2025年8月メッセージ
主の望む道
アルマ書32章28節を紹介します。
「さて、御言葉を一つの種にたとえてみよう。さて、もしあなたがたが心の中に場所を設けて、種をそこに植えるようにするならば、見よ、それがほんとうの種、すなわち良い種であり、またあなたがたが主の御霊に逆らおうとする不信仰によってそれを捨てるようなことがなければ、見よ、その種はあなたがたの心の中でふくらみ始めるであろう。そして、あなたがたは種がふくらみつつあるのを感じると、心の中で次のように思うであろう。『これは良い種、すなわち御言葉は良いものに違いない。これはわたしの心を広げ、わたしの理解力に光を注ぎ、まことに、それはわたしに良い気持ちを与え始めている。』」
預言者は私たちに、信仰を種にたとえて、心の中に信仰の種をまき、養い育てるように教えておられます。植物が育つために必要なのは水や栄養や日光などがありますが、以前子どもたちに、信仰の種を育てるには何が必要か聞いてみると、「お祈りする」「親切にする」「良いことをする」などの返事が返ってきました。どれも信仰を育てるために大切なことです。
私がどのように自分自身の信仰を育ててきたかについて分かち合いたいと思います。
私は教会員の両親から福音を教えられ、福音に従って生活するようにと、子どもの時から励まされてきました。子供の頃はまだ素直で、両親に連れられて毎週日曜日は教会へ行っていました。
青少年になっても変わらず教会に集っていましたが、毎週教会へ行くことに、それほどの価値を見出せなくなっていました。それでも周りに励まされながら教会に集っていました。
私が伝道に出ることができる年齢になった時、教会員の友人のほぼ全員が伝道に行き始めました。彼らの良い影響により私も宣教師になりました。当時の私は、それなりに証や信仰はあると思っていたのですが、伝道は私が想像していた以上に大変なことが多くありました。自分の弱さに落ち込み、体力的にも疲れ果て、伝道前にあった自信や希望はとっくに砕け落ちていましたが、それでも私の心の中に育っていた信仰が、諦めないようにと、私自身を励ましていたような気がします。
そして数日、数週間、数ヶ月が経ち、気がつくと、宣教師として証を伝える時、福音を紹介している時、私自身が心から喜んでいることがわかりました。
ある時、同僚にこんな話をしました。「私は昔、教会員の家庭に生まれなかったら絶対教会に行かないって思っていた。けど今は、もし福音を知らずに生まれてきたら、自らこの教会を探し求めるよ。」
そして伝道が終わる頃、ある決意をしました。「私はこれからの人生も決して主に背を向けず主の望む道を歩んで行こう。」そして主の戒めを守り主に従うと主に約束をしました。
伝道中に育てた信仰は今も私の中にしっかりと根付いていると思います。
アルマ書32章42節を紹介します。
「あなたがたは、御言葉が自分の中に根付くように、熱意と信仰と忍耐をもってそれを養うので、見よ、やがてその実を得るであろう。その実は最も価値があり、どんな甘いものよりも甘く、どんな白いものよりも白く、どんな清いものよりも清い。また、あなたがたは満ち足りるまでその実を食べて、もう飢えることも、渇くこともないであろう。」
信仰の種の育ち方はそれぞれ異なりますが、大切なのは継続して養い育てることだと思います。それには熱意や忍耐が必要だと思いますし、家族や友人や指導者の愛と励ましも必要だと思います。手を取り合い、助け合いながら、これからも私たちが主に従うことを選べるようにと願っています。
2025年6月メッセージ
あらゆる思いの中でイエスキリストを仰ぎ見る
今年の青少年のテーマは「イエス・キリストを仰ぎ見る」です。これは、教義と聖約6章36節にある言葉、「あらゆる思いの中でわたしを仰ぎ見なさい。疑ってはならない。恐れてはならない」という聖句に基づいています。
この短い一節には、私たちが人生のあらゆる場面においてキリストを中心に据えるべきであるという大切なメッセージが込められています。
8月には同じテーマを掲げたFSYが開催されます。
わずか5日間あまりのプログラムですが、多くの青少年、そして指導者たちが「変化」を感じたと証する経験をしてきました。そして今年もそうなると信じています。
なぜ、こんなにも短い期間で影響を受けることができるのでしょうか。
一つには、FSYの期間中、参加者が物理的に日常の生活や世俗の影響から離れ、特別な環境に身を置くことがあるでしょう。
また、同世代の仲間と密に時間を共にすることによって、深い一体感や帰属意識が生まれます。
そして、すべての活動が福音を中心として計画されているという点にもFSYの特別さがあります。
しかし、これらすべてを超えて最も大きな要因は、主が備えてくださったこのプログラムにおいて、主の御霊が私たちの心に直接触れてくださるからでしょう。
御霊に勝る力で人の心を変えるものはありません。
私たちの内面を深く揺り動かし、キリストに近づきたいという願いを起こさせてくださるのは、まさに御霊の働きです。
ラッセル・M・ネルソン大管長は、若い世代に向けて次のように語っておられます。
「愛する若い兄弟姉妹の皆さん、今は確かに末日であり、主はイスラエルの集合という主の業を速めておられます。この集合は、今日地上で行われていることの中で最も重要な事柄です。規模において、重要性において、また偉大さにおいて、ほかに類を見ません。皆さんが自ら選び、望むならば、大きな役割を果たすことができます。重要で、崇高で、偉大な御業において、重大な役割を果たせるのです。」
このように、主は若い世代を特別に信頼しておられます。そして召しを果たしたり特質を伸ばしたりする助けとしてFSY(もちろんYSAカンファレンスも!)などの機会を与え、個人的に支え、励まし、導いてくださっていることを知っています。
若い世代の皆さんが主を仰ぎ見るときに、主の愛を感じることができますようにいつも祈ってますよ!
2025年5月メッセージ
現世における神の助け
高校生の時に私は遠藤周作の「沈黙」を読みました。詳しい内容は忘れましたが、テーマは、神様は忠実な僕がなぜ伝道しているのに大変な試練を受けるのだろうか。なぜ、神様は沈黙されているのかということだったと思います。
「現世における神様の助け」1) はこのテーマに対する答えだと思いました。
「すべてての事物に反対のもの」があるのか
神の偉大な計画で、神の子供たちの現世での成長に不可欠なのは、「すべての事物に〔おいて〕反対のもの」を味わうことでした(2ニーファイ2:11)。肉体の筋力を鍛え維持するには重力の法則に抗わなければならないように、わたしたちが現世で成長するには、サタンの誘惑と死すべき世にある反対の力に抗う必要があります。霊的な成長にとって最も重要なのが、善悪を選ぶ責任です。善を選んだ人は、永遠の行く末に向かって進歩します。悪を選んだ人には(現世での様々な誘惑の中でだれもが悪を選んでしまうものですが)、愛ある神が用意された救いという助けが必要です。
「イエス・キリストの贖い」
現世において最も力強い神の助けは、悔い改めた罪の代価を払い、赦しをもたらすために苦しまれる、救い主イエス・キリストを備えられたことでしょう。この憐れみ深く栄えある贖罪は、主イエス・キリストを信じる信仰がなぜ福音の第一原則なのかを明らかにしています。主の贖罪は「死者の復活をもたらし」(アルマ42:23)、「世の罪を贖〔い〕」(アルマ34:8)、わたしたちが悔い改めたすべての罪を消し去り、現世における弱さからわたしたちを救う力を救い主にもたらします。
「キリストの光、キリストの御霊」
天の御父の計画には、わたしたちの現世の旅を導く助けがほかにも用意されています。そのうちの4つについてお話しましょう。この4つという数にはこだわらないでください。これら4つの助けは重なり合っていますし、憐れみ深い守りがほかにもあります。
一つ目に、キリストの光、すなわちキリストの御霊についてお話しましょう。モロナイ書にあるすばらしい教えの中で、モロナイは父親の言葉を引用しています。「善悪をわきまえることができるように,すべての人にキリストの御霊が与えられている。」(モロナイ7:16)現代の啓示にも同じ教えが記されています。
私たちは神仏の力を物事が起こる前に求める傾向があります。辛い試練にあわないようにと。試練にはさまざまな原因がありますが必ず私たちは何らかの試練にあります。
これらの出来事が私たちの成長に結びつくことを神様は望んでおられます。試練は教会員であろうと、そうでなかろうと、悪人であろうとあいます。
神様の助けは試練にあっている時、その後に信仰に応じて大きな影響を行使されます。
オークス長老の教えは、「沈黙」のテーマにある疑問は自分自身の中にも少なからずありましたが、大きな助けとなりました。
この福音が私たちを真理を教え、イエス・キリストに近づくことができると証します。
1) 2025年4月総大会、ダリン・H・オークス管長 現世における神の助け
2025年2月メッセージ
「『もう十分である』と言う者からは、彼らが持っているものさえも取り上げる」
以前,脳神経科学に関する本を読んだときに,脳には「Use it or lose it」という仕組みがあることが書かれていました。その「Use it or lose it」の仕組みとは,「脳の神経回路は使うほど強化されてより使いやすくなる一方で,使わなければ不要なものとみなされて失われる」というものです。この脳の仕組みを知ったときに,次の聖句を思い出しました。
ニーファイ第二書28:30 見よ、主なる神はこう言われる。「わたしはここにも少し、そこにも少しと、教えに教え、訓戒に訓戒を加えて、それを人の子らに与えよう。わたしの訓戒を聴き、わたしの勧めに耳を貸す者は、知恵を得るので幸いである。わたしは受け入れる者にさらに多く与え、『もう十分である』と言う者からは、彼らが持っているものさえも取り上げる。」
思いと行いをによって聖霊を通して証が得られます。証はさらなる思いと行いにつながります。そのサイクルは,記録したり,分かち合ったり,定期的に振り返ったりすることで強化されます。一方で,思いと行いによって証が得られても,記録したり,分かち合ったりしなければ失われてしまいます。
これだけ見ると,「使わなければ失われる」という仕組みは,ネガティブなものに思えます。しかし,見方によってはポジティブに捉えることもできます。例えば,自分が改善したいと思う性質があるとします。それは長い時間をかけて神経回路に刻まれた習慣です。自分の一部になってしまった性質,習慣はどうしようもないように思えますが,「使わなければ失われる」という仕組みは神経回路にこびりついている性質,習慣にも適用されます。『もう十分である』と言う者からは、彼らが持っているものさえも取り上げられるのです。
善いものは強められ,悪いものは改善される力というのは,悔い改めによって適用されるイエスキリストの贖いの力のようだなと思います。私たちは日々の生活の中で信仰を強め,悔い改めて,救い主であるイエスキリストに近づくことができます。神様が生きていて,私たち一人ひとりを愛していることを証します。イエスキリストの福音が回復されて,今も続いていることを証します。
全てイエスキリストの御名により証します。アーメン。
2024年12月メッセージ「イエス・キリストに結ばれて,地の塩となる」
2024年も残りわずかとなりました。この一年、皆様はどのように過ごされましたか?
今年10月の総大会でジョセ・ティシェラ長老が話された「イエス・キリストに結ばれて、地の塩となる」というお話は、私たちの心に深く響きました。
教義と聖約101:39には、「永遠の福音に召され,永遠の聖約を交わすとき,〔わたしたち〕は地の塩と…見なされる」と書かれています。
私たちが「地の塩」として、周囲の人々に光と希望をもたらす存在となれることを教えています。
この例えのように、古代のイスラエルの人々は、塩が生活に欠かせないものであることを知っていました。
同様に、私たちも、キリストの愛と光を世の中に広めることによって、人々の生活に大きな影響を与えることができます。
さて、12月はクリスマスが目の前となり、クリスチャンや多くの人にとって心は喜びに満ち溢れていることと思います。
しかしそれと同時に、この日々肌寒くなる季節は、独りで寂しく過ごしている人にとってはより孤独感が浮き彫りになるかもしれません。
ワードの皆様が主の福音とつながりイエス・キリストにさらに近づく時に、このような方々に愛を伝え、誰かにとっての「地の塩」となれることを祈っています。
イエス様が全ての人にとってそれぞれのキリストであり、救い主であられることを証します。イエス・キリストの御名により、アーメン。
2024年9月メッセージ「見よ,わたしは神の御子イエス・キリストの弟子である」
今年ももう9月となり、教会の教科課程である「モルモン書」も、イエス・キリストがニーファイ人に御姿を現された第三ニーファイに入りました。
今年の青少年のテーマ(*)は、モルモン書の第三ニーファイ5:13にある次の言葉です。
「見よ,わたしは神の御子イエス・キリストの弟子である」
教義と聖約41:5には、「わたしの律法を受け入れて,それを行う者は,わたしの弟子である」と書かれています。
今月は、8月に行われたFSY(For the Strength of Youth)に参加した、中学校3年生以上の青少年達の証を聞く機会に恵まれました。同世代の友人と交流し、信仰を強めたFSYの経験から、主の「弟子」である青少年達の純粋な話と証を聞けたことに心から感謝しています。
青少年がFSYから証を得たように、私達も日々の生活の中で信仰を強め、主の「弟子」になることができます。日々聖典を読み、祈る時、毎週教会に集い聖餐を受ける時、そして神殿に参入する時に、イエス・キリストの贖いの力を受け、私達も主の「弟子」として、聖約の道を歩むことができると証します。聖書とモルモン書に書かれている通り、救い主イエス・キリストは、確かにこの地上にお生まれになり、贖いを成し遂げられたことを証します。イエス・キリストの御名により、アーメン。
(*) ユーステーマ2024 テーマ曲: 「Disciple of Christ -愛に包まれて-」
https://youtu.be/Tx1C2JhyUss?si=Jr7-k5RxYJ4YLMA-
2023年7月メッセージ 「幸福の習わしに従って暮らす方法」
少し前に、モルモン書が新しい翻訳に改定されたということを聞いた覚えがあります。
最近読んでいて、モルモン書の中で2番目に短い節と言われていたⅡニーファイ5:27があるのですが、そこにも変化があったことを発見しました。
以前の訳は、「そして,わたしたちは幸福に暮らした。」と言う言葉でしたが、
現在は、「そして,わたしたちは幸福の習わしに従って暮らした。」になっています。
この言葉は、ニーファイが、エルサレムを去ってから30年位経った時に、宣べた言葉です。
確かに、「幸福に暮らした」と言うままだと、人生のすべてが幸せなような感じがしますが、
「幸福の習わしに従って」が付くと、何かの原則に従わないと、幸せを獲得出来ない気がします。
ニーファイ達の30年を簡単に振り返ると、快適なエルサレムの家を置いて荒れ野に旅立った事。途中2回ほどエルサレムに引き返すように命じられた事。
弓が折れて食糧難に合った事。船を作るように命じられた事。お兄さんたちから迫害にあい命の危険にさらされた事、等つらいこともたくさん経験してきました。
私たちも預言者も、すべての人も、この世で試練や困難に遭うという点では同じです。
では、どうしたら、「幸福の習わしに従って暮らす」ことが出来るのでしょうか。
以前のリアホナの記事では、このⅡニーファイ5章から、4つの原則を教えています。簡単に抜粋すると、
① 高め合える人間関係を維持すること
6節で、ニーファイは,自分と一緒に荒れ野へ逃げた人々について,「神の警告と啓示を信じる者たちであった」と言っています。幸福になるための重要な要素の一つは,わたしたちの社会的な交わりの中にあります。ですから,わたしたちと信仰を共有し,一緒にいると心が高められるような人々と時間をともに過ごすことは,わたしたちにとって大切なことです。・・・そうした関係や交わりは,わたしたちの幸福に大きな影響を与えます。・・・
② 行動と信仰の一致を図ること
10節で,ニーファイは,自分の民は「主の戒め」を守ったと書いています。戒めを従順に守ることは,幸せな生活を送るうえで重要な要素です。・・・神の戒めを信じながら,それに従って生活しないというのでは,幸福になるのは難しいことです。従順は,心の平安と良心の安らぎをもたらしてくれます。・・・
③ つらい仕事を完成させること
17節で、わたしニーファイは,民を勤勉に働かせ,また手を使って働くようにさせた。これらの聖句から,幸福を手に入れるためには,労働というものがきわめて重要な要素になっていることがはっきりと分かります。・・・
④ 神殿に焦点を合わせること
16節で、ニーファイはまた,新しい共同体を建設するに当たって,彼や彼の民が時間をかけて神殿を建築した,と記録しています。神殿の祝福と幸福とは不可分の関係にあります。
私自身の人生を振り返ってみても、
人間関係、信仰、労働、神殿と言う、この4つの原則は、 “御霊の実“すなわち「愛,喜び,平和,寛容,慈愛,等をもたらしてくれる大切な物となっています。
(参照:ガラテヤ5章22-23節)
イエス様が私たちを日々見守り、導いてくださる救い主、贖い主であることを証致します。
モルモン書が、末日に備えられた真実の書物であると証します。
イエス・キリストのみ名により、証致します。アーメン。
※モルモン書は幸福についてどう教えているか(ハンク・R・スミス /ブリガム・ヤング大学宗教教育講師 )
リアホナ2016年2月号
2023年6月メッセージ
恵みに恵みを受ける
前回のステーク大会を通して皆さまと共に学べたことに心から感謝します。土曜日の夜のセッションで、伝道部会長は次のようなメッセージを述べられました。それは、宣教師が朝8時55分に、愛の特質を持つことができるように、神さまと人々を愛することができるように祈っている、というメッセージです。これを聞き私はモロナイ7章の聖句を思い出しました。「慈愛はいつまでも絶えることがない…。したがって,最も大いなるものである慈愛を固く守りなさい。すべてのものは必ず絶えてしまうからである。しかし,この慈愛はキリストの純粋な愛であって,とこしえに続く。そして,終わりの日にこの慈愛を持っていると認められる人は,幸いである。したがって…あなたがたは,御父が御子イエス・キリストに真に従う者すべてに授けられたこの愛で満たされるように…熱意を込こめて御父に祈りなさい。」1) 預言者モルモンのメッセージに感謝し私自身も伝道部会長のアドバイスに倣って、自分にはまだ足りないキリストの純粋な愛、絶えることのない愛で満たされるように、神さまと人々を愛することができるよう、毎日祈る事を決意しました。皆さまもぜひ実行してみてください。
以前、別のワードに訪問したときに、新会員がモルモンの息子モロナイが記したモロナイ10章を読んで感じた意見を述べられた事が心に残りました。その章にはキリストや、神の力、神の賜物を否定しないように繰り返し述べられているというメッセージが印象的でしたというコメントでした。そこで私自身、同じ章を調べてみると興味深いことに、34節あるモロナイ10章にはキリストの名前を21回、序文も合わせると実に23回、節に対する回数計算ですと約70%近く述べている事に気づきました。最近その事を思いめぐらし読み返した時、印象に残ったことをお伝えします。「キリストのもとに来て…神の御心に沿わないものをすべて拒み、勢力と思いと力を尽くして神を愛するならば、神の恵みはあなたがたに十分であり、あなたがたは神の恵みによりキリストによって完全になり、…神の恵みによりキリストによって聖められる。」2) とありますが、ここで繰り返し書かれている「あなたがたは神の恵みにより」「神の恵みはあなたがたに」という言葉に心が惹かれました。なぜなら、イエス様ご自身は最初から完全ではなく恵みに恵みを天のお父様から加えられた事3)を思い出し、勢力と思いと力を尽くして神を愛する時に神の恵みを受ける素晴らしい機会が私たちにも与えられているからです!モルモン書の最初の第一ニーファイ第一章にはイエス様を信じる者に主の深い憐みが及ぶこと、終わりのモロナイ10章にも神の深い憐み4)と、私たちが力を尽くして神を愛する時に神の恵みによりキリストによって聖められる事が記され、神の深い憐みと恵みを教えてくれています。それは、キリストが流された血による贖いと天のお父様が聖約された事によるものだからです。べドナー長老は前回の総大会で、わたしたちを救い主は恵みと憐れみをもって祝福されたいと強く願っておられる事を教えてくださいました。5) 主の恵みと憐みを受ける機会が与えられている事に心から感謝します!わたしたちを勢力と思いと力を尽くして愛してくださる神様とイエス様に感謝します! 私も皆様と共に、救い主イエス・キリストに近づき、勢力と思いと力を尽くして神を愛し、神の恵みを受けられますように、イエスキリストのみ名によりお祈りします、アーメン。
1)モロナイ 7: 45-48 、2)モロナイ10: 32-33、3)教義と聖約93: 12-13
4)モロナイ10: 3、5)2023年4月総大会、デビッド・A・ベドナー長老 「わたしにつながっていなさい。そうすれば,わたしはあなたとつながっていよう。それゆえ,わたしとともに歩みなさい。」
2023年5月メッセージ 「最も偉大なイースターの物語」
2023年4月の総大会のお話の中で、十二使徒定員会のゲーリー・E・スティーブンソン長老は、復活際より、クリスマスを祝う時の方が、より一層準備をして臨んでいるという趣旨の話をされていました。クリスマスは、12月からプレゼントを贈りあう、聖典からイエス・キリストの誕生の話を読んだりするなどして、イエス・キリストの生誕を祝われているとのことなのですが、復活祭・イースターに関しては、次の言葉で説明されていました。
「一方,我が家のイースターの祝い方は少し違います。わたしたち家族は「教会に行く」ことが,イースターにイエス様を礼拝することで,その後,家族として集まり,ともにイースターの伝統的な活動をします。子供たちや,今では孫たちが,イースターのエッグハントをしたり,イースターバスケットの中を探る様子を見るのが楽しみでした。
しかし,大管長会の手紙*1を読んで,目が覚めました。大管長会は,すべての人に,イエス・キリストの贖罪と復活という,地上で最も大切な出来事を祝うときに,主にふさわしい敬虔さと敬意を払うよう勧め,さらに,家族や友人とともにイースターの日曜日を過ごすための時間を与えてくれたのです。*2」
続けて、スティーブンソン長老は、ジョセフ・スミスの歴代大管長の教えから、次の言葉を引用されました。
「わたしたちの宗教の基本原則は,使徒と預言者たちがイエス・キリストについて立てた証です。すなわち主が亡くなり,葬られ,3日目に再びよみがえって,天に昇られたことです。わたしたちの宗教に関するほかのすべての事柄は,それに付随するにすぎません。*3」
スティーブン長老の話を聞いて、私自身も目が覚めた思いでした。主イエス・キリストが贖いを成し遂げられたことが、私たちの信仰であり、2023年4月に主の復活祭(イースター)を思い起こし、皆様と共に祝う機会があったことに心から感謝いたします。
*1大管長会からの手紙 「末日聖徒イエス・キリスト教会の会員は,イエス・キリストの贖罪と復活を記念して,2023年4月9日の日曜日に復活祭を祝います。」
*2および3:ゲーリー・E・スティーブンソン長老「最も偉大なイースターの物語」2023年4月総大会
2023年4月メッセージ 「最初の奇跡から学ぶ聖約の大切さ」
聖書に出てくるカナの婚礼は、イエス様が30歳で伝道を始めたと時、一番最初に行った奇跡と言われています。
ある結婚式に出席していたイエス様が、その式でぶどう酒が無くなるトラブルに遭遇する話です。
母マリアは、イエス様に相談後、僕たちに、イエス様が言いつけることは何でもしてください、と伝えます。
イエス様は僕らに、6個の水がめに水をいっぱいに入れさせ、料理がしらの所に持っていきなさいと指示します。
料理頭がその水をなめてみると、とても味のよいぶどう酒で合ったことに驚き、花婿にその驚きを話しました。
一連の事を見ていた弟子たちは、イエス様を信じたという話です。
私は今までこの話が、6個の水がめを運んだ僕の様に、イエス様の言うことに従順に従えば、必ず最後には祝福はあると言うだけの話に思っていま
したが、他にもまだたくさんの気づきがありました。
ざっと述べると、次のような事です。
① ユダヤの結婚式で、ぶどう酒は、喜びの象徴であったこと。
→皆さんは現在の生活の中に、無くなっているものがありますでしょうか?
② 母マリアが、イエス様の元に自分の抱えている問題を提起しに行ったこと。
→祈りで、自分の問題をイエス様に率直に話していますでしょうか?
自分の問題は大変過ぎて、無理だと思ってあきらめてはいないでしょうか?
③ 最初から、問題解決の答えを求めるのではなく、イエス様を信頼し、時を待ったこと。
→祈る時、イエス様が与えようとしている答えを待っていますでしょうか?
④ その1個の水がめが、80~120リットル入るとても大きなものであったこと。
→時々、今、自分の歩んでいる人生が本当に意味のあるものかと思っていませんでしょうか?
そして最も、喜びを受けた気づきは、儀式的に使用されていた水が、ぶどう酒に変わった事です。
ユダヤの律法では、外から戻る人は、水がめの水でいつも身を清めます。
しかし、イエス様が水がめの水を変化させたのは、清めの儀式がもう不要となり、新しい物に取って代わった(ぶどう酒は、私達が毎週行っている聖餐の儀式)と教えられているのではないかと思った事です。
月曜日から土曜日までの六日間(この六日間と6個の水がめと言うのもなんか面白いつながりを感じますが)、世の中で生活した私たちは、イエス様とのかかわりが薄くなり霊的な養いが不足します。聖餐の儀式でバプテスマの時に交わした聖約を私たちは更新し、安息日を喜びの日とし、いつも御子を覚えることを約束します。ユダヤの人達がしているように、いつもです。
水がめは家の入口には置いてありませんが、贖いの影響力が、日々の生活でもたらされるように、私たちは主と聖約を交わしています。どこにいてもこの聖約によって主に近づく努力するならば、御霊の影響力は、いつも私たちにもたらされると主は約束しておられます。
デール・G・レンランド長老は,・・・生活の中でキリストの贖いの力を受けるには,キリストを信じ,罪を悔い改め,儀式によって神聖な聖約を交わしてそれを守り,聖霊を受けなければなりません。これらの原則は,一度だけ従えばよいというものではありません。それらは,「キリストのもとに来て,キリストによって完全にな〔る〕」ための天に向かって続く進歩の過程で,互いに補強し合い,形成され,連動していくものです。」とおっしゃっております。
自分が抱えている問題を、イエス様に率直に話してみましょう。
すぐには、望んでいる答えが与えられないかもしれませんが、主が与えようとしておられる最善の答えを信頼して、待ち望んで行きましょう。
全ての事柄は、わたし達が学び成長するために、主から与えれている物です。不平を言わずに日々感謝して生活しましょう。
そうすれば、主は、私達が抱いている問題をいつの日か最良の奇跡で解決してくださり、私たちの霊的な質を変え新しく生まれ変わらせてくださいます。そして最後に、料理頭が味わったように、良いぶどう酒が取っておかれていて、最上の喜びが得られると約束します。
イエス様が、私達の救い主、慰め主、贖い主であり、今も生きておられることを証いたします。アーメン。
※カナの婚礼(ヨハネ2章1-11)
2023年3月メッセージ 「最大の強さが主から与えられること」
預言者ネルソン大管長が前回の総大会で最初に語られた言葉で心に残っている次の言葉を紹介します。「喜ばしいことに,世界各地で..ユース・カンファレンスが開催され、、教会の..青少年は,人生で何が起こっても,最大の強さが主から与えられることを学んでいます。1)」預言者がユースカンファレンスを宣べ日本でも行われる機会に感謝します。更にネルソン大管長は「新しい神殿が奉献される度に,神聖な力が世界に加えられ私たちを強め(る)」事を教えてくださっています。再奉献された東京神殿に感謝し主はわたしたちを強めてくださることを証します。
ネルソン大管長が参考にされた「青少年の強さのために」の言葉を引用します。「自分は強くない、能力がないと感じることもあるでしょう。それはごく普通のことです。、、、救い主に頼ってください。主こそ「青少年の強さ」なのです。2)」この言葉は大人も含めたわたしたちすべてに述べられたパウロの言葉を思い起こさせてくださいました。「だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか?艱難か、苦難か、迫害か、飢えか、裸か、危難かつるぎか、、、わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも、力あるものも、高いものも、深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主イエス・キリストにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。3)」天のお父様もイエス様もわたしたちが自分自身を知っている以上に、わたしたちをご存知で、愛してくださり力を与えてくださいます。主に力を見出す機会が与えられていることに感謝します。
主の力を感じた1つの経験を分かち合います。以前、あるプロジェクトで―78℃の溶液から―78℃の溶液に試薬を移す化学反応を行ったことがあります。その日は妻にもよくお祈りをもらうように頼みました。目的物を得る前の重要な反応だったからです。反応中に問題がおこりました。-78℃に冷やした1つの溶液をもう1つの溶液に移そうとしても全く動かないのです。途中、移す管がつまらないように太い管に変えましたが溶液が動きません。風船に圧をかけましたが風船が3回とも割れました。合成した中間体を台無しにするのかとも一瞬思いましたが、主の助けがあると感じて、問題解決方法を探すことにしました。そこで―78℃から一度室温まで戻してみると文献とは違い中の試薬が固まっていたことに気づき、溶媒を足して溶解後再度挑戦する事にしました。別のグループの方にアドバイスを求めると、その方も未経験の1つのアイディア、つまり、反応容器に風船をつなぐ代わりに、壁から出るアルゴンという気体を、直接つなぎ圧をかけるアイディアを教えてくれました。すると溶液を容易に移すことができ期待以上の良い収率で中間体を得て、その後、製品化する天然物を予想以上の量で得る事に成功しました。祈りに答えてくださった神さまの愛と奇跡に、イエス・キリストの愛と知識と力に感謝します。救い主に頼るときに必要な力、最大の強さ、奇跡を与えてくださること4)をイエス・キリストのみ名によって証します、アーメン。
1)2022年10月総大会、「何が真実か」ラッセル・M・ネルソン大管長
2023年2月メッセージ「人生がより容易=簡潔(シンプル)になる」
コロナ過の影響で数年振りとなりましたが、先月、妻の実家に帰省し、妻が生まれ育ったワードの日曜日の集会に参加する機会に恵まれました。
2時間目は、メルキゼデク神権会に参加し、教師の方が、ネルソン大管長の次の言葉をレッスンの中で引用しました。
「この人々は,聖約を交わして守ることで実は人生がより容易(easier)になることをまだ知らないのです。バプテスマフォントや神殿で聖約を交わしてそれを守る人は皆,イエス・キリストの力にさらにあずかることができるようになります。*1」
クラスの話し合いの時間になり、参加していたある兄弟が、「私は、この『より容易になる』という意味は、『簡潔(シンプル)になる』ということだと思います。」という意見を述べられていました。続けて、レッスンの中で、ネルソン大管長の次の言葉も引用されました。
「...世に打ち勝つということは,この世で完全になることでもなければ,問題が魔法のように消えて無くなることでもありません。そうはならないからです。*2」
私達の人生の中で直面する様々な困難や試練は、イエス・キリストの福音に沿って生活していたとしても、なくなる、あるいは消えることはありません。しかし、聖約を守り、イエス・キリストの贖いの力を受ける時に、妻のホームワードの兄弟が言われたように、私達の人生を、より「簡潔(シンプル)」にすることができることを証します。
*1および2:ラッセル・M・ネルソン大管長「世に打ち勝ちなさい。そうすれば,休みが与えられるであろう」2022年10月総大会
2023年1月メッセージ 「幸福の扉ーミニスタリング」
1938年から続いているある研究があるそうです。ハーバード大学医学部のロバート・J・ウォルディンガー教授という方が4代目責任者で、「幸せになるたった1つの方法」が研究で判明したそうです。
742人からスタートし、84年経った現在は、生存者60人ほどまでに減ったのですが、
様々な調査を行うことにより、
『幸せ=人間関係』と回答が導き出されたそうです。
そして、ウォルディンガー教授は、幸せになるたった1つの方法を
『多くは必要ないから、気心の知れた仲間を作ること』と教えています。
仲間はパートナーでも友達でも親子でも良いらしく、
喧嘩できるくらいの気心の知れた仲間が1人でもいると、元気で若々しく、幸せに暮らせるそうで、
これは、医者、弁護士、大統領、工場労働者、レンガ職人全てにおいて同じ結果を示していたとのことです。
色々な場所で、人間関係を構築する所はあると思いますが、
この教会において、神様が大切と考えておられる原則が、啓示されたミニスタリングです。
総合手引きに、
「ミニスタリングとは、救い主がされたように人々に使えること・・」
「ミニスタリングは、救いと昇栄の業の達成を助けるためのきわめて重要な手段」
「自分の仕えている人々の必要や状況に合わせて対応し、個人的には訪問することが勧めれていますが、安全性や距離、文化的な適切さも
考慮に入れながら、電話やビデオ通話、携帯メール、電子メール、手紙、ソーシャルメディア、教会での交わり、奉仕の行いなど、様々
な方法で働きかけることが出来ます」、とも書かれています。
今年、ミニスタリングを通して、モーサヤ18:8-9の祝福を一人一人が祝福を享受できるようお祈りしております。
「そして,アルマは言った。「見よ,ここにモルモンの泉がある。(この泉はこのように呼ばれていた。)あなたがたは神の羊の群に入って,神の民と呼ばれたいと願っており,重荷が軽くなるように,互いに重荷を負い合うことを望み,
また,悲しむ者とともに悲しみ,慰めの要る者を慰さめることを望み,また神に贖なわれ,第一の復活にあずかる人々とともに数えられて永遠の命を得るように,いつでも,どのようなことについても,どのような所ところにいても,死に至るまでも神の証人になることを望んでいる。」
2022年12月メッセージ 光輝く賜物
贖いの業を全うされるためにお生まれになられた救い主イエス・キリストに心から感謝します!
わたしたちのために贈られた救い主イエス・キリストは言葉では表しきれない神様からの最高の贈り物です!
救い主イエス・キリストが私たちに与えて下さった素晴らしい賜物についてお伝えします。 第3ニーファイ9章には、イエス様がこの世で亡くなられた後に「義にかなったために、命を助けられた人々」に対して、最初に行うように言われたことは「悔い改めなければ災いである。」という言葉でした。さらに、同じ章の途中では打ち砕かれた心と悔いる霊を持ってイエス様のもとに来るようにとも言われています。私たちは、打ち砕かれた心と悔いる霊をもっているでしょうか?心とは英語では心臓を意味するheartと言われますが私たちのためにイエス様は贖いを全うするため十字架上にかけられたときに心、heart、心臓も意味するイエス様ご自身の心臓 (heart) が砕かれてなくなられた(破裂、裂けくだかれた)と12使徒は語っています。
また、同じ第3ニーファイ9章の最後にも、イエス様は、地の果てに至る人々よ、悔い改め、わたしのもとの来て救われなさいと仰いました。
地の果てに至る人々とはここに集う皆さんと私も含まれています!命を助けられたひときわ義にかなった人々、イエスキリストを信じる義しい人々に初めから最後まで悔い改めを勧められた主のみ言葉はとても印象的です。その後、それらの義にかなった人々にイエス様が自らを現された後に山上の垂訓に似た教えを授けられます。その中で主は、次のように言われています。「また、悲しむ者は幸いである。彼らは慰めを得るからである。」 実は、この山上の垂訓に似た教え8つの中で、この2つ目のメッセージにだけ主はある言葉を使われています。それは、日本語では「また」という言葉です。「また、悲しむ者、罪を悲しみ悔い改める者は幸いである。彼らは慰めを得るからである。」英語では「Again」、皆さんもよくご存知の言葉、もう一度、再びも意味する言葉です。確かにイエス様は何度も何度も悔い改めるように義にかなった方々に教えておられます。今、末日の時代に預言者ネルソン大管長も私たち、全ての人が毎日、悔い改めるよう、悔い改め の意味について4つのことを教えてくれています。それらの4つとは、思いを変えること、知識を変えること、霊的に生まれ変わること、息を与えてくださる神様に感謝しその息を使って神様と子どもたちに仕えることです。 預言者の言葉を聞き、救い主の模範を思い起こしたときに皆さんと共に行えたら良いチャレンジをお伝えします。 現在、サタンが力を何倍にも増している中、イエスキリストを信じ真心からの悔い改め、神様から与えられた素晴らしい賜物、大管長が「光輝く賜物」と言われた「悔い改め」を、すなわち「思いを変え、知識を変え、霊的に生まれ変わり、息を与えてくださる神様に感謝しその息を使って神様と子どもたちに仕えること」、これらのどれか1つでも良いのでぜひ毎日実行してみてください。 古い自分を捨て新しい自分となり、より良い自分に変わる悔い改めの機会が、今、私たちに与えられていることに心から感謝し、私も実行したいと思います。そうするときに神様からの祝福が与えられることを証します。
イエスキリストのみ名によって証します。アーメン。 2022年12月24日