量子力学の創生は20世紀の物理学における最も重要なブレイクスルー一つである。その量子力学が予言する、古典論では説明できない現象の一つが「量子もつれ」(エンタングルメント)である。量子力学では、量子の状態は観測するまでは確定せず、また、多量子系では系全体で相関があり各量子の状態はお互いにもつれている。たとえばスピン0の粒子が崩壊してふたつのスピン 1/2 粒子に崩壊した場合、片方の粒子のスピンを測定した時点で、遠く離れたもう片方の粒子のスピン状態の波束が収束し確定する。片方の粒子の測定により情報が遠くはなれた場所へ伝わることになる、「非局所性」ともいえるこの不可思議な現象についてEinstein・Podorski・Rosenはパラドックスであると提起し、量子力学は完全な理論の近似に過ぎず、完全な理論では系を記述するための「隠れた変数」が存在すると主張した。J. S. Bellは、「隠れた変数」理論の場合には成り立つが、量子力学が正しいとすれば成り立たない、2粒子間の物理量の相関関係を記述する不等式(「ベル不等式」)を提唱し、実験で検証可能であることを示した。
量子もつれのイメージ
出典 : 東京新聞, https://www.tokyo-np.co.jp/article/209719
アスペらの実験によって光子を用いた実験においてベル不等式が成り立たないことが観測された。しかしながら、物質を構成するクォークやレプトンやその他の粒子がかかわる系でもベル不等式が破れているのかについては、まだ実験的に検証の余地が残されている。また様々な系でこのような非局所的な相関現象を観測することは、量子力学の普遍性の検証という文脈において重要である。
本グループでは辻川が中心となって LHC-ATLAS 実験で量子もつれ状態にあるB中間子対が生成される事象を用いて、世界最高エネルギーでのベル不等式の破れの検証を行っている 。右に図示するような一連の生成・崩壊過程をターゲットとすることで、ミューオンの電荷の測定による B 中間子のフレーバーの決定を行い、D* 粒子の一連の崩壊の再構成により B 中間子の崩壊点の測定が可能となる。これまでに低運動量のミューオンが存在するような事象をより多く取得できるトリガーを開発し、データ取得に向けて実装を完了した。D* 粒子の再構成手法や事象選別条件についても評価を行い、信号事象の選別能力が十分であることを確認できた。さらに信号事象の数を増やすため、現在荷電粒子飛跡の再構成閾値を横運動量500MeVから200MeVまで下げた特殊な再構成に取り組んでいる。
原著論文 (実験提案): Y. Takubo, K. Nagano et al., Phys. Rev. D 104, 056004
ベル不等式の検証でターゲットとする B 中間子対生成および崩壊