はじめに
生物調節化学分野の歴史について,2021年3月に退職された中川好秋先生に執筆いただきました.中川先生は,それぞれの教授時代に行われていた卒論・修論研究についても調査されており,原稿をそのままPDFで掲載しています(PDFはこちらからダウンロードできます).
武居教授時代 (1928/ -1959/10)
1925年に助教授として京都大学農学部に赴任,ただちにドイツのハイデルベルグ大学に留学し,帰国後の1928年(昭和3年)に京都大学農林化学科に設置された農産製造学講座の教授となった.それから2年後の1930年(昭和5年)に,酒戸彌二郎が農産製造学講座における最初の卒業生として卒業論文を提出した. 武居は,1933年(昭和8年)4月に農学博士の学位を取得した.1934年(昭和9年)から1935年にかけては,今木喬,清水純夫(東京農業大学卒)宮島式郎(1928年 岐阜高等農林学校卒),大野稔(1930年 岐阜高等農林学校卒)らが研究生として研究を行っていた.武居は1934年に『デリス根の有効成分ロテノーンの化学的構造に関する研究』で学士院賞を受賞した.1936年(昭和11年)には,大野,宮島,今木の3人が助手であった.1937年(昭和12年)には,”ロテノンの羊毛防虫加工に関する実用的研究”ということで,農学部内に防虫科学研究所が設立された.また同年,京都帝国大学化学研究所に植物化学研究室が設置され武居が兼担した.今木は,1938年(昭和13年)講師,1940年(昭和15年)には助教授となり,その後池坊短期大学(1952年に創設)に移った.大野は1942年(昭和17年)に青葉アルコールおよびアルデヒドの構造研究で学位(理学博士)を取得し,大日本除虫菊に在職したが,第2次世界大戦後京都大学化学研究所に戻り助教授を経て1956年(昭和31年)に植物化学研究室の教授となった.しばらく研究員であった清水純夫は1943年(昭和18年)に助手となり,その後に信州大学の教授となった.宮島は1944 年(昭和19年)にデリスに関する研究で学位を取得し,1954年(昭和29年)に名城大学教授となった.武居研究室では,デリスやお茶以外の研究,黒砂糖の黒砂糖らしさを示す香気,いわゆる糖蜜臭(sugary flavor)に関する研究も行われていた.今木は”粗糖の香り”,大野は”青葉アルコール”の研究を行っていた.1936年(昭和11年)卒業の三井哲夫は,大学院特別研究生として,甘藷蠟質物の研究を行った.その後,三井は1943年に講師,助教授となった.1947年(昭和22年)に農薬化学講座が設置され,中島が助教授に昇進した.
中島教授時代(1959/10 - 1981/3)
1959年(昭和34年)10月26日に武居が最終講義を行い,農薬化学講座は中島稔(1959-1981)に引き継がれ,熊沢善三郎が助教授となった.熊澤が三重大学農学部の教授として転出した後,深海が助教授となった.農薬研究施設が1963年(昭和38年)に京都大学農学部に附置され,石井象二郎が教授として着任した.当初は,石井教授と,助教授(作物学)および助手2名(有機化学と植物病理学)の体制でスタートした.1966年(昭和41年)深海浩が農薬研究施設の教授に昇進し,1966年から藤田稔夫が農薬化学講座の助教授(1966年4月)となった.その頃,富田一郎(昭和28年(旧制)学士),高橋正三(昭和32年修士),栗原紀夫(昭和31年学士,33年修士),長谷川明(昭和35年修士),柴田久夫(昭和38年修士)らが助手であった.富田は,ドイツに留学後,講師となった.中島は,糖の合成,抗生物質の全合成,BHC,殺虫剤の作用機構研究などで業績を挙げ,1965年に『サイクリトール類の合成に関する研究』で農学賞,1970年に『環状糖アルコールとそのアミノ誘導体の合成』で学士院賞を受賞した.1980年にはアメリカ化学会から,農薬研究の国際賞であるBurdick Jackson賞が授与された.後半には,北原克彦,西村勁一郎,西岡孝明が助手となり殺虫剤の作用機構に関する研究が行われた.また,技官として坂田太助,小泉幸男が研究室を支えた.
藤田教授時代(1981/4-1992/3)
1981年4月からは農薬化学講座の教授となり,1992年に定年退官した.1990年には,研究室名が,農薬化学から生物調節化学へと改称された.教授就任当時,研究室は北原,西村,西岡助手でスタートしたが,その後北原は企業へ転出し,西岡は化学研究所の助教授となった.1982年4月からは食品工学教室農業分析学講座の岩村俶が農薬化学講座の助教授に着任した.同年9月からは中川が助手に着任した.1986年(平成元年)には三芳秀人が助手となった.1990年には細胞有機化学研究室が設置され,岩村が教授となり,三芳は岩村とともに異動した.岩村のあと,西村勁一郎が生物調節化学研究室の助教授に昇進し,農芸化学教室の赤松教務技官が研究室に異動,1990年に助手に昇進した.中川は1990年11月から1992年11月までアメリカカリフォルニア大学(松村文夫研究室)に留学した.研究室はQSAR(Hansch-Fujita法)を軸とした研究が中心となった.岩村は,ライフワークである植物ホルモン,サイトカイニンの構造活性相関に加えて,新たに幼若ホルモン類縁化合物の分子設計を開始した.また,除草剤の構造活性相関研究も行なわれた.西村は,摘出神経系に対する電気生理学的なアプローチによって殺虫剤ピレスロイドやイミダクロプリドの構造活性相関研究を,中川はベンゾイルフェニルウレア類をはじめとした昆虫成育制御剤の構造活性相関研究と分子の疎水性(log P)の解析,三芳は呼吸阻害剤の構造活性相関,赤松はペプチドの疎水性や生理活性ペプチドの構造活性相関研究を行った.藤田は定年退官後の1994年にアメリカ化学会賞(農薬化学に関する国際賞)を受賞した.
上野教授時代(1992/6 -2001/3)
藤田の定年退官後,しばらく助教授の西村が生物調節化学を率いたが,1992年6月に上野民夫が教授に着任した.研究室は西村助教授,中川助手,赤松助手でスタートしたが,1995年に西村助教授が大阪府立大学の教授として転出,赤松助手が比較農業論講座の助教授となって研究室を離れた後,化学生態学分野の宮川恒助手が助教授に着任した.AK-toxin類の構造活性相関研究,AM-toxinを含む生理活性ペプチド,脱皮ホルモン様活性化合物とネオニコチノイドの構造活性相関、植物病原菌自己胞子発芽阻害物質の天然物化学、糸状菌が生産する植物毒素および抗菌性化合物の探索、植物の病害抵抗反応誘導物質に関する生物有機化学等に関する研究が行われた.比較農業論講座の赤松准教授との共同研究も行われた.
宮川教授時代 (2002/4 -2023/3)
2001年3月に上野教授が定年退職し,研究室は1年間宮川助教授によって引き継がれ,2001年からは宮下正弘が助手となった.2002年に宮川が教授,同年9月から中川が助教授となった.宮川教授が中心となってアントラニル酸合成酵素遺伝子改変植物のメタボローム分析、オーキシン代謝の網羅的解析,培養地衣菌の産生する新規化合物の探索が行われるとともに、助教授の中川と助手の宮下との共同で計算化学の手法を駆使して様々な活性物質の分子設計ならびに生理活性ペプチドの生物有機化学的研究が行われた.分子設計研究の主な成果としては、ブラシノステロイドの構造活性相関研究とともに,非ステロイド型ブラシノライド様活性化合物の創製があげられる.ペプチドの化学に関しては日本に生息するサソリ(ヤエヤマサソリ,マダラサソリ)がもつ殺虫性毒素,抗菌性毒素の単離精製、構造決定および合成研究が行われた.また,植物に防御反応を誘導するペプチドや,ペプチドの膜透過性に関する研究も行われた.地域環境科学専攻の赤松助教授と環境ホルモンに関する研究も実施された.
宮川の定年退職後、教授は配置されず宮下が准教授のまま研究室を主宰し,サソリ毒を中心としたペプチド性生物毒の研究が行われた.2026年4月より,生物機能制御化学分野・准教授の村井正俊が教授として着任し,宮下と協力して研究室を運営している.