中野ワードの皆様へ贈る言葉
兄弟姉妹の皆さん、おはようございます。お聞きの通り、本日ビショップから解任されました。
今まで支えてくださった中野ワードの皆さんに心から感謝いたします。特に不在にすることの多かったなかで、送り出してくれた家族、妻と娘たちや、ビショップリックとして私の足りないところを補ってくださった顧問、書記、幹部書記、チームとして一致してくださり、本当に感謝しています。ビショップとして楽をさせて頂きました。ありがとうございました。
この責任からの解任は、正直ホッとした部分もありますが、寂しさや、出来なかったことへの後悔する部分もあり、かなり複雑な心境です。しかし、今日ここで今までの思い出話しや感傷に浸るつもりはありません。神様の御業は常に進んでおり、一つのステージをクリアし次のステージへ進んだに過ぎないからです。
今日は、数分前までビショップと言う制服を身にまとっていた者として、皆さんに贈る言葉をお伝えしたいと思います。
「贈る言葉」と言うと、昭和に生きた人ならご存じだと思います。鉄板的学園ドラマである「3年B組金八先生」の主題歌ですね。この歌詞の中にとても印象的なレーズがあります。 ”人は悲しみが多い程、人には優しく出来るのだから” とても意味深く、真理をついています。
私はビショップとして多くの兄弟姉妹の悩みを聞いてきました。その中で感じた事は、同じ経験をしていないと相手の訴えに共感できない、気安く「分かる」と言ってあげられない事です。それでも分かってあげられるように、相手のXと言う経験はないが、自分のYと言う経験が近いのでそれに置き換えて考えてみる、と言う事でした。また、自分はZについて辛いと感じないが、相手はZについて辛いと感じている、その事実をそのまま受け入れよう、と心掛けました。
そこでとても大切な事が、どれだけ多くのつらい経験、失敗した経験を持っているかで、多くの人を理解し、支援の役に立つ、と言う事です。贈る言葉の歌詞のように、悲しみが多い程、多くの人に共感し、寄り添ってあげられるのです。
今2つの大切なプロセスを紹介しました。一つ目は自分の経験の中から、相手の経験に近いものを選び、共感を寄せる。二つ目は、共感できなくても相手が大変な思いをしている事実を受け入れる。
これを完璧にこなした方がイエス・キリストです。
彼は出産の苦しみは経験していません。でも、生きたまま手と手首と足に太い釘を打たれると言う苦痛を受けられました。また、全身の毛穴から血を流すほどの苦しみを受けられました。彼は、出産で苦しむ女性の苦しみを理解できると言って差し支えないでしょう。
兄弟姉妹の皆さん、自分を愛するように隣人を愛するために、次の事に注目してください。
自分の得意な事を、他の人が難しい、出来ないと言ったとき、その人を理解してあげてください。自分が簡単に出来るからと言って、他の人が簡単に出来ると思わないでください。自分の優先順位が、他の人にとっても同じ優先順位だと考えないでください。自分が見ているある物事について、他の人にも同じように見えていると思わないでください。
ちょっと哲学的になってしまいましたが、もっとシンプルに伝えると、このようになります。
「私とあなたは違います。でも私はあなたを受け入れます。」あるいは、「あなたは間違ったことをしています。でも私はあなたと言う人を受け入れます。」言葉のニュアンスは汲み取ってください。
今日いろいろお話ししましたが、伝えたい事はこの短い文章です。これが出来たら、皆さんの見ている世界が大きく変わる事を約束します。中野ワードの兄弟姉妹が、いろいろな人の助けを借りながら、最終的には自分自身で自分の喜びを見出せるよう願っています。
イエス・キリストのみ名により、証いたします。アーメン。 2022.3.6