわけでは無いし、積極的に木を探すわけでもない。
しかし、ふと気になって写真に収めるのは妙に個を感じる木らしい。
何とはなく私にも腑に落ちるものがあり、それは私にとっては山なのかなと思う。
2025/8/28
下の写真と同じ場所から焦点距離を変えてもう一枚。
荷物は重くなるが、200 mmは持っていくべきだな。
2025/8/21
出張先の街の平均標高は1500 mを超えている。
だから、山にかかる雲が非常に低い。
この写真は宿泊した部屋から撮影した。
私にとってこの街を象徴するような印象的な写真。
2025/8/9
昔、山といえば標高が高いほど美しいと思っていた。
しかし、友人と山に登るようになってから
その考え方は少しずつ変わってきた。
今では低山が連なる様子も趣深く見える。
そういう低山ほど人里に近く
人々が連綿と紡いできた生活が感じられるのだ。
2025/7/13
この景色を銀塩で撮影したのは初めてだった。
田植えが終わり梅雨が明けると、
それまでまっ茶色だった川の水が
ようやく透明に戻る。
その水を見守るのは古くから愛されてきた山々。
そうしてここに夏がやってくる。
2025/2/16
同系色の上着を着て
まったりとお散歩するご年配のカップル。
遠くに見える山と何故か重なって見えた。
2025/2/11
今更ながら富士山の写真。
実家の二階からいつも見えていた景色である。
帰る度にこうして富士山を見る。
それは懐古という言葉がぴったりの時間である。
2024/12/21
友人と登った山の山頂から、さらに高い山を望む。
彼女は元々アウトドアとは無縁だったのだが、
私がこの沼に引きずり込んでしまった。
初めて1000 mを超える山に登ったと言って
はしゃいでいたのが印象的である。
そういう数字には何の意味も無いとも思うし、
大切な意味を持ってくれたら嬉しいとも思う。
2024/11/11
ガスに包まれた筑波山。
良く見ると地表側もガスっている。
手前は(多分)小貝川で、その色味も相まって
世紀末感が出ているように感じる。
それとも、私が小貝川に対して抱いている
イメージのせいだろうか。
2024/11/10
ギリギリ栃木県から、福島県側にある山を望む。
眼の間に広がる笹が嫌だなぁなどと思っていたら、
この後すぐにクマの糞を見掛けた。
大きな声を出しながら山を登ったのも、
今となっては良い思い出である。
2024/9/19
オレンジの屋根が並ぶ手前に対し、
遠くに見える尾根が印象的だった。
日本の低山とは違う雰囲気なのだ。
岩山独特のシルエットというか、
緑は濃くないもののヒトを拒んだ空気を感じた。
2024/7/20
パッと見ると目の前の道が主人公の写真に見えるかもしれない。しかし、私にとっては奥にうっすらと見える山こそが主人公なのだ。
この山は古くは聖域として祀られており、
今でも土着の信仰を感じるような場所である。
そういった山が、水田という我々にとって
大事なモノを見守っているように見えた。
2024/4/7
下の写真と同じ時に、榛名山の頂上から浅間山を
撮った。ほぼ真西の方向だろうか。
私の他にも浅間山をカメラに収めているお爺さんがおり、奥様がにこやかにそれを待っている様子が
印象的であった。
ああやってカメラと一緒に長い時間を過ごしてきたのだろう。
悠久の時を経てきたであろう山と、ご年配の夫婦が
何となく私の中で被って記憶に残っている。
2024/4/7
榛名山の山頂から南東側を望む。
山が連なる様子と、道路の走る様子に
惹かれた時の一枚である。
この時はロープウェイで山頂まで来てしまったが、
いつか麓の駐車場から歩いてみようかと思う。
榛名湖をぐるりと囲む道も気持ちが良いし、
ハイキングに丁度良いのではないだろうか。
2024/2/18
埼玉県の北西部にて。
我ながら、早春の霞がよく映っていて綺麗な一枚
だと思っている。
どうしてこんなところに鉄塔を建てたものだ。
自然の中にひっそりと立つ人工物を見かける度に、
これらを創った先人に思いを馳せてしまう。