第35回京都府理学療法学術大会2025の特別講演、教育講演、シンポジウムに登壇される先生方にインタビューをさせていただきました。
山田 実 先生(筑波大学 人間系 教授)
老年学の第一人者であり、転倒予防・フレイル対策の研究と実践を牽引されている筑波大学の山田 実先生にお話を伺いました。研究者として、教育者として、そして理学療法士の未来を考える立場からの率直な言葉に、多くの気づきがありました。
ー まずはご経歴と、現在特に注力されているテーマについて教えてください。
山田先生:私は理学療法士として大学院へ進学しながら臨床に携わった後、大学教員となり、現在は筑波大学で老年学に関する研究・教育を行っています。地域での介護予防活動「通いの場」の効果検証など、現場に根ざした取り組みも大切にしています。「社会に活かせる研究を」という視点を大切にしており、現場・社会の課題をどう拾い、どう検証し、どう落とし込むかに真剣に向き合っています。
ー 理学療法士という職業に魅力を感じたきっかけは何でしたか。
山田先生:中学生の頃、自分がリハビリを受けたことがきっかけで理学療法士という職業を知りました。その頃は「こんな仕事もいいな」と、複数ある職業候補の一つという感じでした。高校生になり、将来の夢と現実のギャップを埋めていく中で、「自分にはこの道しかない」と思うようになりました。現在、理学療法に関わる仕事をしている状況を振り返ると、当時の選択は間違っていなかったと思っています。
ー 長年ご活躍される中で、ご自身の視点にも変化があったと伺いました。
山田先生:今思えば、20代や30代はとにかく目の前のことを懸命にこなすという感覚でした。当時から「社会貢献」という言葉を意識していたつもりですが、振り返ってみると目の前の課題しか見えていなかったのだと思います。ところが、40代になり大学内や学会内での役割が変わり、社会も大きく変化していく中で、課題の見え方も大きく変わりました。言葉で表現するのはとても難しいのですが、興味や関心の領域は変わっていないものの、課題の捉え方がこれまでとは異なるため、研究の視点は全く異なるものになっています。現在は、真の意味で「社会にどう貢献するか」を追求したいと考えています。
ー 今回の講演について、メッセージをお願いします。
山田先生:特別講演「転倒予防を再考する」では、科学的根拠と現場実践の間にあるギャップをどう埋めるかを考えます。理学療法士が地域社会から求められる職業であり続けるために、専門職だからこそできることを皆さんと再考したいと思います。
ー 最後に学会参加者へメッセージをお願いします。
山田先生:自身、理学療法士を志していた頃、理学療法士として働く諸先輩方の姿が眩しく輝いて見えました。今では、自分たちがその頃の先輩方と同じような立場になり、どのように見られているのだろうかと考えます。中学生や高校生から憧れられる職業であるためには、私たち自身が理学療法士という職業に誇りを持ち、充実した日々を過ごすことが大切です。学会への参加は、そのような価値観を新たに与えてくれる、あるいは再認識させてくれる貴重な機会になるはずです。私の講演は「転倒予防」という限られた分野の話題となりますが、皆さんとともに理学療法の価値を創造し、未来へとつなげていきたいと思います。
山田先生のお話は、転倒予防やフレイル対策といった専門的テーマにとどまらず、「理学療法士という職業をどう輝かせるか」という大きな問いへと広がっていました。研究者として現場に寄り添い、教育者として学生を育て、そして社会全体を見渡す。その姿は、まさに理学療法の未来を切り拓く存在でした。今回の特別講演では、現場で働く私たち一人ひとりに「社会にどう還元できるか」を問いかけてくれるに違いありません。
久堀 陽平 先生(医療法人啓生会 やすだ医院)
「病院を退院したあとこそ、本当にリハビリが必要な時期です」。そう語るのは、やすだ医院で外来呼吸リハビリテーションの立ち上げに携わり、運用を続ける久堀陽平先生。病院勤務を経て、コロナ禍の中で呼吸リハを地域に根づかせた挑戦は、新しい医療の形を示しています。当日は、本院ならびに久堀先生とご関係の深い兵庫医科大学リハビリテーション学部理学療法学科玉木教授にもご同席いただきました。
ーご経歴と現在の活動について教えてください。
久堀先生:兵庫出身で、2011年に広島大学を卒業後、関西電力病院に勤務しました。修士課程修了後、副主任を経て2021年にやすだ医院の立ち上げに参加。院長の思いと玉木先生の助言を受け、外来呼吸リハを導入しました。全国でも珍しい試みで、当初は手探りの連続でした。
ー呼吸リハビリテーションに関心を持ったきっかけは?
久堀先生:急性期では、ようやく運動療法が始められる段階で退院を迎えることが多く、継続的に支援できないもどかしさがありました。呼吸リハビリテーションは退院後数カ月の介入が最も効果的とされており、外来で継続できる場を作りたいと考えました。
ー現在注力しているテーマは?
久堀先生:立ち上げから3年、1年以上通院される患者さんも増えました。従来は短期介入の報告が多い中、私たちは長期介入による機能維持や改善に注目し、データを蓄積しています。こうした実践が、長期的支援の意義を示すものになればと思います。
ー外来での運用で課題はありましたか?
久堀先生:最大の課題は“人”でした。呼吸リハに関心を持つ理学療法士が少なく、人材確保が難しい現実があります。一方で、この知識は高齢者の整形疾患や脳卒中リハにも活かせます。今回の講演を通じ、興味を持つきっかけになれば嬉しいです。
ー印象に残る経験は?
久堀先生:新人時代、学会で理学療法士が取得したデータを基に医師や看護師と議論する姿を見て、チーム医療の意義を実感しました。以来、職種を越えて考える姿勢を大切にしています。
ープライベートの過ごし方は?
久堀先生:7歳の娘と過ごす時間が一番の癒しです。万博公園に行ったり、習い事の話をしたり。本人の意思を尊重し、「やると決めたら続ける」を大切にしています。
ー理学療法士として大切にしていることは?
久堀先生:「凡事徹底」、つまり当たり前のことを丁寧に続けることです。ただ、ときにはインスピレーションを信じて挑戦することも大事だと思っています。周囲は驚いていましたが、やすだ医院への転職もその一つで、「ここならできる」と感じて飛び込みました。結果的に多くの学びにつながりました。
久堀先生の穏やかな語りの奥には、臨床への情熱と確かな信念がありました。慎重でありながら挑戦を恐れない姿勢が、外来呼吸リハという新しい領域を切り拓いてきたのではないでしょうか。そして、そんな誠実な探究心を持つ先生だからこそ、玉木先生のように臨床と研究に造詣の深い方々からの支援を得ているのだと感じました。現場に根ざした実践と学問的視点の融合が、地域医療の未来を確かに支えていくのだと思いました。
中野 英樹 先生(京都橘大学大学院 健康科学研究科 准教授)
「脳は変わる」。この確信のもとに、リハビリテーションの新たな可能性を探求しているのが、京都橘大学の中野先生です。fMRIやTMS、脳波などの最新技術を駆使し、脳の可塑性を科学的に解明する研究を続けておられます。研究の魅力、理学療法への思い、そして今回の講演に込めたメッセージを伺いました。
ー先生のご経歴と、現在取り組まれている研究テーマを教えてください。
中野先生:2007年に理学療法士になり、その後は脳科学の世界に進みました。現在は、非侵襲的脳機能計測と脳刺激技術を用いたニューロリハビリテーションの研究に取り組んでいます。大阪大学内にあるCiNetでfMRIを用いた運動制御研究などにも携わっており、「脳と運動の関係」をいかに臨床へ還元できるかを探っています。
ー臨床から研究へシフトされたきっかけは?
中野先生:もともと臨床が好きで、特に難しい症例に対して「どうすれば改善できるか」と仮説を立てて検証を繰り返すプロセスに大きなやりがいを感じていました。その中で、臨床だけでは解決できない疑問をより深く突き詰めたいと思い、研究の道に進みました。今でも病院でデータ計測を行うなど、臨床との接点を持ち続けることを大切にしています。
ー理学療法に惹かれたきっかけは何でしたか?
中野先生:高校時代にサッカーで足を怪我し、リハビリを受けたことが最初の出会いです。最初の実習先は、自分がリハビリを受け、理学療法士を志すきっかけとなった病院でした。そこから、人の「できない」を「できる」に変えていく仕事の魅力に惹かれていきました。
ー脳への関心を持たれたエピソードをお伺いしてもよろしいでしょうか。
中野先生:学生時代の実習先の病院で、パーキンソン病患者のDBS(脳深部刺激療法)を見たことがきっかけです。脳を刺激することで動作が劇的に改善するのを目の当たりにして、「脳が体を動かす」仕組みに強く興味を持ちました。
ー今回の講演では、どのようなテーマを伝えたいですか?
中野先生:脳卒中後の運動麻痺は、脳の神経回路が再編成されることで回復します。脳は損傷を受けても“新たな経路”をつくる力を持っています。その可塑性を理解し、促進することが理学療法の核心だと考えいます。聴講者の皆さんには、「脳の変化を信じ、可塑性を最大限に引き出す」という視点で臨床を見つめ直すきっかけにしていただけたらと思います。
ープライベートではどのようにリフレッシュされていますか?
中野先生:研究が一番の趣味ですね。むしろ、研究できない方がストレスになるくらいです(笑)。子どもが大きくなって自分の時間を取れるようになったので、時間をうまく使って研究を楽しんでいます。
ー最後に、学会参加者へのメッセージをお願いします。
中野先生:脳が持つ素晴らしい可塑性のように、私たち一人ひとりの中にも無限の可能性が眠っています。変化を恐れず、限界を決めず、楽しみながら挑戦し続けてください。その経験の積み重ねこそが、皆さんの中にある“神経回路”をより一層豊かにしてくれると思います。
先生の言葉の端々からは、研究への純粋な情熱と理学療法士としての探究心が溢れておられました。脳の研究を通して「人は変われる」と信じ、その可能性を臨床に還元しようとする姿勢は、まさに理学療法の本質を体現しておられると感じました。挑戦を楽しみ、経験を重ねることの大切さ──先生の歩み自体が“可塑的な生き方”そのものだと思いました。
秋本 剛 先生(医療法人 杉の下整形外科クリニック リハビリテーション科)
「同じ“膝OA”という診断でも、患者さんの状態はまったく違う」。そう語るのは、杉の下整形外科クリニックで多くの変形性膝関節症(OA)患者と向き合う秋本剛先生です。臨床を軸に据えながら、研究や教育にも真摯に取り組むその姿勢には、理学療法士としての“探究する誠実さ”がにじんでおられました。
ーご経歴と、現在注力されている取り組みについて教えてください。
秋本先生:出身は広島で、広島大学を卒業後、宇治武田病院で運動器疾患を中心に経験を積みました。その後、杉の下整形外科クリニックの立ち上げに携わり、現在も臨床を中心に勤務しています。博士課程では変形性膝関節症(OA)をテーマに研究し、今も臨床の現場でその知見を生かしています。大学で授業を行う機会もありますが、基本は「現場の中で学び続ける」がモットーです。
ー理学療法士を目指したきっかけは?
秋本先生:高校までバスケットボールをしていて、スポーツを支える仕事に憧れたのがきっかけです。大きな怪我をしたわけではありませんが、選手のパフォーマンスや身体の使い方に興味を持ちました。今もスポーツ関連のつながりは多く、地域チームのサポートや学生の育成にも関わっています。
ーこれまでで印象に残っている出来事はありますか?
秋本先生:長く担当したACL損傷の患者さんが理学療法士を目指し、実際にPTになったときは嬉しかったですね。自分の支援が、次の世代へとつながっていく瞬間を感じました。
ー今回のご講演では、どのようなことを伝えたいですか?
秋本先生:膝OAは非常に身近な疾患ですが、「どの段階のOAをイメージして話しているのか」が曖昧なことが多いんです。重度変形から初期まで幅広く存在し、それぞれ介入の方向性は異なります。保存療法では、痛みの原因を「非荷重位」か「荷重位」かで見極めることが重要と考えています。たとえば、大腿四頭筋セッティング時に痛みが出る場合は、可動域の獲得のような非荷重位の機能改善が疼痛軽減につながります。一方で、歩行2,000歩あたりから痛みが強くなるようなケースでは、メカニカルストレス軽減を目的とした介入が鍵になります。「痛みが減ったか」だけではなく、生活の中でどれだけ動けるようになったか、活動量やQOLを基準に保存療法の有効性を考えることが大切です。手術を検討する際にも、活動量や生活変化を踏まえた総合判断が必要だと考えています。
ー理学療法士として大切にしていることは?
秋本先生:自分の力量不足を常に念頭に置くこと。そして与えられた仕事は断らない。苦手なことも受け入れて経験することで、見える景色が広がります。また、縦や横のつながりを大事にすることですね。勉強会や病院見学など、面倒に思うこともあるかもしれませんが、そこにこそ成長のチャンスがあります。
ープライベートの時間はどのように過ごされていますか?
秋本先生:日曜は完全オフで家族と過ごします。最近は釣りに行ったり、ドライブしたり。臨床の合間にリフレッシュできる時間を大切にしています。
ー最後に、学会参加者へメッセージをお願いします。
秋本先生:理学療法の答えは一つではありません。同じOAでも、患者さんごとに「最適解」は異なります。今回の講演を通じて、自分の臨床を振り返り、保存療法の“幅”を感じてもらえたら嬉しいです。
秋本先生の語りには、理学療法士としての誠実さと謙虚さをお持ちだったことが印象的でした。研究の成果を臨床に還元し、患者の「生活の中の変化」を見つめ続ける姿勢は、まさに理学療法の原点だと感じました。困難な事例も受け止めつつ、目の前の人に最善を尽くす、その積み重ねこそが、先生の臨床哲学を支えておられると感じました。
横山 茂樹 先生(京都橘大学 健康科学部 理学療法学科 教授)
「臨床実習で学生の“目の色”が変わる瞬間がある」。そう語るのは、理学療法教育の最前線に立つ横山先生。歩行解析や動作分析を専門に、長年臨床・研究・教育に携わってこられました。一人ひとりの学びが臨床で“響く”ように――その思いを胸に、卒前教育の改革に取り組んでおられます。
ー これまでのご経歴と、現在のご活動について教えてください。
横山先生:理学療法士として大学病院で運動器疾患の評価やアプローチを中心に経験を積みました。教員になってからは、動作分析やスポーツ理学療法、学生教育に携わっています。現在は、研究・教育・臨床のバランスを意識しながら、クリニックでも実際に現場に立つようにしています。臨床には常に新しい刺激があり、教育にも良い影響を与えてくれます。
ー 理学療法の魅力をどのように伝えていますか?
横山先生:学生にはよく「人の役に立てる仕事」だと伝えます。理学療法は“人とのつながり”の上に成り立つ職業です。患者さんとの関わりはもちろん、同僚やチームとの関係も大切にしてほしいと思っています。
ー 今回の講演テーマ「卒前教育は今!」について教えてください。
横山先生:近年、理学療法士協会の方針で「診療参加型臨床実習」が推奨されるようになりました。しかし現場では、見学中心の実習が増えていることに危機感を持っています。学生にはもっと“患者さんに触れる”経験が必要です。学内教育では、触診などの理学療法の基礎を丁寧に教えることを重視していますが、実際の臨床体験に勝るものはありません。臨床実習を通じて、学生の感性が磨かれ、治療家としての覚悟が芽生えるのだと思います。
ー 本学会の参加者へのメッセージをお願いします。
横山先生:臨床教育に携わる先生方の“熱意の力”は、必ず学生の成長に直結しています。私たち教員は、その熱意に応えられる学生を育てる役割があります。卒前・卒後をつなぐ教育の形を、現場とともに考えていきたいですね。
ー オフの時間は?
横山先生:趣味は特にありませんが、愛犬との散歩が日課です。頭を空っぽにして歩く時間が、次の授業や研究のアイデアにつながることもあります。
横山先生のお話からは、教育への深い情熱と、学生や若手への温かなまなざしが伝わってきました。学生一人ひとりの可能性を信じ、臨床と学びをつなぐ環境を丁寧に整えておられる姿勢に心を打たれました。「平凡を積んで非凡となす」――その言葉どおり、日々の教育を誠実に積み重ねながら、若い世代を導く姿に、理学療法の未来を感じました。
奥山 紘平 先生(佛教大学 保健医療技術学部 理学療法学科)
「和顔愛語(わがんあいご)」――穏やかな表情と優しい言葉で人に接する。この仏教の教えを座右の銘に掲げ、教育・研究・そして制度の橋渡しに尽力しているのが、佛教大学出身で同大学教員の奥山先生です。難病リハから脳科学研究、そして理学療法士協会理事としての制度改革まで、多方面で活動を続ける先生にお話を伺いました。
ー先生のご経歴と、現在の取り組みについて教えてください。
奥山先生:佛教大学の理学療法学科1期生です。卒業後、第二上田リハビリテーション診療所の立ち上げに携わり、認知症デイケアや難病の外出支援など地域活動にも力を入れてきました。修士課程では助教を務めながら、博士課程は京都橘大学で研究を続けました。学生時代に武庫川女子大学の松尾先生と出会い、パーキンソン病(PD)の研究室に入ったことが転機でした。現在はPDの歩行や補助具の影響をテーマに、脳波解析なども行っています。将来的にはブレイン・マシン・インターフェースを活用し、“脳からすくみ足を治す”研究に挑戦したいと思っています。
ー理学療法士を目指されたきっかけは?
奥山先生:祖母が脳梗塞を患い、私が高校生の時にデイサービスへ通っていました。祖母が「理学療法士の先生に歩けるようにしてもらった」と嬉しそうに話してくれたことが忘れられません。それがこの道を志すきっかけでした。高校の先生に相談したところ、佛教大学がちょうど理学療法学科の1期生を募集していて、「挑戦してみよう」と思いました。
ー印象に残っている患者さんとのエピソードはありますか?
奥山先生:学生時代、宇多野病院でALSの方を担当しました。呼吸器をつけるかどうかの判断の時期で、「呼吸器をつけて生きていく意味があると思う?」と尋ねられました。当時は何も答えられなかった、その無力感が、今も自分の原点です。あの経験が、難病に関わり続けるモチベーションになっています。
ー今回のご講演では、どのようなことを伝えたいですか?
奥山先生:理学療法士協会の理事として感じるのは、「教育・現場・協会・本人」それぞれの間にある“認識のギャップ”です。かつては免許を取れば一人前でしたが、今は卒業後3年を経て基本的なPTができる段階を踏む「ラダー制度」が導入されています。制度改革の背景には社会的要請がありますが、現場との温度差もある。だからこそ、対話の場が必要です。今回のシンポジウムでは、その“ずれ”を建設的に議論できる時間になればと思います。
ー学会参加者に伝えたいメッセージをお願いします。
奥山先生:新人もベテランも、それぞれが学びやすい環境をつくることが大切です。eラーニングが進んでも、実地研修の履修率が下がっているのが現状です。臨床での実践や職場での取り組みを、きちんと評価・登録する文化を広めていきたいですね。学びを“義務”ではなく“楽しみ”に変えられる業界でありたいと思います。
ープライベートではどのように過ごされていますか?
奥山先生:5歳と0歳の子どもがいます。上の子がゲームをできるようになってきたので、一緒に遊ぶ時間が楽しいですね。もともと私も父の影響でゲーム好きなんです。妻は作業療法士で、同じく臨床が大好き。お互いに忙しいですが、支え合いながら働いています。
先生の言葉には、柔らかい口調の中に確かな信念がありました。“和顔愛語”という言葉どおり、教育でも臨床でも相手に寄り添いながら道を示す姿勢が印象的でした。制度の改革も、研究も、そして家庭でもその穏やかな笑顔が、学びの場をやさしく照らしている気がしました。
井口 聡 先生(医療法人社団蘇生会 蘇生会総合病院 リハビリテーション科)
「どんな経験も、いつか必ず自分の糧になる」。そう語るのは、蘇生会総合病院でリハビリテーション科を率いる井口聡先生。35歳で科長として約70名のスタッフをまとめる若きリーダーです。教育とマネジメントを両輪に、“つむぐ”という学会テーマを体現するように、人と組織を丁寧に育てておられます。
ーご経歴と現在のご活動について教えてください。
2012年に藍野大学を卒業し、蘇生会総合病院に入職しました。回復期から急性期、訪問、外来と幅広く経験し、今はマネジメント業務などが主です。70名近いスタッフの人事・教育・運営などを幅広く担っており、日々数字と人に向き合っています。臨床からは少し離れましたが、若手のケース指導に関わる時間は、自分にとっても学びになっています。
ー理学療法士を目指したきっかけは?
中学時代にサッカーで靭帯損傷を経験し、リハビリを受けたことが出発点でした。入職当初は運動器などに興味を持っていましたが、配属や出会いの積み重ねで今の道に。振り返ると、どの時期も“巡り合わせ”が次の成長につながっていたように思います。
ーご講演ではどんな点を伝えたいですか?
卒後教育は制度だけでは機能しません。現場で“続けられる仕組み”が重要だと考えています。臨床教育を通して伝えたいのは、キャリアの小さな出来事が思いがけず大きな広がりにつながるということ。その転換がいつ訪れるかはわかりませんが、日々の経験を“つむいでいく”ことが、自分のキャリアを形づくっていくのだと思います。当院ではOJTを中心に、複数指導者によるチーム支援や目標管理面談を導入し、成長を見える化しています。また、生涯学習制度への参加を促し、法人としても支援をいただくなど、環境づくりが学びを持続させる力になると感じています。
ー若手育成で意識していることは?
外部の学会や研修に参加するきっかけを作ることが大切だと考えています。真面目なスタッフが多く、院内勉強会は活発ですが、院外での活動通じて視野を広げる機会をもっと増やしたいと思っています。学会参加・発表は、その第一歩になると思っています。
ープライベートはどんな時間を過ごしていますか?
独身の頃は釣りを中心にアウトドアが趣味でしたが、今は3歳と1歳の息子と外で遊ぶ時間が一番の癒しです。
井口先生は、穏やかな笑顔の奥に確かなリーダーシップを感じさせる方でした。前向きで「断らない」を信条とされながらも、リハビリテーション科の科長という大役を打診された際には、さすがに即答できなかったと語られていたのが印象的でした。それでもなお、さらなる経験を糸のように丁寧に紡ぎながら、後進の育成と組織づくりに力を注ぐ姿に、理学療法士としての誠実な情熱がにじむ。人を育てる喜びを実直に体現するその姿に、未来への確かな希望を感じました。
内野 将志 先生(洛和会音羽リハビリテーション病院)
急性期から回復期へ、患者の“歩み”をどうつなぐか。内野先生は、洛和会ヘルスケアシステムで若手理学療法士の育成と臨床マネジメントを担い、チーム全体の成長を支えておられます。静かで落ち着いた語り口のなかに、「人を育てる喜び」と「より良い医療をつむぐ情熱」がにじんでいた気がしました。
ーこれまでのご経歴と、現在のご活動について教えてください。
内野先生:2009年に大阪リハビリテーション専門学校を卒業後、京都武田病院に入職しました。その後、洛和会音羽病院を経て、現在は音羽リハビリテーション病院でチームリーダーを務めています。臨床と教育の両立がテーマで、若手PTの育成やOJT体制の整備に力を入れています。
ーマネジメント業務ではどんな点を重視されていますか?
内野先生:若手が“見通しを持って”臨床を進められるよう支援することです。経験が浅いほどゴール設定が難しくなります。そこで、発症3日以内の情報から予後を予測できるツールを作り、リスクと伸びしろを可視化できるようにしました。自分で考え、患者の未来を描ける人材を育てたいと思っています。
ー音羽グループ独自の「交流セラピスト制度」とは?
内野先生:急性期病院と回復期病院のスタッフを1日単位で交換する制度です。急性期では“その後”を、回復期では“最初”を学ぶことができ、互いの視点を持ち帰れます。戻ってきたスタッフが「見方が変わった」と言ってくれるのが嬉しいですね。
ー理学療法士を目指したきっかけは?
内野先生:高校時代に体操で肘を痛め、リハビリを受けた経験から興味を持ちました。初めはバイオメカニクスに惹かれましたが、音羽で脳卒中リハに出会い、運動学だけでは説明できない、人のバランス制御の奥深さに魅了されました。
ープライベートの過ごし方は?
内野先生:小1の息子と公園で遊ぶのが一番のリフレッシュです。最近は区民運動会の練習で一緒に走っています。
内野先生は、穏やかな語りの中に芯の強さを感じる方でした。「できると思えばできる」という信念のもと、若手の成長を温かく見守りながら、自らも学び続ける姿勢が印象的でした。人の力を信じ、チームで歩みをつむぐその姿は、まさに“理学療法の本質”を体現しておられます。
北井 拳 先生(舞鶴赤十字病院 リハビリテーション科)
「心が体をドライブして動かしているのではないか」。脳卒中患者の一歩に涙した瞬間、北井拳先生の探究は始まった。舞鶴赤十字病院で臨床を続けながら、京都橘大学・兒玉研究室で研究を進める北井先生。人の“思い”と“動き”をつなぐ理学療法の未来を、静かな、しかし確かな情熱で見つめている。。
ーご経歴と現在の取り組みについて教えてください。
北井先生:2015年に神戸国際大学を卒業後、舞鶴赤十字病院に勤務しました。臨床を通じ「疾患ではなく人を見る」ことの大切さに気づき、脳と心の関係を学ぶため京都橘大学大学院へ進学。現在は博士後期課程で研究を続けながら、臨床・教育・研究を行き来しています。
ー研究テーマについて教えてください。
北井先生:生活に欠かせない手の動作は、感覚と脳の協調で成り立ちます。感覚障害があると、摩擦や圧などの微細な情報が取れず指先を使った細かい作業が難しくなります。現在はリアルタイムの感覚フィードバック技術を用いて脳の再編成を促す研究を行い、将来的にはブレインマシンインターフェースへの応用を目指しています。
ー理学療法士を志したきっかけは?
北井先生:医療職だった両親の影響で理学療法に出会いました。新人研修で「勉強すればするほど人を救える」という言葉を聞き、その奥深さに惹かれました。知識を重ねるほど臨床が変わり、結果が出る。その実感がモチベーションになっています。
ー印象に残る症例はありますか?
北井先生:重度片麻痺の患者さんが、ある日突然10m歩けるようになった瞬間を目の当たりにしました。涙ながらに「足が動いた」と言う姿を見て、心が体を動かす力を実感しました。この経験が、脳と心をみる理学療法を志す原点です。
ー講演で伝えたいことは?
北井先生:理学療法は、先人の研究や臨床の積み重ねによって発展してきました。私自身も兒玉先生や多くの師匠から学び、その“知のつながり”に支えられています。今回は、感覚フィードバック技術を通して、脳科学と理学療法をどう“つむぐ”かをお話しします。
ープライベートの過ごし方は?
北井先生:料理をしながら考え事をする時間が好きです。アイデアが浮かぶのは包丁を握っている時かもしれません。
北井先生の言葉は、穏やかでありながら芯がありました。研究でも臨床でも、人の「心」に真摯に向き合う姿勢が一貫しておられます。北井先生が紡いでいく、手と脳、そして心をつなぐ物語の続きを、これからも見届けたいと感じました。
知花 朝恒 先生(医療法人香庸会 川口脳神経外科リハビリクリニック)
「生活期こそ、理学療法の真価が問われる」。そう語るのは、川口脳神経外科リハビリクリニックで在宅・訪問リハビリを中心に活動する知花先生です。急性期・回復期で培われた機能回復支援を、生活の再構築へと“つむぐ”ために。現場での経験、研究、教育を行き来しながら、地域理学療法の未来を見据えておられます。
ーこれまでのご経歴と、現在のご活動について教えてください。
uti先生:2011年に畿央大学を卒業後、八幡中央病院で整形外科を中心に勤務しました。その後、地域や在宅に関心を持ち、2019年に川口脳神経外科リハビリクリニックへ。現在は訪問リハを中心に、介護負担やQOL向上をテーマにした研究、そして地域理学療法の教育活動にも携わっています。臨床・研究・教育を相互に結びつけながら、「現場に根ざした学び」を広げることを大切にしています。
ー理学療法士を志したきっかけは?
知花先生:医療関係の家庭で育ち、幼い頃から医局に出入りしていました。自然と“身体に触れる仕事”に興味を持ち、理学療法士を目指しました。最初の就職先で整形外科の手術後リハビリに携わる中で、「からだを治す」だけでなく「生活を支える」ことの重要性に気づき、地域リハビリに興味を持ちました。
ー印象に残っている出来事を教えてください。
知花先生:在宅訪問を始めた頃、終末期の方から「はやくお迎えがこないかな」と言われたことがありました。身体だけを見ても支援にはならない。その人が何を大切にしているか、どう生きたいのかを考えることが理学療法士の本質だと痛感しました。入院中のリハビリなら「BI100点でOK」と思いがちですが、機能が戻っても生活の満足にはつながらない。成功も失敗も共有し、学術として積み上げていくことが、次の支援の質を高めると感じています。
ー今回のご講演では、どのようなメッセージを伝えたいですか?
知花先生:急性期や回復期には明確な役割がありますが、その先の「生活期」には多様なニーズがあります。病院から在宅への“つなぎ”をどう設計するか。生活期の理学療法士は、単に寄り添うだけでなく、生活を再構築するプロセスを見える化し、再び社会へ戻る力を支える存在です。急性期や回復期の理学療法士にも、「生活を伝える視点」を持ち帰ってもらえたらと思います。生活を知るPTが、病院にそのリアルを返すことで、より精度の高いリハビリが実現します。
ープライベートではどのように過ごされていますか?
知花先生:5歳の娘と過ごす時間が何よりのリフレッシュです。学会や展示会にも一緒に連れて行くこともあります。スポーツ観戦も好きで、身体の動きを理学療法士の視点で見るのが面白いですね。「なぜあの選手はそんな動きを?」と考えながら観ています。
ー最後に、学会参加者へメッセージをお願いします。
知花先生:計測などAIが得意な領域は置き換わっていくかもしれませんが、だからこそ、人と人が支え合い、生活に寄り添っていく役割はこれからますます重要になります。身体を通じて、その人の選択肢を広げる――その軸を忘れずに、臨床・研究・教育をつなげていきましょう。
穏やかな語り口の中に、地域理学療法への強い使命感がにじむ先生だと感じました。生活者一人ひとりの「生きるプロセス」を支えるために、臨床・教育・研究を往還しながら実践を重ねる姿勢は、まさに“つむぐ人”そのもの。身体を通じて人生の可能性を広げていく――その信念が、地域の理学療法に新たな風を吹き込んでいくことと思います。