10月1日から1か月間、百五銀行追分支店のロビーにて「江戸時代の東海道」をテーマとした出張展示を行いました。
「東海道分間延絵図(文化3年1806年完成)」は江戸幕府が道中奉行に命じて作成したもので江戸から京都までの東海道の道路沿いの街並みや設備が丹念に描かれており、当時の東海道の様子が大変よくわかる資料となっています。
今回の展示は博物館内の常設展示と同様に追分から杖突坂に至る絵図に解説を加えたものを展示しました。
百五銀行追分支店近くのお越しの際には、是非お立ち寄りください。
<館内展示>
館内玄関土間の展示コーナーに展示しました。
★デコパージュ 長坂はるゑさん
★ブリザードフラワー 森田眞紀子さん
★懐かしの氷かき機 一村良治さん
<入場おもてなしサービス>
当館庭先の梅を使用した昔ながらの「梅干し」を用意しましたので
夏の塩分補給に是非どうぞ!
7月4日から1週間だけではしたが季節恒例の七夕かざりを当館庭先に用意したところ、多数の方に願い事を記した短冊などの飾りつけをしていただきました。
今年も猛暑となりましたが、来場者に少しでも季節を感じていただいたことと思います。
杖衝坂の中腹の道路わきの斜面にぽっかりと空いた穴がある。中を覗いてみると狭いながらも地下水路が掘られているようだ。通りがかりの90歳頃の地元の古老によるといつ掘られたのかどのような目的で掘られたのかは不明であるが、物心がついたころからその存在は知っていたとのことであった。
「まんぼ」とは主に水田に用水を引くために掘られた地下トンネルのことをいい、古い鉱山用語で鉱山の穴、坑道のことを表す「まぶ(間府)」が変化したものといわれていて、その多くは江戸時代に掘られたようである。
今も鈴鹿市西部の台地にも多くの「まんぼ」が存在しているが、この杖衝坂「まんぼ」は地元の人にもその存在はほとんど知られていない。穴の入口付近の状態を見ると地肌のままの小さなトンネルは一方は坂の上部(南)へ、もう一方は坂を横切る形で東西方向へと3方向に伸びていて、水路の底は大きな石版のようなものが敷かれている。近代になって掘られたような形跡はなく、少なくとも明治時代以前に掘られたものと思われる。
前出の古老の推察によれば、この坂付近には昔から水脈が豊富(弘法の井戸、大日の井戸も掘られている)で、その地下水を田畑に利用したか、あるいは杖衝坂を上った先に用水池(現在は存在していない)があり、そこから「まんぼ」を掘って田畑に利用したのではないか、いずれにしても他地区にあるような大規模なものではなかったのではとのことであった。
もし由来など詳しい情報がわかれば、地元の貴重な文化遺産として保存していく意義があり、今後も継続的に調査を進めていきたい。もし少しでもご存じの方がいらっしゃれば教えていただきたい。
この度、当館では杖衝坂史跡のPRの一環として、この坂を訪れる方にヤマトタケルが杖を衝いて上ったという伝説に因み、杖の利用サービスを行うことになりました。
用意する杖は坂沿いに自生する竹を利用した1mほどの杖で、当館入口の提供ボックス内に用意し、利用後は芭蕉の句碑の上に設置した返却ボックスに返却していただくことを想定しています。
杖衝坂を上られる方に短い道程ではありますが、多少なりとも古のヤマトタケルに思いを馳せていただければ幸いです。