“正しい傾聴”はお互いを幸せにし“明るい未来”すら想起させるので、必ず個々の“生きる力”に繋がります。
ですが、傾聴とは名ばかりの“傾聴もどき”だと、話し手の期待はことごとく裏切られ、どこにでもある“ただのやり取り”に終始します。
“話す喜び”や高揚感が“うわべだけの会話”から生まれるはずもなく、聞き手側の問題は煙に巻かれ、その身代わりとして“傾聴”そのものへの期待感や興味だけが損なわれ、話し手が“幸せに繋がるチャンス”は、無責任な“傾聴もどき”によって奪われてしまいます。
それはかの有名な電話相談窓口にさえ蔓延していて、藁をも掴む思いで架けてくる利用者に“普通の話”しかできず、架けても何も変わらないばかりか、絶望させ、さらに袋小路に追い込む“二次被害”すら生んでいる現状は、もはや看過できず“傾聴もどき問題”は喫緊の深刻な課題です。
そもそも“自分”を棚に上げている人は“人の心”も棚に上げます。
なので“幸せなフリ”をしてる人に傾聴はできません。
なぜなら“自分”にすら向き合えず“現実”から逃げている人が、人様に向き合えるはずがなく、“生きた言葉”どころか、誰からも自分が批判されないよう“万人受けする話”しかできないからです。
もちろん、彼らの指導者の資質も見逃せませんが
例えどれだけ“キレイな言葉”を返せたとしても、それは感情を偽装されたAIのようなもので、
見せかけでは人には寄り添えません。
そもそも“傾聴もどき”自身が“幸せ”からほど遠いのは、本人が“うわべの世界”で生きているからです。
その利己的な自己満足と自己顕示欲に人様を利用しているに過ぎず、その隠された二面性の克服こそが、本人が真っ先に取り組むべき課題のはずです。
つまり、普段の生き方そのものが“傾聴の品質”に直結しているにも関わらず、それに気づいてもいないし、教えられてもいません。
その結果、中身の無いやり取りすら、まるで“傾聴”のような錯覚や誤解、或いはすり替えが横行し、“幸せ”とは無縁になってしまいました。
そんな現状を憂い、改めて“本物の傾聴”とは何か?を世に問い、“誠”を尽くして傾聴を極め、お互いの“幸せ”を生み出す“真の傾聴”を再興すべく、本会を立ち上げました。
合わせて憂うべきは、“自分の話”をしっかりと最後まで聴いてもらった事のある人が、極めて少ないという深刻な現実です。
それは夫婦間、親子間、兄弟間に留まらず、ありとあらゆる人間関係の中で、お互いがおざなりにされ、その“存在そのもの”が軽視されているという事です。
“私の事をわかって欲しい”という個々の切実な願いは軽んじられ、蔓延する生きづらさや自己無価値感、引いては孤独・孤立問題にも繋がっています。
だからこそ、今こそ“生きる力”に直結する“真の傾聴”が求められていると確信しています。
その担い手は、誰にでも“幸せをもたらせる人”で
賛同する勇気ある誠実で幸せな人材によってのみ、本会は構成され運営されます。
令和7年4月1日