令和6年度先進地研修では、今回の能登地震で被災された某自治会の会長さんが、自分たちに降りかかった災害の経験をお話ししていただきました。
中には生々しい内容もありますが、実際に被災された方々のお声を届けたく、極力お話しの内容を忠実に記述いたしました。
長文の記事になりますが、ぜひお読みください。そして自分の事としてお考えいただけたら幸いです。
以下、某自治会長様のお話と質疑応答
↓
本日は、私たちの体験を皆さんに聞いていただきたい立場として、お話をさせていただく。
ご存じのとおり地震発生は元日の午後4時だった。
私はお昼からお酒をいただき、ウトウトしていた後だった。
①地震発生直後について
まず津波から逃れようと皆が必死で逃げた。
それこそ、普段歩けない人でも歩いて逃げたような状況だった。
私たちの地区では小学校に3~400名が避難した。
指定避難所だけでは足りないので、地域の公民館を自主避難所として開放した。
これについては、役所の許可をとらずに自分たち地区の役員で相談して判断した。
役所は2~3日後にしか支援してくれないので、発生直後は自分たちで動かないと何も進まない状況だった。
地震が発生したら、まず机の下に隠れろと言うが、現実はそうはいかない。
家屋が倒壊すれば、どうしようもない。まずは自分が逃げるのが重要と感じた。
まだ、私たちの地区は良かったほうだ。輪島・珠洲は大変悲惨な状態だ。
②避難所の問題について
一番の問題はトイレだった。
小学校に避難したが、電気・水道がなくトイレが使用できなかった。
夜中にトイレに行きたいがどうしたらいいかと相談に来る人もいた。
仕方なく、運動場にラインを1本引き、左右を男女に分けて使用してもらった。
また、自宅でトイレを使用できた人についても、停電しているので自動で便座のフタが開くタイプより手動で開ける旧式のものの方が使いやすかった。
避難所によってはトイレが使えたが、断水しているので使用後に使用者がわき水をトイレに流し、その後水を自分で補充するルールにした。
食料については、避難所ごとに違いが出た。
指定避難所は食料費を出してくれた。ただ、30ケ所の予定が18ケ所しか無かった。
自主避難所は食料費を出してくれない。発生直後、避難者の食料確保のため自治会長(私)がコンビニで15万円支払ったが、いまだに役所からは補填が無い。
③避難者について
避難者のメンタルが課題だ。
もともと老人の多い過疎地域なので、被災後、なにをどうしていいかわからなくなって、気力が無くなっていく。
家屋の復興に対し、公費で800万円もらってもどうしようもない。
高齢のため、残りを借金することもできない。
④支援について
支援については複雑な思いだ。
自分たちは被災して、住む場所も電気も水も情報も何もない状況にあるのに、すぐ隣の町内会はそれらが足りて普通に生活している。
おたがい事前に助け合う協定を作っていないと、助けることも助けてもらうこともできない。
それに引き換え、遠方から来てくれたボランティアは大助かりだった。
友人・知人も心配して電話をしてくれたが、被災直後の2~3日はそれどころではなかった。
気持ちはありがたいが、しばらくは控えてもらったほうがいいと感じた。
物資については2リットルのペットボトルが一番必要だった。
中には備蓄していた食料が賞味期限切れだったり、なにやらうさん臭い人が支援を申し出てきたりもあった。
⑤情報入手について
すぐ近くに原発があるので、それが安全なのかどうかの情報が欲しかった。もしかしたら原発が爆発するかもしれないといった不安があった。
せめて電力会社→役所→町会へとLINEとかで情報が欲しかった。
ちなみに、500人が避難している避難所は停電しているのに、その隣にある原発は煌々と明かりがついているのも、おかしな気持ちだった。
⑥避難所の運営について
避難組織表はあったが、それを確認している余裕は無かった。
避難してきた人たちに、何をどうしてほしいか指示したが、みんな良く動いてくれた。
全員が避難者であるにもかかわらず、それぞれ役割分担して運営にあたった。
⑦復旧・復興について
役所は何もかも動きが遅かった。
対策について、たとえば9月県議会で決定し12月町議会で決定しないと前に進まないような状態でアテにならない。
⑧最後に
災害は病気のようなものだと思う。
例えば2人に1人がガンになるのに、何となく自分はそうならないと思っていた。
災害もどこか他人事のように感じていた。誰も自分の身に起こるとは思っていなかった。
だが、それは幻想だった。
以下、Q&A
Q:避難所には誰が来てもいいのか?それとも居住地ごとに決められているのか?
A:各自が近い避難所に逃げた。
行きたい避難所があっても、道路が寸断されており、たどりつけなかった。
中にはビニールハウスを避難所にした人もいた。
ちなみに避難所では寝られない。
最初の3日間は非常に混み合い、無理やり入ってもらった。したがって横になるスペースは無く、座ったままで寝た。
指定避難所ではその後段ボールベッドが設置されたが、これは良かった。
自主避難所への避難者は避難人数にカウントされない。
何かあっても町会長がすべて責任を持たなくてはならない。
Q:各地区の安否確認はどのように行ったか?
A:いまだに役所から確認せよとの指示はない。
役所にそんな余裕は無い。
組名簿を事前に作成していたので、自治会で1軒ずつ家を巡回して確認した。
ただ、連絡なしに親戚宅とか別の場所に避難している人もおり、完全には把握できなかった。
Q:高齢者世帯をどう支援するか?
A:例えば義援金の申請についても、高齢者自身でしてもらった。
中にはパニックになって、屋根瓦が壊れたがどうしたらいいかと町会役員に言ってくる人もいた。
ボランティアはありがたかった。自分たちだけでは何もできなかった。
Q:公費解体等の復興状況について
A:何もかもが遅れている。
公費解体要望は数万件あるのに、手が付けられたのは5~7%だけだ。
国とかへ強力に要望する必要がある。
文責 こほく地域づくり協議会 事務局 中川
令和6年7月