2011年LHCでのヒッグス粒子発見をもって標準理論は完成しましたが、それで終わりということはありません。例えばヒッグス粒子の質量が2次発散を起こして電弱スケールと紐づかないこと (「階層性問題」)、ダークマターの存在が説明できないなど、明らかな穴があるためさらなる拡張 (「新物理」) が必要なことは確実です。
超対称性理論 (SUSY) はその中で特に有力な拡張理論で、標準粒子とスピン違いの粒子を導入することでヒッグス質量の2次発散をlog発散に押さえ、またニュートラリーノなど理想的なWIMPダークマター候補があるなど、標準理論の諸問題を同時に色々解決するポテンシャルがあります。さらに紫外完全で、力の大統一を自然に達成するなど、究極理論を目指す上で数々の都合の良い性質を備えており、ただの問題解決用モデルに留まらない豊かな理論体系を持っています。
LHCでは基本的に数TeV以下の比較的軽いSUSY粒子を直接生成し、その崩壊から兆候を探ります。どのSUSY粒子が軽くなるかには様々なシナリオがあり、どれを狙うかはSUSYに何を求めるか次第です。例えばダークマターをニュートラリーノで説明しようとするなら、ビーノ・ウィーノ・ヒグシーノのいずれかが最も軽いSUSY粒子で3TeV以下であることが求められます。他方いわゆるnaturalnessを考えるならスカラートップやヒグシーノが電弱スケールからそう遠くないことが期待されます。京都ATLASでは様々な有力シナリオに睨みを効かせた、多様な探索を展開しています。
もっと知りたい人は
あまりに見つかる兆候がないので、最近そのようなことを言う人が増えてきました。個人的にそのフラストレーションには共感しますが、超対称性は(TeVスケールの手の届きそうなものだけに限っても)全く死んではいません。確かにLHC開始前を考えたら比べものにならないくらい制限は強くなりました。Naturalness (理論の内部安定性) に裏付けられる軽いスカラートップは600GeVまで棄却されて厳しい状況にあります。SUSYダークマターも他実験によって半分くらいは死んだと言ってもよいでしょう。ただ例えばまだ死んでない残りの半分には、現象論的動機がより強い純粋なヒグシーノや、ビーノダークマターと共消滅するウィーノやスカラータウといったものたちが残っていて、ともに現状制限は200GeV以下です。スカラータウに至ってはいまだにLEPが最強の制限をつけていて、LHCのポテンシャルがまだフルに生かされていないのは明らかです。SUSYダークマターを仮定しないならそれこそ1TeVグルイーノすらまだ生きていて、これらはこの先のLHCの大統計データによる探索がむしろ本番です。我々を真に苛んでいるのはLHCのデータ倍加速度の鈍化です。もう今までのように簡単に10倍にはなってくれません。これ自体は確かにテンションの下がる事実で、データが溜まるのを待ってれば見つかる可能性があった時代が終わったということでもありますが、物理の動機を挫くものではないことには気を付ける必要があります。
これまでやってきた/現在やっている探索
ビーノは単体で標準模型粒子に対消滅できない。そのためビーノが最も軽いSUSY粒子でダークマターとなる場合は、何かしらの事情がない限りダークマターの残存量が観測に比べて多くなりすぎることが知られている。ビーノより少し重い別のSUSY粒子がある場合、これらで標準模型粒子に対消滅できるようになる。「共対消滅シナリオ」と呼ばれる有力なシナリオであるが、特にスカラータウ("スタウ")がビーノダークマターと縮退するシナリオは、ミューオンの異常磁気モーメント測定のアノマリーとの関連から理論的な動機がある一方で実験的な制限が非常に弱く、100GeVのスタウすらあり得る状況である。
LHCでの探索は生成断面積の小ささと背景事象の多さにより非常にチャレンジングであるが、Run2とRun3のここまでで溜まった300fb-1以上の大統計データで現実的な探索感度を持ち始めることが期待されている。低運動量タウ粒子の効率のよい再構成と偽タウ粒子を落とすための高精度な同定アルゴリズムの開発が鍵となる。現在河本がタウ粒子の寿命に着目した新しい再構成法や、先端機械学習アルゴリズムを用いたアプローチなどでこの難問に取り組んでいる。
SUSYがダークマターとなるシナリオを考える場合、最も軽いSUSY粒子を安定にするために、SUSY粒子の量子数保存則というものを仮定する必要がある(R-parity保存則)。だがこれはあくまで仮定であり、理論からa prioriに導かれるものではない。したがってR-parityが破れている場合というのも当然考えるべきである。このとき膨大な数のSUSY崩壊チャネルが発生するため、従来のような信号ごとに解析を構築するような探索法は極めて効率が悪い。
狙う信号をなるべく仮定せず、かつ標準理論事象との区別を効率よく行う方法はないだろうか。実データを使った弱教師学習はその突破口になると期待されている。実データを用いて訓練する一般的な対生成粒子質量の再構成や、CWoLaなどのbump huntingでの背景事象削減法などが特にアクティブに研究されている。グルイーノやスカラートップなどの包括的な探索を目指して、最も代表的なベンチマークであるマルチジェット終状態において、これらのアルゴリズムの開発と適用の研究を現在佐野が行なっている。
ヒッグス粒子の超対称性粒子であるヒグシーノの質量は電弱対称性の破れと密接に関係しており、電弱スケールに近い質量 (数 100 GeV) を持つことが示唆される。また軽いヒグシーノは暗黒物質の候補となることや、最近兆候が見えているmuon g-2 の標準理論からの乖離を説明できることからも重要である。これまで加速器実験 (LEP や LHC) や直接探索実験 (ヒグシーノと原子核の散乱を用いた実験) によって広い領域が探索されてきたが、既存の手法ではヒグシーノ同士の質量差が数 100 MeV の領域に探索領域を伸ばすことは難しく、未探索領域として残っていた。
未探索領域では生成された荷電ヒグシーノが荷電パイオン1つに崩壊する過程が支配的であり、数 GeV 程度の低い運動量を持つ飛跡が生成される。陽子陽子衝突で低い運動量を持つ飛跡は無数に生成されるため、そのままでの区別は困難である。そこで、ヒグシーノが比較的長い寿命を持つことで衝突点と飛跡の距離 (インパクトパラメータ) が数 mm となるような飛跡を残すことに着目した ("mildly-displaced track") 。飛跡検出器の分解能は数 10 μm と非常に高いため、衝突点から外れた飛跡を探すことでヒグシーノ由来の飛跡とバックグラウンドを識別することができる。残念ながら発見とはならなかったが、質量差0.3-0.9GeVの領域でLEP以来の最高感度を達成した。解析は本グループの三野が主導して行った。
原著論文: ATLAS Collaboration, Phys. Rev. Lett. 132 (2024) 221801.
Twitterでの解説: https://x.com/ributsuman/status/1751382089654473008
生成されるSUSY粒子とその崩壊先である最も軽いSUSY粒子の質量差が大きいときは崩壊分岐比の大きいハドロニック終状態が有効である。崩壊によって出てくるW/Z/hが高速なので ("boosted") その後の崩壊がコリメートされて1つのjetとして見えるが、内部構造から2つの「芯」を見出すことでW/Z/hの崩壊であることを特定できる。本グループ学生の岡崎らが中心となって行われたこの解析は、このboosted boson taggingの技術を電弱ゲージーノ探索に応用したLHCで初めての解析となった。
残念ながら発見とはならなかったものの、従来のレプトン終状態ベースの探索では3-8倍のデータが必要であった棄却感度を達成した。成熟期にあるLHCの解析でこのような爆発的な改善が達成されることは非常に稀である。またW/Z/hを統一的に扱ったことでビーノ・ウィーノ・ヒグシーノ全てに対して満遍なく強い制限を与え、さらにビーノがダークマターとなる場合のうち「Z/h-funnel」と呼ばれる有力シナリオに決定的な制限を加えた。この結果をまとめた岡崎の博士論文はSpinger thesis awardを受賞した。
原著論文: ATLAS Collaboration, Phys. Rev. D 104 (2021) 112010.
Twitterでの解説: https://x.com/ributsuman/status/1428267913564364800
LHCにおけるヒグシーノの最も一般的な探索は、重たいヒグシーノを生成し、それが最も軽い中性ヒグシーノ(ダークマター候補)に崩壊したときの崩壊物を見るという方法である。ヒグシーノ同士の質量はほぼ縮退しているため、崩壊物は低運動量となる。この解析では質量差2-50GeVのケースに焦点を絞り、横運動量3-4GeVのレプトン(電子およびミューオン)が複数いる終状態の探索を行った。
低運動量では偽レプトンによる背景事象が著しく増加する。そこで本グループの赤塚が中心となって、機械学習を用いた低運動量レプトンのためのisolationアルゴリズムの開発に携わり、偽レプトンの棄却率を30-60%向上させることに成功した。実際のヒグシーノ探索にもこれを適用し、信号の兆候は見つからなかったが、質量差2-50GeVの領域に満遍なく棄却感度を持たせることができた。これらの結果をまとめた学位論文で赤塚は博士を取得した。
原著論文: ATLAS Collaboration, Eur. Phys. J. C (2021) 81(7): 578.
ATLAS Collaboration, Eur. Phys. J. C (2021) 81(12): 1118.
ATLAS Collaboration, Phys. Rev. D 101 (2020) 052005.
Twitterでの解説: https://x.com/ributsuman/status/1265736479688364033