令和5年11月19日(日) 「何も願わない手を合わせる」
前日に夜更かしをしてしまったせいで寝起きが辛い。重たい身体を無理矢理起こし、やっとの思いで巻きついた掛布団から脱皮する。カーテンを開けたときには眩しかった日の光も一時間後には空一面に雲が覆い、隠れてしまった。いまにも雨が降りそうな気配だ。まんまと予報通りの変化に今日も味気ない一日が始まる予感がする。いつからぼくは空模様ばかり気にするようになったのか。持ち出せば済むはずの折り畳み傘をカバンに入れたくない、そんな衝動に駆られる。
ひとの生は覚醒から始まるのか。それとも眠りから始まるのか。なかなか眠気が覚めない休日にふと考える。どちらも意図して行えるものではない。突然眠りに落とされ、突然覚醒させられるのが実感だ。そして、その中でみる夢はぼくの想像を超えることはない。夢はぼくに拘束されたまま。ぼくの内をはみ出ることはない。だから、夢は語ることができる。語り得ないことを「夢」とは呼ばない。
でも実のところ、ひとが根底で欲するのはいつも語り得ないものばかりだ。夢ではない。言語化が常に欠陥を孕む作業である以上、語り得ないものを語るためにはいろんなかたちの価値を差し込む余地がなければならない。価値のものさしが一つしかないとたちまち世界は狭小化してしまう。「あたりまえ」だと思っていることを「あたりまえ」にし続ければ、知らぬ間にどこかで誰かを傷つけることになる。共感してくれるひと以上に、そうではないひとに向けて紡ぐことばも必要だと感じられるのはきっと間違いではない。自分に正直でいることと、そんな「じぶん」を疑うことは何ら矛盾しない。ひとは言葉にできることしか経験することはできない。そのことに対して、少しばかり素直になろうと思う。
作家藤原新也の著書の中に「なにも願わない手を合わせる」というタイトルのものがある。何かを願うためではなく、何も願わないままただ手を合わせる。そのタイトルに感ずるのは、自分の意志や力ではどうにもならない現実への自覚と、それを自ら引き受けようとする強い覚悟であり、と同時に、反面、願わずにはいられない人間の弱さをも投影する。「願い」は「いま、ここ」には不在のものに対して向けられる。それは決して手の届くものばかりではなく、手の届かないものに対しても、ひとは願う。蹴り出さなければわからない石ころの行方のように不確実な未来が潜む期待と残酷さを滲ませながら、無作為な謙虚さと、自然であろうとする潔さと、自分以外の何かのための切実さを秘める。「願い」は絶えず果てしなく、想像を超えていく。そこでは願った途端に本質が歪曲される危うさを背負いながらも「成り行きまかせ」に対する沈黙が試される。沈黙は「語らない」ということではない。黙することの中にしか存在することのない声、「黙」に込められた未だ輪郭無き声への配慮である。言葉にして口にしたい心持ちをぐっと堪える、あくまで不断の耐性としての沈黙である。沈黙と無音は決して同じではない。何も願わない境地に至るのは難しい。消し去れない如何ともし難い思いを人知れず底深く沈ませた「なにも願わない手」である。
だから、ときにひとは手を合わせる。自分が「じぶん」に触れ、「じぶん」が自分に触れられる経験として、手を合わせる。それは言い換えれば、「他者としてのじぶん」に出会うということであり、掌から伝わるその質感は「他なるもの」としての「じぶん」を想起させるとともに、具体として姿を現さなくとも「つながり」としてある「じぶん」を思い知らせる。「じぶん」のなかの他者を通じて、「他なるもの」を生きる「じぶん」に気づく。「合掌」を仏教では仏と自分とが一体になることを意味するらしいが、「いま、ここ」に不在の「他なるもの」に向けられながら、それでも「願い」が留まり続け、そして貫いてやまないのは、いつも自分の中にある「他なるもの」へのまなざしである。それが語り得ないのは「他なるもの」だからである。もはや「何を願うか。」「何のために願うのか。」といった意識に囚われた意味や目的ではなく、また「願う/願わない」といった行為に向かうものでもない。意味や目的・行為の根拠や所在が不明なまま、「手を合わせる」そのこと自体が願いであるような、言うなれば「不在の在」へ還る身体性である。
いつだったか、一人のおばあさんから、こんな声を聴いたことがある。
「人生やり残したことなんてとくにない。だから特別なことなんてなくていい。一日一日をただ生きていくだけ。一日一日を生きていって、最後はあの世に行くだけです。」
何かを欲すれば陥ってしまいがちな利己的な立場を徹底的に拒否するかのようなその言葉に、ぼくは思わず息を呑んだ。ひとが一人では生きていけない、生まれることすらできないこととそれは、どこかで繋がっているのだろうか。秋が近づき、赤い夕日が差し込むようになった帰りの車中で、穂をつけた稲に目がいったのを覚えている。
“成り行きまかせ”に育つ黄金がかった緑の、その圧倒的な光景を前に、ぼくはひそかに心の中で「なにも願わない手」を合わせみた。
令和5年11月19日(日) 「丁寧にみて、丁寧に考えて、丁寧に動く」
小さな窓から差し込む日差しが浴室にほのかな温かみを生む。水面に浮かべたふたつの柚子がプカプカと小さく揺れている。行方はそのときまかせ。じんわり立ち込める湯気が運ぶささやかな香りが密かなさりげなさをもたらしてくれる。急いでいるときこそあえてゆっくり目を凝らす。心がけはいつだって身体のあり様とともに時間を運ぶ。「世界の真ん中にいる」という実感のなかで見えてくるひとりのひと。
病気のせいで瘦細った両足はまだ地を踏む意志をあきらめてはいない。指先まで骨が浮き上がった深い皺だらけの手も、差し伸べられた手を握り返す力を失ってはいない。開いている時間が随分と短くなった両の目は、しかし明らかに標的をとらえている。踏み出す一歩に力強さを感じない事実がそのひとの弱さを映すわけではない。「もっとずっと一緒にいたいな。」という感情は脅かされてばかりだが、悪戯な日常は今日も何食わぬ顔で過ぎていく。天井から滴り落ちた水滴がぼくの足元で散々に弾かれた一瞬に違和感は無い。形跡がわからなくなったのは、いつの間にか忘れ、もはや思い出すこともできなくなった「出会い」がぼくにもあった過去を思い知らせる。だからこそ、いま、ぼくの目の前にいる女性はまぎれもなく「出会った」と言い切ることができるひとだ。これは本当にしあわせなことだと思う。
椅子に座りながら浴槽の縁を跨いだ右足が「じゃぼんっ!」という音を響かせながら水面を乱す。波立ち弾かれる両岸で飛沫が舞う。手すりに右手を伸ばし、消え入りそうな「よいしょっ。」のかけ声とともにお尻を浮かせ、振り上げられた左足が浴槽に納まる。おばあさんは両縁に手を置きながらゆっくり身体を沈ませる。ぼくはおばあさんの左右の腰下に手を添えながら、頼りは指先への集中ではなく、身体の深部へ染み入る表面の感覚である。おばあさんのお尻が床底に、両足が浴槽の側面についたことを確認し、ぼくは添えていた手をさりげなくはなす。ちょっと触れれば波立つ不安定さは、ゆったりと身体を揺らしながらも心地よさを与えてくれる。粒子は皮膚を包み、皮膚もまた波と戯れる。
「ふぅ~。」というおばあさんの一息は、体温と湯温の境界が薄らいでゆく過程でこぼされる。それはいつも瞬間の出来事。ぼくとおばあさん、二人の纏まりとして在る一つの体温と彼女好みの湯温が同化する一瞬の戯れだ。一瞬の戯れのあとに訪れるのは、わずかな名残りだけである。ケアはいつも纏まりながら瞬発の閃光とともに解放される様態を好む。ぼくの手はおばあさんの少し先を行く。お互いが見ている景色は重なることはない、という切なさだけが「ともにいる」と言い得るたしかな手触りをぼくに預けてくれる。
浴槽からお湯のあふれる音が、立ち込める湯気のように浴室内に充満するなか、そのすき間を縫うようにおばあさんの「あぁ~、気持ちが良い。」という小さな声はぼくの耳に届けられた。「よく届いてくれた。」と心の底から感謝した。思わず顔が緩んでしまう。汗のせいでからみつくTシャツの不快さは気にならない。「湯加減はいかがですか?」と確認する以外、言葉はいらない。おばあさんはしばらくの間、目を瞑ったまま黙り込む。決して眠っているときの表情と同じ顔ではない。湯ぶねとの戯れを身体全部で感じているかのようなその印象は、恍惚として時間の存在を忘れさせる。
おばあさんはもう自分一人では立ち上がれない。その事実の前でしゃがみ込み、「もういいよ(出るよ)。」の声を待つ。「できなさ」はおばあさんとぼくのあいだにあるもの。おばあさんだけが理由で生じるのではない。だから「『できる』の否定」として「できなさ」を考えるようなことはしない。ぼくもおばあさんも指は五本しかないし、空を飛ぶこともできない。呼吸をしなければ死んでしまうし、他者がいなければひとを愛することもできない。身体をいくら擦っても洗い流せることなどごくわずかなのだ。洗い流したところで垢が一生溜まらないわけではない。洗っては落とす作業を続けることでしかわからない現実もある。傷つく可能性を排除するのではなく、そんなでしかない自分を認める寛容さを大切にしたい。強調したいのは、差し伸べられた手とそれをつかもうと伸ばされた手のやさしさの自然さ。生まれながら死に、死んでは生まれる過程の連なりとして世界を考えたとき、跳ね上がった水滴の着地点が問題ではないことに気がつく。どこに落ちようが乾けば無くなり、混じれば同一化するだけ。
ぼくが待つのは、いつだって「もういいよ(出るよ)。」の一言。
ぼくとおばあさんがかろうじてでも「在る」と言い得る、その一瞬だけ。
令和5年10月28日(土) 「ギジュツ ノ キジュツ」
若くして「認知症」と診断された70歳代の女性が言葉を失ったのはぼくと出会ってからたかだか二年後のことである。弱々しくなった足腰は浴室でひどく嫌がる力強さをも奪っていった。もう自ら立ち上がることはほとんど無い。ちょっと強引に手を引こうとするや否や拳が飛んでくる怖さなど昔の話。振る舞いが日毎小さくまとまっていく。自歯が抜け落ちた口内の隙間からは糸を引くような余韻を残しながら涎が垂れ落ちている。声をかけても指であちこち指しながら応えるのみ。女性の声を聴かなくなってもう随分久しい。
女性をご自宅までお迎えにあがる。「こちらです。」と右手を広げて案内すると、女性は後部座席の入り口に対して正対するように正面から歩みを進める。しかし、車高が高いせいか、女性は後部座席の入り口の直前で立ち止まり、身体の向きを180度回転させ、ベンチと間違えたのか座るにはちょうど良い高さの足の踏み場に腰を下ろしてしまう。ぼくは彼女の背中に手を添え、もう一度立ち上がってもらい、少しだけ車から離れ、再度180度身体を回転してもらう。そして、再び後部座席の入り口へ進んでもらうも、ぼくの期待とは裏腹に女性は同じように足の踏み場へ腰を下ろしてしまう。困ったぼくの様子を見かねた旦那さんが、今度は先に車へ乗りこまれ、「こっちだよ。」と言いながら女性の手を引いた。が、強引に手を引っ張られることをひどく嫌がる彼女は逆に手を引っ込め、車に背を向けてしまう。「言葉を失う」というのは、それまでと同じように物事に意味を与えることができないということでもある。そうなれば認識や理解のあり様を変えざるを得ない。だから、ケアする者がいつまでも見聞きできる言葉を頼りにしていては、相手が変えざるを得なかった理解のあり様へは近づけない。身体へ語り掛けるよりほかないのだ。
今度は、後部座席の入り口に対して正対ではなく斜め後ろから歩いてもらい、同じように「こちらです。」と手を広げながら、その流れのまま見守ってみた。自分自身が車に乗り込む際の身体の動きをイメージし、それをなぞるように女性を促すのだ。女性は後部座席の直前で立ち止まる素振りを見せることなく、逆にドアに左手をかけながら右足を上げ始めた。不安な目で見つめるぼくの心配をよそに、女性は跨ぐように踏み場に足を置き、自然な動きでそのままシートに腰を下ろしてくれた。残った左足を踏み場で揃え、旦那さんの「よく出来たねぇ。」という笑顔とともに閉められたドアの向こうで彼女はまっすぐ前を見つめている。不機嫌な顔一つすることなく、息を切らす肩の震えもない。何も無かったかのような涼しい表情できれいな姿勢を保ちながら、しかし旦那さんの顔を見ることもない。見守った者の安堵はそんな横顔に映し出される切なさと同居しつつ、いつも温かい。
この場面にあるのは、相手の耳に届くような硬直化した言葉ではなく、自らの振る舞いで相手に語り掛ける身体である。コミュニケーションは常に身体性を帯びる。それはどこまでいっても壊れやすいものであるが、しかし、それを回復させ得る唯一の行為もまたコミュニケーションである。割れないように掌をお椀型にしたところでふとしたはずみで散り散りになるシャボン玉の色鮮やかな反射模様を回復させるには、もう一度きれいな空気を吸い息を吹き込むしかない。幾つかの失敗を経て辿り着いたこの経験から思い出されるのは、相手の意識に働きかける、というより囁くように身体に語り掛けるケアのイメージである。声高な指示を諦めたあとに見つけたとても静かなケアである。もう言葉はいらない。自らの振る舞いで相手に語り掛ける。それに促された相手の身体は一つの流れに乗るようにしなやかな動線を描き出す。見聞きできる言葉ではなく身体で語り掛けるためには、自らの動きに意図を感じさせない自然さが必要である。自然さとは「上手くいかなくてもいいですよ。」といういたわりである。壊れるかもしれない宿命を承知の上でそれでも「大丈夫ですよ。」と訴え続ける回復のコミュニケーションである。駐車する場所がいつもと違うときには後部座席の入り口へ促す自分の手と身体の角度をそれとなく調整する。表情が怖がっているように感じたなら、あえて目を合わせないようにし相手の身体には触れないよう配慮する。そうやってお互いの身体の落としどころを探っていく。身体と身体とのコミュニケーションがそれでも繰り返し試行錯誤する懸命さに耐え得るのは、身体の知性が共振・交換への可能性を秘めているからである。身体は常に言葉よりも先にある。意識されるよりずっと前に身体はすでに知っているのだ。
とは言っても、同じやり方がいつまでも通用するわけではない。上手くいかない日も当然あった。静かなケアを何度も繰り返し続けたことだってある。そして、加齢による状態の変化とともにいまはもう歩くことさえできなくなってしまった。車いすに乗ったところですぐにずり落ちそうになってしまういまとなっては、旦那さんと二人で女性を担いで車に乗っていただく毎日だ。
しかし、そうなったいまでも身体へ語り掛けるケアは続いている。女性の腕を持つぼくの握力が強くなりすぎないように気をつけながらも、旦那さんの負担が小さく済むようにできるだけ女性の身体にぼくの身体を密着させる。車に乗り込んでもらう際には女性の身体の動きが不自然な動線を描いて苦痛を感じないようぼくの身体の動きを調整する。合わせようにも合わない相手の前では、バーバル・ノンバーバルといった類の可視化・体系化された知を手放したとき、身体と身体のコミュニケーションの可能性が開かれる。それはとても不明瞭でその時々の場やひとの感触・雰囲気に自らの振る舞いは左右されるが、しかし記憶としてある身体は言葉を介さなくても共有可能な地平へと両者を導いてくれる。何がどう転ぶか見通せない中、「わからなさ」を前に沈黙に身を預ける勇気を与えてくれるのは他ならぬ「他者」として在る自らの身体である。そして、それらを実感させる経験とは、言い換えれば出会いの蓄積、または呼びかけの応答として現れる。いつかのあのひとのまなざしがぼくのまなざしと交点をともにするとき、いつかのあのひとの声がぼくの声を呼び覚ますとき、他者は「ぼく」となり、差し伸べるべき手の行方を知らせるのだ。
もはや「する技術」でも「される技術」でもない。
行為の主体は曖昧なまま、そのとき身体は「自分」と「他者」とを越境する。
令和5年10月14日(土)
先日、同業者の介護士の女性から「この業界、あと10年は変わりませんよ。」と声をかけられた。
その言葉にぼくは少し黙り込んだあと、「ぼくたちが生きているうちは何も変わりませんよ。」とだけ答えた。
そう答えたあと、何とも言えない気持ちになった。
言葉にならないことだけが頼りだった。
文字にできないことしか頼れなかった。
頼りないものだけが唯一の頼りだった。
空白に秘められた寂しさを分かち合う術を知ることは無い。
お世話になっている西川さんが書いた「しげやん」を再読した。
短い文章だが、忘れないようにと何度も読み返している。
10回以上繰り返し読んできたそれは、折り目が擦れて破れそうになっている。
まだ西川さんの存在を知らなかった頃に、たまたま本屋で「ためらいの看護」を見つけて手に取ったときの衝撃はいまでも忘れない。
「これで介護の世界が変わるかも・・・。」と本気で思った。
それから15年以上経った。
結局、何も変わらなかった。
そのことを西川さんの前で口にしたら、静かに黙って頷いていた。
そして、
いや、
だからこそ、「それでも・・・」と問い続けていた。
言葉にならないことだけが頼りだから、
文字にできないことしか頼りにできないできたから、
文字にされた「しげやんへの言葉」が染みて仕方がない。
令和5年10月8日(日)
今日も覚醒とともに吐き気が襲う。
もう何十回と繰り返してきた朝の恒例行事。
眠りから覚めた身体の条件反射。
午前三時半。
何度となく襲われてきたが、まだ吐いたことは無い。
「する」でも、「しない」でもない。
「そういうことになった」というのが実際であろう。
「してあげる」でも、「してもらう」でもなく、
「せざるを得ない」というのが現実であろう。
「往生際が悪い。」と言われても捨てられないでいるのは、
「情報」よりも「身体」を拠り所とすること。
「演技」よりも「試行錯誤する様」を認めること。
「成功」を疑い、「失敗」を遊ぶこと。
「いま」を大切にするのではなく、「いま」を無化させること。
思わずカメラのシャッターを切りたくなったその瞬間に過った「何か」を信じるように、「言葉」を見限ることと、「理」を手放さないことは、決して矛盾しない。
やさしさと暴力に対し、同じ地平で応え得る「ことば」を一緒に探してくれるような、「その場」に居合わせたひととの出会いが教えてくれる一文がある。
ともに過ごした時間の積み重ねが伝えてくれる一文がある。
それが湧き上がるように生まれ響くのは、「考える」という営為を丁寧に考えられるひとでありたいと願うから。
躓くことには慣れている。
3年、踏ん張ってきたんだ。
ずっと遠くの出来事が、いまの自分のことのように思えるから、一人呟いてみる。
論理は倫理である、と。
令和5年5月21日(日)
「こんなくだらない日常を生きていくのに、はたしてなんの意味があるのか?」と問えば、「意味なんか求めるから苦しいんだろ?」と誰かが言う。
「・・・もういい加減イヤになってきたな。」とこぼせば、「まだ答えは出ていないだろ?」なんて声がする。
思わず飛び上がってしまうほど嬉しい出来事があると、「一喜一憂するなっ!」ともう一人の自分がたしなめる。
どんなことも多面的な構造を持つ。
だから、ネガティブな発想を「ポジティブに捉えなおしてみたら?」なんて言葉をかけたところで、本当に苦しんでいるひとの救いにはならない。
ただ少なくとも、言葉が無くても「ともにいる」と言い得る空間を共有することはできる。
わざわざそんなことを言葉にしなくても、「すでに知っていること」として、それは言える。
温みのある上腕の肌。
汗で少し湿った背中。
寝返りのお手伝いをするたびにゆがめる眉。
頭を軽く持ち上げると同時に小さく振動する瞼。
位置を直そうと腕を動かしたときに拳を強く握ろうとする手指。
クッションの上に膝を乗せたあと背伸びするように真っ直ぐ伸びようとする足首。
ぼくは、いつだって物言わぬ寝たきりの方から確かに受け取ってきた。
スタッフのお母さんを看取った最後の数か月間も、ぼくは確かに受け取っていた。
頑なに拘りしがみついている言葉の束から手をはなしたときに身体表現が生まれるのではなく、「ぼくたちはすでに身体である」という事実が表現を生む。
伝えたいのは、「新しいこと」ではなく「還っていく潔さ」。
本来なら浜松でイベントに参加しているはずだった日曜日。
ティッシュや冬物の衣類、化粧水の残り瓶や試供品などで散々に埋め尽くされた母親の部屋を弟夫婦と一日がかりで片づけた。
言葉が浮かんでくるのは、いつも決まってそれを考えていないときばかり。
令和4年11月6日(日)
「ふぅ~。」
ようやく出来上がったホームページの画面を前に大きくひとつ息を吐く。
さて・・・。
自分と他者ではなく、「ぼく」と「ぼく」の「あいだ」に主眼を置いている。
その「ゆらぎ」のなかに浮かび上がる「あなた」との「できごと」を書きとどめておきたい。
世界は絶えず動性のただなかにあり、様々な事物が複雑、かつ相互依存的に関係しながら在る。
そのため、それをいざ言葉にしようとすれば、それはたちまち生気を失うことになる。
言語化とは、「流れ」として在る「コト」を定点で掴み上げモノ化する作業である。
よって、「利用者主体」「そのひと(自分)らしく」「個別ケア」「一人一人に合わせた」「心に寄り添った」といった決まり文句は、
耳障りは良いが実際には適切ではない。
「ぼく」と「あなた」はその都度共時的に生成されつつ、他方では反転を繰り返すからだ。
そのため、それを自覚している者の「ことば」はいつも右に左に蛇行するほかなく、故に、それ以前の「沈黙」に耐え続けるしかない。
そうなれば、あとは「行間」に賭けるのみである。
「行間に賭ける」とは、表現に託す、ということだ。
表現は、目を凝らし、耳を澄ませ、想像を試みるすべての者に開かれている。
自宅では何があっても手を伸ばすことのなかったお酒を昼間から飲んでいる。
もはや「雑記」と呼べるようなものしか書かない、と決めた。
機は熟した。
今日は、良い天気だ。